句集を読む
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弁当と秋桜が、冷えでつながって、そこに仔猫の温(ぬく)さが、重なって消える(仔猫はいないので)。作者の句は、このレベルの構造を獲得していることがあるので、油断ならない。
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毎週日曜日更新のウェブマガジン。
俳句にまつわる諸々の事柄。
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【句集を読む】
精神の自由律
北大路翼『見えない傷』
平山雄一
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自慰と憐憫
北大路翼句集『天使の涎』『時の瘡蓋』評・その1
山口優夢
「お兄さん、あともう1軒いかがっすか。飲みですか、それとも抜きですか」
歌舞伎町の客引きは、思った以上に紳士的で礼儀正しい。手ですっと拒否の意志を示せば、たいていは引き下がる。新橋や神田あたりで深夜に遭遇する年増のマッサージ嬢の強引さに比べたらはるかにマシだ。彼女たちは時に腕をつかみ、断っても100メートルはついてくる。この間などは肩掛け鞄をずっと離さないので往生した。
客引きを無視しながら歌舞伎町のネオン街を歩いて行くと、「思い出の抜け道」という汚い看板のかかった路地がある。ネオン街から急に暗い小径に入るので、知っている店がなければまず入ろうと思わない。その角のあたりに1棟の小さなビルがある。入り口がすぐに急でせまい階段になっている。その一番下に小さな黒い看板が寝かせてある。何度訪れても、この看板がきちんと立てられて看板の機能を果たしているのを見たことがない。看板に書かれた文字は、「砂の城」。俳人・北大路翼さんがオーナーを務める「アートサロン」だ。
この店は開いているのだろうか。最初に訪れたとき、路地の向かいにある屋台に似た飲み屋にいたオカマに「ここ、開いてるのかな」と聞いた。オカマは首をすくめて見せただけだった。どうやらこんな状態がデフォルトだと知って、二回目以降はもう聞かなかった。
一応、看板には敬意を払って踏まないように階段を上りはじめ、3階の砂の城まで上がる。この階段はかなり急で、太ももをしっかり上げないとのぼることが出来ず、酔っぱらいにはつらい。「手摺りつけようよ」という人もいるが、「この階段を上り下りできることがこの店に来る唯一の条件なんだよ」と翼さんは笑う。
×××
墓洗ふお前はすでに死んでゐる(「天使の涎」)
「洗ふ」の一語がなかったら、ふざけすぎだ、と不快な気持ちになったかもしれない。「お前はすでに死んでゐる」は、もちろんマンガ「北斗の拳」の主人公・ケンシロウの決めぜりふ。戦いの最中、すでに相手の秘孔を突いて勝負が決まっているときに「お前はすでに死んでいる」とケンシロウは吐き捨てる。すると、それを聞いた敵は最初は笑っているがそのうち攻撃が効いて倒れる、というのが定石だ。
その言葉を、墓に入っている相手に向かって言っているわけだ。墓に入っている以上、すでに死んでいるのは当たり前。しかし、お墓を洗ってやりながらそうやってつぶやいているのだと想像してみると、改めてその人物が亡くなったことを自分の中で反芻しているようで、どこか死んでしまった相手に向かってそのことを言い聞かせているようでもあって、同じ言葉でもケンシロウとはずいぶん趣きの違った響き方をするように思う。
ただ墓場に来て「お前はすでに死んでゐる」と言っているだけならばそれはパロディのためのパロディに過ぎず、悪趣味だ。墓を洗ってやっている、その行為から、たぶん自分と同世代か下の世代ではないかと思うのだが、その人物と彼とのつながりが見えてくる。だからこそ、パロディが自己目的化せず、ちゃんとこの句ならではの意味合いを獲得している。それと同時に、ブラックジョークの味わいも舌にざらりと残してゆくのだ。
×××
アートサロン「砂の城」があと何年ああいうふうに続いていくものなのかよく分からないところもあるので、店内の様子を書き留めておくことには意味があるだろう。
もともとは現代美術家の会田誠のお店だったそうで、私自身は会田誠なる人物のことをほとんど何も知らないのだが、お店にはその肖像画らしきものが掲げられている。メタリックな銀色のカウンターは彼の作品なのだ、とお客かバーテンに聞いたことがある。カウンターの周りには7脚ほど安物の丸椅子が並び、それだけで店はいっぱいだ。だから、店の奥にあるトイレに行くのに他の客をかき分けていかねばならず、いつも難儀する。
雨でもないのに天井から水が漏れてくるので、バケツが床に置かれている。クリスマスツリーの周りに絡まっているような電飾がツタのように天井を這い回り、壁には北大路翼が取り上げられた新聞や雑誌の切り抜きが所せましと貼られている。翼さんは子どもの頃、自分で作った俳句を部屋の壁に貼っていたそうで、「こういうの好きなんだよ」と言う。
バーテンは日によって違うそうだが、天狗のお面をかぶったてんぐちんという女性が入ったり、誰もいないと翼さん自身が入ったりしている。「今日はてんぐちんじゃないのか」という声も聞いたので、どうやらてんぐちんが人気らしい。「お面」と言うと本人は「これはお面じゃなくてこういう顔なの」と顔を真っ赤にして怒るのだが、天狗なのでもともと顔が赤く、あまり怒っているように見えない。
「ここはちょー事故物件だよ、100人くらい死んでるんじゃねえの」と翼さんは言っていたが、100人は誇張だろう。しかし昔はうりせんだったという来歴(翼さん・談)を考えると、多少何かがあったことは間違いなさそうだ。何時間もいると気持ちが悪くなってくることがあるが、たぶん空気が悪いのだろう。
×××
素麺を食べたくなるや自慰の途中(「天使の涎」)
ふいに、という言葉を隠しつつ書くとしたらこんな俳句になるだろうか。自慰に集中していないわけでもないのだろうが、「あ、なんか素麺食いたい、暑いし」みたいな瞬間は確かにある。そしてたぶん果てたあとは忘れている。そのときだから食べたかったのであって、果ててしまえば男の生理はがらっと全く変わってしまっているのだ。いい自慰ではなさそうだな。やっぱり集中できていないのかもしれない。
「自慰」という言葉がやけに強く響いてしまうかもしれないが、句の内容を見ると、意外とあっさりしている。トリビアルな欲求の流れをそのままふと漏らしたような句だ。割とポーズを作りがちな北大路の句群において、これは結構珍しいかもしれない。
思ひ出し笑ひを悴みながらする(「時の瘡蓋」)
これも同じ系列と言えるか。「思い出し笑い」の持っている寂しさという本意にかなった句であろう。
×××
翼さんが歌舞伎町を拠点に俳句を作り始めて5、6年になるらしい。その間にずいぶん飛んでしまった女の子や自殺した奴も多いとか。
指名用写真が遺影朧月(「時の瘡蓋」)
特に最初の1、2年は周りで自殺する人が多かったという。そのことについての翼さん自身の述懐をそのまま載せようと思う。
Q・死んじゃった人っていうのはどういう人か
A・左翼で灯油かぶって抗議したり。それも最初の1年目はいっぱい死んじゃった。毎月毎月。俺が励ますと元気になって死ぬ元気が出ちゃう。「砂の城」に来て元気になるじゃん、それで帰りに死んじゃうんだよ。だから変に励ましちゃいけないんだよ、うつ病のやつは。良くなったな、って言うと死ぬ元気出ちゃうから、勢いに乗って死んじゃうんだよ。変に同情したりすると死んじゃうだけだから。俺もプロじゃねえから、精神科の。バカにした方がいいんだよ、そうしたら死なないから、悔しくて。ほめると調子に乗って死んじゃうんだよ。元気になったな、なんでもできるな、って言うと、なんでもしちゃうんだよ。バカだから一番目立つことやりたいんだよ。ぽーんと行って終わりだよ。ほっとくしかない。どんな気違いでも天才でも普通に扱うしかない。器がいる。その修業ですよ、僕がやってるのは。
×××
キャバ嬢と見てゐるライバル店の火事(「天使の涎」)
「燃えてるねー」「ねー」くらいの軽い会話が聞こえてきそうだ。ライバル店が火事になるのはキャバ嬢にとっては「ラッキー」くらいのものか。
いや、決してそんなことはないだろう。ライバル店はつぶれてしまえ、くらいは思ったことがあるかもしれない。でも、火事とか、下手したら人が死んじゃうし。ガチだし。そこまでがっつり不幸になる感じのはちょっと望んでなかったかな…。どっちかと言うと内心、とまどいに揺れるのではないだろうか。
たぶん、キャバ嬢から最初に出てくる言葉は、「あーあ、かわいそうに」。憐憫と興奮とが入り交じり、それがだんだん、火事の火に見惚れていく。冬場だからしばらく見ていると肌寒くなってきて、「行こうか」とどちらからともなく促す。そんなキャバ嬢の微妙な心の揺れを男は感じ取っているだろうか。
キャバ嬢と客の深く断絶した関係性の中で、ライバル店の火事という微妙に力関係を崩しそうな偶然の出来事が、ふと2人に言いしれぬ「何か」の雰囲気を共有させてしまう。「何か」とは何か。北大路本人はきっと、「幸福感」と言うだろう。僕は「生命力」と呼びたい。他人の死が生きる活力になる、そういう世界で僕たちは生きているのだ。
ところで、北大路の句には中七が八音になっている句が多い。
啓蟄のなかなか始まらない喧嘩(「天使の涎」)
こんにちはスケベな花咲爺だよ(「天使の涎」)
白日傘与党に投票しさうだな(「時の瘡蓋」)
ちょっと拾っただけでこれだけ見つかる。中八は間延びした印象を与えるから避けるべき、というのはちょっと俳句をやっていればどこかから必ず聞こえてくるアドバイスなのだが、北大路のこの多さは意図的に中八をしているのではないかと思えるほどだ。
加藤楸邨の十七音量説? それも根底にはあるのかもしれないが、どちらかと言えば、これは北大路の句が基本的に口語で書かれていることと密接な関係があるように思う。文語で流暢に俳句を作る方法であれば、中八はただただ間延びするだけだろう。七音にして緊密な調べを取る方がいいに決まっている。ところが、北大路の句は口語調に威勢良く読まれてしまうため、八音でも間延び感はあまりない。もちろん、八音だな、とひっかかりは覚えるが、それをぐっと乗り越えていく勢いで読んでしまう。意識的か無意識的か、とにかく内容と形式はきちんと合っているように感じられる。
×××
たとえばコンビニで酒を買って、新宿の適当な公園や道ばたで飲み始める。と、そこに女が通りかかる。
「何してんの?ヒマ?ヒマでしょ?ヒマだよね?じゃ一緒に行こうよ」
とにかくたたみかけて自分で答えを出してしまうのが、ナンパのコツだという。「100人に声をかけたら10人は飲みまで行ける。そのうち1人くらいは最後まで行く」と豪語されて、ナンパしたことがない僕は、本当かよ、と目を丸くする。歌舞伎町すげえな、いや、この人がすげえのか、どっちだ。
翼さんいわく、自然には「人工的な自然」と「自然な自然」がある。前者は庭、後者は山や海。「自然」をテーマに書く俳人だったら、やっぱり「人工的な自然」より「自然な自然」を書こうとするだろう、と。しかし自分は「人間」をテーマにしている。人間にも「人工的な人間」と「自然な人間」がいるのであって、自分は「自然な人間」、つまりより人間くさい人間を書きたい、だから歌舞伎町に来た、と、ここまで一気に話した。自分の中で何度も語っている物語なのだろう。
なんか哲学者みたいな話をするな、と何となく相づちを打っていたら、思い出したように「合コンジャックって遊びもしてたな」と話し始めた。居酒屋で合コンをやっている席に乗り込んで「イエーイ」って勝手に盛り上がり、そのまま女の子を連れて帰っちゃうという遊びだそうだ。
「それをやっていたのはいつ頃ですか」と聞くと、「えー、ずいぶん昔の話だよ。大学生頃からかな」。
「いつ頃まで」「30過ぎかな」。
いやいや、結構最近までやっていたんじゃないですか。しかも10年以上の長きにわたって。
【つづく】
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十二月都塵外套をまきのぼる「ひた鳴る」「吹きこもる」「聴きさぐる」など動詞+動詞の複合動詞が目立つ。大半の人は「外套をのぼりたる」と流すであらう。このしつこさがいかにも楸邨らしい。自分の気持ちに適ふまでごちやごちやと言葉を重ねてゆく。そして下5に強い言葉が来ることも注目したい。最後の叫びのやうな言霊は強く読者の心に残る。
黒松の黒さ秋風吹きこもり
秋風の松風ばかり聴きさぐる
蟇誰かものいえ声かぎりも同様であるが、この句の場合中7下5とつながつて12音でまるごと訴へてくる強さがある。
寒の木木人の対ふやひき緊るのやうな句はほぼ定型には納まつてゐるが、動詞も多く切れる位置がわかりづらい。見方によつては三段切れのやうにも見える。はつきり言つて下手だ。
冬の夜霧あまり短く坂了りぬ
厨さむく相寄るや人言とがり
蝸牛いつか哀歓を子はかくす楸邨の句には「いつか」「つひに」「昨日の」など俳句ではあまり見かけない時間の経過を示す副詞が散見される。その副詞が浮かぶことなく成功してゐるのはひたすら一つの対象を追ひかけ続けてゐるからだらう。対象を睨み続ける執念。
つひに戦死一匹の蟻ゆけどゆけど
蟻地獄昨日の慍り今日も持ち
目が並ぶ台風の夜の軍用車人物を描くときは目、肩、顔、汗の子など換喩が多い。動詞はあんだけごちやごちやと使つてゐるのに、名詞になると急に単純化されるのが面白い。単純化といつても、簡易にするのではなく濃縮して絞り出すやうな把握ではあるが。この濃縮具合が過ぎると難解といはれてしまふのかも知れない。
下悔いんとするか肩うごく
電話室汗垂れ物をいふ顔あり
汗の子のつひに詫びざりし眉太く
炎天に木は立てり憤るもの目になきとき少し違ふがこの句の「目にない」も異常な把握だと思ふ。「見てない」といはずに「目にない」といふ表現。眼力の強さが肉体を通して伝はつて来る。
英霊車冬木は凭るにするどき青「するどき青」「火星するどく」「妻の愉しさ」「こころ崖なす」、いづれも見事な把握だと思ふ。特に「こころ崖なす」の崖は心の中の崖なので、実際にはない崖のはずなのに、実際に存在するやうな崖のイメージが伝はつてくる。観念を読者に実景でぶつけてくるすごさ。
しぐれねば火星するどく路地の奥
栗煮えて妻の愉しさ身にひびき
灯を消すやこころ崖なす月の前
山ざくら石の寂しさ極まりぬそして最後に僕が集中で一番好きな句を。下5の極まりぬの強さ、山ざくらからの深い断絶(切れ)、そしてさみしさを石の形や冷たさで具体的にする力、いままでにあげたすべての楸邨の特徴が出てゐる句だと思ふ。
Posted by wh at 0:02 0 comments
【句集を読む】
うんこ讃頌
北大路翼『天使の涎』を読む
喪字男
北大路翼の句集「天使の涎」を読んで、まず頭に浮かんだことはパンクロックのことだった。
身
体に安全ピンを差したり、薬物を摂取して暴れたりというイメージが強いパンクロックであるが、その一番の功績は、ロックを民衆へ取り戻したことにある。七
十年代のロックは高度な技術と複雑な曲展開で肥大化の一途を辿り、もはや若者のものではなくなっていた。そこへシンプルな曲と刺激的な振る舞いで殴り込み
をかけ、風穴をあけたのがパンクロックである。
パンクロックは多くの若者に楽器を買わせた。それはパンクロックが自分たちの音楽だったからである。
北大路翼は多くの若者に歳時記を買わせる。それは北大路俳句が自分たちの俳句だからである。
「天使の涎」は、俳句のことなど全く知らない人に読んであげても、笑いという反応がおきる。それは例えばこんな句である。
こんにちはスケベな花咲爺だよ 北大路翼(以下同)
ちんぽこにシャワーをあてるほど暇だ
団栗やごろごろとゐる鬱の人
七五三違ふ家族のカメラにも
俳句のことを知らない人が反応する句集が何冊あるだろう?
たいていは
「?」
もしくは
「今、忙しいんで・・・」
「ちょっと何言ってるかわかんない・・・」
こ
れは何が原因で起こってるいるかというと、エンターテイメント性の欠如からくるんだと思う。そりゃあ、切れや季語という俳句特有のお約束があってそれを知
らない人には「?」となるのに違いない。でも、それいいのだろうか?俳句とはそんな程度のもんなのか?僕たちは軌道をそれた人工衛星なのか?
そこへピンクのシャツに下駄履きの北大路翼がやってきてこう言う。
「俳句はもっとギラギラしたものだ」
「つかみ」、まず人の目を惹く、振り向かせる。これは何かをやってる人にとっては一番大事なことで、「つかみ」が成功してはじめて、お話になるのである。先ほど挙げた句と同じページにはこんな句が載っている。
はなびらのひるがへるとき空のいろ
夕焼に消えるママチャリベル鳴らし
地下道で眠る神様神無月
孤独死のきちんと畳んである毛布
僕の調査のよれば、多くの人がここで息を大きく吐いて「いいねぇ」と言う。こういう芸当はなかなかできるものではない。
恐らくこれは彼が人に揉まれて獲得したものなのだろう。
文学ヲタク達は書を捨てないし街にも出ない。寺山修二だって頭を抱えているんじゃないだろうか。「あんだけ言ったのに!」って。
文学ヲタク達が抽象的なことばっかり言ってホワホワしてる間に、彼は歌舞伎町で女に捨てられながら酒に溺れながら性病にかかりながら借金を踏み倒しながらひたすら俳句を作り続けたのである。
彼の俳句は友達の悪ふざけのように優しい。
肉まんのやうなうんこを霧におく
……うんこはまさに<うんこ>であるが、<そのうんこ>ではない。
一メートル先も見えない霧の中に、こんもりと湯気の立つうんこがおかれてある。
それは「出た」のではなく確かな意志を持って「おかれた」のである。
意図はまったくわからないが、なんだかとても人間臭い行動だと思う。
この酒臭い天使はそういうものを愛してやまないのだろう。
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【句集を読む】
21世紀新宿風土記
北大路翼『天使の涎』を読む
平山雄一
この句集を後に振り返れば、北大路翼の中期の代表作ということになるだろう。『天使の涎』は、新宿を根城に作句を展開した2012~2014年の3年間に溜めた15000句余りから抜粋された2000句 からなる。当然、翼は少年時代から句作をしていたし、今後もそれは続くから、この句集は翼の俳句活動の中に忽然と現れた地続きの島、半島 のような存在なのだ。だから、その成り立ちの特殊さを含めて、彼のキャリアの中で特筆される作品になることだろう。
この句集のいちばんの特徴は、テーマを新宿に絞っていること。俳人は、それぞれ生まれた土地や暮らす地域をテーマに置いて作句するケースが 多く、詠む対象は美しい山河や独自の気候だったりする。自然の少ない都会がテーマの中心に来ることは、極めて稀だ。特に新宿なら、なおさらだ。翼は新宿生まれではないが、2012~2014年の間、どっぷり新宿に生きていた。新宿にも四季があり、その移ろいを知らせてくれる独特の風物がある。いわゆる花鳥風月とは素材を異にするものの、翼はこの街の季節を見逃さなかった。だからこの句集は、新宿の風土から生まれたといっていい。
〈しんじゅ句〉
トンカツの重みに疲れ春キャベツ
話してゐる八割が嘘アロハシャツ
鯊日和オリンピックは他所でやれ
ハロウィンの斧持ちて佇つ交差点
四トン車全部がおせち料理かな
家出少女など社会的弱者を徹底的にレポートするジャーナリスト鈴木大介は、著書『援デリの少女たち』で、新宿は未成年者の“巨大な闇の職 安”になっていると書いている。虐待を受けて家から脱出を試みる子供たちは、たとえ非合法であってもその職安を利用するしかない。そうした未成年者やパチンコの打ち子、オレオレ詐欺の受け子たちも、ヤクザと並んで新宿の重要な構成要素になっている。その他、ゲイ、レズ、ト ランスジェンダー、アルコールやギャンブル依存症者など、新宿には社会的弱者が多くいる。
〈ごくら句〉
唄もよし余生僅かなおでん屋よ
祖母の香のするストーブの焚きはじめ
マスターとヒーターだけの立ち飲み屋
綿菓子のやうなおかんを連れ歩く
〈ぢご句〉
夏や朝カラスの落しゆく肉片
金融の笑顔絶やさず水を打つ
寝苦しき夜ニンゲンを売る話
通勤に怯えマフラーかたく巻く
毛糸編む不幸を我慢するかたち
事故車から下半分の鏡餅
この町を出るため寒鴉の餌に
冬帽子目深に無人契約機
戦死者と傘の忘れものの数
そんな街だからこそ、新宿には今も風狂たちが集う。60年代にアンダーグラウンド文化の象徴だった新宿も、90年代に入るとバブルの影響でかなりのエリアが整頓されてしまった。しかし、2010年代に入ると、復活の兆しが顕われ始めた。その拠点の一つが、翼のホームグラウンドである俳句&女装バー“砂の城”だ。
ここは馳星周の悪漢小説『不夜城』のモデルになった店で、ゴールデン街が現在の場所に移る以前に賑わった“元ゴールデン街”の一角にある。おそらく翼はそれを知らずに店を構えたのだろうが、その場所が惹きつける人種は、間違いなくその筋だ。夜更けには、パフォーマー、デザイナー、絵描き、漫画家、カメラマン、薬剤研究者などがどこからともなくやってくる。彼らの大半は、強固な反骨精神の持ち主たちだ。
〈ロッ句〉
チンピラのままの一生春の蝿
穀雨かな雑民を継ぐ志
長き夜のギターの腹に丸き闇
翼自身も、正業に就いているとはいえ、酒と女とギャンブル に明け暮れる日々を送る不良だ。その性癖に即した句も多く、『天使の涎』には伝統俳人が顔をしかめるような題材=新しい言葉や俗語がたくさん登場する。だが、問題は題材ではない。俳句として成り立っているかどうかだ。「名句であれば、新しい言葉であっても認められる」という俳人がいるが、そもそも作らなければ何も生まれない。俗語を使おうが季語がなかろうが、まずは言いたいことを言うのである。創作には誰の許可も必要ない。翼はそこから、自分自身の俳句を生もうとしている。そして、そのいくつかは成功している。“見た事もないような成功 作”にたどりつくには、多くの未認可作があって当然だ。もしこの句集を読んで、自分も未認可句にトライしてみようという俳人が現われれ ば、翼の思うつぼだろう。
〈ファッ句〉
雪催キープボトルに女陰の絵
祭の夜口移しで飲むワンカップ
蚊を打ちてお前が俺の命だと
喉が痛い頭が痛い今会ひたい
沈丁花君の便器でゐたかつた
誰がために剃りし陰毛夏来る
寝タバコで暑さを言へば抱き着き来
両性具有雷は金の雨
こんにちはスケベな花咲爺だよ
さくらさくら浮気するのは逢ひたいから
肛門の用途の無限吊し柿
〈だら句〉
人生の大半を酔ひまた祭
逃げる気のなく縛られて蟹夫婦
〈とば句〉
競艇のない日はただの春の川
全レース外す恍惚花卯木
一方で、翼は古典にも通じている。そもそも俳句という表現手段を選んだ段階で、伝統的な日本文化を肯定する志を持ち合わせている。そこで興味深いのは、翼が伝統を肯定した上で、批判的に読む姿勢を貫くことだ。句集中の作品でも、その批判をパロディとして展開している。
たとえば「一人の時も咳の仕方が大袈裟だ 翼」は、尾崎放 哉の「せきをしてもひとり」のナルシシズムに釘を刺す。西東三鬼の「おそるべき君等の乳房夏来る」には、「無自覚な巨乳よ初夏の風が吹く」と、時代の違いを明らかにしてみせる。
痛烈なのは、「向日葵が人間に見え斬るよりなし」。角川春樹の境涯句と言われる「向日葵や信長の首切り落とす」に対して、それはただの妄想だと切って捨てる。
さらには「萬の下駄芭蕉の弟子を名乗りたる」と、江戸の宗匠を気取る現代の伝統派の輩に一撃を見舞うのだった。
かつてカウンター・カルチャーの側にあった俳句を、翼は取り戻そうとしている。だとすれば、現代のカウンター・カルチャーにも通じていなくてはならない。翼が新宿に反骨の表現者たちの集う場所を 提供していることには、深い意図があるだろう。実際、“砂の城”では、パンクやヒップホップ、コミックス、地下アイドルといった権威に組しない者たちが、毎夜、口角沫を飛ばしながら呑んでいる。翼は句集中のあるページで、「僕達は生きるためのルールを探してる。無頼とは壊すことではない、新しいルールを作ることだ。」とも書いた。
〈パン句〉
倒れても首振つてゐる扇風機
北大路翼の墓や兼トイレ
殴りたるへこみが雪だるまの目玉
蟻はいま穴を出ましたフルチンで
「でも犯人はクーラーをつけてくれました」
銃乱射男に夏休みをやれよ
魚氷に上る原発再稼働
天皇に誂へてある片陰り
もう一つ、この句集が特異なのは、収録句数の多さだ。通常の句集が300~500句で構成されていることを考えれば、2000句 は尋常ではない。しかし水増しかといえば、そんなことはない。俳句の世界で多作多捨はよく言われることだが、膨大な数の中から編まれた 『天使の涎』はその要件を充分満たしている。
虚子の生涯20万句や、二万翁(一 昼夜で2万句を作ったという)を自称した井原西鶴と比べる術はないが、多作には多作にしかない到達力がある。出会うものすべてを俳句にしてしまおうという気概は、時として俳句と俳句ではないものの境界に肉薄する。結果、それが俳句であるかないかは、読み手と時間が答えを出すものだとしても、今回の翼の挑戦の意味はそこにある。
かつて1960~80年代に かけて活躍したミュージシャンのフランク・ザッパは、多作のアーティストとして空前絶後だった。少なくとも生涯で89枚のアルバムを出したザッパは、ロックからジャズ、クラシックにまで及ぶ音楽的興味を洗いざらい表現して、音楽の境界の拡張に貢献した。当時、ザッパは変人扱いされたり、その音楽を難解と評されたが、ザッパの影響を受けた大友良英が朝ドラ「あまちゃん」の音楽を作り出した事実は示唆に富んでいる。あの震災からわずか2年後に制作されたテレビドラマの音楽を引き受けるには、相当な覚悟が必要だったはずだ。大友の覚悟は、もしかしたら敬愛するザッパの多作の冒険心から培われたものなのかもしれない。
多作には、人々を勇気づける力がある。わかり易く言えば、翼の度を超えた多作にはある種の痛快さがあり、門外漢でも俳句を作ってみたくなる衝動に駆られるのではないかと思う。
〈めい句〉
太陽にぶん殴られてあつたけえ
二度寝して人の最期はこんなもの
ワカサギの世界を抜ける穴一つ
聖樹より冷たきものに煙草の火
電柱に嘔吐三寒四温かな
もし“砂の城”が新宿アンダーグラウンドの新しい拠点になるのなら、『天使の涎』はそのマニフェストと見ることができる。悪漢小説のようなこの句集は、新宿という思想を見事に体現している。またそれは“21世紀の新宿風土記”でもある。
多作の幸なる翼よ、才能を持て余せ!
(敬称略)
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Labels: 句集を読む, 平山雄一, 北大路翼, 北大路翼『天使の涎』特集
【句集を読む】
翼の童心
北大路翼『天使の涎』を読む
久谷雉
北大路翼の処女句集の題名が『天使の涎』になると聞いたとき、実に翼らしいと思った。天使の「恍惚」ではなく、その物質的な残滓である「涎」を前面に押し出すところに、翼の童心を見たような気がしたのである。新井英樹画伯による表紙は、歌舞伎町を駆け抜ける翼とおぼしき青年の姿を真正面からとらえたものであるが、その背後に広がってトンネル状に折り重なっているネオンの灯の色は、まるで春の訪れとともに一斉に咲き乱れた花々のようだ。おそらく画伯の筆が感応したのも、この童心であろう。
翼はかつて自らの作句信条として「すべての表現者に虐げられてきた悪いもの、汚いものを救い出す」ということを挙げていた(『びーぐる』第十六号)。「悪いもの、汚いもの」がしばしば、人類の歴史の本質的な要素を凝縮したかたちで映し出す鏡たり得ることは、すでに様々な場で論じられている。この鏡の世界へ分け入っていくために必要なのが、童心である。善悪や美醜の枠組みを持つ前の精神へと遡行する勇敢さである。
デリヘル嬢、ローター、魔羅、経血、陰毛、生ゴミ、ランジェリーパブ……『天使の涎』一集に顔を出す言葉たちは、一見、俳句という文芸の中では異端の位置を占めるかのように見える。しかしながら、これらの言葉を繰り出す精神は実はオーソドックスとしか言いようのないものだ。そもそも十七文字という短い音数とリズムの醸し出す記憶への定着力にしても、あるいはミニマルな詩形の中に膨大なアーカイブへの扉を設定する季語という仕掛けにしても、俳句は記憶の集積についてのこだわりが強い文芸である。そして「悪いもの、汚いもの」のごった煮の中をくぐりぬけていくこともまた、記憶や歴史の集積への旅に他ならない。それゆえなのだろうか、二千という取捨選択を敢えて放棄しているかのような収録句数であるにも関わらず、繊細な表情を見せている佳句が意外に多い。
入口と違ふ出口や九月尽
「ハプニングバー」と詞書きの添えられた句の近くにあるので、この句も情交のあとのことなのだろうか。果たしてハプニングバーという場所がどういう室内構造になっているのかは私の知るところではないが、「入口」および「出口」というフレーズには建築物のみならず、その中でもつれあう人々の肉体の記憶を喚起する作用があるのではないか。互いの肉体に開いた孔をあるときは「出口」のように、またあるときは「入口」のように探っていく。「九月」の残暑のような気だるい熱を、空間も肉体も帯びている。しかし、空間と肉体が重ね合わせられていることから生まれる抽象性が、透明感を呼び起こす。「九月」が終ったあとに吹き抜けるであろう十月の清涼な風の予感が、一度限りの肌を重ねた相手との距離感をも暗示しているようだ。
眼から乾きだしたる羽化の蟬
「眼」は潤いがあって機能する器官である。この器官の「乾き」は見ることの、あるいは肉体そのものの死の暗示に等しい。しかしながら、それが「羽化」という、生命が新たな形を得ている場で生じてしまっている。いや、新たな形を得ることそのものが、死へと一歩前に進むこと――あるいはかつての形の死――だ。そもそも蝉の成虫の一週間という寿命は、地中に潜伏していた時間の長さに比べれば一瞬でしかない。幼虫の殻を脱ぎ捨てる瞬間から、既に死の兆しがその肉体を彩っているという発見。
肛門の用途の無限吊るし柿
さて、「肛門の用途」とは何だろう。棒切れであったり、ピンポン玉であったり、ビール瓶であったり、小さな孔であるに関わらず様々なものが訓練次第で入ってしまいそうな予感がする。勿論、「吊るし柿」も。また小さな孔が大きなものを呑みこんでいく(あるいは吐き出す)という逆説的な光景は、人を観念的な境地にいざなう。しかしながら、この句の眼目は決して、肛門に柿の実を挿入するという特殊な遊戯の構図ではなかろう。むしろ、乾燥した「吊るし柿」の表面に刻まれた皺が、肛門の内部に広がっている「無限」の襞を想起させる点をこそ汲まねばならぬ。秋の冷ややかな外気にさらされて、己の内部の閉ざされた――またそれゆえに懐かしい――空間にそっくりな物体が、飄々と揺れているのだ。哄笑と恐怖が同時に溢れ出し、詠み手の童心を激しく打つ。
さて、二千句の中から僅かに三句のみを取り上げてみたが、いずれも巧みに読み手を宇宙的な感覚の中へ連れ出していく佳句である。しかしながら巧みであるゆえに、北大路翼という俳句の詠み手の童心の写し絵としては不完全な気がしてならない。巧みな句を作るといった程度でこの男を終わらせてはいけない。やはり蛮勇そのもののような句がなければ、翼の像は描けないだろう。
太陽にぶん殴られてあつたけえ
生チ○コをペロペロバレンタインデー
こんにちはスケベな花咲爺だよ
ビキニ着て股間の盛り上がりが猛虎
口髭がクワガタだつたら食べにくい
一々解釈を付す必要はなかろう。このような句を臆さず隠さず句集におさめ、混沌を生みだしてしまうところに翼の懐と業の深さを私は見る。そして、翼が根城にしている歌舞伎町の混沌の深さをもっと知りたいという思いに駆られる。広いとは言えぬ路地にひしめく黒服の男たち、肩をぶつけてしまったやくざの慇懃な詫びの口調、選挙の幟を自転車の荷台にくくりつけて挨拶に回る李小牧などといったイメージしか、私は歌舞伎町に対しては持っていない。『天使の涎』すなわち翼の童心のかたまりに触れた今、かの街に立つといかなる宇宙がその姿を現すだろうか。世の中の「さみしいこと」を棄てることも受け止めることもできぬ者こそが「不良」であると翼は定義づけているが、銀河の端に宙吊りになっている「不良」の眼で、かの街をまなざすことが私にもできるだろうか。
(注・後で翼本人から聞いたところによれば、実際は二万句ほどあったのを二千句にまで絞り込んだそうだ。)
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【句集を読む】
路地裏でワルツを
北大路翼『天使の涎』を読む
倉野いち
北大路翼氏の第一句集「天使の涎」は歌舞伎町の句集だ。
ヒリヒリするような激しさと、猥雑さの中に、一冊を通してずっと寂しさが漂っている。その寂しさはノスタルジーにも似ていて、描かれているものは決して美しい風景ではないはずなのに、どうしようもなく胸がきゅんとする。
電柱に嘔吐三寒四温かな
神座で済ますアフター春の雨
焼酎に足す焼酎や閏雪
猫柳性感帯を丸出しに
さくらさくら浮気するのは逢ひたいから
ひとまず、好きな作品を5句引いた。下品だし、情けないし、でもなぜか憎めない。
作品を読み進めるうちに、北大路氏はとても純粋なのだと気付いた。それゆえに世の中の見たくない部分も、真っ直ぐに見つめてしまうのだろう。
紫陽花や自由と幸せとは違ふ
ウーロンハイたつた一人が愛せない
かき氷拷問器具のみな尖る
不眠症蛍の旧字に火が二つ
「天使の涎」を読み、私はひとつの出来事を思い出した。俳句の話ではないのだが、書かせて頂きたい。
もう随分前のことになるが、田渕という男に連れられて、歌舞伎町のキャバクラを一晩中ハシゴしたことがある。
田渕は私の友人が高田馬場のキャバクラで働いていたときのお客さんで、二度ほど一緒に飲んだことがある程度の知り合いだった。
理由は思い出せないが、どういう訳だか私はその夜、田渕と二人で歌舞伎町にいた。
そして歌舞伎町中のキャバクラを何軒も何軒もハシゴした。
好きで何軒も連れ回してるくせに、田渕はどのキャバクラでもずっと不機嫌だった。女の子が話し掛けても無視。どうにもならないので女の子たちは次々と私に名刺を渡した。
彼女たちだって私に営業したところで何の特にもならないのだが、まぁ仕方がないのでドレス可愛いねとか、この店は長いの?とか適当に相手をした。田渕は横でむっつりと黙り込んでいた。こんな酔い方をする奴だったのだろうかと思って、心底面倒臭かった。
「帰るね。送ってくれなくていいから。」
もはや何軒目かも分からない店を出て再び歌舞伎町の路上へ戻ったとき、私はほとんど反射的にそう言っていた。
もういい加減に疲れていたし、田渕の態度にも腹が立っていた。
私がタクシーを探し始めると、田渕は怒ったような口調で、最後に寄る店がある、いいからついて来いと言ってまた歩き出した。
最後の店はなかなか見つからなかった。ブツブツ言いながら同じ道を行ったり来たりするので私のイライラも頂点に達していた。
そして田渕はある路地の角に来たとき、「ああ!くそっ!」と突然叫んだ。
その角にあったのはキャバクラではなく花屋だった。
夜遊びをしない方にはいまいちピンと来ないかもしれないが、クラブやキャバクラで花は何かと入り用なので、繁華街には深夜でも開いている花屋があったりする。
この店もおそらくそうなのだろうが、生憎その夜はシャッターが閉まっていた。
「俺は、お前に花が買いたかったんだよ!」
私は呆気に取られながらも、そうか、これは田渕なりのデートだったのかと気が付いた。
そして同時に、こいつ本当にモテないんだな、と思った。
思い出話が長くなってしまったが、歌舞伎町とは、かっこ悪くて、人恋しくて、危なっかしいけどなぜか惹かれてしまう、そんな町だと思う。そしてそれは、句集を通して見る北大路翼という人物のイメージと、ぴったり重なって見えた。
飲みに行くとは会ひに行くこと大寒波
手袋をして手袋に触れたがる
チンピラのままの一生春の蠅
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【句集を読む】
新宿の魔窟
小笠原玉虫
歌舞伎町の片隅の、ごみごみとした横丁をダンジョンのように進んだ先に「砂の城」はあります。
狭くて急な階段をのぼり、句会会場の三階の部屋に入ると……。
わたしは目を見張りました。
そこは異質な空間でした。紫煙濛々たる薄暗い和室。壁の至るところにモノクロの美しいポートレートと、無数の細長い紙が貼ってあります。よく見るとこれらは全て短冊なのでした。そうです、句会で俳句をしたためる、あの短冊です。一枚につき一句。それが、数え切れないくらいに!
ここは俳句で埋め尽くされている。俳句が溢れ返っている。そんな印象を受けました。
そして決して広くはないこの部屋で、十数名の男女が笑いさざめいています。
金髪のベビーフェイスくん、毛皮・豹柄・パイソン柄など、ド派手なお洋服に身を包んだコワモテのお兄さんたち。若くて可憐な女の子、美熟女。
見た目で判断してはいけないと思いつつも、え、今から句会だよね? ほんとにみんな俳句とか詠むの? と、驚きを隠せなくなってしまいます。
ふと目を移すと、いかついお兄さんが、慣れた手つきで紙を引き裂いています。あ、これか、壁にたくさん貼ってある短冊。お兄さんは今日の句会進行役を務めて下さるそうです。彼は無言で裂き続けます。たくさんたくさん、短冊が出来上がってゆきます……。部屋の中央には、いつの間にか誰かが空き箱を設置してくれていました。
「よーし、そろそろ始めるかぁ!」
「砂の城」城主、北大路翼さんがにやりと笑います。
「ゲストだから、おがちゃん、お題出して」
突然しんとなり、皆の注目を集めてうろたえるわたし。しかしここで退いては女が廃る。
「有難うございます、それではまいりましょう、『蝋人形』、お題『蝋人形』でお願い致します!」
心地よい緊張が場を支配していきます。そして参加者全員に、どっさりと短冊が行き渡ると、進行係さんが始まりの合図をします。
「よし、こっから~時~分まで。スタート!」
さぁ屍派句会の始まりです!
紙の上にペンが走る音だけがさらさらと響きます。
わたしがその場の思い付きで出したヘンなお題だというのに、みんな速い、ビックリする程速い! 次から次へと句をしたため、我先にと空き箱に投げ込んでいきます。ま、マジかよ。焦りに焦るわたし。どう頑張っても五句以上詠める気がしません。ほかのみんなは一人十句は投げ込んでいるように見えます。ちょっと何これ。わたし即吟苦手だったんだ!
自分で気付いてなかったけど。あーん悔しい! 決めた絶対これから即吟の訓練しよ……そんなことを思いながら、ともかく数だけでも出そうとむきになって投句し続けました。
「よしっ時間。投句やめ、ストップ!」
みんなの手が止まると、進行係さんが箱を抱え、短冊を整理し始めました。このあと、無記名の句を一句一句読み上げ、みんなで感想を言い合うスタイルのようです。
「これ季語動くね。これじゃなくても良くない???」
「ああ~確かに。……そうですね、すみません」
「あとなんでここ『を』にしたの?」
えええええ! 「歌舞伎町」って聞いて、自然に思い浮かべてしまうまんまタイプの、こわぁいお兄さんたちが、めっちゃ鋭い句評をしている!!
ぽっと出のわたしなんかより、ずっとずっと勉強していらっしゃる!そして全員が、遠慮なく活発に意見を述べ合っています。あまりしゃべらないな、という人が一人もいない。矢継ぎ早の言葉の応酬はとてもスリリングで、思わず手に汗を握ります。と、言っても喧嘩腰ということではありません。全てのメンバーの頭の回転が速い感じ。ものすごくクレバーな印象を受けました。
どうしよう、これ、怖い句会だ。アウェイのわたしは思わず脂汗を浮かべます。いやもうわたし勉強不足だわ。ああ怖い、でも面白い! 何だこの魅力的な句会は……。
次の句で突然爆笑が起こりました。
「新発売蝋人形の~~(下五失念。すみません)」
「ぎゃはははは(笑)」
「上五『新発売』は天才やな! 俺も今度使おっと。 これ誰!」
「ハイッ俺です!!」
詠み人は金髪ベビーフェイスのホストくんでした。聞けばホストくんはこの日が、句会どころか俳句初チャレンジとのこと。
そうなのです。知的でスリリングな句会でありながら、誰でも参加OK。この日俳句初めての人でも存分に一緒に楽しめる。そんな句会なのです。
「次。蝋人形曲がりくねつて来たりけり」
「ぎゃーーーははははははは(笑)」
「パクリじゃん(笑)(笑)(笑)」
「来たりけりのインパクトぱねぇ!」
「よく見ればどういう状況なのかさっぱり分からん。でも何となく皆の眼に像が結ばれるね。面白い! で、誰よこれ」
「ハイッわたしです!!」
わたしは勢いよく挙手します。
「おがちゃんかよ!! 何やってんだよ! でもめちゃ面白い(笑)」
「あー笑った笑った」
自分でお題を出しておきながら何も思い付かなかったわたしでしたが、とりあえず大爆笑させることは出来たようです。ちょっとだけほっとしました。
わたしが知っている屍派句会は、こんな感じです。
今回、屍派句会レポートを書いてみてと言われて、細かく思い出していたのですが、わたしは屍派句会が大好きなんだなと改めてしみじみしてしまいました。
ああ、また砂の城に遊びにいきたくてたまらなくなってきましたよ。
次もゲスト特典で出させていただく機会があったら、どんなヘンなお題できりきり舞いさせてやろうかしら。
そんなことを思いながら、一人でそっと笑う夜なのでありました。
ちなみに、わたしが北大路翼さんからいただいた言葉で、大事にしているものは下記の三つです。
「遠慮せずに踏み込め、思い切って」
「悪ぶったりおどけたりして逃げるな」
「おがちゃん季語が身についてないね(笑) 無季の方が面白いの多いから、無理に季語使わないって方向も考えてみ?」
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【句集を読む】
go into action
北大路翼『天使の涎』を読む
松本てふこ
北大路翼は行動の人だな、と思う。
俳句という文芸は、必ずしも行動を必要としない。
句会に毎月出ることも、毎月結社誌に投句することも、行動ではない
(句会や吟行というシステムそのものには、行動というファクターが
かなり重要な割合を占めているように思うが、
俳句を詠む中で必ずしなければならないことではない)。
日常に簡単になじんでいくルーティンワークになりうる。
彼がtwitterに俳句を垂れ流す「行動」、
句集に二〇〇〇句も収録してしまう「行動」、
誰かの誕生日に挨拶句を贈る「行動」
(句集の中で七人の人物が祝われていた)、
誰かの死を悼む「行動」
(マニアックな人気を集めたアイドルから
ググっても特定出来ない人物まで幅広い人名が登場していた)、
歌舞伎町を活動の拠点とする「行動」、
気鋭のアーティストたちと活発に交流する「行動」。
久留島元の表現を借りて、
「行動」を「パフォーマンス」と言い換えることも出来そうだが、
北大路の場合は彼自身の生き方や価値観に
多分にパフォーマンス(『派手な振る舞い』という意味での)
的要素がちりばめられているので
彼のことを言い表す時に「パフォーマンス」という言葉を使うのは
気後れがするというか、どうにも憚られるのである。
人名が前書にかなり登場するので、
そのたびにググりながら読んでみたら、
その多くは北大路より10歳以上年下の若いアーティストだった。
北大路自身の妙に面倒見のいい気質もあるのだろうが、
若者たちの新鮮な感性に触れることで
自分が埋没してしまいそうな平凡さや既成概念から
抜け出す糸口を探り続けているのだと思った。
北大路はきっと、アパシーを前提とした日常が怖いのだろう。
毎日が退屈だなんてありえない。
毎日同じように過ぎていく日常だなんてあるわけがない。
だから俳句を「普通」(俳壇の中での常識に従って、程度の意味だが)に
発表しないし、痛飲するし、少々変わった店をやるし、
ギャンブルをやめない。
酒を飲むだけの弔ひ鳥帰る
寂しがり屋なのだと思う。
でも、あからさまに寂しがるのは好かないのだとも思う。
薔薇剪つてつくづく夜に愛さるる
自己陶酔が強烈な「つくづく」の使い方に面白さがある。
馬鹿野郎だけが花火に愛されて
最初に読んだ時は読み流してしまったが、
気持ちよくてバカバカしくて、なかなかにいとおしい句である。
肛門がよごれてゐたる猫の恋
花びらは女が拗ねてゐる熱さ
北大路の性に関する句の大半に、
私はミソジニーもホモソーシャルも感じない。
母乳をほしがる乳児のようないたいけさ、
「王様は裸だ!」と叫びたい素直さを最も感じる。
〈肛門が~〉は、その素直さの結晶であるし、
北大路のバレ句の基本路線のひとつであるとも思う。
〈花びらは~〉は、ちょっと毛色が違う。
分かったような口をききたい思春期の男子のような背伸び感、とでも
言えばいいだろうか。珍しく、少々のミソジニーを感じる。
ウーロンハイたつた一人が愛せない
「こういうことを書くやつは、
たった一人を愛したいなんて思ってもいないくせにこういうことを書くものだ」
と一読して思ったのだが、案外本当にこう思っているのかもしれない。
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【句集を読む】
クズ作家 北大路翼
北大路翼『天使の涎』を読む
五十嵐筝曲
「北大路翼論を書いてくれ」という内容の、やけにあらたまったメールが北大路翼から来たのが5月の半ばくらい。「承りました」と返信したのはいいのだが、そのあいだわたしはまったく北大路翼のことなど考えていなかった。
「まわりが褒めすぎているから、ちょっと貶して書いてくれ」という本人からのお達しがあったので、勇んでボロクソに書こうかと思ったのだが、氏とは作品を通しての関わりより、呑んでダベってという関係のほうが圧倒的に長かったので、貶そうとなると北大路翼がいかにヒドい私生活を送っているのか、という暴露のようにならざるをえないことに気づいてわたしは途方にくれている。北大路翼がいかにヒドい人間かということを書きつらねれば書きつらねるほど、北大路翼の俳句はファンにとって味わい深いものになるだろう。わたしは北大路翼ファンを減らすようなけなし方をしたいし、サイテーな氏を白日の下に晒したい。ほんとにサイテーなんだってば…。
苦しい時、困ったときにwikipediaで有名人の名前を引いては、その生涯の波乱ぶり(要するにクズぶり)を見て安心するという悪癖が、わたしにはある。そんな自分がものすごく恥ずかしいが、作品よりも人生のほうがおもしろい、という作家はいるものだ。そういう作家はだいたいが作品にも生活のクズぶりがにじみ出ていて、もはや自分がその作家の作品のファンなのか、その作家の人生のファンなのかよくわからなくなってくる。わたしはそのような作家を「クズ作家」と呼んでいる。
北大路翼も今回の句集で「クズ作家」の仲間入りを果たしただろう。実際、彼は『天使の涎』のような生活をしていた。作品と人生の間で嘘はついていない。だから、安心してみなさん北大路翼をクズ作家として楽しんでほしい。クズ作家にとって人生は作品だ。クズ作家は作品のとおりに生きなければならないし、作品は生きた証でなくてはならない。
クズになるのは簡単だがクズ作家になるのは難しい。作品として強度のあるものを作り上げるだけの力量もいるし、なにより自分の人生を俯瞰してみなければならない。それに、まずひとに興味を持ってもらわなければならない。北大路翼はこうした条件をクリアしているように思える。やっぱりクズ作家だ。
北大路翼の作品に強度があることに疑いはないだろう。しかし『天使の涎』のように、私生活をゲロのように吐露していった先にあるのは、クズ作家への道であり、作家への道ではない。北大路翼の作品のファンよりも、北大路翼の人生のファンのほうが多い、そんな作家への道しか残されていないように思える。クズ作家の人生は作品だと言ったが、それはつまり、人生が作品である以上、クズ作家はいつ断筆してもいいということだ。断筆しても、破天荒な人生が彼を作品たらしめてくれる。逆に、破天荒な生き方をやめて、まじめに書き始めたとしても、それも彼の人生という作品よりも大きなものに回収されてしまう。どう転んでもクズ作家をやり続けるしかないのだ。
北大路翼はまちがいなく俳壇最高のクズ作家だ。彼の作品よりも彼の人生のほうがもはやデカイ。近くにいたわたしにはそう思えてならない。
ウーロンハイたつた一人が愛せない 北大路翼
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【句集を読む】
翼と虚子
北大路翼『天使の涎』を読む
坂井日菜
足下に猫をしまつて雪見上ぐ 北大路翼
『天使の涎』を読んだ人なら分かるだろう、
『天使の涎』2000句の最後を締めくくる猫と雪の句。
私は北大路翼の俳句が好きだ。
私と北大路翼が出会ったのは砂の城。
こう書いてしまうと、私が歌舞伎町で遊び歩きたまたま入ったバーが砂の城でそこで出くわしたかのように聞こえるが、断じてそうではない。
私はお酒も飲まないし歌舞伎町では遊ばない。遊んだことはない。
それは去年の春先、たった一度だけ所用があり降り立った新宿駅で紆余曲折あり不思議な人の縁で辿り着いたその先が真昼の砂の城だった。
「さあ帰ろう」そう砂の城をあとにしようとした時にふと目に飛び込んできたのが北大路翼の俳句だった。
紙いっぱいにびっしりと書かれた文字。
まずそれだけで圧倒された。
それが俳句だとわかったのは一瞬だった。
「すごい」
と思うより先に、心がすっと軽くなった。
「俳句だ…すごい」
俳句に触れたのは中学生以来だった。
「確か…俳句で同じような感覚になったことがある!」
「誰だろう、誰だったろう..」
私は片っ端から昔の代表的な俳人の句を探った。
「誰だ、いったい誰だ」
「確か、ほんとうに同じ感覚を感じた俳人がいる、いた」
「違う違う、これじゃない…」
見つかった。
それが高浜虚子だった。
遠山に日の当りたる枯野かな 高浜虚子
遠山の枯野に日の当たっている冬の穏やかな風景。
音はしない。
ただただ、遠山の枯野に日が当たっている、ただそれだけを詠んだ句。
わたしの目から入った17音が頭を一瞬で駆け巡り情報となって心に辿り着く。
何秒ではない、ほんの一瞬。
遠くの山々、音もなく静かな枯野に日が当たっている、日が沁み込んでいくような風景。
広がった景色。
ほんの一瞬、心がすっと軽くなった瞬間。
「これだ」
まったく同じであった。
北大路翼の俳句に触れた瞬間と。
北大路翼は延々とTwitterで俳句を詠み続けている。
次々と繰り出される無数の俳句。
北大路翼が歩けばそこにある景色が次々と俳句に変わる。
秋風や眼中のもの皆俳句 高浜虚子
高浜虚子が詠んだこの句のように。
目に飛び込んできたものを全て俳句にしてしまう。
花のある限り命のある限り 北大路翼
諦めぬ力たとへばチューリップ 北大路翼
いずれも春の桜、チューリップを詠んだ句。
花のある限り命のある限り
まず驚いた。
桜を美しいと言っていない。
桜に命とつけてきた。
桜の花の命、自らの命。
すごい。
「桜が綺麗、美しい」と言っていないのに、咲き誇るたくさんの桜の花が浮かんだ。
命のある限り という、力強い言葉と共に。
不思議な力だった。
俳句というとても短い詩形で、こんなにも力強さを感じたのは初めてだった。
諦めぬ力たとへばチューリップ
面白い。
「なんでチューリップなんだろう」
それよりも、そう思うよりも先に、春の太陽を浴びてまるで笑っているように咲く、自らの命を楽しむように誇らしげに咲くチューリップが見えた。
前向きさ、ひたむきな姿を強く感じた。
諦めぬ力をチューリップと例えた面白さ。
面白さだけではない、巧さ。
「高浜虚子がそこにいるみたい」
私は素直にそう思った。
私は私が感じた感覚だけを信じて、自分なりに北大路翼と高浜虚子の共通点を調ベてみたい追求したいと思った。
「この人を追わなければいけない」
翼と虚子
「たった17音に、なにが隠されているのか」
私が思う、北大路翼と高浜虚子の共通点。
そこを歩けば俳句が生まれるということ。
北大路翼はかつてTwitter上でこう発言しました。
「地味な発見を、飾らず壊さず伝達することが、僕のいふ俳句の技術である」
『天使の涎』ではまず、歌舞伎町の風景からはじまる。
おしぼりの山のおしぼり凍てにけり
春が来るすなはち春の歌舞伎町
朧夜のバー訪ねればなほ朧
ページをめくるごとに次々と現れる歌舞伎町の風景や一場面。
それはどんどん加速していく。
春の闇どこへも繋がらない通路
春の路地ひとのかたちの白い線
春の闇、春の路地の句からはなにか事件に巻き込まれてしまったような不穏な空気を感じる。
そんな歌舞伎町にも雪が降る。
大久保病院の全景が見ゆ雪の夜
ミラノ座の壁は凍える豚の色
愛再び新宿中の雪集め
大久保病院から伝わるしんと静まり返った雪の夜。
ミラノ座の壁、見たことはないけれど汚れているんだろうな。それを更に汚れた豚の色とすることで雪によるどうしよもない不毛な寒さを感じる。
愛再び新宿中の雪集め 一見すると俳句ではないような句。
愛再び とドラマチックにはじまる。
わっと新宿中の雪が舞い上がって一カ所に集まるようなダイナミックさを感じる。
新宿に溢れる人々のドラマを雪という共通の事象を通して見ているかのようだ。
しかし、雪が出てくることで一見ダイナミックな中にも雪の結晶のような繊細さを感じる。
続いて虚子、東京、異国の地を歩く
東京
月青くかゝる極暑の夜の町
昭和11年7月19日 発行所例会。丸ビル集会室。
欧州へ
春潮や窓一杯のローリング
著飾りて馬来(マレー)女の跣足かな
春の寺パイプオルガン鳴り渡る
上海の梅雨懐しく上陸す
戻り来て瀬戸の夏海絵の如し
東京の夜を詠んでいた中でも印象的な句。
月青くで幻想的な雰囲気が伝わる。
極暑の夜の町とすることで熱帯夜だが、月青くかゝるがきいていて騒がしさはなく無数の人が消えていないような暑さの中に不思議な静寂さが漂う。
欧州。
春潮、香港出帆。
船の窓から見たであろう、窓一杯に広がるローリング。船が進むことで出来る波の軌跡。旅の始まりの力強さを感じる。
馬来(マレー)女
いよいよ国際色を感じる。
インド人女性の華やかな装いが想像され、跣足とすることで熱帯の空気感を感じさせられる。
パイプオルガン、シェイクスピア菩提寺
パイプオルガンはきっと当時では珍しかったであろう。なんの変哲のない句のように思われるがシェイクスピア菩提寺のパイプオルガンとなると、とても特別な感じがする。
パイプオルガンという言葉自体のやわらかさと春の寺がとても合っていて音色が想像出来る。
上海
長い旅も終わり間近の上海の梅雨。
日本の梅雨の季節を懐かしく思って出来たのだろう。上海にいて梅雨懐かしくとは、日本への恋しさが感じられる。
瀬戸の夏海
6月11日朝6時甲板に立ち出でて楠窓と共に朝靄深くこめたる郷里松山近くの島山を指さし語る。
とある。旅の終わり。旅の中で沢山の美しい景色を見たであろう虚子が郷里に戻りその海を絵の如しと詠んだことが印象的な句。
穏やかな朝の夏海から美しい景色と共に虚子の愛郷心も伝わる。
次に
散歩した時に目にしたであろう道に咲く花
北大路翼
あてもなく歩けば散歩母子草
芝桜ひろがるところまで日向
接骨木の花の真昼や犬は寝て
高浜虚子
犬ふぐり星のまたゝく如くなり
母子草のなんともやわらかな響きがどこか懐かしく、安心感を誘う。
あてもなく歩く先に出会うちいさな発見。
散歩してみようかな、とふと思う。
やさしさを感じられる句。
芝桜が足元に広がる。どこまでも広がる。
どこまでも日向なんだな、自分が芝桜になったみたいに春の日向にいるような暖かさを感じる句。
接骨木の花が咲いているような穏やかな昼下がり、犬も寝ている。
接骨木ニワトコのその名前がなんだかまるで少し犬の名前のような、可愛らしさがある。穏やかな昼下がり。犬と一緒に寝てしまいたい気持ちのいい時間。
高浜虚子
犬ふぐりはちいさなちいさな細かい花。
そんなちいさな花が集まりわっと咲いている。
地上に広がる青い星。
地面に咲いている花を地上にはない星と例えた可愛らしさ。
でもなにも違和感がない。
「足元にも星がありますよ、こんなにもちいさな花ですが、遠くにあるちいさな星がまたたくように咲いていますよ」
そう語りかけてくれる句。
この二人の句に共通していることこそ、
先に北大路翼が自身の俳句の技術としてあげていた
「地味な発見を、飾らず壊さず伝達すること」
です。
地味な発見を、飾らず壊さず伝達することによって、受け取り手にそのまま詠み手が見たであろう風景が伝わる。
どんなにちいさな発見でも、それを共有することによって楽しい気持ちになれる。
翼は虚子はなにげない風景を切り取り、語りかけるように俳句で見せてくれる。
自分も外に出て歩いたような、とても楽しい気持ちにさせてくれます。
次に
翼と虚子、絵にならない俳句。
北大路翼
日が眩し寒波に耐ふる葉が眩し
折るつもりなき枯れ枝の折れにけり
高浜虚子
桐一葉日当りながら落ちにけり
北大路翼
ある冬の晴れた日の一場面。暖かな冬の日差しを一身に浴びる寒さに耐えながら輝く葉。
その葉のちいさな命の輝き。
この17音は到底絵に出来ません。
寒波に耐える葉、そこへ降り注ぐ冷たい空気の中の冬の暖かな日差し。
私の住んでいるここ信州はことに雪深く、寒さに耐え雪に耐えて春を待つ一心で過ごしていた冬、とても励まされたような気持ちになりました。
17音から聞こえる、折るつもりのない枯れ枝の折れる音。
枯れ枝を真ん中に挟み、「折る」と「折れる」主体が行ったり来たりするところ。
これは絵で表そうとしても表わすことが出来ません。
高浜虚子
初秋の穏やかな日を浴びてゆっくりと落ちていく桐の葉。
その瞬間をとらえた句。
静止した文字から頭の中で展開される、ゆっくりと落ちていく桐の葉。
静止した文字から頭の中で展開される動いて見えた景色。
翼と虚子、二人に共通していることは共に絵にならない、絵にはしえない俳句を詠むということです。
冬日を浴びた葉が輝いて、そして寒さに耐えている瞬間。命の輝き。
折るつもりのない枯れ枝が折れた瞬間、その折れる音。
「折る」と「折れる」絵では説明しえない2通りの行ったり来たりする視点。
桐一葉が落ちていく、宙を上から下へと降りていくその瞬間。
動いたり、音が聞こえたりする俳句。
17音の静止した文字から繰り出される頭の中で広がる動いて見える景色。
それを感じた時の心の驚き。
客観写生
立冬の日の差してゐる滑り台 北大路翼
もの置けばそこに生れぬ秋の蔭 高浜虚子
翼
冬日を浴びる滑り台を少し遠くから見ている
虚子
物を置けばその物の蔭が生まれる
両者そのままの風景を詠んだ句。
そっけなく見えるような句だが、誰が見ても普遍的な風景、事象を詠むことによって読み手は安らぎを得ることが出来ます。
なにも奇を衒わない、俳句の中の1つ1つの言葉に重みがない、意味を持たせようとしていない。それは俳句に無理をさせていないということに繋がる。
なにか詠んでやろうという気負いが全く感じられない。
だからこそ、安心して読める。
句の中の1語1語も、句がしんと静まり返っていることにより、その分、際立って見える。洗練されている。
表現の幅
花の雨花の狂気が地に浸みて 翼
一部分だけでも死体花の雨 翼
あてもなく歩けば散歩母子草 翼
諦めぬ力たとへばチューリップ 翼
大寒の埃の如く人死ぬる 虚子
大寒や見舞に行けば死んでをり 虚子
有るものを摘み来よ乙女若菜の日 虚子
よくころぶ髪置の子をほめにけり 虚子
花をモチーフにした翼。
人をモチーフにした虚子。
翼
同じ「花」で明暗を表す。
花の雨ではおどろおどろしい風景を読み手に否が応でも想像させ、一転、母子草、チューリップでは道端に咲く花で連想させた健気さややさしさを表した。
同じ場所でも夜の顔があり昼の顔がある。
同じ場所なのにまったく異なる風景。
1つの「花」という共通のモチーフを通してまったく違う景色を見せてくれました。
虚子
同じ「人」で冷徹さと愛情を表す。
大寒の埃のように人が死ぬ
見舞いに行ったならばもう死んでいた
と、そっけなく、けれどもしんと静まり返ったその場の雰囲気をもそのまま詠んでしまう冷静さ。
あるものを摘んできなさい
と呼びかける虚子。
幼い髪置の子をほめる虚子。
冷徹さと愛情というよりも、あるがままを感じたままを詠む。
それが俳句の幅、冷徹さと愛情となって読み手には映り、その幅広さから面白みを感じます。
共通のモチーフを通して読み手側からは思いもよらない景色や気持ちを自在に俳句にすること。
新鮮な発見となって読み手に伝わります。
翼と虚子の挨拶句。
俳句とは景色や気持ちを詠むものと思っていた私にとって北大路翼と高浜虚子の挨拶句はとても新鮮なものに映りました。
俳句を自分だけのものにせず、自分の気持ちを俳句で相手に伝えるということ。
「お寒うございます、お暑うございます。日常の存問が即ち俳句」虚子俳話より
俳句で人に愛情を伝える。
俳句で祝福や哀悼を伝える。
それだけではない、そのやり取りを見た当事者以外の第三者も自分のことではないのに自分のことのようにとても温かな気持ちになったり、悲しみを感じられる。
私は二人の挨拶句を通して、まるで同じ温かな愛情を感じました。
ここで最初に例に出すのは高浜虚子。
小説 虹より。
結核のため29歳の若さで逝去した森田愛子に生前高浜虚子はいくつかの句を送り、そして逝去の一報を耳にした時、句を詠んだ。
虚子から愛子へ
虹立ちて忽ち君のある如し
虹消えて忽ち君の無き如し
愛子は柏翠とお母さんと共に一度小諸の虚子の元へ訪れる。
帰ってから間もなくして、愛子は病臥してしまう。
虹消えて音楽は尚続きをり
虹消えて小説は尚続きをり
小説 虹を書き続ける中で、心に愛子を思い浮かべる。
それに愛子も応える。
虹消えてすでに無けれどある如し 愛子
目には見えない虹を心と置き換えて、虹は無くとも先生と慕う虚子を想う気持ちはありますよ、ここにあります。と強く訴えかけられるような、遠く離れた三国からの愛子の想い。
死に瀕した愛子が虚子へ送った句。
虹の上に立てば小諸も鎌倉も 愛子
まるで愛子自身が虹の上に立って虹の上から小諸を鎌倉を見ているような、自らの死期を悟り、壮絶な中でもその気持ちを俳句にし、虚子に送った愛子。
虹の橋渡り交して相見舞ひ
その虹を渡って見舞いに行きたい、
しかしこの句が愛子の元に届く一日前に愛子が亡くなってしまう。
「愛子の死を聞いた時は、私は別に悲しいとも思はなかつた。
私は愛子とは反対に、快くなつて来たのであるが、それを別にうれしいとも思はなかつた。」小説 虹より
虹の橋渡り遊ぶも意のまゝに
その人を本当に心から慈しみ、病に立ち向かう姿を俳句で支え励ました。
元未亡人蕗の薹を齎す
夙くくれし志やな蕗の薹 虚子
青畝
聾青畝ひとり離れて花下に笑む 虚子
小諸の地、小諸の人々へ
人々に更に紫苑に名残あり 虚子
蕗の薹
虚子の元へ元未亡人が訪れ蕗の薹を齎す。
蕗の薹を届ける身近な間柄。ささやかな春の風景。
元未亡人のそのささやかな行いを志と俳句の中で表し、「志やな」とまるで語りかけるようにも表した。
なにげない日常の風景を簡潔に表し、感謝の気持ちを伝える。
青畝
花下に佇む青畝。
それをやさしくきっと青畝と同じように静かに笑みをたたえながら見つめる虚子の姿が目に浮かぶ。
虚子から青畝への愛情が句からにじみ出る。
小諸の地、小諸の人々へ
小諸の日々を想い、小諸の人々を想った句。
これで小諸の地を後にするが、「更に」とあることで、虚子の心の中で小諸で過ごしたこと、小諸の地で起きたこと、すべてが思い出となってその日々が続くような続いていくような余韻。
小諸の人々への感謝の気持ちと共に。
北大路翼『天使の涎』より
和楽の成人を祝ふ
撫子やはじめての酒はじめて酔ふ 翼
安藤克己引退
アンカツの気合の残る冬の砂 翼
悼む 鈴木詔子氏
欠場の赤き二文字や寒の雨 翼
亡き君の誕生日をFacebookが届け続ける。
生きてあれば。
月に怯える猫をかばつてゐるだらう 翼
侑季の誕辰を祝す
雪が雪宿してゐたる信濃かな 翼
くろちゃん「しずかのうみ」より
みづからの光を信じ藻の育つ 翼
泡に包まれ幾億の闇夜より 翼
命とは音と光と囁きと 翼
祝福・成人を祝う
いつも着物を着ている子だったからであろう撫子や と始まる。
初めてのお酒に初めて酔うという二十歳の初々しい姿を思わせ、またその姿をやさしく見守る姿も浮かぶ。
讃える・引退
引退を讃えると共に「まだまだやれる」とも激励しているような力強い句。
気合の残る冬の砂と余韻を残したことによりより一層強まる。
今までの活躍を讃えるだけでなく、これからの新しい人生をも激励しているような二つの面が垣間見られる。
悼
事故で亡くなられたボート選手への追悼句。
赤き二文字から無念さが、句全体から悲しみが伝わる。
亡き君の誕生日
亡き友達、誕生日に想いを馳せた句。
何も知らない第三者が見ても繊細な人柄やそのやさしさが伝わる句。
誕辰を祝す
一面の雪景色、名前のゆきを雪とかけた美しい句。信濃という地名が入りより一層穏やかさを感じる。
くろちゃん「しずかのうみ」
3句からとも幻想的な雰囲気を感じる。
みづからの光 健気な姿、何も知らない読み手も前向きさやひたむきさを感じられる。
幾億の闇夜 まるで夢の中にいるような追憶。泡に包まれ によってとても癒される幻想的な句。
命とは 生命の営みを音、光、囁きで表す。最小限の表現によって、生命を表し掬う繊細さとやさしさ。
相手を想う気持ちを俳句にするということ。北大路翼の句も高浜虚子の句もどちらもさりげなく相手を想います。
さいごに
このような機会を与えてくれた北大路翼に感謝したい。
赤星水竹居が「虚子俳話録」で高浜虚子をこう語っている印象的な一文があった。
『先生は我々といっしょにたまに人の話をする時、「あの人はよく俳句に理解のある人ですよ」とか、「あの人は俳句の理解のない人ですよ」とか言って、俳句を作る人に対しても作らぬ人に対しても、また俳句の上手下手にかかわらず、俳句の理解のあるなしによって、まずその人を見ていられるように思われる。』
北大路翼は、北大路翼も、私に対して、俳句を作る作らないに関係なく、上手下手に関係なく、俳句の理解のあるなしによって、高浜虚子と同じような目線で見てくれた。
そして、翼と虚子について書くよう頼んでくれた。
全てが平等なのである。
この人は俳句を作らないから、作ったとしても下手だから、なんて目で見ていない。
ちゃんと私の考える思想に関心を持って耳を傾けてくれた。
実際、北大路翼のまわりには彼の人柄や俳句の才に憧れたくさんの人が集まってくる。
俳句を全く詠んだことのない人に対しても、わかりやすい助言をしたり、ほんの少し句をいじっただけで見違えるような句にして驚かせたり、全く垣根がないのだ。
この事実から、赤星水竹居が高浜虚子を表した文章はそのまま北大路翼に当てはまる。
なによりも北大路翼も高浜虚子も俳句を愛しているのである。
俳句への己の愛を通して広く俳句が普及するよう、人々を見る目がやさしさに満ち時には厳しく静かに愛に溢れているのだ。
それによって、北大路翼も高浜虚子も俳句を何も知らない私に俳句の楽しさを教えてくれた。
私は深く北大路翼の人となりを知らない。
けれども遠いところからだって、しっかり見えてくる景色はある。
北大路翼が俳句に向かう姿勢はどこまでも誠実だ。
私はただそれだけを見てきた。
道を歩き見たものを感じた気持ちを延々とTwitterで詠み続ける姿、すべてを俳句にしてしまう力、俳句にする力、俳句に向かう姿、地味な発見を飾らず壊さず語りかけるように伝えてくれる俳句の技術、「え?同じ人が作ったの?」と驚くほどの豊かな俳句の表現、豊かな俳句の幅、言葉を知り尽くした者の洗練された言葉の選び、自分以外の他者への愛情に溢れた、心で思い浮かべた相手に送る慈愛に満ちた挨拶句。相手に対しての喜びも悲しみも祝福も俳句で表現する力。
以上をもってして、北大路翼と高浜虚子は同じである。
北大路翼を高浜虚子よりも前にさせていただいたのは、天使の涎でも度々出てきた今まで誰も詠んだことのないような東京の雑然とした雑多な歌舞伎町の風景や、人々が見つめつつも敬遠するようなナンセンスや心の闇の部分を積極的に俳句にし、元来の俳句とはこうあるべきものというイメージを払拭させ風光明媚な俳句というものに新たなイメージを加えたこと。どんな景色でも心情でも俳句にし続けこれからも変わらず俳句の可能性を広げていこうとする姿勢、どのような時も俳句の形に忠実であり続ける姿勢。
歌舞伎町の風景を好んで詠もうが、自然の美しさや営み、人が人を想う心の機微を捉える力を同時に持ち合わせているということ。
そこに俳句の未来に希望を込めて翼と虚子とさせてもらいました。
高浜虚子は高浜虚子でしかないし、
北大路翼も北大路翼でしかないその中で、
ここまで北大路翼の中に高浜虚子を見ました。
翼と虚子。
心から敬意を表して。
●
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Posted by wh at 0:07 0 comments
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花の記憶 北大路翼
なんとなく付き合つてゐる福寿草
紅梅やキスするときの身長差
温泉のタイルのぬめり辛夷咲く
遅桜お金がなくなつたら死なう
見たことがない苧環が誕生花
近づくほどにブラジャーは紫陽花だな
姫女苑ごまかしながら連れて来る
百日紅女に運転してもらふ
傷つきし猫は君かも野菊の上
葛の花小さき車窓に顔二つ
葉牡丹が特殊な性癖だとしたら
ポインセチア君の電話がやたら鳴る
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Posted by wh at 0:12 0 comments
指一本の遊戯 金原まさ子句集『遊戯の家』を読んで
北大路 翼
『遊戯の家』には集名どおり「遊」があふれている。
以前「街」で金原さんの自選百句について書かせてもらったときは、文学的ナルシズムを批判した。死や性を感じさせる言葉に凭れていると感じたからだ。
ところが『遊戯の家』では文学臭は薄れ、自由度が増している。今回は「臭い」がどう拡散していったかみてみたい。
いくつもの要素で句は成り立つので、分類が絶対ではないが、分り易いのでいくつかに分けて考えてみよう。
●
一つ目は「おちょくり」。肩の力が抜け文学的なテーゼを必要以上に背負っていない。やりすぎると俗に落ちるが対象と心理的距離感が絶妙だと思う。距離感が揺らぎを産み詩を育てる。
論陣の口にアメリカンチェリー嵌めん
裸寝の父は鳥葬にしてやらん
ふと見ると額に罌粟が付いていた
釘箱にサングラス入れたのは誰
母はヤナギでできているという父よ
青蜥蜴なぶるに幼児語をつかう
サンシキスミレは悪い花だなはいコーク
二句目、だらしない格好で寝ている父を空想で鳥につつかせる。五句目、じゃあ父はウナギか。言葉遊びにしても面白い。六句目、幼児の残虐性が大人にも投影。
目の青い天道虫は殺すべき
他にも視力に関する句があったが、ご自身で目を患ったときのことなのだろう。視力を詠んだ句群に関しては気負いがありすぎて失敗しているように思う。
●
次に新しい境地としては「死」の肯定がある。
以前にも「死」がメインテーマといえるほど詠まれていたが、「死」の比重が強すぎて、その裏の「生命」が見えなかった。言い換えればイメージや他人の死で自分の死ではなかったともいえるだろう。今回は「死」と仲良くなって(あんまり仲良くしすぎないで下さいね)あの世のことまで見えてくる。
首に巻き忘れてしまう藤蔓は
鈍行でゆく天国や囀れる
老人の血はすっぱいと鳴く春蚊
二句目、囀りと天国の組み合わせはチープだが、鈍行がリアル。一人で死ぬんじゃなくて、みんな同じ電車に乗っているのだ。三句目、この「すっぱい」はいいなあ。初恋が甘すっぱいならこちらは渋すっぱいか。春蚊は遥かで遠き日の回想も。
●
そして死とくれば当然エロス。肉感的な句が多くて、こちらはまだ衰えないぞと安心。
白板をツモると紅梅がひらく
隣人を窺いながら盗るザクロ
くらりくらりと童貞女だか鱏だか
合歓の家毛深い神が出入りす
赤いところで氷いちごは悲しんで
生牡蠣を朝食う貴族には勝てぬ
もぎたてを食べると木苺はにがい
パイパンにザクロにいちごに女体もさまざま。生牡蠣なんてもろでいいねぇ。しかも朝から。余談だが某出版社にいたとき書店から『強姦の丘』の注文があって、よく聞いてみたら『ごうかん』は『合歓』の読み間違いだった。
殻ぎりぎりに肉充満す兜虫
極めつけがこの一句。隆隆たる男根の句として絶品です!!最近兜太のモノも落ち鮎らしいのでこの句を見せつけてやりたいなあ。
●
ラストは金原さんの真骨頂ともいうべき妄想の世界。普通は現実に身をおいて虚構を詠むのに、金原さんは虚構にいて、さりげなく指一本だけちょこんと現世に差し込む。簡単に成仏しない執念の地縛霊俳句(笑)だ。この世界は敬意をもって「嘘リアル」と呼びたい。
バフンウニのまわり言霊がひしめくよ
流氷を視ており牢屋へ入る前
スワヒリ語もて雷を怖がれり
たあと叫ぶ尺蠖が向き変えるとき
衣被モグラを剥くように剥きぬ
くちびるを噛みきるあそびプチトマト
よくこんなことを平気な顔してしゃあしゃあと詠むなあと油断していると、すっと指が一本が入ってくる。ウニのトゲ、網走のイメージ、スワヒリ語を話す黒人、シャクトリのくねり、モグラの手つき、プチトマトの食感。このリアルさはずるいなぁ。イメージだけどリアル、リアルだけどイメージ、そんなことはどうでもよくなってくる独自の世界。
●
そんなわけでずーっと誉めて参りましたが、金原さんの自選十句はやっぱり文学臭が匂うから認めませんよ。なんてね。
大先輩には失礼ですが、これからも「不良」同士、切磋琢磨していきましょう。
僕が百歳になるまで、あと七十年は長生きして下さいね。
(著者注・最後は私信です。帯の句が気になる人は句集を読んで下さいね。)
Posted by wh at 0:05 0 comments
KING COBRA 北大路翼
北大路改めPrinceK
ルピナスにされてしまつた昇り藤
ご来店
入口で拾つたといふ蛇の衣
誘つたり誘はれたり
鬼百合のやうなスカート足組んで
常連のR嬢
香水でわかる財布の中身かな
場内指名
螢袋の中を覗きに行かないか
ドンピン
戦遥か夕焼色の飲物に
乾杯
滝壺は何で溢れないのかな
五月十四日はPrinceK聖誕祭
雷を除いて怖いものはなし
延長
枯れるまで同じ時間の時計草
エレチュウ
湿る夜の舌から裂けてゆく女
Posted by wh at 1:00 0 comments
小特集:北大路翼のすべて
北大路翼自選39句「ひりひりと」 →読む
北大路翼独占インタビュー……〔聞き手〕谷雄介 →読む
わかば・私は翼の弟子である……佐藤文香 →読む
はじめてのキャバクラ……谷雄介 →読む
師匠、ではなく……宮嶋梓帆 →読む
Yくんの師匠……モル →読む
「北大路翼自選39句『ひりひりと』」は、翼さんに「これまでの作品から自選50句と新作10句をお願いできますか」と頼んでみたところ、なぜか旧作・新作ばらばらで39句が送られてきました。きっと弟子に対する「サンキュー」というあたたかい労いの言葉なのでしょう。
「北大路翼独占インタビュー」は、10月末に新宿で行ないました。実は笑える話がもっとたくさんあったのですが、落ち着いて考えてみると、とても公共の場ではしゃべれないお話ばかり……知りたい方は僕までこっそり耳打ちしてくださいね。
その後につづく4つの文章は、「師匠・北大路翼」というテーマで、僕を含め、僕が「翼さんの弟子」と認識している人たちに原稿を依頼し、書いていただきました。しかし、文章を読んでみると翼さんを師匠だと思ってない人も若干名いるみたいで、まあ、それはそれで笑えるかなと。
第2回芝不器男俳句新人賞の贈呈式で、翼さんが「僕の弟子はどんどん偉くなっていくな」とつぶやいたこと。なんとなく印象に残っています。
本特集は以上のような構成になってます。
北大路翼の世界、お楽しみください。(谷 雄介・記)
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北大路翼 自選三十九句
ひ り ひ り と
蜜柑剥く一人暮らしは精子の香
童貞諸君鰭酒はおまんこだよ
ひりひりと霜降りる夜の女陰の朱
男根を吸ふ雪解けのやさしさで
乳頭を齧る氷柱のきびしさで
果ては女体無限に続く蟻の列
男は手女は足を入れ炬燵
手袋が抱いて欲しいと応へをり
蜜柑剥く風俗求人欄ちらと
友のみ知る中絶の過去卒業歌
ポインセチア仕舞ひ忘れてゐる花屋
冴返る旧居住者の鏡かな
玲奈へ
麗奈だと思うてゐたよ春うらら
シャッターを下す真つ赤な薔薇抱へ
二回目の豊胸手術梅雨に入る
石像にゐた蚊柱がついてくる
五月二十四日ユースケの誕生日
古池に蛙飛び込み浮いて来ず
笑茸死ぬなと言はれても困る
銛だけが実物鮫の模型の背
毛虫焼く頭の中で蝶にして
合宿のはじまる冷やしトマトかな
ラグビー部の宿舎ぼろぼろ油蝉
夕立や女に戻るアスリート
全身を触覚にしてシャワー浴ぶ
うつとりとするほど巨根夏行きぬ
求婚やぐんぐん廻る風車
西瓜大好きゆいたんはもつと好き
俳人に愛されすぎて蜻蛉死す
貧しさの寄つてたかつてゐる炬燵
香奈ちやんを思うてマリエを抱く無月
簡単に口説ける共同募金の子
超キレイの超は言ひ過ぎクリスマス
空中に新郎新婦皿に牡蠣
最愛の佳子へ
いつまでも待つ我は造花の牛膝
饒舌の水着流行色の黒
レモン浮くモデルルームの浴室に
年惜しむユミ・ちさ・京子・麻美・かおり
情交のあとのうつぶせ除夜の鐘
雪しんしん膣のぬくさの限りなし
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