ラベル 第一句集を読む の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 第一句集を読む の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022-06-05

西原天気【句集を読む】液体の肌理 木田智美『パーティは明日にして』の一句

【句集を読む】
液体の肌理
木田智美パーティは明日にして』の一句

西原天気


採血を終えてプールのような空  木田智美

プールの水面が静かなときは空が映る。水面を見れば、空が見えることになる。けれども、逆は成立しない。当然ながら、空に水面は映らない。この句は、空を見て、プールのようだと言っている。この直喩は、互いの反映に依るものではないから、水面に映る空、という古くから繰り返されてきた景色を持ち出す必要はないのかもしれないが、ある種の逆転の参照は、私たち読者によく馴染んだもののほうが、効果が確実、ということは言えそうです。想念の飛躍のための踏み板は、ふつうに地面に敷かれたもの(つまりそれ自体に飛躍がないもの)のほうがよかったりする。

前半の「採血」は、どうでしょうか。

後半の空と、因果や散文的な連続性はない。いわゆる二物衝撃的な造り。二物のあんばいを味わうには、肌理(きめ)を愉しむほうのがいい。この句の場合、とくにそんな気がします。

この句の肌理。いい感じに調整されていて、それはやはり、液体の肌理でつながっていることもあるでしょう。血が抜かれたこと(ってへんな言い方ですが)のちょっとした虚脱も、この空によく合っているように思いました。さらにいえば、イメージの作用として、全体の青(薄い青)一色の景色に、血の色が細くひとすじ加わる。ここも、視覚的に、なかなかの感興です。


木田智美句集『パーティは明日にして』2021年4月/書肆侃侃房



2014-01-12

桑原三郎『春亂』の無季句 北川美美

桑原三郎『春亂』の無季句

北川美美

初出:『犀』No.190 (平成25年11月1日発行)

桑原三郎は無季句の好手として名高い。その第一句集である『春亂(しゅんらん)』を読み解くことにより、三郎の無季句の原点を探っていきたい。

倒れしは一生涯のガラス板

昭和四九年、四一歳のときの作。ガラス板が倒れることを命の儚さとしてみる仕立てと解するが、そのガラス板の脆さに、作者の悟りと覚悟が伺える。倒れることの不安定さ、そしてガラス板という破壊性のある硬質素材を措辞することにより、美しく、儚くもあるこの世を思う。「ガラス板の一生涯」に読者は、限りある一生の時間、そしてそれが突然に終焉となりうることを考える。「倒れし」の「し」強調により、スローモーションのように倒れていく景を想像する。第一句集にしてこの風格。三郎の代表句として名高い。

いつせいに柱の燃ゆる都かな  三橋敏雄

鉄を食ふ鉄バクテリア鉄の中  〃

三郎の掲出の代表句に私は三橋敏雄の無季句を重ねあわせた。「鉄」も「ガラス」同様に都市景観の象徴であり、人間が作り出した無機質なものである。しかし、いつかは、あるいは、いずれは破壊、あるいは浸食される脆さがある。それが個々の人間、ひいては人類の儚さにもつながっていく気がする。

三郎には「第二回五十句競作」にて「佳作第一席」の賞歴がある(この時の一位入選に今坂柳二、佳作第一席に大屋達治、澤好摩、攝津幸彦、高橋龍)。その受賞作「むかし桃たちの唄へるうた」が解体、増作されこの『春亂』に同タイトルとして収録されている。
応募作「むかし桃たちの唄へるうた」自体に無季句が極めて多い。『春亂』収録句では一三七句中の二十九句が無季と読んだ。

三郎の無季の力は、前衛期の赤尾兜子・永田耕衣の影響が考えられるが、先師にある悲壮感、混乱、難解という印象がなく、より俳句形式として昇華していると思える。それは本人の生き方としての姿勢が大きいのだろうが、高柳重信、三橋敏雄との交わりにより、「俳句」をより「形式」として意識したことに依るのだろう。三郎の「五十句競作」への応募は無季句を多く配した三橋敏雄『眞神』発刊からわずか一年後のことである。ここに『春亂』の句を並べてみる。

山燃えて水ををろがむ夕べかな

山も晝や臼の襞より豆こぼれ

寝て待てば鐡道馬車が通るなり

頭暗しと廊下を磨く姉妹

まざまざと雙親見ゆる午の刻

提灯の脇腹赤く苦しけれ

絵蝋燭水の終りもみづの音

産み月の妹が曳きゆく藁の屑

土蜘蛛を飼ふ竹籠も武蔵かな

生き死には手燭のゆらぐ箪笥部屋

草小舎のわれをいくたり出てゆくか

荒縄よ指の力に敗れたる

松古りてときどき兄を名告りけり

横濱に来てさみしさよ人の名は

葦原や命(みこと)も棒も歩きつつ

渡り鳥箒は玉を掃きをらむ

その作は常に生きている境界線が曖昧領域であり、身近な幽霊、ごく親しい魂が主体となっていることである。

をちこちに荒縄結ぶ影の山

押入に百夜通へり俯むいて

ひとり来てまたひとり来て墓荒し

など「霊」が近くにいつもいるように読める。「霊」は確かに目に見えない、実在がないので、逆にいえば、どのようにでも描ける危険性も孕む。リアルでなくなるのだ。しかし三郎の句は「死生観」という観念を越え真の「霊」と対話している、実景として読めるのだが、それが作り話にならないリアルさがある、

うつうつと黒牛を乗り殺したり

双頭の亀を乗りつぎあきつしま

「霊」たちを迎え、向き合い、そして彼の世で生きる彼ら描くことにより、より身近な存在として共存しているということが伝わってくる。

『眞神』に於いて三橋敏雄は山に潜む神の力を各所に潜めた。また連句の手法を取り入れ、無季句を意識的に多く配置するためのシカケがある。ところが三郎の場合は、何のシカケもないように身近な霊を浮遊させ無季句を作ってしまう巧みさがある。

無季句を創作することは相当難しい。それは実作してみればわかるように、なかなか体を成さない。四季を超えるものを実作者は模索してきた。戦火想望俳句、そして東日本大震災時の震災句など、実作者たちはここぞとばかりに無季俳句を創作した。しかし、どこか他人事なのである。

見えがくれして水炊きの飯男

実際に水炊きをしていた男が見え隠れしていたのかもしれないが、無季句であるが故に霊が水炊きをしているように読める。それが誰なのかはわからない。三郎自身の喪失感からくる表現であると思われるが、やはりあの世とこの世の曖昧な境界領域を感じる。

『春亂』以降の『俳句物語』(一九八五年)の年譜を拝見すると三郎の人生そのものが壮絶であったことが明らかにされていく。作品の根底にある喪失感が身近に起きていたことがわかる。『春亂』にみる無季句には三郎が十代の時に遭遇した兄の自死による衝撃が永く三郎の心を支配し、それが創作の動機となっているように伺える。

極楽も陸続きなる麥埃

やはり三郎にとってその境界線はない。その距離はとても近くわれわれもいずれは行く黄泉の国が怖いところではないという大らかさがある。すでに老練である。

ついで「父」を詠んだ句が多く収録されている。その中にも無季句がある。

つれづれに父を加ふる火の見かな

青竹に父の人玉依りつつあり

はこべらや膝つけて立つ蛇の父

男子にとっての父親の存在は越えられないものとして本人にのしかかる。父親以上にはなれないという葛藤である。その「父」の存在をあえて登場させているのはまさしく「自我」の確立であり「父」との距離感を描くことにより、本人の「自我」を読み取ることができる。

「父母未生以前」は禅宗の言葉である。「父や母すら生まれる以前のこと」という意味である。三郎の「父」の登場は、「父」を浮び上がらせることにより相対的な存在にすぎない自己という立場を離れ、絶対・普遍的な真理の自我につながる。ここでも「父」は身近な霊として三郎の近くにいる。その存在は実在のない「在」である。三郎の父への態度は極めて慎ましく、そして紳士的である。三橋敏雄の描く「父」よりも高柳重信の「父」との距離に近いように読める。

東日本大震災の起きた東北の被災地では、現在、幽霊や天狗の話を集めた『遠野物語』によく似た不思議な話が次々に生まれている。「震災怪談」として生者の中に、震災犠牲者の想いが生きているというのだ。すでに三十九年前の三郎の句に見え隠れする幽霊はとても身近であり言霊となっていきいきと俳句形式に融合している。

俳句に没頭する初期俳句実作者たちは「句集」という目標に精進する。しかし後世に残したい、「第一句集」なるものが、極僅かであることは言うまでもない。タイトル『春亂』の意味するところは、「あらくれし若き日々」と察するが、この第一句集の無季句に焦点を当てることにより桑原三郎の創作の方向性がすでに確立されていたことに気付く。


◆『春亂』解題
桑原三郎第一句集。作句開始以降の一三七句を収録。一九七四(昭和五十三)年八月十五発行・端渓社版。布装上製本、函入。九六頁。一頁二句組。「むかし桃たちの唄へるうた」「補陀落のそら」「板東記」「唱和集」。序・高柳重信八頁、序・赤尾兜子四頁。著者後記二頁。本製版三百部限定版。頒価二八〇〇円。

2013-12-08

コマ落としのように 柿本多映第一句集『夢谷』の一句 西原天気

コマ落としのように
柿本多映第一句集『夢谷』の一句

西原天気


描くことなく、それを現前せしむる、言い換えれば、生きたまま(というのは、いきいきと)読む者に届ける、という不思議なことを、いくつかの俳句は実現します。

巻き尺を巻きもどしゐる昼の火事  柿本多映(以下同)

この句の場合、私たちに届くのは、「昼の火事」。

この句、昼の火事を「描く」ことはしない。ところがその鮮烈なイメージが読者に届く。

それは、意味の断裂(いわゆる「切れ」)がもたらす効果であって、「巻き尺を巻きもどす」行為が、ここでは「昼の火事」を描かずして読者に届けるというためだけに、ある。これは俳句では当然のこととはいえ、日常や、あるいは散文的思考においては、とうてい考えられません。

勝手な連想が許されるなら、巻き尺のその動きは、映画のフィルムのように、鮮烈に昼の火事を映し出します。意味上の断裂が深く横たわるなか、私たしは、イメージ上の糸口を(それなりに)見つけることで、この句をしっかりと受け取るのです。

以上、くだくだしく書いたことは、「俳句」という二文字をパラフレーズしたに過ぎません。ただ、そうであるにせよ、やはり、ときどきは、俳句的悦楽について、いまさらのように確かめることもムダ骨でもない(と信じているのですよ)。



第一句集『夢谷』の冒頭ページには、

眼底をよぎる人あり冬花火

立春の夢に刃物の林立す


の2句。作者のキャリアがこの2句でスタートしたことに、読者として驚きと喜びを禁じえません。掲句(昼の火事)で「鮮烈」の語を用いましたが、句集全体に鮮烈なイメージの佳句、多数。どなたにもオススメしたい句集です。

他に何句か。

鳥曇り少女一人の鉄砲店

鶴折るやうしろの山に雪が降る

青蚊帳を泳ぐ昭和の日暮かな

降る雨のあやめ殺しとなりにけり




なお『夢谷』は1984年刊。現在ではやや入手困難。古書サイトで見つかるのは2013年12月4日現在、1点のみ。6000円の値がついています

今回、東京四季出版より俳句四季文庫として2013年8月に刊行。文庫サイズ・160頁・定価1142円。読者にうれしい刊行です。おかげさまで、私も今回、読むことができました。ところが、2013年12月4日現在、こちらもamazonでは「この本は現在お取り扱いできません」状態。せっかくの文庫化なのですから、せめて1年間、あるいは半年間くらいは、購入可能な状態が続いてほしいものです。


2009-06-21

安心と恍惚と  『鋪道の花』を読む 山口優夢

【第一句集を読む】

安心と恍惚と  『鋪道の花』を読む

山口優夢




卒業を見下してをり屋上に

卒業式か、あるいは卒業生たちがわらわらと校庭に出てきたところを見下しているのだろうか。柵にぼんやり寄りかかって、あるいは、屋上のへりに腰かけて、あるいは、腹ばいの姿勢で。三月の陽気であれば、屋上に上がってぼんやりと下界を見下ろすのもさぞ楽しいであろう。それにしても気になるのが、これはどこの屋上なのか、ということだ。

卒業の風景を見下すのだから、至極まっとうに考えれば、それは校舎の屋上であろう。学校の近くのビルの屋上だったりするかもしれないが、あまりそういうことを考えても仕方がないように思うので、とりあえず校舎の屋上ということにする。では、卒業の風景を校舎から見下している彼は、いったい何者であろうか?

在校生?先生?いや、僕は、彼もまた卒業生なのだと思いたい。「卒業」という人生における一大イベント、ドラマティックな青春のワンシーンを屋上というはるか遠くから見下している、その物理的かつ心理的距離感。僕は、本当に卒業という事態から離れてしまった人間ではなく、その卒業の内側に居ながらにして遠く隔たってしまう人間の屈託をこそ、この句に見たいのだ。

卒業生たちがかたまって校庭を歩いてゆく。卒業証書を丸めてじゃれあっている。泣いている子をなぐさめている一団がいる。父兄と一緒に写真を撮っている者たちもいる。そして、彼は、そんな卒業生たちの群とは離れ、しかも、その卒業生たちを見ているのだ。せっかく一人で屋上に上がったのならあおむけに寝転がって、流れゆく春の雲でも見ていればいいものを、やはり彼の目は卒業生たちに向けられてしまう。でも、その中に入ってゆくこともない。

彼はあまりみんなと一緒に物事にのめりこんだりしない性格のようだ。彼は人々を遠くから見ている。その距離感は淋しくもあるだろうが、安心できるものでもあるのだ。



汽車長し海水浴の人降りて
遠足の列伸ぶところ走りをり
人々の昼餉どきなり墓詣

人間をかたまりで捉えて遠くから見ている気配のする句を引いてみた。

「汽車長し」と汽車の全体を把握している視点は、駅からやや隔たったところのもののように感じる。

「遠足」の句は、これはさきほどの卒業の句のように、彼自身もまた遠足に加わるはずの一人だったのだ、とはまさか言わないが、それにしても遠足に来ている子らをひとくくりにしてその動きに注目している点、遠足というものからの距離を感じさせる。

三句目は、おそらく彼自身には直接「昼餉どき」の「人々」は見えていないのであろう。墓詣に来たら人が全然いない、そうか、みな昼餉を食べているからか、と気が付く。彼の頭には楽しく昼飯を食う人々のことが浮かびあがるが、それは彼とは関係ない情景なのだ。

「卒業」の句でそうであったように、彼の心は「海水浴」や「遠足」や「昼餉」を楽しむ人々の気持ちに寄り添うことはない。そのようなイベントの楽しさは描かれない。単に、そのようなイベントに打ち興じる人々がいて、そこから離れたところにそれを見ている彼がいる、という状況のみが描かれ、彼自身の感情もそこには入り込む余地がない。

しかし、彼の興味は確実に、「自分の周りに人がいるかどうか」に多く割かれている。



海苔干場に居る人多くなりにけり
遊船にまだまだ人の乗るらしき
前うしろ西日の中に人多く

人がたくさんいるという句。この中だと、二句目の「まだまだ」といううんざりしているような、あきれ果てたような口調が好きだ。三句目はどういう状況なのかにわかには判然としないが、ラッシュ時の列車のホームだとか行列の途中を思い浮かべればよいだろうか。状況が特定されない分、現代の都市における普遍性があって、奇妙に実感が湧く。近くの人の体臭やむわっとした空気まで伝わってきそうだ。

これらの句は、遠くから人々を見ているわけではないだろうが、だからと言って大衆の一員として彼が溶け込めているかどうかは大いに疑問だ。人間の集団が一つのかたまりとして捉えられているという点、個々の人間の様子に踏み込むのではなくて、たくさんの人、という切り取り方で一様に捉えられている点などは、距離感という意味でさきほど挙げた句と通じるものがあるように思える。

新緑や人の少き貴船村
河鹿鳴くいつも人なき橋の上
梅雨はげしあたりに人の居らざりし
あたりには誰も居らざる辛夷仰ぐ

人がいないという句。表現的にかぶっているものもあるところを見ると、よほどあたりに人がいないということが気にかかってしまう人らしい。人がいない情景の中に配することで「新緑」や「河鹿」や「梅雨」や「辛夷」の雰囲気を醸し出そうというのかと言うと、おそらくそうではない。なぜなら、それら季語の存在感よりも、とにかく「人がいない」ということが中心にあって、その空虚感を強調するものとして季語が置かれているように感じるのだ。

人がいないという句には次のようなバリエーションもある。

漸くに一人
(いちにん)通る朝桜
人通りふと賑やかに枯尾花

大方はほとんど誰もいない場所なのだが、あるほんの一時だけ、人が通る。そこに目を留める彼の注意の向け方が興味深い。「漸くに」「ふと」という、俳句においては忌避されがちな、無駄とも思える副詞が、実はここでの彼の意識の方向性を表している。

「漸くに」という表現からは、彼が長いこと誰もいない朝桜をじっと見ていたことがうかがい知れる。しかも、おそらくは無意識のうちに誰か来ないか期待してしまっていたのではないか。「ふと」賑やかになっただけの人通りは、おそらくまたすぐに「ふと」元の通り静かになってしまうだろう。束の間のにぎわいではあっても楽しげな人々が通ってゆく。「枯尾花」に儚さなどの意味を過剰に読みとる必要はないだろうが、ふと人どおりがなくなったときの静かさを思えば、枯尾花だと十分にさびしいであろう。

また、彼は人の気配に対して敏感に反応するところがある。

いつきても門の落葉の同じほど
瀧見えて瀧見る人も見えてきし

「門」というところがポイントで、つまりいつも落葉が「同じほど」になっているのは、その門を所有している家の家人がきちんと掃除しているからなのだ。「瀧見えて」にはあまり感動がなくて、「瀧見る人も見えてきし」に感動の中心があるように感じるのは僕一人ではなかろう。瀧そのものの偉容だとか涼しげな様子よりも、瀧に感じ入っている人を見つけて彼は安心しているのだ。

安心。

そう、おそらく彼は、人間を見ると安心するのではないだろうか。卒業や海水浴といったイベントに参加してみんなと一緒に何かやろう、というのは苦手だが、人がそうして楽しんでいるのをちょっと離れた所から見ているのが好きな人。人間が多すぎるとちょっとうんざりすることもあるが、誰もいなくて不安に陥るよりはいくぶんマシだと思う人。それが彼なのではないかと思う。そういう、彼の人間に対する距離の取り方は、ひょっとしたら現代人の一般的な対人関係に対するスタンスに潜在的にはよく合っているのではないかとも思うのだ。しらけているけれども、どこか優しい。つまり、それはかっこつけているだけじゃないか、という気がしないでもないのだけれど。



もちろん、彼の句は人間にばかり目が向いているわけではない。

鳥の巣に鳥が入つてゆくところ
百日紅坂がそのまま門内へ
時雨るるや音してともる電熱器
滴りに横よりとべる滴あり
冬の空昨日につづき今日もあり

詠む対象に寄り添って、その詠まれているものと一体になる、というよりは、詠まれる対象を見ている彼の視線に面白さの中心がある。それは、人を詠む際に、ちょっと離れた所から人間を見ている、というのと通じるところがあるであろう。あくまで中心にいるのは彼本人なのである。

彼にとって、俳句という営為は、おそらくとても些細な認識を積み上げることによって、文字の中に世界を再構築するということだったのではないだろうか。自分の目に見えるものを少し離れた視点から再認識して、それを言葉に置き換えたものによって自分の周りを取り囲んでゆく。お札のように彼の周囲に張り巡らされたそれらの言葉を、読者は彼と同じ目線に立って追体験してゆく。そこから立ち上がってくる世界は、もともと存在していた世界ではなく、彼の意識、主観といったフィルターを通して再構成された世界だ。彼だけの世界だったはずのものが、言葉によって読者に伝わった瞬間、みんなのものとして共有される。「鳥の巣に鳥が入つてゆくところ」と言われて読者はそれを思い浮かべる。その情景に対して「きれい」「楽しい」「かわいい」「つまらない」「小さい」「こわい」といった感情は一切さしはさまれない。ここにあるのは、そこに確かに世界が存在するという安心感なのだ。それはあたかも、彼が人を見つけることで安心したのと同じように。その安心感によって、ここに挙げた句群はわれわれの心に訴えてくるものを持つ。

門の中の道に坂道の傾斜を感じるとき、電熱器のともる音を聞いたとき、滴りが他の滴に濡れる情景を見たとき、昨日も今日も冬の空の下にいると気づいたとき、我々は確かに自分が生きていて、何かを聞いたり見たりしているということに安心感を覚えるのである。



金魚玉とり落しなば鋪道の花

句集の表題作となったこの句についてはどうであろうか。世界が存在することの安心感に還元してこの句を読むことは可能であろうか。それを考えてゆく前に、まず、いくつかこの句に関連して句集中から句を引いて来ようと思う。

蛍とぶ下には硬き鋪道かな
鋪道ゆくふと萩の花さしいでて

実は、彼は「鋪道」という言葉をこの句集中に幾度か登場させており、「鋪道の花」はそのうちの一つなのである。これら二句に共通に見られる構造は、やや高いところに蛍や萩の花があり、その下に鋪道がある、という図式である。その状態では、蛍と鋪道が、あるいは萩の花と鋪道が互いに何らかの影響を及ぼすということはない。

ところで、「硬き鋪道」という言い方、「ふと」「さしいでて」という言い方からは、「蛍」と「鋪道」、「萩の花」と「鋪道」が、それぞれある違和感を持ってとり合わせられていることがうかがえる。もっと言えば、「蛍」にしろ「萩の花」にしろ、それらの下にあるべきものはやわらかな土なのであって、本来は鋪道であるべきではない、という意識がちらちらと見えるようである。その意識がわざわざ「硬き」と鋪道の硬さを強調する物言いになり、萩の花が別の領域から鋪道のうえに「さしいでて」いる、という言い方を呼び寄せたのだろう。もう一歩進めれば、鋪道というのは人間の作りだした文明の象徴の一つとして捉えられているのではないだろうか。

硬く、無機質な鋪道。しかし、世界が単に彼の見ているままに存在している限りはその鋪道と自然の景物は(異和感はあるにしても)共存していた。そういった前提を持ったうえで「鋪道の花」の句を見ると、この句が今まで見てきた句のような、世界を見ることによって得られていた安心感というフェーズとは異なるところから発せられているのだということがうかがえる。

金魚玉自体は自然の景物とは言い難いが、そこに居る金魚は生きている動物だ。もしその金魚玉を取り落したならば、金魚は当然硬い鋪道に叩きつけられて死ぬだろう、そして、花のように硝子と金魚が飛び散り、凄惨でありながらも一種美しい情景が訪れるであろう。・・・ここに語られていることは、彼が今までのように世界を見ているのではなく、世界に対して何か行為を働いたときに災厄が訪れてしまうことの予感だ。金魚玉にしろ蛍にしろ萩の花にしろ、彼がいなければそれらは鋪道によって直接的に何らかの影響を受けるということはない。しかし、そこで彼が介在することによって、「鋪道の花」という美しい悲劇がもたらされる可能性が出てきたのだ。

もちろん、「とり落しなば」の「ば」は仮定条件を表す助詞であるから、実際にはそのようなことは起こらない。もしもとり落したら、と考えて冷や汗を流しているのだ。しかし、彼の心の中にはその悲劇を忌む気持ちしかないのであろうか。否、「鋪道の花」という目もくらむばかりの美しさ、彼はその言葉を思い浮かべたそのときから、その言葉の美しさに幻惑され、無意識のうちにはとり落すことを希望していたのではないだろうか。そして、そのようにとり落してしまいたいと考える自分自身を恐れながらも、金魚玉の硝子の重さ、とり落した際の音や光や匂いを想像し、生きることの充実感に恍惚としているように、僕には思えてならないのだった。

作者は波多野爽波(1923-1991)

2008-11-30

「僕」の鎮魂 『まぼろしの鱶』を読む 山口優夢


【第一句集を読む】
「僕」の鎮魂 『まぼろしの鱶』を読む


山口優夢








僕の忌の畳を立ちて皆帰る


1 鎮魂

生の向こうに死が透けて見えている。

彼の作品では、死ということ、あるいは、滅びるということおよびその周辺が繰り返し繰り返し描かれる。そして、ほとんどの場合、滅びるのも、死ぬのも、彼自身ではないのだ。「死や滅びの周辺」とは、つまり、彼以外のものが死んだときの彼自身の視線や行動、という意味である。

いつせいに柱の燃ゆる都かな
戦亡の友いまあがりくるよ夏の濱
新しき小鳥のむくろ私す

「いつせいに柱の燃ゆる都」のイメージは、巨大なものの終焉の美しさだ。都を包み込むような大火か、あるいは空襲か。僕には、都中の柱がいっせいに自ら燃え出した幻想を描いているかのように思える。屋根や壁や家の中身が全て燃えつくし、灰になりつくしたあとでも、柱たちは黒こげの無様な姿を晒し、立ち続けるのだろう。その、シュールで凄惨なイメージ。

しかし、今燃え上がっている、この都を見ている彼は、一体何をしているのだろう? 彼にはどうすることもできない。いや、彼でなくても、誰であっても、人間にはどうすることもできない状況なのだ。それに直面した彼はただ呆然と見つめるしかない。彼にできることは、滅びゆくものをただ見据えることだけなのだ。彼は逃げない。目を背けない。何の感情も浮ばない冷徹で悲しい目をもって、彼は炎を見続ける。

その視線は、波の合間から夏の濱に上がってくる戦亡の友を迎える彼の目に通じる。全身ずぶ濡れで、海藻を身に絡みつけ、戦闘服と鉄兜を未だに纏い、遠い遠い南の果から確実に歩一歩と浜に上がりつつある戦亡の友。彼は、砂浜に体操座りをして、そんな彼(あるいは、彼等?)の姿をぼんやりと見つめ続ける。彼はなつかしさで胸いっぱいになって彼等に駆け寄ることもなければ、自分だけ生き残った後ろ暗さから逃げ出してしまうということもない。友は死に、自分は生きている。その現実をただ引き受けるのと同じように、彼は体操座りのまま、こちらにやってくる戦友をじっと眺め続ける。鉄兜のために表情の見えない戦友を。

あるいは、死んで間もない小鳥の骸を自分のものとして扱うということ。生きていれば抵抗して羽ばたくであろう小鳥も、今となっては弄ばれるままに身を任せている。そうやって小鳥を弄っている彼自身の眼差しには、やはりどこか乾いた悲しみに裏打ちされた冷徹さが感じられないだろうか。もしくは、誰もが直面する死の現実に対する、無言のため息。

それはおそらく、鎮魂、ということである。

落椿浮び立つたる水の上
秋風や炭になりゆく鰯の尾
廃花壇ゴム風船落ちとぶ気なし
廃館のガラスの破片みな三角

滅びゆく何かを、朽ちてゆく何かを、終わりゆく何かを、壊れゆく何かを、彼は正確に描写する。「浮び立つたる」「炭になりゆく」「飛ぶ気なし」「みな三角」これらのちょっとした観察、確実な描写こそが、彼の鎮魂歌であった。ここに挙げた句のように、人間以外のものに対してもその鎮魂は行なわれるのだ。

雪降れり人のゆきかひ十字なす

鎮魂のための十字、と読むのはあまり深読みに過ぎるだろうか。降りしきる雪の中、彼は人間たちを少し高いところから眺め下している。やがて死ぬ運命にある彼等が、彼等自身の鎮魂を行なっているのだ。

新宿ははるかなる墓碑鳥渡る  福永耕二

こんな作品を思い浮かべてみてもいいのかもしれない。人間が自分たちの手で自分たち自身のために書きこむ墓碑銘。


2 戦争

砲撃てり見えざるものを木木を撃つ
そらを撃ち野砲砲身あとずさる
戦車ゆきがりがりと地を掻き進む
鉄条網これの前後に血流れたり

たとえばここに挙げた、戦争に取材した句群にも、先述した彼の「死」に対する眼差しが見えないだろうか。彼は戦争を嘆いたり、あるいは勇んで鼓舞したりしない。何の感情も判断も倫理も差し挟まずに、戦闘場面を描く。「見えざるもの」の不可解さと「見えざるもの」を撃つ大砲の不気味さ。「あとずさる」野砲、「地を掻き進む」戦車の圧倒的な物質感、存在感。流れる血の感触と、「鉄条網」のしずけさ。

しかし、ここで描かれているのは、実は「戦争」などではない。非常に複雑に編みこまれた人間関係の中にある戦争の事情(あるいは、そのことを「大きな物語」と言ってもいいかもしれない)を、これらの句は一切無視している。どの句にも一人も人間が出てこないのだから。描かれているのは、「破壊」である。人間の死によってのみ贖われる「破壊」。それは、あるいは戦争の非人間的な一断面とも言えようが。

誰かの「死」や「滅亡」に対して静かな悲しい眼差しを向けた彼だからこそ、死へ向うための「破壊」を見る目にも、同様の静謐がたたえられているのだ。だから、ここには何の感情も、賛美や批判すら、描きこまれない。これらの句は、個人の死に対する鎮魂と同じ冷めた温度で書かれている。

夜の虹ああ放射能雨か灰か
原爆資料館内剥き脱皮手套
鯉ひらめく片身に片目爆心地

破壊。人類が経験した破壊の中で、最大級のものは、しかし、彼の精密な描写を拒む。原爆は、砲身があとずさったり、戦車が掻き進んだりするような時間性をまるで持たない。一瞬なのだ。柱の燃ゆる都、と詠むことすら許されないほどに一瞬の大量破壊。それは、ドラマをすら生み出し得ない。だから、彼は「夜の虹」を幻視したり、「資料館」や「爆心地」で破壊を後から詠んだりするしかないのだ。

夜の闇に浮ぶ七色の虹があるとしたら、それは美しいというよりもグロテスクだろう。手套を脱ぐのに使われる「剥き」という一語の違和感、「片身に片目」の生々しさ。たとえば今、鯉を裏返したなら、その半身は爆発によって綺麗に裂かれ、消え去っているのかもしれない。原爆に関しては、そのような身体感覚によってあとから比喩的に描かれるしかなかった。

出征ぞ子供ら犬は歓べり
訓練空襲われ物欲しく木に登り

一方、これらの句は、彼には珍しく、戦争に対する彼の距離がはっきり書き表されているものだ。「出征ぞ」の句は、「は」の限定に明らかな作為があり、彼自身の戦争に対するネガティブな感情が見て取れる。また、訓練空襲と言うと、

訓練空襲しかし月夜の指を愛す  西東三鬼

を思い浮かべる。「訓練空襲」と上五に持ってきて、中七下五でその意味性を裏切ることにより、戦争の中での個人を主張するという句の構造も、この二句は共通して持っているようだ。ただ、彼の句の「われ物欲しく木に登り」という言い回しに見られるどうしようもないみじめさは、三鬼の句の耽美なエロティシズムとははっきり異なる。生きていることの、そして、何かに憧れるということのみじめさだろう。自らのみじめさをさらけ出すことによって、戦争への強烈な皮肉を描き出し得ている。


3 若さ

木に登る、というのは、空に対する憧れだろう。「物欲しく」、みじめなまでに空に憧れる、そんな若さがこの句集のところどころに描かれている。

かもめ来よ天金の書をひらくたび
少年ありピカソの青のなかに病む

「天金の書をひらくたびかもめ来よ」ではなく、「かもめ来よ」と、一番最初に呼びかけの言葉が書かれることに注目したい。ここから、「天金の書」が中心なのではなく、あくまで「かもめ」を呼び出すことが一句の眼目なのだと分かる。そのためのツールとして、「天金の書」が使われるのだ。

「書をひらくたび」かもめよ来い、ということは、天金の書のどこを開いたとしても来て欲しい、いつでも何度でも来て欲しい、ということだ。なぜ彼は「ひらくたび」そのことを願わなければならないのだろう? 彼は、天金の書を所有できても、それをひらくたびにかもめを呼び出すことができても、かもめそのものを所有することはできないからだ。何回呼び出しても、かもめはいつまでも希求される。永遠に抱き続けるしかない憧れ、という若さそのものとも思えるテーマが、倒置法と「ひらくたび」という措辞から見えてくるのだ。「少年あり」の句にも、絵の具の青色が満たす世界の中で狂気に陥る少年、というのは、求めても何かを得ることのできない若さを見て良い気がする。

この二句は、彼自身の若さ(と読めるもの)が詠まれているが、むしろ、句集中に多いのは、彼以外の他者の若さについて言及したものである。

外を見る男女となりぬ造り瀧
その青年のもの美女の顔平手打ち
若者よ抱きあふ固きところ骨

この三句、こうして並べてみると、一組の男女の関係の推移を表しているようで面白い。「外を見る男女」は、直接的には若いとは書かれていないが、初対面のような若者同士ならではの初々しいはにかみようが伺われる。見合いの席なのだろうか。二人で外を見ている、その視線の先にあるものが造り瀧だというおかしみ。あるいは、しらけ。

二句目は、なんだかおかしな句だ。痴話喧嘩なのだろう、「平手打ち」を食らわせたとしても、結局はその美女は「その青年のもの」なのだ。なんだ、馬鹿馬鹿しい。「夫婦喧嘩は犬も食わない」と言ったところか。

そして、「若者よ」の句には、戦慄させられる。はにかむばかりだった出会いの頃、諍いを起こしていた頃を通過して、抱き合い、求め合うようになった彼等の体の中に、白く硬い骨という「死」の象徴が埋め込まれているという現実。それだけでも十分面白いのだが、さらにこの句は、「若者よ」と彼が第三者的な視点から呼びかけている形になっているところに瞠目させられる。「若者よ」と言うからには、彼自身は若くないのだ。

ほかの二句についてもそうだが、自分も通ってきた道である「若さ」という恥ずかしいものを、外側から、あの、しずかな悲しい目線でじっと見つめている。戦亡の友を迎えるのと同じ、あの眼差しだ。これらの句は、謂わば、彼等の未来に対する鎮魂、とでも言うべきだろうか。

野火たかる若き冬木の油火よ

若さという激しさゆえの悲劇をも、彼はしずかに見つめている。


4 海

寒流がまたも聞えてくる晩だ
爆笑のすぐやむ船の奥処かな
いつ使ふ消火器と斧船老いたり

彼の、滅び行くものに対するしずかな眼差しについては、この稿の中でたびたび言及してきた。のみならず、「鎮魂」というキーワードを使って、その眼差しを言語化することに努めてもきた。では、この句集においては彼自身はどのように描かれるのだろうか。「物欲しく」木に登るような、天金の書を開いては「かもめ来よ」と求めるような、そんな若さとは別のアプローチは、この句集の中に存在していないのだろうか。あるとすれば、そこに現われるのは彼のいかなる姿なのであろうか。

それに対する僕自身の回答は、彼の海に関する句を見てゆく中で得られることと思う。「寒流」の句は、「寒流」の寒々しい音を思わせる上に、「晩だ」という口語調の言い切りがきっぱりと決まっている。「またも」から、彼は海に近しい人間なのだろうと推察できる。「爆笑」の句の遠い灯りのなつかしさのような、奇妙なさびしさ、「いつ使ふ」の句の船に対する目線からは、彼が船乗りであることが予想される。その予想は、次の句によって真であることが証される。

暑き船内生きてビキニを避けつつあり

沖に原爆太陽ふせぐ指に骨

しかも、これら二句は、彼が船乗りであることを示唆している以上に、船乗りとしての彼と核爆弾との距離感を端的に明示している。彼にとって、原爆やビキニは、一般の人以上に自分の生活のテリトリーに近いものなのだ。先述した原爆の句に比べて緊張感と肉体性が増しているのも、頷ける。ねばつく暑い空気の中で生きている彼、太陽の強い逆光によって浮かび上がる指の中の細い骨。彼が、今自分は生きていること、そのことを強調するほど、彼自身の死が裏側から透けて見えてしまう。

そのような逆説的な状況の中で、彼自身の生を力強く活写しているのは次の句であろう。

すれちがふ戦艦我等稼ぐなり

ここには、戦争を尻目に、自らの生きてゆく活力を見出す力強さが伺える。戦艦に比べて、彼の乗る商業船はちっぽけで弱いものであろう。戦艦に乗る乗務員が「国を守る」という大義名分に酔いしれているのとは違って、彼等はただ自分の利益のために船に乗っている。どちらが重要で意義深いか、といわれたとき、戦艦の決死の覚悟の方が高邁に見えることであろう。でも、彼等には「我等稼ぐなり」の矜持がある。この「なり」という切れ字が示す凛とした決意表明は、美しい。

今まで言及してきた他者の死へのしずかな目線とは違う、彼自身の生活の場である海での生を力強く詠んだ作として、この句は特異な地位を占めると思える。


5 自らの死

もう少し、彼の自分自身への言及と思える句を拾ってみる。

共に泳ぐ幻の鱶僕のやうに
我多く精蟲となり滅ぶ夏

共に、自分自身と、それを表象するような動物とが抱き合わせで描かれている。自分を仮託する動物として「鱶」「精蟲」という両方とも「泳ぐ」ものが持ってこられている点が、彼が船乗りであることを思い合わせたとき、まずは興味深い。

「共に泳ぐ」の句は、実に奇妙な構造となっている。「僕」は「鱶」と一緒に泳いでいるが、その「鱶」は実在しない「幻の鱶」で、しかも、その「幻の鱶」は「僕のやうに」泳いでいるのだ。おそらくは、「幻の鱶」は彼自身の幻影であり、だからこそ「僕のやうに」その鱶は泳いでいるのだろう。まるで水中に鏡があるように、「僕」には僕の姿がゆったりと巨大な鱶として見えている。「共に」と言っているにも関わらず、そのようなシチュエーションはなんと孤独な時間なのであろう。暗くしずかな海の中に、彼が彼自身の幻影と共に泳ぐ、そして、彼は一体どこへ行こうと言うのか。

その答えとして考えられるのは、次の「精蟲」の句であろう。つまり、彼もまた、彼が見送って行った、過去に滅び去った多くの者たちのごとく、「滅び」に向って泳いでゆく者なのだ。彼は未来を託すべき、しかしそれだけでは不完全な多くの精蟲となり変わり、そして、生み出された彼等は一つの卵に出会うこともなく、全て死んでゆく。「我」が卵子と出会うべく精蟲になるにも関わらず、そのままあっけなく滅んでしまう、この皮肉、この悲しみ。

彼の生は、海の上で力強く全うされる。そして、彼の死は、彼自身によって、この句集の中で既に鎮魂されているのだ。彼は他者の死を見つめるそのしずかな目をもって、彼自身の死を他者の目からしずかに描いてゆく。

ここで、巻頭に挙げた、

僕の忌の畳を立ちて皆帰る

の句に立ち戻る。見様によっては、

死にたれば人来て大根煮きはじむ  下村槐太

との類似が思われもしよう。どちらも、人の死という事態に対する周囲の人々の反応を描いているからだ。しかし、槐太の句が「人来て」であるのに対し、彼の句が「皆帰る」となっていることは大きな違いである(あるいは、「僕の忌」というのは「死にたれば」と違って死んだ直後を必ずしも指さないという相違点ももちろんあるが、ここではあまり踏み込まない)。

「僕」の忌日にどれだけ多くの人間が集まろうとも、結局は、皆、帰るのである。自分たちの家へ。そして、自分たちの生活へ。死んだ人を偲ぶというささやかな非日常を楽しんだあと、適当なころあいを見計らって、皆、自分の生活へ戻ってゆく。そのときには、彼等の頭の中からは死んだ者の姿は綺麗に消え去っていることであろう。

死んでいった者は忘れられる。そのことは、そもそも「僕」自身が、死んでいった者たちを忘れ去っていったことによって既に実感しているのだ。それはなんとも信義にもとるように思える。死んでいった者たちへの後ろ暗さが思われる。しかし、それは残された者にとっては余りにも自然なことで、逆に、四六時中も死んだ者のことばかり思って生きてゆくことは不可能に近い。死んでいった者は忘れられる。余りにも当たり前のそのことを、彼は自分が死者の立場に成り代わることによって、切実に描いてみせたのだ。この句は、他者による彼への鎮魂、あるいは、そのような彼への鎮魂の限界を示しているのだ。

私のお墓の前で泣かないでください(『千の風になって』唄・秋川雅史)

もしも僕がいなくなったら
最初の夜だけ泣いてくれ(『旅立つ日』唄・juleps)

ポップスなどを聴いていると、自分の死に言及した歌詞が時折見受けられる。誰かの死を周囲の人がどのように受け止めるか、ということは、俳句に限らず文藝一般にとって一つの重要な主題であろう。しかし、ここで挙げた上記の二つの曲の歌詞は、正直、僕にはピンと来ないところが大きい。そもそも、自分の死に対して「泣かないで」とか「泣いてくれ」とか周囲の人に求めるのは、尊大で、感傷に溺れているだけの態度のように見えてしまう。

たとえば僕が死んだら
そっと忘れてほしい
淋しいときはぼくの好きな
菜の花畑で泣いてくれ(『たとえば僕が死んだら』唄・森田童子)

こちらの歌詞は、まだ上記よりも好ましい。確かに「泣いてくれ」という言葉は入っているが、基本的なラインは「そっと忘れてほしい」というところにある。それに、少なくとも、「最初の夜だけ」という限定よりは、「淋しいときは」という限定の仕方の方が、人の死に対している悲しみというものが正直に表出されているように僕には思える。

そうは言っても、森田童子の歌詞も彼の句に及ばないところがある。「そっと忘れてほしい」という希求にすら、感傷があふれてしまうのに対し、「皆帰る」という把握は、望むと望まないとに関わらず、皆自分を忘れてゆくのだということが前提されている。彼はそのことに絶望しているだろうか?僕には、そうは思えない。それはそういうものなのだと、しずかに受け止めているように思える。

誰もが自分の死にあたっては何かを望まざるを得ないだろう。自分の死の向こう側には自分は何も出来ない。絶対的に不可能な未来があり、だからこそ、そこになんらかの希求をしてしまう、ある種の若さのようなものは、彼のこの句には一切見受けられない。それは、若さを内側から描くことを終え、外側から見るようになったのと関係があるのだろうか。彼は他人の死をしずかに受け入れたのだから、自分の死にも何も望まず、それをあるがままに受け入れるしかなかったのだ。

彼自身が他者の死に敏感であり、他者の鎮魂のことを考え続けてきたからこそ、このような幻景が浮び出てしまうのだろう。あるいは、自分の鎮魂を切実に考えることが、他者への真の鎮魂を行なう一つの道程であったとも言える。

生の向こうに、死が透けて見えている。

そのさびしさを、逃げることのできないさびしさを、彼は句の上に留めようとする。彼の、滅びに対するしずかな眼差しは、その裏に沈む多くの感情を表に出さないことでさらなる深みを見せる。そのような彼の思いは、俳句という詩形式と幸福な出会いを果たしたのだと言えよう。あるいは、俳句が、彼の中からそのような感情を掘り出して見せたのだろうか。少なくとも僕は、「僕の忌」ほどに自分の死を冷徹に見つめた詩を、俳句以外で見たことはない。

作者は三橋敏雄(1920-2001)





2008-04-27

両手をひろげて 『花粉航海』を読む 山口優夢

【第一句集を読む】
両手をひろげて 『花粉航海』を読む  ……山口優夢




前書き

花粉航海。そのタイトルそのものが、一つの文芸作品のようにすら思える。綺麗な言葉だ。

そしてこの句集が見せてくれる世界は、タイトルどおりに明るいイメージがくっきり立ち上がってくる美しいものだ。花粉の黄色と、海の青。かがやくばかりの、色彩感覚の競演。しかし、光の背後には、必ず影が控えているものだということを、忘れてはいけない。

この稿では、僕自身のブログ「そらはなないろ」で試みている句集鑑賞と同じ書き方で、この『花粉航海』の鑑賞を書いてみようと思う。その書き方とは、稿の冒頭に句集の中で最も印象的だった一句を置き、その句の鑑賞を軸に据えながら、それ以外にもいくつかピックアップした句を通して見えてくる句集全体の特徴を明らかにして行こうという試みだ。

さらにもう一つ、この鑑賞の特徴は、稿の最後まで句集の著者の名前を明かさない、ということにもある。著者の名前を下敷きにした鑑賞ではなく、あくまで句集のみから見えてくるものを見つめてみたいのだ。

このような書き方によって、その句集の作者のどんなに些細でも新たな一面が発見されたなら、この稿は成功である。その判断は、読者諸賢にお任せしたい。

さて、能書きはこのくらいにしておこう。早速、船出のときが来たようだから・・・。



マスクのまま他人のわかれ見ていたり

この句を読んですぐ、ターミナル駅の雑踏を思った。東京駅八重洲口の中央改札を入ってすぐ右手にある、新幹線の改札口。あるいは、新宿西口の巨大なロータリー、吉祥寺駅の切符売り場。たとえばそのあたりの壁に、夜、凭れかかってぼんやりしていたなら、「他人のわかれ」は幾度も目の前に展開されることだろう。

人と人が別れてゆくこと。それは、人生という劇場において間違いなく大きな部分を占めるドラマツルギーだ。全ての出会いはまるで何かの負債ででもあるかのように、別れという返済を迫られている。死が必然である以上、別れもまた必然的なのだ。

花にあらしのたとえもあるぞ
さよならだけが人生だ

でもそれは嘘だ。「さよなら」があるなら、「こんにちは」が必ずあったはずで、場合によっては「ありがとう」とか「ごめんね」とか、もっといろいろあってもおかしくないはずだ。「さよならだけが人生だ」この断定には、大変ナイーブな感傷が働いている。どんなに楽しいことがあったとしても、結局最終的に残るのはさよならだけなのだ、という切なくて愁いに満ちた感傷。恍惚とその感傷に浸ることは、甘美でさえある。だから、さよならは、別れは、ドラマになるのだ。

別るる日ラムネの玉の音やまず  対馬康子

しかし、切ないのは自分と誰かの別れであり、誰かと誰かの別れではない。自分の関与しない「他人のわかれ」など、本来は何の重みもない。なのに、なぜ、「彼」は「他人のわかれ」を「見て」、しかもそれを俳句に書きとめようなどとするのであろうか。



この句集は、実は大変「自分自身」にこだわった書かれ方をしている。「自分自身」、それは、文字通りの現実における自分、と言うよりは、自我を規定するイメージの総体のようなもの、つまり、一般にアイデンティティと呼ぶにふさわしいものだ。

わが夏帽どこまで転べども故郷

この句、「わが夏帽」ではなく「夏帽子」と言えば字余りは解消され、すっきりと十七音に収めることができる。そうして、俳句甲子園の議論風に言ってしまえば、俳句の中で「夏帽子」と言えば自分の夏帽子だと分かりそうなものなのだから、わざわざ「わが夏帽」などと言わずにすっきりまとめたほうが良い、ということが言えそうだ。

夏帽子どこまで転べども故郷

ところが、僕の頭では「わが夏帽」と言ったときに浮かぶ情景と「夏帽子」と言ったときに浮かぶ情景は、決定的に違う。「夏帽子」では、転がってゆく麦藁帽が見えるだけだが、「わが夏帽」では、それを追いかけてゆく少年がいる。必死になって追いすがり、しかしどこまでも追いつけない少年が見えてくる。

「わが」という二文字で自らの所有物であることが明確にされているからこそ、その夏帽を手放すまいとする心の動きが可視化される。いったい夏帽子がどこまで行くことができるのか、故郷を越えることができるのか。期待を込めて追いかける少年が見えてくるのだ。つまり、ここで出てくる夏帽子はただの夏帽子ではなく、「われ」の分身として願いを託された特別な存在であるからこそ、「わが夏帽」と書かれる必要性があったのだ。

ところで、この句で主眼となってくるのは「夏帽子」なのだろうか。「われ」なのだろうか。

目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹
土曜日の王国われを刺す蜂いて
流すべき流灯われの胸照らす

「われ」という言葉の入った句は、この句集中に多く見られる。「われ」という言葉で思いだされるのが、よく、俳句は「いま・ここ・われ」を詠むものだ、という言われ方をするということだ。「いま・ここ・われ」を描く俳句とは、言い換えれば、今現在自分のいる世界を自分の五感や心情を通して捉えなおし、今まで誰も見なかったような形に再発見して描いている俳句、ということだ。

夏草や兵どもが夢のあと 松尾芭蕉

「夢のあと」と嘆じたのは芭蕉の心であるが、句に詠み込まれた主体は、その詠嘆を通じて見えてくる夏草の生命感やそのはかなさである。「兵ども」は「いま」ではないが、眼前に見える「夏草」の草いきれに「いま・ここ」を感じ取っていることで、中七・下五のように意識の中で時代を逆流している措辞も生かされている。別の言葉で言えば、夏草を感じ取っている身体感覚が、「いま・ここ」を保証しているのだ。「いま」「ここ」に続く三番目の要素・「われ」、即ち芭蕉の心は、あくまでそれらを差し出す水先案内人の役に徹している。

この句集の句も、「われを刺す蜂」「われの胸照らす」などと、きちんとそのときそのときの身体感覚に基づいた書かれ方をしている点では「いま・ここ・われ」を詠んでいるのだ、と言えよう。しかし、多くの俳人の句のように、世界が「われ」との関係から再発見されているのではなく、「われ」が世界との関係から再発見されている点に、この句集の特徴がある。だからこそ、「われ」という言葉が句中ににじみ出てきてしまうのだ。

描きたいのは、五月の鷹ではなく、五月の鷹に統べられている恍惚とした「われ」。土曜日の王国に紛れ込んだ蜂ではなくて、王国で蜂に刺されて憂愁に浸る「われ」。われの胸を照らす流灯ではなくて、流灯によって胸を照らされた「われ」。

「夏帽子」ではなく、その裏にある「われ」が大事だからこそ、「わが夏帽」と字あまりをも辞さずに述べる必要があった。

では、その「われ」、自分自身、とはどのような描かれ方をしているのか。



句集に出てくる「われ」はセンチメンタルで感じやすく、常に何かを欲しているのにまだ何も手に出来ていないという点で非常に若い。

ラグビーの頬傷ほてる海見ては
林檎の木ゆさぶりやまず逢いたきとき
待てど来ずライターで焼く月見草

ラグビーも林檎の木も月見草も、彼のためだけに存在している。彼にとって季語とは目的ではなく、手段であった。あるいは、こういう言い方もできよう。季語に代表されるような現実世界は、彼自身の憂愁・恍惚・興奮を表現するピースに過ぎない。では、彼の憂愁・恍惚・興奮はどこに向けられているのか。彼の追い求めてやまないもの、それは。

「海見ては」「逢いたきとき」「待てど来ず」。これらの語の向こうには、他者へつながりたいという欲望がはっきり透けて見えている。気恥ずかしさをこらえて言えば、彼が欲しがっているものは、愛、そのものだ。しかし彼はそれを得ることができていない。彼はかつかつに乾きながら、愛すべき他者を求め、しかし、徒手空拳で世界というおそろしいものに対峙するしかなく、せいぜい持てるものと言えば、鬱憤晴らしにちっぽけな月見草を焼く小さな小さなライターくらいのものなのだった。

冷蔵庫に冷えゆく愛のトマトかな

あるいは、手に入れたと思って、それを大事に冷蔵庫などという現実世界の物体の中に囲いこんだが最後、手の届かないところで冷え切ってしまうのがオチ、というわけだ。愛を手付かずで保存できるなんて幻想に過ぎず、冷蔵庫で冷やされたトマトはおいしくなどなかった。皮肉なものだ。

それでも他者を求めずにいられない。そして、そのためには、自分の原点を、すなわち、母を、そして故郷を、捨てなければならない。



果たしてそれがどの程度理屈に合う話なのか、判断する術はない。自分の出自を捨てなければ、他者を求めることはできないのか。

浴衣着てゆえなく母に信ぜられ

しかし、たとえばこの句に漂う安心感と不安感を思えば、それは理屈よりも実感として僕には分かるものがある。「ゆえなく母に信ぜられ」ていることには、確かに自分を抱きとめてもらっていることへの強い安心感をおぼえるが、それゆえに、他者へ開いてゆかず、閉塞的にまとまってしまうという強烈な不安感が生まれる。それは、前々章で引いた

わが夏帽どこまで転べども故郷

にも通じる気分であろう。だから、捨てなければならない。それは強迫観念と言うか、思い込みに近いものなのかもしれないが。

母を消す火事の中なる鏡台に
雪解の故郷出る人みな逃ぐるさま
出奔す母の白髪を地平とし
母の蛍捨てに行く顔照らされて

太宰治の「父」においては、父は義のために子を捨てる。主人公である父は、義のため、義のため、と言いながら子を置いてお酒を飲みに行く。しかし、本当は捨てたくないのだ、という気持ちを出すために、佐倉惣五郎やアブラハムまで持ち出して、子別れを実にドラマチックに演出しようとする(その分不相応さまでおそらくは計算のうちなのだ)。

「火事」「逃ぐるさま」「地平」「蛍」という語彙の選択、過剰なムードの演出にも、それと似たような「頑張っちゃった」過剰なドラマチックさを感じる。帰るべき故郷、愛すべき母を捨てることなど、本当はしたくない。したくないけれどもしなくてはならない。だからこそ、せめてその別れは、一世一代のクライマックスシーンとして飾り立てたい。

山鳩啼く祈りわれより母長き

ああ、母さん!こんな母を捨て、故郷を捨てて、いったい「われ」はどこに行こうというのか。捨ててしまったものへの愛惜が胸に迫ってくるとき、次のような句が口をついて出てくるのであった。

方言かなし菫に語りおよぶとき



「われ」は、母を捨て、故郷を捨て、それを契機に他者とのつながりを求めて、他者へ開いてゆく自分を、愛、そうだ、それを探してさまよう。そうして、彼はいったい何を得たのか。

月蝕待つみずから遺失物となり


冒頭の句に戻る。彼はいったいなぜ、「他人のわかれ」など見ているのだろうか。別れてゆく二人には、ドラマがある。彼らだけにしか通じない感情、別れるときにこそより一層つながってしまう心と心の切なさ。それを彼は、自分の身にひきつけて懐かしく感じてでもいるのだろうか。

僕には、そうは思えない。彼は、他人の別れを、完全に部外者として見ている。彼は蚊帳の外なのだ。ただ見ているだけ、という。

それがはっきり示されているのは、「マスクのまま」という季語の選択である。自分は話しかけることも叶わない、自分と彼らの間を隔てる一枚の白い幕に閉ざされている。自分の熱い息はマスクに阻まれ、自分自身に戻ってくる。得られなかった愛は、あるいは既に捨ててきた愛は、今、目の前に、自分の介入できない形で輝きを見せている。その、世界からの疎外感は、どのようなものであろうか!

花粉は海を越えて飛ぶだろうか。たとえ越えたとしても、越えた先に、受け止めてくれる花はあるのだろうか。それは分からない。分からないし、おそらくそんな航海が成功する可能性は低いだろう。マスクしたまま、すれ違う他人を見送るだけの惨めな日々。それはいつまで続くのだろうか。

それでも、ここから始めるしかない。この句はそのことの確認のように思える。このみじめさを覗くところからしか、歩き出すことは出来ないのだ。故郷に帰る、などという選択肢はありえない。その決意が「見ていたり」という下五に見えているからこそ、僕はこの句が好きだ。

燕の巣盗れり少女に信ぜられ

前章で引いた「ゆえなく母に信ぜられ」と、この「少女に信ぜられ」は全く違う。自分の背景を捨てて、自分の手で何もかもを掴もうとしている。まぶしすぎるくらいに若いその決意がなめる辛酸を、僕は信じている。

それは、少女に無限に信じられている少年のまぶしさに、いつかつながると思うから。

作者は寺山修司(1935-1983)



あとがき

寺山修司が俳句を捨てたわけは、なんとなくではあるが、分かるような気もする。僕は、「彼にとって季語とは目的ではなく、手段であった」と書いた。正にそれが、彼に俳句を捨てさせた原因ではないか。

母とわが髪からみあう秋の櫛
目かくしの背後を冬の斧通る
詩人死して舞台は閉じぬ冬の鼻

「秋の櫛」「冬の斧」「冬の鼻」。その良し悪しはひとまず措くとしても、季語の使い方としてはやや窮屈に思える言葉遣いが割合に多く見られるのである。「冬の斧」「冬の鼻」は斧の刃の冷たさや、鼻が冷えてしまう感覚などを言い当てている点でまだ効果を挙げていると言えるが、「秋の櫛」の「秋」はどうにもとってつけた感じが拭えない。

このような季語の使い方になるのであったら、何も季語がある必要はないのではないか。しかし、季語のない句はイメージの喚起力が弱い。寺山が季語の持つイメージの喚起力をめいっぱいに用いていることもまた事実なのだ。

犬の屍を犬がはこびぬクリスマス

手段としての季語を捨て、より言葉を尽くして表現しようとするために、彼は結局、俳句を捨て、短歌、詩、そして演劇に移って行く。そして、言葉を尽くせば尽くすほど、文脈はずたずたに引き裂かれ、強烈なイメージのせめぎあいのみが、彼の作品を支配してゆくことになる。映画『田園に死す』は、断片の積み重ねという意味では、句集、あるいは歌集に似たところがあると言えよう(同名の歌集を元にしているのだから当たり前と言えば当たり前なのだが)。

売られたる夜の冬田へ一人来て埋めゆく母の真赤な櫛を(田園に死す)

母親を殺そう と思いたってから
李は牛の夢を見ることが多くなった(長篇叙事詩 李庚順)

彼の言葉は、俳句を捨てることによって躍動しているようにも見える。俳句というがんじがらめの詩型を捨てることが、言葉を飛翔させるためのバネになったのかもしれない。

しかし、彼の作品の中には、強烈なイメージを短い言葉で伝える、という形で、俳句のエッセンスが残っている。彼は、俳句にとりこまれることなく、俳句を自らの航海のために利用し尽くし、盗めるものだけ盗んで捨てた。何を書いても寺山修司になる、という不世出の表現者の前に、俳句もまたなすすべはなかったということだろう。

書きとめられる前から航空力学はあった
記憶される前から空はあった
そして
飛びたいと思う前からおれは両手をひろげていたのだ(人力飛行機のための演説草案)

僕の好きな詩の一節だが、これは「五月の鷹」の句にダイレクトに通じているように思える。五月の鷹に統べられている「吾」は、まだ飛びたいと思う前、両手を広げている「吾」なのではなかったか。

それは、言葉を飛翔させる前に俳句に夢中になっていた彼の姿に重なるようにも思える。そういう俳句を作った表現者として、彼は稀有な俳句作者であったし、この句集も稀有な作品集だと言っていいのではないだろうか。

※『花粉航海』の制作時期については、一般的には高校時代のもので、その後、彼はほとんど俳句を作っていないと言われており、それに基づいてこの「あとがき」を書いている。しかし、たとえば五十嵐秀彦氏の論考『寺山修司俳句論―私の墓は、私の言葉―』のように、むしろ後年になって作られた作品が多く混じっているという指摘もあることはここに付言しておく。寺山の、自己を伝説化しようとする性癖を省みれば、そのような誤魔化しはありえない話ではないが、僕はむしろ、十年以上ものブランクを経て俳句に戻ってきた彼が昔と同じ水準で俳句を作れた、ということの方が、作られた神話のように思う。あくまで印象論に過ぎないが。





『花粉航海』は週刊俳句オンラインショップでお求めいただけます。

2008-02-24

第一句集を読む 「小澤實『砧』」熟読玩味 山口珠央

第一句集を読む
蒼穹の戴冠〜「小澤實『砧』」熟読玩味
山口珠央



小澤實氏は昭和31年、8月29日生まれ。ちなみに同氏によれば、この誕生日は某人気韓国俳優【注1】と同じらしい。確認してはいないが、某人気韓国ドラマシリーズにも詳しい氏の言であるからには恐らく間違いのないところであろう。

いまこの頁へと意識的に、あるいは習慣的にアクセスした諸兄においては周知のこととは思うが、小澤氏は平成18年度の讀賣文学賞を受賞、その主宰誌「澤」は俳壇でも最も注目度の高い(というのは、主宰詠欄と毎年6月の常軌を逸した特集号の賜物であるが)結社誌である。というわけで結社会員もこのところなんとなく元気である。

勿論、元気ではない人もいる。俺とか僕とか私とか、って自分ですか。頑張れ自分、負けるな自分。いやその、決して悪い意味ではなく会員として主宰から求められるハードルが年々吊り上げられていくのが「澤」の第一の特長なのだ。一旦覚悟を決めてしまえば、楽しいことこのうえない。

今回は近年、俳境の変化著しく、しかもそれがひたなる前進であるという畏るべき俳人、「小澤實」の処女句集ってそもそもどうだったの、という素朴な問題意識に基づく『砧』熟読玩味の過程である。本文は、あくまで同句集に「関する」ものであって「論じる」ものではないことを、あらかじめ、お理わりしておきたい。小澤氏はまだ若いが、それは単に年齢的な意味だけではない。心が、若々しくいつも動いている。そうした俳人の「処女句集」を句集論としてでっちあげるのは誠実な作業とはなり得ないだろう。

『砧』は牧羊社より昭和61年刊行。実のところ、本稿筆者にとってはその存在を知ってより数年、『砧』は「幻の句集」であり続けた。知人に誘われるまま、平成13年「澤」への入会を果たしたはいいものの、周囲は皆読んでいる(しかも所持している)ようであり、発足後一年余、会員の熱気もまた現在とは違う荒々しいまでのノリであって、とても「読んだことない」と言い出せる雰囲気ではなかった。

有名な中高一貫校【注2】に6月くらいに編入された高校一年生が、隣の席の生え抜き(制服の着崩し方がお洒落なキラキラ)に辞書を貸してくれとは言い出しにくい、そんな感じである。しかし。このままでは済まされない。毒を喰わば皿まで。先程からの喩えでいえば、敢えて、付属小学校出身でしかも生徒会役員ともいうべきキラキラに借りてみた。

そしたら、凄かった。まずは本の状態が、である。私の15年来愛用のラテン語辞書(なんでやねん)よりも膨らんでいるのは当然としても、ヨレヨレというかボロボロというか、学級文庫の江戸川乱歩本でもこんなの見たことない、という読みこまれようである。キラキラ【注3】が、キラキラな笑顔で差し出す本を受け取る手が、震えた。というのは嘘だが、しかし本当に「この本でコピーは取れん」と思った。ただでさえ、大事な本のコピーを取られるのは嫌なものである、というか、そもそも私だったら貸さない。本もCDもDVDも、もうす・べ・て貸さない。その前に貴様の覚悟を見せてみろ、ってな話である。

とはいえ丸暗記も困難なので、表紙カバーをおそるおそる複写機に乗せ、その勢いで序文【注4】とあとがきもできるだけ丁寧にコピーさせて貰った。残るは肝心の俳句作品である。やはりこの状態では、全頁を複写機のガラス版に押し付けるのは背表紙への負担が大きすぎる。そこで考えた。俳句ってひとつが短いし、書き写せるのではないか。その成果が、いま手元にあるドラえもんの絵柄のミニノートである。以下、引用する俳句はすべて、この水色のドラえもんノートからの手書き文字に依っている。正直なところ読みづらい。もっとも、現在では『砧』の全作品が邑書林刊セレクション俳人05『小澤實集』に所収されているのでご安心頂きたい。本稿の俳句作品校正は同書に依った。

 かの魚を氷下魚とよびし夕かな(昭和52〜54年)
 十一月魚の腹の中の魚    (同)

『砧』冒頭の二句である。20代になったばかりでこうした句を詠み得ること自体が、俳句作者として立つ以前から日本文学に親しみ、特に連句への造詣を深めてきた小澤氏の背景を窺わせるものである。主宰はインテリが嫌いだが、本人がきわめてインテリであることを、ここで意地悪く指摘しておこう。

本句集に共通する印象であるが、特に昭和52年〜54年としてまとめられた33句は一句一句が幸福の光をまとっているかのようだ。作者が自らの才を楽しみ、言葉たちがそれに歓喜しつつ呼応する。なんというのか、「幸福な結婚」という言葉に例えたくなるような華やぎが宿っている。この三年間に小澤實によってどれほど多くの俳句が作られたかは知らない。しかし、この33句の背後には膨大な数の輝かしい作があった筈である。巻頭二句、大切に読みたい。

 本の山くづれて遠き海に鮫 (同)

言うまでもなく、取合わせの斬新さが眼目の一句である。『砧』を手にする前からこの俳句については聞き及んでいた。文字として読むと、また新たな発見があるものだ。「山」と「海」、俳句という短詩のなかで共存するのは難しい。だがこの句のなかでは、海幸彦山幸彦と呼びかけるかのような大らかさによって、ふたつの文字がそこに当然のように収まる。最初に取合わせ、と書いたが、それは二物衝撃のそれとは違う。この一句は、文字による現代絵画のようだ。

 金色の仏壇のある海の家 (同)
 初夢や林の中の桜の木  (同)

夢と思えば現実、現実と思えば夢。不思議な作である。一句目、海の家から帰ってみれば本当に見たのかどうか、なんとなく自信がなくなってくる。もしかすると滞在先として通された部屋にこの仏壇はあったのかも知れない。ふと目の端に捉えたというよりも、数日をしかと共に過ごした(記憶のある)「金色の仏壇」であって欲しい。

二句目、季語が限定的なのでそのまま素直に読むべきなのだろうが、ここにも奇妙な余韻がある。実際に見た景色を再び夢として見ているように儚げでありながらも、この「桜の木」の存在感は圧倒的だ。意志をもって桜が作者に呼びかけてきている。「ワタシハアナタヲマッテイル」、そんなメッセージまで読み取れてしまう気味の悪さが感じられる。柳の精は男性と決まっているが、桜は男性、女性どちらも解釈のしようがありそうだ。ダブルで待たれているとすれば、どうも逃げ切れそうにない。

「王」たることは如何なる事柄、もしくは状況を指すのだろうか。王権神授説以前の昔から、無数の有名無名の「王」たちは何よりも自分自身と戦ってきたに違いない。人間が既成の言語体系のなかにありながらも、それに従い、それに抗いつつ言葉を生み出そうとする作業は、「王であること」あるいは「王たらんとすること」に似ている。『砧』を改めて読み進めるうちに、そうした感懐をもった。季語に寄り添い、言葉を宥めるだけでは、これまで見てきたような「俳句」が生まれよう筈もないからだ。

次に、初期作品のあとに置かれた句群と向き合ってみよう。

 立春の佛蘭西麵麭の虚かな (昭和56年)

普通といえば普通の句なのだけれど、文字の美しさで印象に残る。麵麭という言葉を憶えたのは稲垣足穂の「彌勒」を読んだときだったなあ、と漢和辞典と首っ引きで昔の人が書いた文章を読む面倒くささが楽しくてたまらなかった中学生の時分を思い出した。その割にはいまでも読めない漢字が相当多いのが謎だ。「立春」が素敵である。フランスパンの気泡を「虚」とまで言い切る危うさと立春の気配が美しく響き合う。フランスパンと言えば、どうしても森茉莉による執拗なまでの講釈を思い出してしまうのだけれど、あの気泡は本当に良い。バターを塗ればそこに溜まるのが少し嬉しく、ガーリックトーストにすれば、あの気泡のお蔭で味が凍みる。読む度に、美しい俳句だとは思いつつもフランスパンが食べたくなる。

 胴ながきわれあり桜ふりつづく (同)

小澤氏は「胴が長い」とか「足が短い」ということが好きだ。句会でも、そうした内容の出句があるとなんだか喜んだ勢いで丸を付けるふしがある。私はこれを、ひそかに「困ったときの胴長短足の法則」と呼んでいるが、その例証というか原型をこの俳句に見た。主宰に対して胴長短足の印象は特にないのだけれど、こういう自己認識があったのか、と得心がいった。とはいえ、降り続く花の下で、自分の胴を感じているのはただならぬ感覚であると思う。

 テープ攻め紐攻め春の箱一個 (昭和59年)

こちらもただならぬ感覚であるが、実に好きな一句だ。「春の箱」が多少乱暴な表現であることは否定できないけれども、それがまた好ましい。
 
 氷店爺と婆ゐて婆出で来   (同)
 汗女房饂飩地獄といひつべし (同)

小澤氏には珍しく、小説の一場面のごとき作。一句目、これだけの複雑な(冗談ではなく、俳句においてこれがどれだけ複雑な状況かは一度でも句作の経験があれば容易に理解して頂けると思う)景を詠い留めた手腕に感服する。もうこの段階になると、小澤氏が自らの天賦の才を楽しむことに飽きてきたのだろう、という感じである。

二句目は一読してなんとなく忘れていたのだが、今回再発見して困ってしまった。パンクロッカー、町田町蔵(町田康)のファンとして「うどんはすがきや〜」と「饂飩妻」は気が付くと口ずさんでいる基本タームなのであるが、なんとそのはるか以前にこうした俳句が詠まれていたとは…。饂飩。うどん。ウドン。たしかに昼食など暑い時期は買い物に出るのも面倒、「今日うどんでいいかしら」、日本人であれば誰でも口にしたことのあるフレーズを初めて人目に触れる「作品」にまで昇華したのが小澤氏だったのだ。この点はかなり重要だ。もし小澤氏が漫画家にでもなっていたとしたら、その笑いの感覚の先鋭性において、吉田戦車や古谷実と拮抗していたのではないだろうか。それなのに普段はオヤジギャグしか出ないのは何故か。

 べつたりと羽子板卓に置かれある (昭和60年)
 磨崖仏冬の落暉を得たりけり   (同)
 地につかぬ板のありける雪囲   (同)

ここに並べた三句は、現在の「澤」においても会員たちに浸透している作句の方向性を伝えるものである。数年前の同結社であれば大きな句会でも特選級の作品と捉えられたことと思う。しかしながら、今ではこの辺りが並選の標準レベルとなっている。ひとえに、小澤氏の俳句指導者としての力量である。これはこれまでの本文の誤読曲解、暴言失言とのバランスを取るためにお愛想を書いているのでは、決してない。昨年来「讀賣新聞」俳壇選者をも努める小澤氏の、自身が俳句作者というだけでは自然に備わるものではない、選句への情熱は本物である。

句会のなかで、一句の読解にかけられる時間は本当に短い。そのなかで一句を読み切る。小澤實は、その能力が極めて高い俳人である。だから信用できる。主宰の選がいかようなものであるか、きちんと見ること。そこに容喙することは誰にもできないけれど、会員ひとりひとりが意識して取り組むべきことではないかと思う。そうした意識がなければ、それまでせっかく従ってきた主宰が何らかの理由により「駄目俳人」に堕したとき、気付くことさえできずに終わってしまう。

さて、このあたりで息抜きに本句集のヘボい作品をまとめてみよう、と考えたのは日頃の恩返しのつもりだったが、ヘボン辞書もびっくり、見当たらないではないか…。第二句集「立像」からは幾つか挙げられるのだが(いまは内緒)、やはり処女句集には隙がない。やられた、と引き下がるのも本稿を読んでくださっているアナタに失礼なので、現在句会で寸分違わぬ句が出ても主宰は採らないだろう、と推測し得る作をほじくり出そう。結社会員としては、非常に危険かつ無謀な試みである。しかしアナタのために私はいま、蛮勇を奮い起そう。

 蛇口の構造に関する論考蛭泳ぐ(昭和52〜54年)

「蛇口の構造に関する論考」というものがよく分からない。特殊すぎるのではないか。作者の気概は伝わってくるものの、「蛭泳ぐ」が狙いすぎ。空振りです。

 銭湯に狂人五月をはりけり (昭和55年)

「狂人」が可哀想。銭湯くらい、入るでしょう。五月も動くのではないか。

 佛相の野火とほりけり欠け茶碗 (同)

「欠け茶碗」がわびさび趣味。そんなもの詠まなくていい。野火が「佛相」だというのもこじつけでしょう。「とほりけり」も擬人化なのでなるべく避けたい。

 とんぼの絵さみしといへば嗤はるる (同)

「とんぼの絵」は季語とはならない。中五上七も理屈っぽくて面白くない。笑われたことなど、俳句に詠まなくてもいい。そういう人もいて当然だろう。

 虚子もなし風生もなし涼しさよ (昭和58年)

言うまでもなく三段切れである。景が見えない。作者は虚子と風生が嫌いなのだろうか。虚子と風生が可哀想。俳人の名前はもっと大事に扱いたい。

 狐火の話公衆電話から (昭和52〜54年)

これも季語として弱い。自分が話しているのか、聞いているのかはっきりさせたい。「狐火」そのものを詠んでもらいたかった。

最後に、個人的に愛誦している作品を幾つか並べることをお赦し願いたい。

 蛇口の構造に関する論考蛭泳ぐ (前掲)

だって好きなものはやはり好きです。この作品を知ったときの衝撃は忘れられない。この俳句がある限り、小澤氏の特異なまでの「才」は否定しようがない。

 銭湯に狂人五月をはりけり (前掲)

これもまったくオッケーです。狂人と五月の終わりの取合わせが揺るがない。「銭湯に狂人」で読者を驚かせているだけだ、という意見も無論あり得ようが、銭湯の狂人は紛れもなく詩になっている。

 涅槃図の貝いかにして来たりけむ (昭和60年)

日頃から涅槃図に親しんでいるのだろう、と背後に豊かな世界の広がりを感じさせる。軽い句ではあるが、こう詠んでのける作者の力量は並のものではない。

 さらしくぢら人類すでに黄昏れて(昭和52〜54年)

小澤氏の初期作品のなかでもよく知られた句であるが、前掲の「本の山」とともに広い意味での「取合わせ」の妙が素晴らしい。先に詠んだもの勝ち、の内容ではあるけれども本句の「さらしくぢら」を越えるのは至難の業だろう。

本句集はすぐれて、「闘争の書」である。自らの「王たること」への資質と欲求を自覚して間もない青年による、きわめて詩的で挑発的な比類なき闘争の記録だ。すでに多くの受賞経験を有する小澤氏であるが、その道程はこの句集が上梓されたときにすでに決定していたといってもいい。「小澤實」という人は、若くして自覚的に言葉との厳しい対峙を選び採った。『砧』は「闘争の書」であると同時に「戴冠の書」である。敗北の記録ではなく、たしかな勝利の軌跡がここには刻まれている。こうした句集に巡り会えることは時代の幸福である。

本稿筆者は幼い頃失読症だったせいか(文字を覚えたり読んだりすることが病的に苦手だった。いつの間にか治ったが、今も結社誌の封を切るのすら億劫である)、俳句や短歌はすっきりしすぎて「言葉」として捉えられなかった。だから好きで俳句を始めたわけでない。初めての場所でいきなり恥をかくのも業腹なので、子規と虚子の区別を付けただけで、初の句会に臨んだクチである。

いま改めて、俳句、そして「澤」と出会えた偶然に感謝している。無論、俳句は自分のために作るものだ。しかし私にはまだ、その境地が分からない。「澤」の人々と小澤實に惹かれて作ったり読んだりしている段階なのだと思う。本稿を閉じるにあたって、もっと俳句のことを知りたい、自分のための作品を作ってみたい、と心から念じている。本稿執筆の機会を与えてくださった「週刊俳句」上田信治氏に深く感謝する。


【注1】 微笑の貴公子、ぺ・ヨンジュンでした。音速の貴公子はアイルトン・セナ。どちらかというと二輪が好きですが、加藤大治郎氏の事故以来、生のレース映像を見るのが辛くなりました。「加藤大治郎忌鈴鹿雲迅し」。阿部典之については、まだ生々しすぎて詠むことかなわず。

【注2】 最も成績の良いコたちが進学しない場合はあるが、大学もある。余談であるが、東京大学教育学部付属中・高等学校は大学までのエスカレータ式でないことは意外と知られていないので、高校受験生は注意が必要(笑)。双生児の成長過程の把握というヤバイ目的のために設立された同中・高等学校であるが、出身者によれば皆双子、という以外は普通の学校だそうです。ちっとも普通じゃねえ…。同校については2000年だか2001年、京橋の国立フィルムセンターの特集で上演された短編ドキュメンタリー映画が面白かったのだが、加齢により監督と題名を失念。小川紳介監督「圧殺の森」と併映されたのは憶えていますが、グーグルでの検索に失敗しました。多分、いまもフィルセンで視聴可能だと思います。

【注3】 長谷川照子氏。「澤」の第一回同人賞受賞者。句集の刊行が待たれます。いつもありがとうございます。俳句作品もお人柄も大好きです。

【注4】 現在では入手困難であるので、後世の俳句論者による小澤實研究の一助となさんがため、この機会にネット上に保存しておきたい。

  

  かげろふやバターの匂ひして唇
  
  蛇口の構造に関する論考蛭泳ぐ
  
  さらしくぢら人類すでに黄昏れて
 

 卓れた新人は、選者の意表をついた素材、発想、表現をかざしながら登場してくるものだが、『砧』の著者小澤實君もまた、そういった文字通りの新人として「鷹」に現れた。

 上記の三句を私が眼にしたのは、もう八、九年も前のことだけれど、たくさんの投句の中からこの句にめぐり合ったよろこびは、まだ昨日のことのように憶えている。俳句のつくりようは稚いけれど、その稚さの中の初々しさが砂金のかがやきにも似て私を捉えた。そして、二十代そこそこの年齢とうのに、旧かなづかいを間違いなく使いこなしていることも、私をよろこばした。
 新人とひとくちにいうが、俳壇の新人は大きく二つに分類できると思う。一つは、俳句という形式にあまりこだわらず、むしろ現代詩の一行を見るような表現で華々しく出現する。もう一つは、俳句の基本をゆっくり噛みしめながら、まぎれなく既成の句とは違うものを取り込み、消化してゆく。前者の登場ぶりは賑やかだが、中途で挫折しやすいという共通する欠陥を持つ。だが後者に属する新人は、着実に間違いなく俳壇のホープとしての地歩を築いてゆくようである。
 小澤實君はまぎれもなく後者に属する。そして、既成句の重圧に挫けることもなく、若手の多い「鷹」にあって、いつも一歩先をあるくような作品を示しつづけてきた。その間、鷹新人賞、鷹俳句賞をたてつづけに受賞したことは、彼の優れた資質にもよるだろうが、なみなみならぬ研究、努力も当然あったにちがいないのである。  私は、小澤君は言葉への好奇心の非常に強い作者であると思っている。それを一つ一つ例証する紙幅の余裕がないのが残念だけれど、読者はこの『砧』を読みすすむうち、二十代の作者とは思えぬ言葉の選択を見て、一再ならず驚くにちがいない。それだから、一一見瑣末と思われるような素材でも、小澤流の独特な言葉の斡旋によって、まことに玄妙な世界を現出するということになる。
  むつききさらぎ蒟蒻たべてただよへり   白地着て婆と娘と島の中
  ゆたんぽのぶりきのなみのあはれかな

  春の子のくつついてゐる眉と眉

  ふはふはのふくろふの子のふかれをり


 こんな俳句を二十代でつくるということが、同じ年齢の頃の自分の句と比べて、私は不思議でならない。それもこれも言葉への好奇心、あるいは鋭敏な感受性に発していると言ってよかろう。ことに「ふくろふ」の句は、小澤君の二十代の代表句として、そしてまた、三十代へと向かうためのバネになる一句として記憶されるにちがいない。  小澤君は今、「鷹」の編集長として多忙な毎日を過ごしている。恰度今の小澤君と同じ年齢で私も第一句集を上梓したのだが、その時、石田波郷は、「句会の指導とか、雑誌の編輯とかは兎に角マイナスの負担になりがちである、俳壇といふ場では、それから免れることができないが、それだけに、自ら激しい作句力を保持しつゞける内的外的の努力を怠つてはならないであらう」と書いてくれた。私はこの言葉を折あるごとに誦して今日まで来た。小澤君はすでにこうした覚悟を固めていると信じているが、『砧』上梓を機に、私は、この波郷の言葉をそっくり小澤君に贈ろうと思う。
  昭和六十年初冬   多摩朴下庵にて 藤田湘子   



 

2007-10-14

少女としての辻桃子  第一句集『桃』を読む  松本てふこ

少女としての辻桃子 第一句集『桃』を読む ……松本てふこ
初出 : 俳誌『童子』2004年11月号


わたしは 自分を
とじこめて
しまわなければ
いますぐ
しなければ
じゃないと
わたしは人に
危害を加えるの

  (大島弓子『バナナブレッドのプディング』白泉社文庫より)

辻桃子の第一句集『桃』(1984)を読んだ時、最も印象に残ったのは句集全体に流れる情緒不安定さだった。生まれて初めて、句集を読んで心がざわついた。

この句集の一句目は、

  葉 生 姜 や ゆ め も の が た り 終 り た る

と、実にまっすぐに夢への決別を詠っているはずなのに、句集を読みすすめていけばいくほど、夢の中にひきずりこまれていくような不思議な世界観にずぶずぶとはまりこんでいったからだ。

夢というと、私は大好きな少女マンガ『バナナブレッドのプディング』(大島弓子)を思い出してしまう。夢の中に現れる悪魔に食べられてしまって、自分で自分を抑えきれなくなってしまった、と嘆くヒロイン。この作品では、それでもいいよ、と受け止めてくれるヒーローが彼女を救うのだけれど。

句集を読んで私は、あらゆるものを愛しすぎて、周りを無意識のうちに騒動に巻き込んでしまうような、愛すべき一人の少女(年齢や性別ではなく、精神の持ちようとしての「少女」だ)を句集内の主体として思い浮かべた。今回の文章で私は、その人間を「彼女」と呼ぶことにする。

  雛 の 夜 の 磨 り 減 ら し た る 下 ろ し 金
  青 嵐 愛 し て 鍋 を 歪 ま せ る
  溺 愛 の 笊 干 し て ゐ る 夏 の 果

下ろし金、鍋、笊、どれもこれもモノ自体のエネルギーを放出することなく、彼女の愛の対象としてのみ存在している。彼女が一心に愛を傾ける姿が見えて初めて、対象が美しくみえるような、受動的な存在だ。その存在のあり方は、とてもだらしなく映る。彼女の愛の深さに耐え切れないというように、磨耗して歪んでいくだけのモノたち。

青嵐の句を読むと、私は決まって伊藤比呂美の詩「歪ませないように」を思い出すのだが、伊藤の詩が愛する男に白玉を作り、食べさせる行為から性行為に至るまでを、温度と弾力に溢れた言葉で綴っているのに対し、青嵐の句には温度も弾力もない。注がれる愛とその結果としての鍋の歪みがあるだけだ。もちろん、その不器用さ、激しさ、鍋のふがいなさへの不可解な満足感がこの句の魅力であるのだが。

そういえば、

  長 き 夜 を 押 せ ば へ こ め る 護 謨 人 形

という句もあった。人形もまた、彼女の指先に弾力で応えようとはしない。へこむだけで人形は彼女に愛される。彼女の愛にあぐらをかいているだけでよい。なんとまあ、うらやましいことか。

  う つ く し き 無 花 果 む ざ と 割 り く る る

無花果を割る誰かの指先を見て、彼女がはっと息を呑む声が聞こえてきそうだ。その「はっ」は、ああなんてむごいことを、という嘆きでもあり、ああ何で私にぱっくりやらせてくれなかったのあなたひどい人ね、という悔しさでもある。この句の、無花果への高揚した気分は相当なもので、これはもう発情といえるレベルでは? とすら思える。しかも、割られた無花果に発情する自分の残酷さへの嫌悪感もほのかに感じられるから何だかややこしい。

  寝 に 帰 り 茉 莉 花 の 鉢 倒 し た る
  踏 む た び に 沈 む 畳 や 百 日 紅

自らのサディスティックな性質に多分に意識的である彼女は、自らを破壊者に見立ててみたりもする。無花果の句にあった、美の破壊をどこか傍観的に見つめる視線はここでは皆無だ。ここでは破壊者はまぎれもなく自分自身。ジャスミンの鉢を倒したのはわたし。体重で畳を沈ませたのもわたし。

わたし、わたし、わたしだよ、と行動の主体を露悪的に、おどけたように示す彼女の自我が、別のかたちで大きく膨らむのが次に紹介する句である。
 
  わ が 息 の 充 ち し ビ ニ ー ル プ ー ル か な

彼女が膨らましたプールで遊ぶ人々。その中に彼女自身がいてもいいだろう。ポイントは、そのビニールプールが「わが息」で作られたものだということだ。ビニールプールという小さな世界の創造者たる彼女。そしてその中で遊ぶ、彼女が愛する(憎んでいる可能性もあるけれど)人々。自分が作り上げた世界で遊んでいれば、彼らは決してわたしに背くことはないのだ、という、神の如き全能感。しかし、ここには落とし穴が待っている。「われ」が作り上げた世界の原材料が、「息」という実にはかない物質であるという、動かし難い事実の滑稽さだ。「わが息」を抜かれてしまったら、ビニールプールはしぼむ。彼女の帝国は一瞬にして滅ぶ。

  包 丁 を 持 つ て 驟 雨 に み と れ た る

この句集の価値観の根幹を成す一句であると思う。

美しさに憧れる心とそれを汚したい心。世界に恋をして、世界に刃を向ける彼女の眼差しは、いつだって何かに魅入られている。

矛盾と熱情と自己嫌悪を豊かに含んだ『桃』は、句集というよりも少女的な感性が作り上げた文芸の一つとして記憶されるべきなのかも知れない。