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戦場から電話 山口優夢
報道陣どこまで歩いてもつつじ
しやぼん玉割れてあくびの涙ほど
休日出勤明日も出勤髪洗ふ
死者自身訃報読みたしポピー咲く
新聞は墓石の色や青葉風
海底に山中にそのうち月面にかばね
三十二階から一階まで夕焼けでさすがに草
マスク外し肉のにほひや夏の月
タンバリン抱きカラオケのおぼろなり
夜が手を見せて戦場から電話
毎週日曜日更新のウェブマガジン。
俳句にまつわる諸々の事柄。
photo by Yutaka KANOO
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戦場から電話 山口優夢
報道陣どこまで歩いてもつつじ
しやぼん玉割れてあくびの涙ほど
休日出勤明日も出勤髪洗ふ
死者自身訃報読みたしポピー咲く
新聞は墓石の色や青葉風
海底に山中にそのうち月面にかばね
三十二階から一階まで夕焼けでさすがに草
マスク外し肉のにほひや夏の月
タンバリン抱きカラオケのおぼろなり
夜が手を見せて戦場から電話
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【俳誌を読む】
「第二芸術論、第二芸術論とうるさく言ってしまいました」
『俳句』2019年6月号を読む
山口優夢
角川俳句6月号を読んだらいろいろ面白かったので、書き留めておきたいと思う。
◎「大特集・推薦! 令和の新鋭」
39歳以下の俳人24人を紹介する若手俳人特集。1人が見開き1ページを使い、所属結社・顔写真・新作20句・略歴・結社の主宰の推薦のことば・旧作25句(主宰選)という構成からなっている。
24人は、俳句結社の主宰が1人ずつ「推薦」したものだ。24の結社の中には「船団」など結社と名乗っていないものも入っているようであるが、対馬康子による総論で「この二十四名は主宰から結社の若手代表として選ばれ、見開き写真付き大特集に作品発表をする貴重な機会を得た」とあるので、少なくとも編集部としては24の「結社」の「主宰」が選んだ、という認識のもと企画しているようだ。
なぜ若手俳人を特集するにあたり、結社の推薦という形をとったのだろうか。企画の趣旨はどこにも書かれていない。対馬康子による総論を見てみよう。「俳句の将来を担う若手が徐々に力を蓄え、かつての「戦後派」のように、たくましく「若いかたまり」となってきていることを実感している」と若手に対する期待感を語り、結社については「要は、主宰が句会などの神聖な人間同士の修業を通して、「物と心の新しい関係性」を、直接人として伝え合い鍛え合う場である」と定義している。この結社で鍛えられた24人をご覧いただこう、というわけだ。
しかし、対馬自身が認める通り、今の時代には「結社に属さないで俳句を作る人も増えて来た」のであり、その状況で結社ご推薦の若手のみで大特集を行うことの意義は何なのか、やはり疑問が残る。結社に属している方が鍛えられる、という主張ならばなおさら、結社所属の若手とそうでない若手を並べて見せればいいのに。逆に言えば、やや話は脱線してしまうが、6月2日号の週刊俳句で上田信治がして見せたような分析も、結社所属でない若手を同じ条件で企画に登場させていないために比較・検証ができず、不十分な論にしかならない、ということだ。そもそもこうした企画に意味があるのは、結社というくくりで若手を全て語れるという前提があってこそではないだろうか。
その上で結社の主宰が推薦した若手の俳句を並べるということの事実上の意義を考えるならば、それは「読者に読んでもらうため」ではなかろうか。「●●さんの結社の若手なのか、なるほど●●さんがそう薦めるなら、ちょっと(話の種に)読んでみるかな」という消費のされ方をあからさまに想定している企画と見える。所属結社名を俳人そのものの名前より目立つ字体・場所に置き、主宰俳人の「推薦のことば」がないと、若手の俳句など誰も読まないと、編集部はそう思っているのではないだろうか。
高山れおなが「俳句など誰も読んではいない」というテーゼを打ち出し、週刊で俳句批評を掲載するwebサイト「―俳句空間―豈weekly」を創刊したのは2008年のことだ(すでに終刊)。その問題意識の対象には、入門特集に終始し批評の場を形成することのない俳句総合誌への批判も当然入っていただろう。確かに今回の6月号は入門特集ではない。鉄板の入門特集を1回お休みして(7月号は「夏の季語入門」)、現在の若手の俳句作家にフィーチャーし俳句界の現在と未来を見通そうという心意気はすばらしい。たぶんその分、「ただ若手の作品を並べるだけじゃ読まれない」という冷静な計算もあったのだろう。「せめて中堅からベテランの俳人が持つ権威に紐付けないと、何処の馬の骨かも分からない俳句なんて誰も読みはしない」と。
もしも俳句総合誌がつまらないとしたら、それは俳句総合誌だけのせいではない。それが多くの俳人の求めているものを反映した姿である以上、その責めもまた、俳人が負うべきものだ。つまり、我々は1946年に発表された桑原武夫の「第二芸術論」による批判を一歩も乗り越えていない。「ある俳句1句を読んだだけではその句が大家のものか素人のものか判別ができず、それを決定づけるのは弟子の人数といった世俗的な権威に過ぎない」といった趣旨のことを桑原はその論で述べているが、まさにこうした結社の主宰という「権威」を経由しないと若手の俳句をきちんと読むことができない我々の態度こそが、大いに反省すべきものではないかと考える。
長い前置きになったが、以上の問題意識から、やはり1句1句きちんと彼らの俳句を「読む」ことから始めないといけない。それは大げさに言えば、第二芸術論の超克のためにも。というわけで、24人の新作20句の中で、興味を覚えた俳句を以下で鑑賞する。
屑籠の倒れしままや春夕焼 浅川芳直
本来立っているべきゴミ箱が倒れっぱなしになっている。丸めたティッシュやビニール袋などが口から少しこぼれているだろう。「春夕焼」という季語が、雑然とした部屋をさびしくしずかに統一しているが、それは夕暮れ時の一瞬のことなのだ。あえてゴミ箱を直そうともしない無気力感も含めて好感を持った。
遊園地うごかす電気桜咲く 遠藤容代
遊園地にいて、それを動かす電気を思っている作者の浮遊感。全くない発想ではないかもしれないし、家にいてもいろんなものが電気で動いているのだけれど、やはり遊園地の華やかな幻想を支えている電気の流れにこそ目が向くというのはとても面白い。桜が咲いているということはディズニーランドではないだろうな。花やしきか?夜だろうな。電気の通らない桜の幻想性だけが実は現実なのであるという倒錯した味わい。
エスカレーター駆けて子供や春めける 川原風人
どこのエスカレーターでもいいのだけれど、屋上に通じるエスカレーターだとなお気持ち良いなあと思った。子供、そして春めくという言葉を入れながら陳腐すぎないのは、エスカレーターを駆けるという地に足の付いた場面設定のチョイスからだろう。
電車から見る春のリビング誰もゐず 川原風人
あ、と思う間にそのリビングは視界の後方に飛んでいく。線路際の清潔なマンション、そうきっとアパートではなくマンションだろう。「リビング」という言葉の響きがそう思わせる。高架を通る電車に乗っているとき、時折私もそんな風景を見たはずだ。からっぽの部屋には春の昼の光がよく通る。モデルルームのようなどこかうつろな春の昼だった。
献花よりつぎの献花へ虻飛びぬ 川原風人
「献花より献花へ」でも句の意味は通る。供えられたある花から別の花へ、と飛んでいると捉えられるが、「つぎの」という一語が入ることで次に並んでいる人が献花をしている動作を見せることに成功している。そこには沈鬱な雰囲気が漂っているだろう。ああ、そういうときでもこの虻は関係なく飛び回るのだ、それが生命の営みだから!
ぶらんこの子が真夜中を待つてゐる 西生ゆかり
新世紀エヴァンゲリオンでも、主人公シンジの幼い頃の記憶に、誰もいない夕方のぶらんこがひとりでに揺れている。夕方から夜にかけてのぶらんこほど、胸をえぐられる幼年期のさびしさはない。なのにこの子は真夜中を待っているのだ。何か人ならざるものを見てしまったようなぎくっとした印象を抱く。この子の心が純粋に真夜中を心待ちにしていればいるほど、母親や父親のことなど心になければないほど、そらおそろしい気分になる。
髪洗ふときも喋つてゐる姉妹 杉田菜穂
普通の家の風呂場にはシャワーは一つしかない(と思う)。姉妹を第三者の視点から見ていることからしても、この句は温泉か銭湯で並んでシャワーを浴びる女性2人を目にしたものだろう。旅先の高揚感か、銭湯通いの気楽さか。互いに視界は髪洗う手で阻まれていても楽しげにおしゃべりする様子は、それを目撃した人の心もほっこりさせたことだろう。姉妹が小学生くらいでも、ハイティーンでも、20代でも、子供を持つくらいの年代でも、いずれも味わい深いが、すでに夫が退職したのちにのんびり温泉に浸かりに来た老女2人という設定はどうだろう。何十年も前からこうして髪を洗うときも喋ってきた姉妹、それを思えば時間を超えていく不思議な感覚をすら覚える。
誰も見ず観潮船の大鏡 涼野海音
2階建て、3階建ての大きめの船には、確かに階段の踊り場などに大きな姿見がある。観潮船だから、そこにある鏡の前は誰も素通りして潮の流れを見に行く。実は誰も書き留めなければ意識もされなかったことで、世界は満ちている。
囀や翠ときをり紅に 柳元佑太
夏も深くなった頃の葉っぱの緑色だとこういうことはない。春、あるいは新緑の明るく薄い葉っぱの緑は光線の具合で確かにどこか赤く見えることがある。補色だからか、その仕組みはちょっと知らないが、みどりやくれないという色彩を書いているようで実はこの句の主役は光だ。極度に単純化した図式の中に、自然の不思議、それを視覚で認識する自分の不思議を思う句だ。
また、次の句については一言言いたい。
神待ちの少女ネオンの路地の裏 山本たくや
神待ちの少女、つまり「神を待っている」少女だが、これは「信仰深い」少女ではなく、「家出して行くところがないため今晩泊めてくれるところとご飯を提供してくれる「神」のような成人男性を待っている」少女のことだ。当然、それなりの対価を差し出すことが期待されている。対価!彼女たちに体以外差し出せるものがあろうか。つまりはネット上のスラングであり、社会問題化している売買春の新しい形態の一つだ。
彼女の行き場のなさ、誰も救いの手をさしのべないまま滑り落ちてしまった社会の暗部、それに俳句で手を出そうという心意気はすばらしい。しかし、「ネオンの路地の裏」ではダメだと思う。そうなんでしょうね、という固定観念から外に出ない。そして、彼女に寄り添っていない。
私は、俳句の素材は広げるべきだと考えている。これまで俳句の領域に入らなかった言葉も積極的に入れるべきだと考えている。しかし、問題はそれを自分の中でどう消化するか、ではないか。その格闘が必要だ。神待ちの少女を俳句に詠んでほしい、その言葉は「俳句になじまない」とは絶対に言わない、でも人のやらないことをやるならば、もっともっと格闘しないといけない。これは、自戒も込めて。
以上の俳句たちから、若手の何が見えてくるだろうか。それは上田の言うとおり「通俗性」だろうか。新しい傾向や、あるいは逆に多様性が見えるだろうか。ひとかたまりになって上の世代の権威を脅かす何かが表れてきているだろうか。
うーん、困ったときは総論に立ち返ってみる。対馬はこう書く。「二十四名の作品は、生き生きとしたエネルギーの表現に実感がこもっている。老いや死がまだ観念と諦念の先にあることが眩しい。有季定型を恩寵としながら、今のわれをいかに表現するか。若い感性が現代の孤独を、内面の具象性豊かに、写生的あるいは造型的に映し出している」と評している。老いが感じられないはまあ当然として、他の評語はどこまであてはまるだろうか。
個人的には、作者が世界に主体的に関わっている作品よりは、作者自身は傍観して冷めた心持ちでいる作品の方に面白いものが多いように感じた。上に挙げた句はほとんどがそうであるし、その限界が「神待ちの少女」の句に見えているということなのかもしれない。それを結社と関連づけるか、世代論として捉えるか、書き手である山口のバイアスがかかっているのかは分からない。願わくば、総論で対馬が言及するようなパッションにあふれた俳句に、これからどこかのタイミングで出会えればうれしいと思った。
◎「第53回蛇笏賞決定」
大牧広氏の句集「朝の森」が受賞したとのこと。正直、これまで大牧氏の俳句をきちんと読んだことはなかったが、50句の抄出を興味深く拝見した。
開戦日が来るぞ渋谷の若い人
金銀を売らぬかといふ初電話
敗戦の年に案山子は立つてゐたか
「有季定型を恩寵としながら、今のわれをいかに表現するか。若い感性が現代の孤独を、内面の具象性豊かに、写生的あるいは造型的に映し出している」という前掲の対馬の評語が当てはまるのは、むしろ大牧のこれらの俳句ではないかと感じた。もちろん、「若い感性」という部分も含めて。ちゃんと「朝の森」を読みたいと思った。
◎「私の俳句クロニクル 深見けん二〈前編〉」
今号からの新企画だそうだが、やはり企画の趣旨説明がないので、どういう意図からの企画かよく分からない。タイトルの「クロニクル」と「取材・構成」という文字から、俳人が昔を振り返るインタビューということは分かるが、なぜこのタイミングか、なぜ深見けん二か、登場する俳人はどういう枠組みで選んでいるのか、何の狙いがあるのかが分からない。
ただ、インタビュー中、昭和34年2月の玉藻の研究座談会で虚子から「次回は風雅について話そう」と提案があったものの4月1日に倒れてそのまま亡くなった、というのが何とはなしに心に残った。風雅か、と思って。語ろうとして語られなかった、失われた虚子の言葉に思いをはせてみたいと思った。
◎「現代俳句時評6 ミューズすらいない世界で 俳句とジェンダー(上) 神野紗希」
こちらもインターネットで言及されることの多い論考。ジェンダーについてはみんな思うところがあるということか。前半部分の短歌におけるミューズの話題は紹介のみなのでいいとして、後半部の次の2点の妥当性について論議が集中したようだ。
①小澤實の近著「名句の所以」に関連して「俳句αあるふぁ」2019春号に掲載された小澤と堀本裕樹の対談に触れ、2人が名句として選んだ10句の作者の男女比が不均衡であることを例にとり、「名句中の名句を男性の句にしか見いだせないのは」「近現代俳句を語る上で偏っていると思われても仕方ないだろう」と述べている点。
②小川軽舟が2016年、主宰誌である「鷹」に発表した「子にもらふならば芋煮てくるる嫁」を例示し、家庭における旧来の役割を女性に押しつける保守的な思想をそのまま表出した俳句への違和感、彼女自身が女性として感じる「真綿で首を絞められたような窮屈さ」に言及した点。
僕も言いたいことがあるのでこの論考に触れてみたわけなので、それぞれちょっと考えてみたい。
①これは小澤と堀本の対談を例にとること自体があまり適切ではなかったように感じた。論考の中には神野自身が2人の発言を抄出しているが、小澤が女性や若手の句を選ばず堀本が選んだことに対して「その辺の配慮が足りませんでした」と述べているのに対して、堀本は「いや、それはもう句だけでいいと思います」と返している。
まさにこの堀本の「句だけでいい」という発言に論点は集約されていないだろうか。僕はこのやりとりを読んで、堀本の発言が、小澤から俳句以外の要素にも目配りをして選んだと思われるなんてむしろ心外だ、という言外のニュアンスを含んでいるのではないかと、それはかすかなものながら、感じた。
いや、待ってくれ、もちろん、さきさんの言いたいことは分かる。「たまたま選んだ名句が男性の俳句だけだった」――そのこと自体が意識的に男女を差別しているのだと言っているわけではなく、そうしたことがなぜ起こるのかを考えたとき、その無意識的な女性排除は、これまでの先人の選句の積み重ねの結果生まれた俳句史の記述の帰結ではないか、と神野は言いたいのだろう。つまり、「女性俳人は、近現代の俳句史の傍流に位置づけられてきた」という形で作られた俳句史を前提に「名句」として男性の俳句だけを抽出することは、それ自体が女性に対する差別を強化するという趣旨であろう。
しかしその視点を有効なものを見なすには、女性俳人が不当に俳句史の傍流に位置づけられてきたことをまずは論証すべきではないか。星野立子は、三橋鷹女は、池田澄子は、西村和子は、櫂未知子は、神野紗希は、現在俳句史で位置づけられている位置がおかしい、一句一句の作品を見たとき、男性の俳句作者よりむしろ時代を切り開き、優れた作品を作って俳壇をリードしたにも関わらず、その評価が正当に与えられていない、それは女性だからだ――そうした前提がないと、先の名句の選句についても、「10句の中に関西出身の俳人がいない」「10句の中に子供の句がない」「10句の中に専業俳人の句しかない」と言った他の無数のカテゴライズでも同様の批判を許す結果になりはしないか。
神野の論考では、その前提を論証していないことに不満を感じた。個人的な見解を述べれば、女性俳人を傍流に押し込める先入観は、俳人の中に実際にあると思う。ただし、直感に過ぎない。あるいは、作品本意ではなく弟子を何人育てたかによって俳人が権威づけられることと、有名結社の主宰に女性が多くないこととの関連があるのかもしれない(第二芸術論再び!)。ぜひ、その点に関する神野の論考を期待したい。
②小川の句は「あえて書いているもの」という鑑賞もネットではいくつか見かけた。つまり、「息子の嫁にはお芋を煮てくれるような人が欲しいなあ」という保守的な意識が存在する、ということを記述しただけで、自分の考えとは別だろう、と。果たしてそうか。
そういう通俗性をあえて自分と切り離し批判的に見せる方法論は小川ならいくらでも持ち合わせているはずだ。たとえば、一番簡単なのは、句全体を「」で囲んでしまうことだろう。
「子にもらふならば芋煮てくるる嫁」
一句全体が誰かの発言であるかのようにしてしまえば、句の内容は句を作る主体とは切り放され、切り放すという行為そのものに批評性も生まれるだろう。しかし元の句の状態でそのような批評性があると見るのはやはり無理筋のように思う。
このことに関連して、むしろ僕が問いたいのは、俳句で何が書けるのか、俳句の限界論とでも言うべき視点だ。ざっくりした論になるのは承知で話してみるが、俳句という短い言葉が作品として成り立つ背景には、日本人という同質な民族の文化があると考えている。その代表が季語である。ある季語を入れたとき、そこから思い浮かべる情景や風情にある程度の共通理解があるからこそ、短い言葉を作品として成立させることができる。「秋風」はさびしい、「桜」ははかない、など。その凝り固まった概念を打破するために正岡子規が写生を提唱し、それは今も息づいていると思うが、それは季語の象徴性を全く否定しさるものではなく、むしろ強化する側面もあったのではないかと思う。
共通理解、といったときに出てくるのは季語だけではない。
玉音を理解せし者前に出よ 渡辺白泉
春は曙そろそろ帰つてくれないか 櫂未知子
牛乳飲む片手は腰に日本人 山本紫黄
これらの俳句は「終戦時の玉音放送は大変聞き取りづらかった」という歴史的事実や、「春はあけぼの、とは枕草子の一節で、それをきぬぎぬの別れに転化している」という教養や、「銭湯で牛乳を飲むときは片手を腰にあてるという一場面が懐かしさを誘う」という情緒を前提としている。そういうものがないと分からないのが俳句の弱さだ、とは言わない。それも含めて俳句であるという事実に対して、プラスの評価もマイナスの評価も個人的にはない。
ただ、俳句はすでにある価値観やある程度広まっている共通の過去にしかコミットできないというところに限界があるのではないかと考えている。これはつまり、俳句から新しい価値観を作り出すことはできないのか、という問いだ。小川が旧弊な価値観を引き写した句を書いていることと、これは無関係ではない。先に述べたかぎかっこをつける、という提案は、この問いに対しては答えになり得ない。渡辺の「玉音」の句だって、玉音やそれにまつわる日本の天皇制に対するアンチテーゼとして機能しているのは明らかだが、それは肯定か否定かの違いであって、過去のすでにある価値観に対するリアクションであることには変わりはない。
ジェンダーフリー、LGBT、これらの「新しい」価値観を俳句に盛り込むことはできるだろう(ことさら新しいというほどの話ではないが)。しかしそれらは新しいとは言ってもすでにこの世にある価値観だ。五七五から全く新しい価値観を生み出すことはできるのか、そもそもそんなことを考える必要があるのか、それができなければひょっとして俳句はやっぱり第二芸術なのではないか……元の神野の論考とはだいぶ離れた話になってしまったが、そんなことを考えた。
とにかく、見逃してはいけないのはこの神野の論考は「(上)」だということだ。「(中)」「(下)」を座して待ちたいと思う。
◎「合評鼎談」
西村和子、佐藤郁良、鴇田智哉の3人の俳人が角川俳句4月号の俳句作品を合評するコーナーだが、内容では、片山由美子の海外詠を受けての西村の次の発言が気になった。
海外詠って、慣れていない人だとカタカナが多くなってしまうけれど、この方は必然的なカタカナしか使っていないですね。(中略)私も海外詠ではこのようにありたいといつも思っています。そうかー、カタカナ、いいと思うけどな。
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自慰と憐憫
北大路翼句集『天使の涎』『時の瘡蓋』評・その1
山口優夢
「お兄さん、あともう1軒いかがっすか。飲みですか、それとも抜きですか」
歌舞伎町の客引きは、思った以上に紳士的で礼儀正しい。手ですっと拒否の意志を示せば、たいていは引き下がる。新橋や神田あたりで深夜に遭遇する年増のマッサージ嬢の強引さに比べたらはるかにマシだ。彼女たちは時に腕をつかみ、断っても100メートルはついてくる。この間などは肩掛け鞄をずっと離さないので往生した。
客引きを無視しながら歌舞伎町のネオン街を歩いて行くと、「思い出の抜け道」という汚い看板のかかった路地がある。ネオン街から急に暗い小径に入るので、知っている店がなければまず入ろうと思わない。その角のあたりに1棟の小さなビルがある。入り口がすぐに急でせまい階段になっている。その一番下に小さな黒い看板が寝かせてある。何度訪れても、この看板がきちんと立てられて看板の機能を果たしているのを見たことがない。看板に書かれた文字は、「砂の城」。俳人・北大路翼さんがオーナーを務める「アートサロン」だ。
この店は開いているのだろうか。最初に訪れたとき、路地の向かいにある屋台に似た飲み屋にいたオカマに「ここ、開いてるのかな」と聞いた。オカマは首をすくめて見せただけだった。どうやらこんな状態がデフォルトだと知って、二回目以降はもう聞かなかった。
一応、看板には敬意を払って踏まないように階段を上りはじめ、3階の砂の城まで上がる。この階段はかなり急で、太ももをしっかり上げないとのぼることが出来ず、酔っぱらいにはつらい。「手摺りつけようよ」という人もいるが、「この階段を上り下りできることがこの店に来る唯一の条件なんだよ」と翼さんは笑う。
×××
墓洗ふお前はすでに死んでゐる(「天使の涎」)
「洗ふ」の一語がなかったら、ふざけすぎだ、と不快な気持ちになったかもしれない。「お前はすでに死んでゐる」は、もちろんマンガ「北斗の拳」の主人公・ケンシロウの決めぜりふ。戦いの最中、すでに相手の秘孔を突いて勝負が決まっているときに「お前はすでに死んでいる」とケンシロウは吐き捨てる。すると、それを聞いた敵は最初は笑っているがそのうち攻撃が効いて倒れる、というのが定石だ。
その言葉を、墓に入っている相手に向かって言っているわけだ。墓に入っている以上、すでに死んでいるのは当たり前。しかし、お墓を洗ってやりながらそうやってつぶやいているのだと想像してみると、改めてその人物が亡くなったことを自分の中で反芻しているようで、どこか死んでしまった相手に向かってそのことを言い聞かせているようでもあって、同じ言葉でもケンシロウとはずいぶん趣きの違った響き方をするように思う。
ただ墓場に来て「お前はすでに死んでゐる」と言っているだけならばそれはパロディのためのパロディに過ぎず、悪趣味だ。墓を洗ってやっている、その行為から、たぶん自分と同世代か下の世代ではないかと思うのだが、その人物と彼とのつながりが見えてくる。だからこそ、パロディが自己目的化せず、ちゃんとこの句ならではの意味合いを獲得している。それと同時に、ブラックジョークの味わいも舌にざらりと残してゆくのだ。
×××
アートサロン「砂の城」があと何年ああいうふうに続いていくものなのかよく分からないところもあるので、店内の様子を書き留めておくことには意味があるだろう。
もともとは現代美術家の会田誠のお店だったそうで、私自身は会田誠なる人物のことをほとんど何も知らないのだが、お店にはその肖像画らしきものが掲げられている。メタリックな銀色のカウンターは彼の作品なのだ、とお客かバーテンに聞いたことがある。カウンターの周りには7脚ほど安物の丸椅子が並び、それだけで店はいっぱいだ。だから、店の奥にあるトイレに行くのに他の客をかき分けていかねばならず、いつも難儀する。
雨でもないのに天井から水が漏れてくるので、バケツが床に置かれている。クリスマスツリーの周りに絡まっているような電飾がツタのように天井を這い回り、壁には北大路翼が取り上げられた新聞や雑誌の切り抜きが所せましと貼られている。翼さんは子どもの頃、自分で作った俳句を部屋の壁に貼っていたそうで、「こういうの好きなんだよ」と言う。
バーテンは日によって違うそうだが、天狗のお面をかぶったてんぐちんという女性が入ったり、誰もいないと翼さん自身が入ったりしている。「今日はてんぐちんじゃないのか」という声も聞いたので、どうやらてんぐちんが人気らしい。「お面」と言うと本人は「これはお面じゃなくてこういう顔なの」と顔を真っ赤にして怒るのだが、天狗なのでもともと顔が赤く、あまり怒っているように見えない。
「ここはちょー事故物件だよ、100人くらい死んでるんじゃねえの」と翼さんは言っていたが、100人は誇張だろう。しかし昔はうりせんだったという来歴(翼さん・談)を考えると、多少何かがあったことは間違いなさそうだ。何時間もいると気持ちが悪くなってくることがあるが、たぶん空気が悪いのだろう。
×××
素麺を食べたくなるや自慰の途中(「天使の涎」)
ふいに、という言葉を隠しつつ書くとしたらこんな俳句になるだろうか。自慰に集中していないわけでもないのだろうが、「あ、なんか素麺食いたい、暑いし」みたいな瞬間は確かにある。そしてたぶん果てたあとは忘れている。そのときだから食べたかったのであって、果ててしまえば男の生理はがらっと全く変わってしまっているのだ。いい自慰ではなさそうだな。やっぱり集中できていないのかもしれない。
「自慰」という言葉がやけに強く響いてしまうかもしれないが、句の内容を見ると、意外とあっさりしている。トリビアルな欲求の流れをそのままふと漏らしたような句だ。割とポーズを作りがちな北大路の句群において、これは結構珍しいかもしれない。
思ひ出し笑ひを悴みながらする(「時の瘡蓋」)
これも同じ系列と言えるか。「思い出し笑い」の持っている寂しさという本意にかなった句であろう。
×××
翼さんが歌舞伎町を拠点に俳句を作り始めて5、6年になるらしい。その間にずいぶん飛んでしまった女の子や自殺した奴も多いとか。
指名用写真が遺影朧月(「時の瘡蓋」)
特に最初の1、2年は周りで自殺する人が多かったという。そのことについての翼さん自身の述懐をそのまま載せようと思う。
Q・死んじゃった人っていうのはどういう人か
A・左翼で灯油かぶって抗議したり。それも最初の1年目はいっぱい死んじゃった。毎月毎月。俺が励ますと元気になって死ぬ元気が出ちゃう。「砂の城」に来て元気になるじゃん、それで帰りに死んじゃうんだよ。だから変に励ましちゃいけないんだよ、うつ病のやつは。良くなったな、って言うと死ぬ元気出ちゃうから、勢いに乗って死んじゃうんだよ。変に同情したりすると死んじゃうだけだから。俺もプロじゃねえから、精神科の。バカにした方がいいんだよ、そうしたら死なないから、悔しくて。ほめると調子に乗って死んじゃうんだよ。元気になったな、なんでもできるな、って言うと、なんでもしちゃうんだよ。バカだから一番目立つことやりたいんだよ。ぽーんと行って終わりだよ。ほっとくしかない。どんな気違いでも天才でも普通に扱うしかない。器がいる。その修業ですよ、僕がやってるのは。
×××
キャバ嬢と見てゐるライバル店の火事(「天使の涎」)
「燃えてるねー」「ねー」くらいの軽い会話が聞こえてきそうだ。ライバル店が火事になるのはキャバ嬢にとっては「ラッキー」くらいのものか。
いや、決してそんなことはないだろう。ライバル店はつぶれてしまえ、くらいは思ったことがあるかもしれない。でも、火事とか、下手したら人が死んじゃうし。ガチだし。そこまでがっつり不幸になる感じのはちょっと望んでなかったかな…。どっちかと言うと内心、とまどいに揺れるのではないだろうか。
たぶん、キャバ嬢から最初に出てくる言葉は、「あーあ、かわいそうに」。憐憫と興奮とが入り交じり、それがだんだん、火事の火に見惚れていく。冬場だからしばらく見ていると肌寒くなってきて、「行こうか」とどちらからともなく促す。そんなキャバ嬢の微妙な心の揺れを男は感じ取っているだろうか。
キャバ嬢と客の深く断絶した関係性の中で、ライバル店の火事という微妙に力関係を崩しそうな偶然の出来事が、ふと2人に言いしれぬ「何か」の雰囲気を共有させてしまう。「何か」とは何か。北大路本人はきっと、「幸福感」と言うだろう。僕は「生命力」と呼びたい。他人の死が生きる活力になる、そういう世界で僕たちは生きているのだ。
ところで、北大路の句には中七が八音になっている句が多い。
啓蟄のなかなか始まらない喧嘩(「天使の涎」)
こんにちはスケベな花咲爺だよ(「天使の涎」)
白日傘与党に投票しさうだな(「時の瘡蓋」)
ちょっと拾っただけでこれだけ見つかる。中八は間延びした印象を与えるから避けるべき、というのはちょっと俳句をやっていればどこかから必ず聞こえてくるアドバイスなのだが、北大路のこの多さは意図的に中八をしているのではないかと思えるほどだ。
加藤楸邨の十七音量説? それも根底にはあるのかもしれないが、どちらかと言えば、これは北大路の句が基本的に口語で書かれていることと密接な関係があるように思う。文語で流暢に俳句を作る方法であれば、中八はただただ間延びするだけだろう。七音にして緊密な調べを取る方がいいに決まっている。ところが、北大路の句は口語調に威勢良く読まれてしまうため、八音でも間延び感はあまりない。もちろん、八音だな、とひっかかりは覚えるが、それをぐっと乗り越えていく勢いで読んでしまう。意識的か無意識的か、とにかく内容と形式はきちんと合っているように感じられる。
×××
たとえばコンビニで酒を買って、新宿の適当な公園や道ばたで飲み始める。と、そこに女が通りかかる。
「何してんの?ヒマ?ヒマでしょ?ヒマだよね?じゃ一緒に行こうよ」
とにかくたたみかけて自分で答えを出してしまうのが、ナンパのコツだという。「100人に声をかけたら10人は飲みまで行ける。そのうち1人くらいは最後まで行く」と豪語されて、ナンパしたことがない僕は、本当かよ、と目を丸くする。歌舞伎町すげえな、いや、この人がすげえのか、どっちだ。
翼さんいわく、自然には「人工的な自然」と「自然な自然」がある。前者は庭、後者は山や海。「自然」をテーマに書く俳人だったら、やっぱり「人工的な自然」より「自然な自然」を書こうとするだろう、と。しかし自分は「人間」をテーマにしている。人間にも「人工的な人間」と「自然な人間」がいるのであって、自分は「自然な人間」、つまりより人間くさい人間を書きたい、だから歌舞伎町に来た、と、ここまで一気に話した。自分の中で何度も語っている物語なのだろう。
なんか哲学者みたいな話をするな、と何となく相づちを打っていたら、思い出したように「合コンジャックって遊びもしてたな」と話し始めた。居酒屋で合コンをやっている席に乗り込んで「イエーイ」って勝手に盛り上がり、そのまま女の子を連れて帰っちゃうという遊びだそうだ。
「それをやっていたのはいつ頃ですか」と聞くと、「えー、ずいぶん昔の話だよ。大学生頃からかな」。
「いつ頃まで」「30過ぎかな」。
いやいや、結構最近までやっていたんじゃないですか。しかも10年以上の長きにわたって。
【つづく】
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【週俳500号に寄せて】
虚子から遠く離れて
山口優夢
10月後半、人生で初めて入院というものを経験した。
前の晩からどうも熱っぽいだるさがあると思って朝起きたら37.5度。この時点ではまだ仕事をあきらめてなくて、昼までにある程度熱が下がれば取材に行ける、と思っていたがちょっと寝て起きたら39度越え。これはダメだ、と近くの内科医院に行きインフルエンザかどうか診てもらったがインフルではないとのことなので、一安心した。家に帰って掛け布団の頭以外の3方向の端っこを巻き込むように折り込み、布団の中の熱が逃げないようにしてガンガン汗をかき熱を下げようとしたが、夕方になっても39度台で熱が高止まりしている。頭もいろんな方向から万力で締め上げ続けているみたいな痛みが続くので、仕方が無く妻の運転で脳外科病院に行ったら、髄膜炎かもしれません、ということでそのまま入院に。
腰から髄液取ります、いいですか、と医者に言われて、もう好きにしてくれ、とうんうん頷く。「寝たまま丸まってもらえますか」と男の看護師に言われ、ベッドの上で横を向いて胎児のように丸まる。横向きの自分の後ろ側のベッド脇に医者が、自分が顔を向けている側のベッド脇に男の看護師が陣取る。「もっと丸まってください」と看護師に言われ、とぐろを巻いた蛇のように丸まると、看護師が首の後ろと膝の後ろを腕でがっちり抑え込む。これで丸まった状態からもう動けない。医者が腰のあたりをまさぐっている。「ごめんなさい、結構痛いですよ」と看護師。痛みで暴れないように抑えられているのだと気がつく。あ、痛いんですか……と言いかけた瞬間、針をうりうりと腰に潜り込ませられた。
熱は翌日にはかなり引いていた。髄液を調べたものの、結局髄膜炎ではなかったらしい。なんだかよく分からないけど入院は延長。翌日には帰れるのかと思っていたらずるずる延びていく様子は、逮捕されてなかなか釈放されない容疑者を思わせた。
妻が病床の慰みになる本を持ってきてくれる。岸本尚毅氏の「高浜虚子 俳句の力」。しょっぱなに出てくる「不治の病を得てサナトリウムに入ったら虚子の俳句を枕頭の慰めとしたい」という一文は、元々知っていたが、この入院時にずいぶんタイムリーだな、狙っているのかな。虚子の句を読んで癒やされてくれということなのかな。でも一緒に持ってきたのが「神の子供」(西岡兄妹)というエログロ残虐猟奇系の極致みたいなマンガだったから、たぶん癒やそうと言うつもりではないのではないかな、などと考えた。
「神の子供」ももともと書棚にあった本で何度か読んでいたが、改めてベッドの上で広げてみる。いいね。第1章に出てくる「黒い太陽」というのは母の肛門のことを指すのだと、読み終わってスマホでネットのレビューを見て初めて知る。まあとにかくそんなマンガだ。
スマホの充電器も持ってきてもらって、充電しながらひたすらネットを漂流する。「神の子供」をレビューしているブログから飛んで恐怖系のマンガのレビューを読みあさる。日野日出志の「地獄の子守唄」とか永井豪の「ススムちゃん大ショック!」とか。飽きてくると検索画面に「週刊俳句」と入力した。
週俳の最新号では信治さんと寒蝉さんが去年の角川俳句賞の落選展について話し合っていた。え、去年の!? 何度か見間違いではないかとページを行きつ戻りつする。だってもう今年の角川俳句賞の受賞作が発表されているこの時期に、なぜ去年の? よく見ると記事は前編を今年2月に掲載し、このとき掲載されていたのは後編だった。週俳、毎週見ているから前編も見たはずだけど、正直半年以上前の記事は覚えていない……。というか、前編と後編の間が半年空くって! しかもどう考えても次の角川俳句賞が発表されてしまうからその前になんとか載せようというタイミング。。相変わらずのゆるさに癒やされる。あ、気がついたら癒やされているじゃないか。虚子の俳句ばりに。
前編からつらつらとたどって読む。
馬を彫る泉につけて来し両手 青本柚紀
おでん屋のテレビの中を兵歩む 大塚凱
虫の夜や遅れて消ゆる車内灯 折勝家鴨
漕ぎ出せば川岸長き薄暑かな 利普苑るな
自分より若い人も若くない人もいた。人は自分より若い人の活躍を見たときに「自分より若い」と認識し、人を評価する基準として若さという基準を自分の中に発生させるのではないかと考えた。
もっと言えば、若い人の活躍に普通に嫉妬した。
あと、信治さんが
「読む側あるいは選ぶ側としては、今、俳句を、作家それぞれのコンテクスト抜きで読んで評価しようとしたら、単なる技術的評価か好みの押しつけになる。技術と好みだけでは、こういう賞のような共通領域としての俳句の場を成立させることが、できないんじゃないか。
一句一句ではなく、作家と出会うためには、句会とは違った「読み」筋が必要なのではないかと感じます。」
と発言していた。そうだ、そうだ、「週刊俳句」も今は亡き「豈weekly」も「作家と出会う」ための装置だった。むしろ「角川俳句賞」もそうであるはずで、でもそうなっていないところに彼は少し苛立っている気がした。だから、落選展にその機能を求めている。
考えてみれば僕が四苦八苦して週刊俳句に稚拙な時評を書いていたときも、週俳の「中の人」としていろんな俳人に依頼を出したときも、「●月の俳句を読む」を依頼したり書いたりしたときも、句会とは違って、「作家に出会う」ための作業だった。
しかし、「出会う」というのは実はファンタジックな表現かもしれなかった。
青嵐ピカソを見つけたのは誰 神野紗希
批評や鑑賞を通じてその作家を知るのは、双方向的な「出会う」という事態ではない。むしろ完全な一方向だ。「出会う」のではなく、「見つける」のがより正確な言い回しのように思える。見つける側と見つけられる側は対等ではない。そこに生じる、言葉にはしづらい感情を、何度も何度も感じながら僕は句作を続けてきた。
端的に言えば、僕は見つけられたいのだ。それはごまかしようがない。でも、実際には見つけること(あるいは、見つけようとすること)の中にしか真に人とつながる契機はないのかもしれない。
なんだかまた熱が上がりそうだったから、スマホを置いて眠った。隣のベッドでは、老人を見舞いに来た娘らしき女性が畑の二十日大根のことや柿の収穫について話していた。
入院して3日経った頃、手と足に赤い湿疹が浮いてきた。しかも熱を持っていて、歩くだけでも痛い。最初は点滴の薬が合わないからだろうという話を看護師からされたが、翌日中年の医師が僕のベッドまでやってきて、「感染する可能性がある病気かもしれないから個室に移ってくれ」と言ってきた。
トイレ、シャワー完備の個室に隔離だ。湿疹は2日ほどで熱を持たなくなり痛くもなくなったが、その頃医師からようやく今回の一連の不調は手足口病ではないかと聞かされた。ただし保険診療では手足口病かどうかを診断するまでの検査はできないから、診断書にはウイルス性の感染症、とのみ記入するとのことだ。
隔離された個室を訪れる者はいなかった。ただ点滴を換えに来る看護師と、掃除にくるおじさんと、女性の医師が代わる代わる姿を見せるだけだ。院長回診という珍しいものも見ることが出来たが。本当にあんな大名行列みたいなものが、とその後で看護師に言いかけてやめた。
着替えは妻がナースステーションに預けて看護師が部屋に持ち込んだ。窓から見えるのは遠くの山と誰も通らない路地。病室を移ったその日は日曜日だったため、どこかから祭りの音が聞こえていた。隔離される前に隣のベッドにいた老人は、月曜日に退院すると言っていた。おそらく退院したのだろう。
看護師は何人か入れ代わり立ち代わり現れたが、いずれも献身的な様子だった。「お熱はどうですか」「お食事は食べられましたか」「点滴外しますね」「手の赤いぶつぶつもだいぶよくなってきましたね」そうじゃない、あなたが話しかけているのは患者であって、山口優夢ではない!山口優夢を見つける者はそこには来なかった。自分を見つける者の来訪を待ち望む自分の心性の卑しさに、僕は憮然とせざるを得なかった。
その日の夜、織田裕二が変なしゃべり方をする推理ドラマを見終わってテレビにいいかげん飽きた僕は、スマホの検索画面で「週刊俳句」と入力した。見ると、堀下翔さんがまるごとプロデュースをやっている。参加者は自分より若い人しかいないようだ。これだけの人数を集めてこれだけの先人を見つけようとする気概を眩しく思った。その中で取り上げられていた福永耕二は僕も好きな作家だ。
めつむれば怒濤の暗さ雁渡し 福永耕二
いいぞ、もっとやれ。見つける努力を、僕たちは怠ってはいけない。目をつむったままの、亡くなってしまった福永耕二を、僕たちが見つけるのだ。そのための場は、毎週日曜日に定期便のように来る。これからもたぶん来る。否、毎週日曜日を待つ必要など本当はない。日曜日に来るそれを、利用するだけ利用し尽くしたら、後は自分の力で立ったっていいんだ。見つけることと見つけられることの混沌の中からしか僕は生まれ直せない。
ああ、たぶん僕が今いるところは、虚子から遠く離れているのだろうな。入院の8日間ではちょうど100句を作ったが、まだ1句も発表せず、手元に隔離してある。
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【句集を読む】 高柳克弘 句集『寒林』を読む
カビキラーとステレオタイプ
山口優夢
見る我に気づかぬ彼ら西瓜割
夏の海辺の、はしゃぎ回る家族連れや、若者のグループ。そこから少し離れて彼は寝そべっている。「こっちこっち」とか「わ、あぶねえよ」とか言って浜辺の西瓜割りで典型的に盛り上がる彼らの様子を、「我」はじっと見続けている。しかし彼らは見つめている私には気が付かない。なぜか。簡単なことだ。彼らは彼らの中で世界が完結できるほど今を楽しんでいるからだ。
そんな彼らをみつめる「我」の視線を対象化することで、この句では何が生まれるのか。そもそも「我」はなぜ彼らを見つめているのか。そこに「我」の孤独感や疎外感を一足飛びに読み取ろうとするのはやや性急に過ぎるだろう。おそらくその視線には特に意味はないように思う。ただただぼーっと眺めている。でも彼らは気づかない。気づかない、ということに気づいたとき、初めてほんの少しだけ、かすかな感情の動きが生まれることは、あるかもしれない。
「見る」ということ、あるいは世界とは切り離された地点に立っていると感じながら、なおかつ世界に視線を向けること。そうしたことを志向する意志こそが、この句集を支えるベースの力になっているのではないか。
雪投げの母子に我は誰でもなし
見てゐたり黴を殺してゐる泡を
だから、上に挙げている句はどちらかというとそういったベースがむき出しになっているという点で、この句集が志向する句そのものとはちょっと異なっているかもしれない。雪投げの句は、西瓜割の句と同様に楽しそうな母子の様子を少し離れて見ている視線がある。そこであえて「我は誰でもなし」と母子との関係性の構築を否定することで距離を置く。
カビキラー(かどうかは知らないが)の句は、そうした自分と関係なく進行していく物事に対する視線を、人間以外のものに敷衍している。黴を殺している泡、というのは、しかしながら、たとえば「鹿を殺してゐる犬を」とか、「鮭を殺してゐる熊を」というのとは違って、本当に殺しているのかどうかは見ていても判別がつくものではない。正確に言えば、「(黴を殺しているはずの)泡を」見ているのだ。
そう考えると、西瓜割だって雪投げだって、彼が見ることができているのはその外観だけで、それがいかに楽しそうであったとしても本当に楽しんでいるのかどうかまでは見えるわけではない。しかしそれらをあえてステレオタイプ化し(つまり、泡が黴を殺しているかどうか確認のしようがなくてもそれを殺しているのだと受け止めるのと同様に、西瓜割や雪投げをしている人たちはそれを楽しんでいるのだと仮定し)それを見つめる自分との距離感を、一句のテーマに据えている。
あえてのステレオタイプ化は、句集の至るところに散見される。
ヘルメット脱ぎし星空霜にほふ
劇団に芽生えし恋や扇風機
顔寄せてミントにほへる浴衣かな
ドラマか小説の一節のような場面の取り方。「霜にほふ」「扇風機」「浴衣」といった季語の現場感を借りて力尽くで一句に仕立てた印象がある。そしてそれは、いとも軽々と、といったふうに見えるほど、確実に成功を収めている。つまり別の季語が入ったとたんに陳腐で切り捨てられるような内容にもかかわらず、具体的な場面設定を過不足なく行い、五感に訴える要素を持ち、かつ小さじ半分程度の裏切りを秘めているという意味で、いずれの句もほぼこれ以外ないような季語が選択されているのだ。
問題は、こうしたドラマの一節みたいな恋愛感情や季節の感じ方を彼はなぜ一句に昇華させる必要があるのか、ということだ。それに対する僕の回答は、この句集で志向されているのが世界の再構成だから、というものだ。
枯蓮や塔いくつ消え人類史
馬と眠る旅をしたしよ沙羅の花
神は死んだプールの底の白い線
冬青空宇宙飛行士みな短髪
空に風海に潮や渡り鳥
「塔いくつ建て」ではなく「塔いくつ消え」であるところに、ペシミスティックな彼の認識を見てとることができるが、それはともかく、「人類史」を記述しようとし、大時代的な「馬と眠る旅」を持ち出し、ニーチェの言葉に卑近なプールの情景を二重写しにし、宇宙飛行士がみな短髪であることと、空や海が風や潮の流れを常に孕んでいるという事実とをいずれも肉体感を持って描出する。自らの経験や写生を前提とした俳句とはかなり異なる地点に立脚した句がここでは志向されている。
世界の本質や今ここにない何かを希求するために彼は俳句形式を選んだのではないか。俳句の言葉は哲学ほど複雑ではないが、常に季語が具体的な情景を保証するため、彼の再構築する世界が肉体から遠く切り離され遊離してしまうことはない。
そうした句群と並び以下のような彼の生活が垣間見えると考えられる句がある。
ぼーつとしてゐる女がブーツ履く間
欠かすなきレモン未婚の卓上に
新娶秋草猛き家なれど
僕は彼のことを個人的に知っているためにこれらの句が彼のプライベートに結びついていることを知ってしまっているせいもあって、どうしてもこれらの句の作中主体を一人の青年と想定して読んでしまうというところもあるのだが、こうした彼自身がモチーフになっていると容易に読むことの出来る作品群さえ、上の「人類史」や「宇宙飛行士」といった句群と合わせて読むことで相対化されていくのを感じる。すなわち、女がブーツを履く間にぼーっとしているのは彼であってもなくてもいいのだ。そういうことが世の中を見つめる彼の目には映っている、それ以上の意味がこの句の上からははぎ取られてゆく。結果として、これらの句も「人類史」の一環として世界の再構築の一部に組み込まれていく。
こうして再構築されている世界の諸相の中で、人間の恋の営みやもろもろの生活のほとんどはステレオタイプに繰り返されていく。彼の句がステレオタイプなのではない。どうあってもステレオタイプでしかないことまで含めて再構成しようとするからこそ、ステレオタイプが混じり込むのだ。
絵の少女生者憎める冬館
よろこびは過ぎ花園に椅子一つ
彼が再構築したこの句集の世界は、やはり全体として暗いトーンに支配されているように思う。もちろんその中には新娶の喜びや「菜の花や早退の子がバス停に」の句に見られるような明るさもある。しかし「塔いくつ消え」に通じる儚さが上の二句にも通底し、この句集の基調をなしていると僕には見える。それには「寒林」というタイトルも一役買っているかもしれない。
原稿は焼けとカフカや青嵐
世界の再構築は、芸術家の一つの夢でもあろう。彼が「カフカ」という芸術家の人名を持ち出し、「青嵐」という季語を用いるとき、僕にはどうしても思い起こされる句がある。
青嵐ピカソを見つけたのは誰 神野紗希
彼がこの句を意識していたかどうかは知らないが(一つ屋根の下に暮らしていて意識していないということはないと思うけど)、芸術家のありようが主題になっている点でも、この二句は明らかに呼応している。
神野の句は、ピカソの価値を発見した誰かに思いをはせることで自らの価値を誰かに見いだしてほしいという希求も言外に含んでいると僕は読む。一方、カフカの句では、「原稿は焼け」と自らを誰かに発見されたり評価されたりといったことをむしろ拒むような文言が並ぶ。
しかしこれを額面通りに受け取るのは皮相の見解というものではないだろうか。カフカが本当にそう言ったのかは僕は知らないが、そういう言葉が残っているのだとすれば、それ自体が焼かれた原稿の不在を証明してしまうという点で、やはり自らの価値を見いだされたいという希求の裏返しであることは疑いようがない。
自分自身の経験をすら自分から切り離し距離を持った地点からながめることで自らの淋しさで満たされた世界を再構築する彼の屈折した志向性に、「原稿は焼け」という言葉は実は限りなく優しく添い遂げようとしているように、僕には感じられた。
作者は高柳克弘。
●
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山口優夢 春を呼ぶ
建国記念日のてのひらいつぱいの胎動
臨月やまぶしくて見えない雲雀
妊娠はかくれんぼかもふきのたう
破水して愚かに眠き春の空
薄氷をぴしと踏みゆき父となる
がつしりと分娩台や百千鳥
雪割草なし崩しに始まるお産
心音が機械にこだましておぼろ
陣痛の息の切なし春ともし
陣痛は大気圏突入のやうだ春
扉の向かうで妻が苦しむ冴え返る
産むときの妻は赤子のやうに赤し
産道を抜けて光を君は知る
人の中から人が出てくるかぎろひて
頭だけ出て泣き初むる蜃気楼
うららかに海から上がるやうに生まれ
今産みし子を呆然と見て春暁
胎盤のしんと重たき春の雪
産みしのち子宮は春の闇に戻る
生まれたての手足伸ばして曲げて春
君に子宮は狭かつたのか春の空
料峭や二重まぶたをもて生まる
がむしやらに生まれて春を呼ぶ子かな
授乳室に我は入れず暮れかぬる
笑はざる子を清潔な春と思ふ
さへづりや傾き変へて哺乳瓶
啓蟄や息を切らせて飲むミルク
激しく抱けぬうちは赤子や桜貝
乳飲み子に日永のげつぷさせてやる
何もしない夫と言はれ朝寝かな
目借時子は胎内の夢を見る
はくれんを見上げこの世をまぶしがる
母の乳探し陽炎に手を伸ばす
遅き日を上目遣ひに乳飲めり
乳をやる妻早春をうつむきぬ
乳首からくちをはなさぬ春の宵
我も母になりたし春風に子を抱いて
乳を飲む子を見て眠きぼたん雪
遠雪崩赤子を布にくるむとき
山に雪きびしく残る夜泣きかな
出生届に春の灯をこぼしけり
取り替へしむつきは蛙より重く
眉間に皺寄せて赤子や梨の花
「ムーンライト伝説」が子守歌なり桃の花
むつき汚して赤子の太る雛祭
春光や咳き込みながら子は泣いて
泣く子を抱いて泣かない母やつばくらめ
父も娘も初恋から遠くてすみれ
春の日にあやされてゐるおまへかな
赤子の目いつも真夜中梅匂ふ
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戸をたたく 山口優夢
父となることのしづけさいわし雲
コスモスの中を進みて妊婦は船
光ばかりを記憶せし小鳥来る
まだ何もこはせぬ胎児金木犀
エコー写真の我が子を愛し猫じやらし
赤とんぼ我が子は我をまだ知らず
台風や胎児と母は抱き合ひ
性欲は我をあざむき衣被
秋風の果てて胎児が目を開く
戸をたたくやうに夜長の胎動は
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沖縄は今日も雨だった
山口優夢
●5月10日(金)
僕は久しぶりにあせっていた。タクシーの車内で、気持ちははやるもののできることはなにもなく、ただただ雨にぬれた東京タワーを泣きそうな気持ちで眺めていた。
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第270号~第279号より
山口優夢さんのオススメ記事
担当した回の中で一番印象に残るのはやはり第273号の「特集 追悼・今井杏太郎」であろう。僕自身は正直に言って今井杏太郎のことをそれまでほとんど知らなかった。エッセイ4人、作家論1人、各句集論5人の総勢10人で多角的に取り上げられると普通は全体像が浮かび上がってくるものだと思うが、逆に全体像がぼやけて遠くなっていくような、つかみどころがなくなっていくような印象を受ける。
それというのも、どこか時を超えようとする意思を、その句群から感じるからであろうか。否、それは「意思」ではない。意思ならば、むしろそれこそが「つかみどころ」となるだろう。時を超えようとしているのは今井杏太郎の選んできた言葉そのものとかその配列であって、それに素直に身を任せていられる彼の態度こそが、つかみどころがない印象を与える。
雨の降る夜の玉葱畑かな
昼寝よりさめてきのふの家に居り
みづうみの水がうごいてゐて春に
そういう、時を超えようとするのではなく時を超えてしまう作家が、死という事態に直面した、ということ自体が、なんだか物語の中のことのような、気もする。
≫第270号~第279号
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山口優夢 海
草の穂やこはれたものはすてませう
十字架を見上げてをれば火恋し
秋風の波止場に漫画・畳・服
瓦礫の間に間に人声やいわし雲
コスモスが胞子のやうに伸びてゐし
とんぼうや瓦礫片づければ荒野
秋の暮闇が手足にとりつきぬ
二度と灯のともらざる家雁渡る
でも僕が逃げても逃げなくても月夜
帰るのは人住むところ月鈴子
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【週刊俳句時評 第24回】
俳句総合誌比べ読み
山口優夢
本屋でバイトしていると、一つの分野にいくつもいくつも雑誌が出ていることに驚くことがある。バイク、ファッション、スポーツ、ペット、健康、育児、芸能、etc。
俳句でも総合誌と呼ばれる雑誌が何誌も出ている。何誌も出ているのならば読み比べてみることで、一誌だけ読んでいたのでは分からないことも分かってくるのではないか。
今回の時評は、とりあえず今書店に出ている最新号の総合誌を読み比べることでどんな「俳壇」が形成されているのか、俳句では今何がホットとされているのか、見てみることにする。
「俳句」2月号
特集は「名句が生れる瞬間 転機こそ新境地を拓く」。今回寄せられた17の論考の中で最も示唆に富み、読みでがあったのは、岸本尚毅の総論であろう。
岸本はまず、ある俳人の作風の変化には内側から生じるものと外側からやってくるものがある、というところから書き起こし、内側から生じた例として水原秋桜子、古館曹人の切れ字使用の変化を挙げ、外側からやってきた変化、というのを今回のテーマである人生の転機だと言いかえる。戦争、結婚、療養などを転機とした俳人の例を挙げ、作風の変化に具体的に踏み込んでいる(と言っても、変化の前後の句を一、二句ずつ挙げるにとどまっているが)。
岸本論が総論として実に水際立っているのは、そのような例を挙げながらもなお、「作品と実人生との関係は、検証不可能な仮説である」としているところだ。病気をしたら句がこう変わる、恋をしたら句がこう変わる、という一般化ができない、ということは当たり前ながら、見落としてはいけない前提のはずである。その上で、彼はこう語る。「検証不可能だから無意味というつもりはなく、仮説自体に意味があると考えます」これはどういう意味なのか。岸本の論中でははっきりとは語られてはいないが、次のような意味だろうと拝察する。
それは、過去を振り返った時、俳人の実人生と俳句との間にある種の関係が見出されるという仮説を立てることによって、今後実作者である我々に何らかの転機が降りかかった際にそれを俳句に反映させるためのヒントを見いだせるのではないか、ということに他ならない。現に、先ほど引用した部分の直前には「実作者にとって本当に重要なのは、人生の転機という形で俳句の外からやって来る種々の変化や禍福をどのようにして句のエネルギーに変えていくかという実践的な思考です」とあるのだから、おおよそ間違ってはいないだろう。
では、具体的に先人たちはどのような転機に際してどのように作風を変化させ、新境地を拓いてきたのか。それを語るのは、総論から大変良いパスを回してもらった各論の論者たちであるはずなのだが…。あれれ、それぞれの項目、「恋」「戦争」「出会い」「別れ」「生」「旅」「老い」でそれぞれを転機とした作風の変化が語られるのではなく、それぞれの項目が俳句でどのように詠まれているかを鑑賞しているに過ぎないように見えるのは残念なところだ。
俳人の転機を語るには、作品のみを語るのではなく、俳人の実人生を、文献をあたって調べ、それと作風の変化との相関を見出すという作業があるべきなのに、ほとんどの論者に俳人の実人生を調べた形跡がない。そのような各論の中で面白いと思ったのは、齋藤愼爾が岸本論の全く真逆の方向で、俳人たちが戦争体験を消化していないために「現今の俳句界に氾濫する俳句がつまらない」と言い放っているところ(できればつまらない俳句の例を示してほしかった)、神野紗希が師や人間との出会いによって安住敦や橋本多佳子が作風を変えたところに言及しているところ(ただし、転機となる出会いの描き方が浅くないだろうか。久保田万太郎の何に影響を受けて安住敦が変わったのか、よく分からない)あたりだった。編集部から各論者にきちんとテーマが伝わっていなかったのではないか、と思えるくらい、統一感がない特集になってしまったところは、残念としか言いようがない。
他の見どころは、1月から始まった新メンバーによる合評鼎談。西村和子、対馬康子、小川軽舟という三者の組み合わせは、なんとなくおとなしすぎるのではないかというイメージを抱いていたが、実際に読んでみると、さにあらず。意見の対立点では各々の論者がきちんと意見を開陳し、論争を行なっている。2月号まで読んだ感じだと、結社の主宰として日々多くの俳句を見ているだろう西村和子と小川軽舟に、対馬康子が押されている印象を受けるが、今後10カ月、この3人の論争がどのように展開してゆくか、楽しみだ。
今号の発表句で印象に残ったものは次の通り。
松枯葉かすかに人の住みゐたり 長谷川櫂
神帰る大庭只海(にはたづみ)夜を湛へ 中原道夫
洞どこも禽獣が占め山眠る 鈴木貞雄
誰からぞ軍歌はじまる闇汁会 吉田汀史
手袋を忘れましたよ日溜りに 川島葵
サンダルの薄き足跡寒椿 小野あらた
「俳句界」2月号
特集は「やっぱり季語が好き」。タイトル通り、季語というものに好意的な態度を取る記事が多い。
「私の好きな季語」と題されたエッセイでは、水原紫苑、八木健などのいわゆる文化人が自分の好きな季語を挙げてそれにまつわる短文を寄せている。それにしても坂東三津五郎の挙げる季語が「虎が雨」で、内田春菊の挙げる季語が「香水」では、あまりにイメージ通り過ぎはしないだろうか。
それはともかく、季語についての論考の中では、江里昭彦の論に考えさせられた。季語を「長持ちしそうなもの」「有効性に疑問が生じつつあるもの」「ほうっておいても早晩退場し自滅するもの」の3種類に分け、「梅雨」を第2のグループに、「炭・火鉢・囲炉裏・砧」を第3のグループに分類する、という手つきは、季語の現実的な分類として実に鮮やかだ。失われゆく季語を追憶したり、季語を残すために努力しなければならないという方向に論が進んだりしないのも、すがすがしい。
それもそのはずで、江里はこの論考を夏石番矢の提唱した「季語からキーワードへ」のことから書き起こし、それがすでに20年も前に提唱されたにも関わらず未だにキーワード(あるいは詩的中核語)を季語の代わりとする俳人が出てこないとしつつ、季語が今後さらに力を持たなくなった時、もう一度「季語か?詩語か?」を問いたいと言うのだ。つまり、彼は季語がゆっくりと滅び、自分たちの支持した詩語がそれにとってかわるのをじっと身をひそめて待っているのだ。
江里が期待(?)するように「キーワード」が季語にとってかわるとは僕には思えないものの(もし本当にそれを期待するのなら季語の崩壊をじっと待つ前にやることがあるはずだ)、俳句が現代を描こうとする限りにおいては、季語体系は何らかの形で変化してゆく必要があるのかもしれない。あるいは、季語体系ではなく季語に対する我々の意識が変わるべきなのか。確かにこれは、季語というものが現在抱えている最も根本的で悩ましい問題であるようだ。願わくば、そういった季語にとっての根本的問題を論じた論考をこの特集でもっと読ませてほしかった。
今号の発表句で印象に残ったものは次の通り。
人の日の灯下せつなく蒲鉾板 池田澄子
「俳壇」2月号
今号の「俳壇」は、俳壇賞発表号。選考委員は宗田安正、辻桃子、鳥居真里子、富士眞奈美、宮坂静生の5人。今年度の第25回俳壇賞は、「鶴」所属の亀井雉子男氏の作品「鯨の骨」。
白魚をすすりて舌のもつるるよ
軍鶏鍋の骨をしやぶりて暑気払
など、さすがに佳句が多いという印象。選考座談会では、候補作を9作品も挙げて論評しており、沢山の作品が俎上にのぼるのはいいのだが、その分受賞作を絞り込む選考過程が短いというか薄いというか淡い。
最終的に高得点を獲得した「鯨の骨」と「ららと」の二作は、「伝統的」「俳味が勝っている」「ベテランの俳句」と、「現代的」「これからの可能性」「新しさ」を感じさせるものと、という対照的なものだった。このどちらを取るか、というのは、俳壇賞の性格を決定づける(選考委員が何を重視しているのかを示す)上で大変重要な場面だったのだと思うのだが、どちらにも票を入れていない富士眞奈美は「対照的なお二人ですが、主張しません」と判断を留保し、最終的には司会が「三人の選者の方が「鯨の骨」に挙手をされましたので」ということで、受賞が決定している。そもそも、「ららと」が本当に新しいのか、という吟味ももっと必要だったのではないか。
鬼貫青春俳句大賞のように選考過程を公開で行なったり、角川俳句賞や俳壇賞のように誌上で選考過程を公表したりするのは、こういった賞では時折見られることだが、選考委員がどこまで作品の選考を追い詰めて考えているのか、如実に出てくる点が興味深い。
巻末についている誌上句集シリーズ、今号は成瀬櫻桃子。不勉強な僕は正直名前を見るのも初めてだったが、なるほど、いいなあと思う句がいくつかあった。
さくらんぼさざめきながら量らるる
のような写生句も素敵だし、
そらんずるモーゼ十戒梅雨の闇
の、「そらんずる」には迫力がある。
今号の発表句で印象に残ったものは次の通り。
汝がゆき綿虫がゆき吾がゆき 佐久間慧子
むかしよりけむりは白く手毬唄 塩野谷仁
からっぽの電池が重い蝶の昼 井上さち(俳壇賞候補作)
ダンサーの乗り来る渡船夏の雲 小田玲子(俳壇賞候補作)
天下取る手相を持たず心太 高橋白道(俳壇賞候補作)
かりがねや送るとは立ち尽すこと 伊藤政美
「俳句四季」2月号
座談会「最近の名句集を語る」(第12回)では、齋藤愼爾、対馬康子、山田真砂年、筑紫磐井の4人が佐藤清美句集「月磨きの少年」、上田日差子句集「和音」、岩田由美句集「花珠」の3句集について語っている。「和音」という句集のことはほとんど知らなかったが、
ハンカチのかたさを胸に納めけり
夜を飼ふクリムト画集そぞろ寒
など、素敵な句があることを知れたのは良かった。
ただ、座談会自体が読みものとして端的に面白かったかどうかは疑問が残る。「名句集を探る」というテーマで挙げられた句集だから、否定的意見が出づらいのは分かるが、それぞれの評者がそれぞれの句集をほめるだけならむしろ鑑賞文をそれぞれ書いた方が良かったのではないか。
岩田由美句集については、齋藤愼爾が「あまり感心しなかった」と否定的見解を述べているが、感心しなかった理由を追い詰めて語ることをせず、中でも「まあまあいい」と思った句を挙げるにとどまっている。俳壇に対して「編集者や書評を担当する俳人は、決まったページ数内で何冊か採り上げてほしいと言われた時にどうしても、全然知らない人よりは知っている人を取り上げようという気持ちが働くんでしょうね。文学の世界にも日常の論理を持ち込む」と舌鋒鋭く批判しているその調子が、個々の句集や作者に対してはやや鈍るところがあるようだ。
その座談会の直前のページにある「人と作品『星野紗一全句集』」では、全く知らなかった星野紗一の句に面白いものを見つけた。
石榴割れる村お嬢さんもう引き返さう
電話帳逆さに提げ昭和二十九年は長かりき
のような思い切った句もいいし、
額田王の筆はむらさきはなずはう
は、堂々たるものだ。
今号の発表句で印象に残ったものは次の通り。
軍艦とおでんとにある喫水線 坪内稔典
靴音を聞きつつ死んでゆく兎 神野紗希
二人とも知っている人…。
「俳句あるふぁ」2・3月号
宇多喜代子の連載「戦後の百俳人」が面白い。今回は第11回目で、鎌倉佐弓、杉浦圭祐。対中いずみ、橋本榮治、山西雅子、5人の自選10句を鑑賞する。押したり引いたり上げたり下げたり、とにかく俳句を通じて若い世代と向き合おうという気概が感じられる。
たとえば、鎌倉佐弓の
泣けるだけ泣いてひまわり直立す
明日へ飛ぶ桜ふぶきを見にゆかん
駆けながら梅を咲かせているのは誰
の三句を挙げて「それぞれの花に主情を託して、静止した時間と流動する時間をよく表現している」とまとめているのは、紙幅があればもっとつっこんでほしいところだが、うまく書くものだと思う。
宇多喜代子の鑑賞が全てだとはもちろん思わないが、我々若い世代とほぼ同時代の作家の俳句が上の世代からどう見えているのかをつぶさに語っているこうした資料があることで、初めて我々の目線との違いもつまびらかになるのであり、そういう意味でこれは大変貴重な企画だと思う。
特集では「蛇笏入門」と題して飯田蛇笏を取り上げている。来年で没後50年になるそうだ。「蛇笏への15の質問」では、蛇笏が詩人として「白蛇幻骨」など、小説家として「飯田蛇骨」と号していたことや、蛇笏の句碑は一つしかないことなどが知れて、ちょっと面白い。
今号の発表句で印象に残ったものは次の通り。
陽炎の中であるらし手を振ろう 池田澄子
感想
それぞれの総合誌の特集は、俳人の転機、季語、蛇笏入門など。どれを読んでも、また、全部読んでみても、俳句では何がホットなのか、探るのは難しいということが分かった。それは、よく言われるようにそもそも平成俳壇が無風だからだろうか。
否、「俳句界」の江里昭彦の論考のように季語が現在置かれている根本的な問題点をきちんと洗い出しているものや、「俳句」の岸本尚毅の論考のように俳人の転機を語ることがどのように実作に影響を与えるのか真摯にとらえようとするものもある。彼らの論をとば口として特集が編まれていたら、もっと違った景色が見えたはずだろう。
総合誌では何かが掬いきれていない、という印象を強く持たざるを得ない。
それと同時に、いろいろな人の最新作が一堂に会しているというのは、やはり総合誌の魅力の一つのようにも思った。
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後記 ● 山口優夢
新年入って3回目、ここからは週俳もほぼ通常営業です。
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アップの作業も終わり、さて、後記は何を書こうかとパソコンの前で伸びをしますと、なんだか目がむずがゆくなってきましたので、目を手の甲でぐりぐりしようと思い、眼鏡を外しました。そのとき、眼鏡の左目のレンズが急にぽんっと外れて床に転がり落ちたのです。どうやら眼鏡の外縁を留めていた小さな螺子がゆるんでいたのでした。慌ててレンズを拾い上げ、元の通りにつけてみても、螺子で止めていた部分がぱかっと開いてしまい、うまく嵌ってくれません。
面倒臭くなって、左目のレンズのない眼鏡をかけると、左右の目の見え方のあまりにひどい違い方に、頭がくらあっと来ます。見たことのないうすい光が左の視界を覆っています。これは、とても気持ち悪い。
螺子の止まっていた部分を手でおさえれば、レンズは元通りにくっついてくれています。手を放すと、レンズも離れます。
仕方が無いので、左手は眼鏡をおさえたまま、右手でこの後記を書いています。右手が、ちょっと痛いです。夜中に壊れた眼鏡をおさえ、片手がつりそうになりながら後記を書いている、なんか、こういう小市民的な哀れさって、俳句っぽくないですか。さあ、ここで一句、と思うのですが、この態勢では句帳を開けません。
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今週号のリンズィーさんの御作は年末の超新撰のシンポジウムを受けて、とのこと。俳句を書く言語を選びとるということ。興味深いところです。それから、長谷川裕さんの新シリーズが始まりました。ウラハイでの連載の番外編です。ウラのウラはオモテ、というわけで、本誌での連載となっています。
時評は、長いお正月休みをいただいております。来週ごろからぼちぼち再起動の予定。
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ではまた、次の日曜日にお会いしましょう。
no.195/2011-1-16 profile
■須藤徹 すどう・とおる
1946年東京都生まれ。神奈川県大磯町在住。第52回現代俳句協会賞受賞。『ぶるうまりん』代表、『豈』同人。句集に『宙の家』『幻奏録』『荒野抄』、評論集に『俳句という劇場』がある。ブログ「須藤徹の渚のことば」。
http://blog.goo.ne.jp/blue1001_october
■三宅やよい みやけ・やよい
1955年神戸市生まれ。現代俳句協会会員。「船団の会」会員、「豆の木」に参加。句集『玩具帳』『駱駝のあくび』。清水哲男『新・増殖する俳句歳時記』木曜日担当。
■長谷川 裕 はせがわ・ゆたか
1950年東京生まれ。「百句会」世話人。句集に『彼等』(西田書店2003年)。
■野口 裕 の ぐち・ゆたか
1952 年兵庫県尼崎市生まれ。最終号となる、二人誌「五七五定型」(小池正博・野口裕)第五号を鋭意作成中。既刊希望の方は、yutakanoguti@mail.goo.ne.jp まで。進呈します。サイト「野口家のホーム ページ」
■菊田一平 きくた・いっぺい
1951年宮城県気仙沼市生れ。「や」「晨」「蒐」各同人、俳句「唐変木」代表。現代俳句協会会員。
■月野ぽぽな つきの・ぽぽな
1965年長野県生まれ。ニューヨーク市在住。「海程」同人、現代俳句協会会員。2008年海程新人賞、09年豆の木賞、10年現代俳句新人賞受賞。
■久乃代糸 くの・よし
1958年生まれ。東京在住。無所属。
■四ツ谷龍 よつや・りゅう
昭和三十三年札幌生まれ、東京育ち。昭和四十九年「鷹」に入会。昭和六十二年、冬野虹とともに二人誌[むしめがね」創刊。平成九年ホームページ「インターネットむしめがね」開設。句集『慈愛』『セレクション俳人・四ッ谷龍集』、2010年12月、句集『大いなる項目』(ふらんす堂)を上梓。
■さいばら天気 さいばら・てんき1955年生まれ。「月天」同人。句集に『人名句集チャーリーさん』(2005年・私家版)。ブログ「俳句的日常」「七曜堂」 twitter
■山口優夢 やまぐち・ゆうむ
1985 年、東京生まれ。東大・早稲田など東京の学生俳句サークルやTHCなどの超結社句会に参加。第六回俳句甲子園団体優勝・個人 最優秀賞。第二回龍谷大学青春俳句大賞大学生部門最優秀賞。第四回鬼貫青春俳句大賞優秀賞。好きな惑星は火星。2008年12月より銀化所属。アンソロ ジー『新撰21』(2009)に参加。2010年第56回角川俳句賞受賞。ブログ「そらはなないろ」
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「週俳の2010年」回顧
〔1〕一月~三月:第141号~第153号 ……山口優夢
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【週刊俳句時評 第21回】
ちょうど21回目の時評に新撰21と超新撰21について書く
山口優夢
昨年末出版された若手俳人のアンソロジー『新撰21』の続編『超新撰21』がつい先日発売された。今後このアンソロジーに収録された各作家や各句についての鑑賞、評論はいろいろと出てくるものと思うが、差し当たってこの稿では、この『超新撰21』というアンソロジーの意義を、本家本元の『新撰21』と比較させつつ探ってみよう。
まずは、このアンソロジーがどのような枠組みのもとに編まれたものなのか、確認しておく。21人の俳句作家が100句ずつの自選句を掲載し、各々の作品に対して1ページの小論が付されるという基本的な形式は『新撰21』を踏襲している。『新撰21』との大きな違いは、収録作家の対象範囲である。『新撰21』では、「2009年元旦現在四十歳未満(U-40)で、2000年以前には個人句集の出版および主要俳句賞の受賞のない俳人」が対象であった。これが、『超新撰21』では「2010年元旦現在五十歳未満で、2000年以前には個人句集の出版および主要俳句賞の受賞のない俳人」となっている。
『超新撰21』では『新撰21』のように「U-50(アンダーフィフティ)」とは銘打っておらず、また、帯に書かれた惹句も「降臨!俳句の大人たち」とあることからも分かるとおり、このアンソロジーでは「若さ」は『新撰21』のようには売り物になっていないようだ。世代としてはかぶっているものの、『超新撰21』の方が年代層を幅広く取っているために、巻末座談会で小澤實の言う通り、「スタイルの幅が広がった」という印象がある。
まだ一読した限りで、早急に結論を出すことはできないが、この一書から50歳以下の俳人の世代的な特徴をあぶり出したり、それを『新撰21』と比較したり、ということは難しいように感じた。彼らが一つの共有できる時代背景なり時代感情なりあるいは感覚のようなものをベースにしているという気配は感じられない。それぞれの作者の作っている句に対する価値判断とは無関係に、そのような一つの共有できるベースをこれらの作者に感じないのだ。拙著のことを申し上げて恐縮だが、『新撰21』の際には、『抒情なき世代』という評論集に書いたとおり、若手世代の季語的世界観からの乖離という視点から世代論をまとめることができたが、種田スガル、榮猿丸、小川軽舟というバラエティに富み過ぎた作者たちを一つの線で結ぶことは無理があるようだ。
世代、ということとは少し別の枠組みで、このアンソロジーの構成を見てみよう。
『新撰21』で、対象となる世代に属しながらも大高翔や如月真菜と言った90年代後半にはすでに名前の知られていた作家が入集していないのは、2000年以前に個人句集の出版があるためであった。年齢だけではなく、この基準を設けることによって、『新撰21』は21世紀になって登場した新人たちに絞ってアンソロジーを編む、という明確なコンセプトを打ち上げ得ていたのだ。『新撰21』の入集俳人は2009年時点で18歳から40歳の年齢であったから、2000年時点では9歳から31歳まで。第一句集が出ていなくても確かにおかしくはない。
翻って『超新撰21』の場合は、50歳以下、と年齢の基準を上に引き上げたにも関わらず、2000年以前に個人句集の出版および主要俳句賞の受賞がないこと、という基準はそのままである。このアンソロジーに入集しているのは2010年時点で23歳から50歳までなので、2000年時点では13歳から40歳まで。40歳ということは、『新撰21』に入集する上限の年齢である。
このことから、大雑把に言って次のような傾向が見て取れないだろうか。『新撰21』は10代から20代で頭角を表し始めた、どちらかと言えば早熟な若手俳人を中心に編まれたアンソロジーであり、『超新撰21』は30代から40代で活躍を始めた、どちらかと言えば遅れてきた新人を中心に編まれた作品集ということになる。頭角を表した年代という切口で言うと、ずっと若手の看板をおろせずにいた昭和30年世代は、岸本尚毅と言い、小澤實と言い、長谷川櫂と言い、若くして活躍を始め、今も活躍している者が多い。この特徴は、どちらかと言えば『新撰21』に近いものだ。
『超新撰21』が、昭和30年世代とも『新撰21』とも異なる句触りを持っているとすれば、個々の作者が俳句に対してどこか遅れてきた感覚を持ち、それゆえに俳句外の何かに拠って立ち、句をなしているという事情が大きいのではないか。それが、昭和30年世代の「型」の重視や『新撰21』で言われた俳句想望俳句(この評語が『新撰21』世代を正しく切り取っているかは僕には疑問だが)という印象とは遠い位置に彼らの句を立たせているのかもしれない。特にそれを感じる作者達の句を挙げておこう。
影・クラゲ・雲・この俺も去り行く浜 ドゥーグル・J・リンズィー
すいかバー西瓜無果汁種はチョコ 榮猿丸
なきがらをかこむ老人天の川 杉山久子
夕焼が見たくて放火したという 佐藤成之
出まかせにいふ花言葉萬愚節 久野雅樹
ふくろふを商ふ店に窓がある 上田信治
全人類を罵倒し赤き毛皮行く 柴田千晶
彼らの拠って立つ、俳句以外の何か、は人それぞれである。榮のように自分の日常に執する者、リンズィーのように自然に向き合いつつ異人として父として日本に住む者としての複雑な自意識のありようを句に定着させてゆく者、上田のように感情が発生する前の言語化できるかどうかすれすれの意識を追いかける者、柴田のように女性としての自意識を強く恃む者。あまりに人それぞれであるために、このアンソロジーを一つの塊としてみなすことにはあまり意義を見いだせないというのが実際のところではないか。
一つの傾向に収斂していかない、豊穣かつばらばらな発散の仕方を肯定的に見るか否定的に見るか。ジャーナリスティックな面で言えばそれはあまり肯定的には捉え難いのではないかと思うが、一読者としては、さまざまな俳句を楽しむことができた。僕としては、それで十分だ。
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