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2013-01-27

〔超新撰21の一句〕日没に統べるモノ 質量を契る 清水かおりの一句 野口裕

〔超新撰21の一句〕
日没に統べるモノ 質量を契る
清水かおりの一句……野口 裕


川柳と俳句の違いは何かと考えるときに、テキストの分析から入るよりも、グループの違いと見た方が分かりやすい。川柳は被支配階級、俳句は支配階級が出自にあると見たときに見えてくるものがあるのだ。

  笑つて答えず旦那酌ぎましよう(西田當百)

  貧しさのあまりの果は笑ひ合ひ(吉川雉子郎)

  子を産まぬ約束で逢う雪しきり(森中恵美子)


  霜降れば霜を楯とす法の城(高浜虚子)

  銀杏散るまつただ中に法科あり(山口青邨)

  ゆるやかに着てひとと逢ふ蛍の夜(桂信子)

明治以降、身分の差はなくなったが、立身出世を果たそうとする人が交じるグループと、そうではないグループに属するかどうかは、作者の持つ語彙にまで影響する。第二次世界大戦後のごたごた以降、それが薄まってきたとはいえどもグループ内で培ってきたものは簡単に崩れない。

他方で、グループ内の差異ということがある。虹の七色のように微妙に色を変えつつ多数の作品がひしめき合っているのは、川柳・俳句ともに同様だろう。それを腑分けする際に、グループ内の嗜好にしたがって川柳では分かる・分からないが採用され、俳句では型に収まっているかどうかが採用される傾向にあった。その意味で作品の良否はさておき、両文芸における多数派は、俳句では有季定型、川柳では一読して分かりやすい川柳をめざすグループとなる。注意すべきは、分類のために用いられた基準がそのまま作品の良否を決定する基準に化けてしまうときの、読者の側に起こる退廃であろう。それは両グループともに常に起こりえる問題ではある。

前置きが長くなった。

清水かおりの一句だが、静謐を湛え読者をして沈思へと向かわせる。ミレーの「晩鐘」の傍らに置けば句の持つ雰囲気はそのまま理解されるだろう。

しかし、「モノ」、「質量」、「契る」という語の選び方がこれまでの川柳とは異なる。日常の景から感じ取った印象、従来の川柳であればありきたりの作品で終わりかねないそれを、そのまま作品として深化させようとして語が選ばれている。

巻末に添えられた堺谷真人の小論は前衛俳句との類似を述べる。なるほどと思うと同時に、どこか違うという印象もある。おそらくそれは、前衛俳句の多くの作者が持っていたぎらぎらした野心が、清水かおりの句には感じ取れないからだろう。日々の生活の感興を生活に流されずにつなぎ止めておこうとする姿勢は、やはり現代のものである。

  目を開けて金魚流れる夜半の雨  清水かおり


『超新撰21』・邑書林オンラインショップ

2012-09-23

〔超新撰21の一句〕飛雪は刹那 柴田千晶の一句 野口 裕

〔超新撰21の一句〕
飛雪は刹那
柴田千晶の一句……野口 裕



三日前に撮ったCTを受け取りに、八時半に家を出る。電車は混んでいた。練習試合でもあるのか、多数の高校生が乗り合わせていた。何のスポーツかは分からず。かなり大きな荷物を抱えていたので、それも混んでいる一因か。高校生より早く下車。

病院でCT写真を受け取ると、新聞紙半折りほどの大きさ。かなり大きな荷物になる。リュックに入りそうにないので手提げとし、そのまま、かかりつけの個人医院へ写真を運ぶ。途中下車した駅まで戻ろうとしたが、乗り換えを挟んで三角形の二辺を電車で行くよりも、三角形の一辺を歩いた方が速そうだと思い直し、普段歩かない界隈を突っ切ることにする。その界隈は、昔々に平清盛が開いた新都だが、今はソープランドが林立する。

  夏風邪をひき色町を通りけり  橋閒石

を思い出したが、CTを提げ色町を通りけりではなあ、などとあほらしいことを考えつつ通過。午前中から店の前に張っている客引きらしき蝶ネクタイがこちらを見ている。こっちはCTやで、と無言で会話。

そういえば、この辺が淀川長治の生地だった。彼は芸者置屋の息子として生まれたはずなので、歌舞音曲のたぐいが常に身辺をめぐっていたはずだ。さっき通り過ぎたのが、三味線屋だった。店の上をマンションとして、店自体のシャッターは閉まっていた。今は不動産で生計としているのだろうか。

閒石の句から、「風ひきたまふ声のうつくし」でも思い出せばよかったのだろうが、その方向には行かず、色町と花町の違い、というようなことを考え始めた。飲食店の立ち並ぶ歓楽街なら、どちらでもよいのだろうが、ソープランドの林立には色町でなければならないだろうが、芸者と娼妓の違いから、花町・色町の使い分けが昔からあったのかどうか?
CT提げながら考えることでもないが、「円山花町母の町」という唄があったなあと、連想ゲームのように思考回路は飛びに飛び、

  円山町に飛雪私はモンスター  柴田千晶

に行き着く。松本てふこの解説によると、作者には東電OL殺人事件にインスパイアされた詩集があるとのことであり、円山町がその事実を含意としていることは間違いないだろう。この場合の色町は、ラブホテルの林立ということになるか。現地を知らない人間のイメージのみの話ではあるが。

今となってみると、東電OL殺人事件よりも、東電キャリアウーマン殺人事件あるいは東電女性幹部社員殺人事件の方がネーミングとしてふさわしいような気もし、ネーミングの違いがモンスターの所在地を個の内部に限定しすぎたような気もしてくるが、そういう時代だったのだ、と思うべきかもしれない。

もともと色町にしろ花町にしろ、時の流れに翻弄される場所であることは清盛の頃から変わらない。飛雪は刹那の不易流行をとらえて、象徴的である。


『超新撰21』・邑書林オンラインショップ

2012-05-27

〔超新撰21の一句〕小川軽舟の一句 野口 裕

〔超新撰21の一句〕
胃弱なんだろうな
小川軽舟の一句……野口 裕


(じつ)のあるカツサンドなり冬の雲  小川軽舟

けっこう食べ物の句が散見される。しかし美味そうというよりは、胃弱なんだろうな、詰め込まねばという義務感があるんだろうな、そんな同情を引き起こすような句が多い。

  鰻屋のふすまに凭れ年詰まる
  マヨネーズおろおろ出づる暑さかな
  蝸牛やごはん残さず人殺めず

などなど。そんな句群が影響するのか、明るく清潔なキッチン風景の

  俎に切るとんかつや春隣

さえ、家で喰うなら東海林さだおよろしく体裁かまわず丸のままにかぶりつけと、メタボの当方は叫びそうになる。もちろん、これは理不尽な言いがかりである。言いがかりではあるが、当方が感じるようなイライラは、すでに本人の自覚の中にあるように見受けられる。どこかすっきりと物事が割り切れない。問題など何もないはずなのに、おかしい。先が見えない。

  ソーダ水方程式を濡らしけり
  夢見ざる眠りまつくら神の旅
  はらわたの煮えくりかへる栄螺かな

やっかいなことに、イライラがつのれば脳は活性化される。体調さえ許せば、高揚感から生まれた張り詰めた神経が、すみずみまで行き届いた奇跡的な美の世界を現出させる。

  肘あげて能面つけぬ秋の風

この一瞬に胃弱は解消され、イライラは跡形もなく消え失せる。虚空に突き出た肘のみが浮かび上がる。肘は体躯の一部でありながら彼岸のモニュメントのようでもある。

とは言え、生活を召使いにまかせるわけにいかぬ今日、作者はカツサンドをもてあましながら詰め込むのである。食べ終わったならさあ仕事だと、自らに言い聞かす言葉は若干弱々しいか?しかし、言わぬよりは言った方がよいのである。


『超新撰21』・邑書林オンラインショップ

2012-02-26

『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』総括座談会 (3)

新撰21』『超新撰21』『俳コレ』
総括座談会
(3)

参加:筑紫磐井、高山れおな、対馬康子、上田信治、西原天気

日時:平成24年1月18日
場所:帝国ホテル鷽替の間

≫承前 (2)

企画の特徴
「年齢制限・自撰他撰・公募など」

上田:他撰はですね、えーと。自分が『超新撰』に入れていただいた時、かなり嬉しくて、自撰にめちゃくちゃ時間をかけたんですよ。3か月まるまるくらい。選んで編むということが大好きですし、自分の俳句も好きでしょうがない。でも、ぼくなんかは、気を使う先生もいないから好き勝手にやれますけど、先生や俳壇の期待する作家像に自分を合わせてしまう人が多いような気がしてきたんですよ。

それで、自撰が本来だし、実際それができる作家さんがほとんどだけど、今回の本は、プレゼンテーションのアイデアということも含めて、他撰でやってみようかなと。

(後日、小澤實さんが、ふらんす堂HPの「小澤實の俳句日記」1月17日付のコメント欄で、『俳コレ』の作品は、作者の師以外の選者が選ぶかたちで編集されている。結社に所属しない作者の句を読ませるための工夫だが、結社所属の師のある作者にとっては師の存在が薄まる印象がある。結社がすべて滅び去った後にも、俳句は滅びないのか。と書かれていて、きびしいご意見をいただいた、と思いました)

ただし、作品資料を作家の方に提出していただく段階で、みなさん何百句かに自撰していただいてますし、撰者の方の選んだ100句については、タイトル、配列ふくめ協議の上、決定することにしていました。

あらかじめ相談の余地を作っておいたわけです。相談の余地があるということは、編集部の介入する余地もあるということで(笑)、場合によっては若干の相談や調整があった、というかんじです。

撰者の人選は、編集部でこの人で行きたいとお願いして、でも希望があったらおっしゃって下さい、ただし結社の主宰以外で、というかたちで提案しました。作家さんみなさん、編集部提案の撰者の方でOKでした。

作者と撰者のマッチングは勘です。てか、ウチはたいがい、なりゆきと勘なんです。

撰者22人のご助力は、本当にありがたかったです。筑紫さん、対馬さん、高山さんもありがとうございました。だって、すごい責任ですからね。〆切り前に徹夜をして下さった方もあり、出張先から「思った以上にたいへんなので2週間延ばして欲しい」と言って来られた方あり。そういう声が上がると、ぼくは嬉しいわけです(笑)。それだけ、重さを感じて必死でやって下さったということですから。磐井さんが虚子ばりに「私の松本てふこ」を主張してらっしゃいましたけど、そのことは、みなさんが言う権利があるかもしれない、と思います。

筑紫:「私の松本てふこ」でもないし虚子でもないというのに(笑)。私が言ったのは、選とプロデュースは違うものだと言うことで、プロデューサは通りすがりの女の子にテレビに出ない、と声をかけるいかがわしい人種。選は優等生を育てる立派な教師だろうと思います。

私自身、選はやったことがありますが、こんなことは初めてです。価値基準はこの子がヒットするかどうかで、日ごろの私生活は無関係だし、また売り出した後は、あとは野となれ山となれで責任を取れません。松本てふこにもそういうことになるよと言ったら、健気にもお願いしますと言ったんです(これってAKB的だなあ)。しかし、こうやらないと本当の才能は発掘できないかもしれないと言う信念はありました。本当は自撰の方が作家自身には納得できるのでしょうが、他撰をする限りこれくらいやってみないといけないかと思いました。

公募は、既に書いた通り、大昔の三一書房の短歌大系に倣ったもので、高柳重信の五十句競作はこれを見本にしたものと聞いています。我々の企画がこの時の短歌大系の入選者長岡裕一郎の追悼会で始まったものですから、彼の業績をしのぶ意味でも一度はやってみたかったですね。

高山:私は谷口智行氏の選句と小論を担当しましたが、楽でした。「私の谷口智行」はあらかじめ出来上がってましたから。それに添って選んでいったらだいたい120句くらいになったと思います。120句を100句にするのは、まあ難しくはない。自分としては、「私の谷口智行」がイコール「谷口智行がそう見られたいと思っている谷口智行」なのではないかと考えてもいたのですが、ご本人的にはどうなのか。心外です、とはねつけられたりして。

こんなことを言うのも、谷口さんの第2句集『媚薬』の栞文を宇多喜代子氏と片山由美子氏が書いているのですが、そこでの鑑賞が納得できなかったということがあるのです。そこで選ばれていた句がまさに、ここ20年か四半世紀か、彼女らのような人たちがよしとしてきた傾向に属するものばかりだったからですね。

「暮らしの中の艶笑性」を書きたいとはっきり宣言している人の作品から、艶笑性や卑俗さを避ける形で句を選んでいて、そりゃないよと思ったわけです。熊野の艶笑性の俳人を無毒化して、どこにでもいるお上品な伝統俳人として呈示しているんだな。だから、彼女たちに抗って、作家自身が宣言した方向性で純粋化するという意識でしたね。

対馬:私は望月周さんとは直接面識がなく、作品も断片でしか知らなかった。でも気になっていて、たしか『超新撰』のときに推薦しました。送られてきた作品はどれも俳句的詩があって素敵で、100句に絞るのは迷いました。私の選はやはり正当路線かな。

ところで「くわえて7句」の栞はどうですか。アンソロジーに載せる他薦100句という仕事は本当にたいへんでしたよ。自選でも他薦でも読者はその作家のベスト100句として読むでしょうし、主役を際立たせる選でなければならないわけで、そんな思いで選をしたのに、届いたら付いていた。「なに故さらに7句」と思いましたが…。

上田:撰者の方のご厚情を、ある意味裏切るものと取られても仕方ないような栞だったと思います。お気持ちを害された方には、お詫びしたいと思っています。

ただ、メインはもちろん撰者撰の100句。栞は、おまけとして、こういうのもありますよ、という、読者の「お得」をメインに考えたものでして、じっさい冨田拓也さんが「詩客」の連載で書かれていたんですが「一応、本書には資料として栞に各々の作者の7句が編集部の手によって選出されているが、これは実に気の効いた配慮で」「七曜詩歌ラビリンス7」2012/1/13 )という感想もあってですね。座談会でも、入集しなかった句にふれておきたかった、というケースもままあってですね…。

西原:信治さん、あやまって(笑)。

上田:撰者の皆様、どうも、申し訳ありませんでした。

対馬:作者にとっても一句でも多い方がいいですものね。

西原:
『新撰』シリーズの特徴は、上限40歳(『超新撰』は50歳)という年齢制限でしょうか。

筑紫:他の点ではいろいろ物議をかもしだしそうですが、年齢制限は極めて順当なところではないですか。誰が考えてもこんなものです。

ただ、受賞対象者を除くと言うのは『新撰』では妥当でしたが、『超新撰』で適用すると小川軽舟さんが入って来たりして、ご本人から「ぎらぎらしている」と言われちゃいました、ぎらぎらの最初の指摘です(笑)。

高山:私は『新撰』のぎらぎらには全面的に責任を負います。しかし、繰り返しになりますが、『超新撰』でぎらぎらしたのは、公募枠で種田スガルを選んだことだけだと申し上げておきたい(笑)。

なるほど大結社の主宰で、もはやベテランである軽舟さんが入集していることもぎらぎらの印象に繋がるわけですが、この人選にこだわったのは実は牙城さんで、新人プロデュース志向の筑紫さんは明確に反対。高山は定見なく、右往左往。対馬さんはどうだったかしら。

対馬:私は軽舟さんの懐の深さを感じましたね。2冊目を2冊目でなくするにはどうしたらいいかと思っていましたので、最初に軽舟さんが核として決まった。いい人選だと。

高山:まあ、これは『新撰』シリーズの入集条件という枠組をどこまで厳格に適用するかという問題なんでして、牙城さんは軽舟さんのことを『近所』(2001年)が出るまで知らなかったらしい。だから、『新撰』以来の21世紀の新人のベストコレクションという原則を延長すると、むしろ入れなきゃおかしいという意見だったと思います。

私が了解したのは、軽舟さんが入ると、最年長グループに軽舟さん、最年少に大谷弘至さんがいて、両端を主宰で押さえる形になるからです。形式主義者としてはそこに感興があった。より年下の小川楓子と種田スガルが公募枠で入ってきたのは予想外でしたが、結果的に目次を見ると、右から3番目に大谷、左から3番目に小川となっていて、完璧なシンメトリーを構成しています。素晴らしい(笑)。

上田:『俳コレ』の場合、『新撰』シリーズとの不連続性を打ちだすことを、牙城さんから出版の条件にされていましたので、はじめから、年齢制限撤廃と思っていました。

西原:『新撰』『超新撰』との連続性と不連続性というのは編集上の大きなテーマの一つ。私としては外形的な面での不連続の要素をいくつか考えていました。21人にしないこと。これは結果的に22人となって、とても良かった。見開き進行にすること、つまり、一作家の章が奇数ページからではなく偶数ページから始まる点も、不連続の一要素。

ネーミング(書名)は重要で困難なテーマで難渋したように覚えていますが、信治さんから素晴らしい案が出ました。もしこれがなくて、ダサい書名で行くしかなかったとしたら、と考えるだけで冷や汗が出ます。

上田:素晴らしかったかどうか……。作家のみなさんには、こんなんですいません、って感じです。もう、この名前に慣れて下さいとしか(笑)。

『コレ俳』で決まりかけてた時期もあって。天気さんの奥さんのユキさんに、どうでしょう、ってお見せしたら、ちょっと受けたんです。よし、行くかー、って思ってたんですけど、どたんばで、『コレ俳』より『俳コレ』のほうが、正式感があるな、と(笑)。あれ、あんまり変わらないですか。

筑紫:お二人の作業上の分担は、どうなっていたのですか。

西原:実際の編集作業は、なりゆきで私も手伝いましたが、わがままをいえば、もっと距離をとって眺めていたかったというのが本音です(笑)。

上田:天気さんの実務能力がなかったら、何一つ、立ちゆかなかったですね。

西原:半面、『俳コレ』の編集上の遺漏そのほか、私の責任です。「いろいろと到らなかった点はございますが、何卒ご海容のほどを」という感じです。


反響をどう自覚しているか

上田:反響、これからですよねー。入集作家が、これからどう活躍していくか。あるいは、本自体のメッセージがどう伝わっていくか、『俳コレ』は、まさにこれからです。この本をきっかけに活躍し、逆にこのアンソロジーに対する関心を高めてくれるような、孝行息子ないし娘が出てくれることを期待しつつ、なんか自分でも出来ることないかなー、と思っているところです。

高山:「豈weekly」を始めた目的を、格好良く一言に要約してしまうと、俳句シーンに流動性を導入したいということでした。思いがけないきっかけで編集に携わることになった『新撰』シリーズですが、やはりその目標は流動性ということだったかなと思います。流動性とは要するに自分として呼吸しやすい環境ということですが、ここ数年の間に息苦しさがだいぶ薄らいだのは確かです。

『俳コレ』の津川絵理子小論で、片山由美子氏が、「俳句の世界は混沌としてきた」と書いておられますが、こちらにとってポジティブな流動性が、片山さんなどにとってはネガティブな混沌として顕現しているのだなと納得いたしました。

上田:流動性というのは、表現の価値とされるものが、固定化せず生成発展の余地がある、ということでしょうか。つまり、軸にぶれが来ている。守る側の人からは許しがたい頽落と見えるかもしれませんけど、それは送り手の試行の積み重ねによって、かろうじて獲得されたぶれ幅であり、息が継げる空間であるわけです。

そうやって、少しずつでも混沌としていってもらえると、ぼくなどは、偽伝統派として生きていく楽しみがあるというものです。

筑紫:『新撰』『超新撰』『俳コレ』と続いたのは、我々の使命からすると当然ですが、一読者の立場に立つと想定外ですね。我々の力と言うより神様が囁いたのでしょう、俳句の神様はひねくれた神様ですから。

ただ、筑紫、高山、対馬、島田と並べると、変なことをやりそうな顔ぶれであることは間違いありません。上田、西原に匹敵する変さではないですか(笑)。こういう人間が多少動くとどんな世界も面白くなるのかもしれません。

実は『新撰』をやってるとき肝に銘じたのは、俳人は何をしても「上から目線」になってしまうのだ、ということの反省です。『新撰』編者もその弊は免れませんが、それでもそれに気付いているだけましだと思います。この企画を最後はほとんど誰にも相談しないで決定したのは、皆「上から目線」で助言をしてくれたからです(笑)。

上田:それで『新撰』の小論は45歳以下なんですか。

筑紫:同じ世代が論じればいいんですよね。権威を持たせるために主宰者を評者と言う考え方もあるかもしれないが、権威は自分たちで作るんでしょう。ただ、40歳で選んだらさすがに評論は40歳で21人は息が続かず、5歳下駄をはかせました。『超新撰』は50歳が年齢制限ですから、小論の年齢上限は55歳のはずですけれど、これはずいぶん例外が出てしまった。その最たるものが私で60歳(笑)。

若い評論家を出した、と言うのもこの企画のいいところです。本当は『新撰42』なんですね。こんどの『俳コレ』の選者・小論執筆の半数は新撰・超新撰メンバーで、みなえらそうになっちゃって(笑)。逆転したのが松本てふこ・依光陽子・阪西敦子・津川絵里子でしょう。新撰・超新撰で小論を書いたのに、俳コレで選をされ小論を書かれちゃって(笑)。


俳句史から見て、なんだったと言えるのか

上田:この20年の俳句に、俳句自身がちょっと飽きかけているんじゃないでしょうか。そこに、年齢だけではなく、質的にも新しい作家が、集団として登場しつつあるのではないか。これらの作家が、同時代の俳句の、価値基準を揺り動かすことを最も期待します。

高山:同感です。で、その場合のキーマンというかキーウマンは、『俳コレ』には入集していないけど、やはり御中虫なのかな。彼女は今、端から見ていると結構のびのびやっているような感じがしますよね。でも、5年前、10年前ならそうはいかなかったと思う。

本人の思いはともかく、彼女のような作者がのびのびやれているように見える状況というのは「週刊俳句」から『新撰』『超新撰』『俳コレ』と続く流れが生み出したと思うし、また彼女自身がその流れを加速させているわけです。

恒例の悪しきジャーナリズムであえて暴力的に予言するならば、テン年代の新世代の表現は、髙柳克弘と御中虫の2人を軸にした楕円状空間の中で展開することになるのかな。

上田:入った人と入らなかった人、それぞれから中心が生まれるというのは、心躍る予測です。アンソロジーの面白いのって、入った人同士が同じ条件で、すごく比較されること。一方で入らなかった人とは、その選出がほんとうに正当だったかどうか、今後ずっと挑まれ、比較される運命にあるでしょう? 

だからこそ、今一時的に、新しい人の才能の市場が沸騰してるみたいなね、セリが懸かってるみたいな状態にあると思うんですよ、この兄弟本3冊が出て生まれたこの状況は、たぶん、何年かは続くでしょう。

3冊に入集しなかったことをきっかけに、第一句集を出して、俳壇的に評価されて、といったこともあるようですし(数例、耳に入ってます)。

『新撰』で先に出た人もぜんぜん気が抜けない。今、ちょっとダメになると目立ちますよお(笑)。

新しく出る人に対する期待が高まっている今だからこそ、もうね、新人賞狙ってる場合ではないかもしれない。みなさん、本質的な仕事をしましょう。なにか出たら、すかさず騒ぐ用意はありますから。

筑紫:私はもう俳句史は『新撰』『超新撰』『俳コレ』で始まっていると考えていますよ。実際、30年前には牧羊社の『精鋭句集シリーズ』『処女句集シリーズ』で俳句史は始まっていたわけですから。

ただ、30年前のそのシリーズに入っていなかった作家に能村登四郎門では正木ゆう子、中原道夫、筑紫磐井らがおり、一方でもう誰も覚えていないシリーズのメンバーが何人もいる、これが面白いところですよね。歴史の逆説を信じないと俳句なんかやっていられないと言うところでしょうか。

最後に一言言っておくと、何食わぬ顔でおじさんのような分かった発言をしている高山れおなこそ、年齢から言っても趣旨が一貫している点から言っても『新撰』世代なんですよ

『新撰』世代が創った『新撰』というのは、何も作品が『新撰』世代、小論が『新撰』世代が書いたというだけなのではなくて、『新撰』を企画したのが『新撰』世代だということです。私や対馬さんが呼び出されたのは、横町の御隠居が呼ばれてきたようなものですから。対馬さんすいませんね(笑)。

高山:花を持たせていただいて有難うございます。しかし、『超新撰』竟宴からひっそりと抜け出し、『俳コレ』竟宴のお誘いには返事も出さなかった私は、ミラボー伯爵かケレンスキーか知りませんけど、いわば革命から疎外された革命家の如きものでございましてね。ロベスピエール筑紫としては白色テロで首を獲られないように、せいぜいお気をつけください(笑)。

上田:あんまり、いい役残ってないなあ。天気さんは、フーシェでぴったりだと思いますけどね(笑)。

今日は、みなさん集まりもせずにこれだけ語っていただきまして、ありがとうございました。

(了)

『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』総括座談会 (2)

新撰21』『超新撰21』『俳コレ』リンク総括座談会(2)

参加:筑紫磐井、高山れおな、対馬康子、上田信治、西原天気

日時:平成24年1月18日
場所:帝国ホテル鷽替の間

≫承前 (1)


特徴的人選
「ぎらぎらとしていたのは誰か」

筑紫:『新撰』では1月から4月にかけて3人でいやとなるほどメールの会議をしました。仲が悪くなるほど悪口雑言が飛び交いましたねえ(笑)。その理由は、『新撰21』が『超新撰21』『俳コレ』と続くとは思いませんでしたから、これ1回限りでインパクトのある本にしたかった、いきおい、伝統から前衛まで網羅して激しい内容の本にしたいと思っていました。

湊圭史さんが、「『俳コレ』が・・・全体の印象はリラックスした「個性」の展示というおもむき。『新撰』シリーズにあった、俳句史と対峙してやる、みたいなエッジはなさそうですが」と書いているのは納得しました。

上田:『俳コレ』は今そこにある俳句に対するレスポンスという性格が強いですからね、特に俳句史に「対峙」はしてないかもしれません。

結果的に俳句史の一部を形成したとしても、それは作家さんの手柄だし、第一、俳句史とぶっちがいに明後日のほうを向いてる人の方が面白いじゃないですか。と、これは『新撰』シリーズに対する批判ではなく、ですけど。

筑紫:うーむ、面白いというのがね。面白い先には矢張り歴史があるということじゃありません? 

上田:そう見えたら『俳コレ』は、大成功です。結果オーライで。

筑紫:なるほど。そういう意味でも『新撰21』の人選は、ぎらぎらとしていますよね(笑)。先程、高山氏が述べたように、まず芝不器男俳句新人賞受賞・入選者、俳句甲子園出身で目立った人というところが、最初のイメージでした。あとは、結社誌から選んでゆくようになるのですが、ここから揉めて、北大路翼に至って私は孤立無援になりました。

一方、推薦を辞退された作家もいました。経費こちら持ち、負担なしという好条件なのですが、どうも怪しげな顔ぶれの編者と思われたからかもしれません(笑)。

『超新撰』にいたっては、公募を入れたり、川柳作家を入れたり、編者のぎらぎらしたところが一層よくうかがえますね(笑)。

高山:北大路の人選で筑紫さんが孤立したというの、そうでしたっけ。筑紫さんが孤立したのは谷雄介の応援でしょう。といって谷の名前も最初から挙がっているのでもわかるように、他の2人が反対したわけではなく、単に作品の情報が不足していて最後まで迷ったということです。

山口優夢も同様で、彼が入集しているのは今でこそ当たり前に見えるかも知れませんが、当時の優夢は文章の書き手としてはすでに抜群と思われていましたが、作者としての実力は未知数でした。

優夢は角川俳句賞を獲り、句集を纏めるなど、その後、自分で頑張って作者としての評価を獲得したのです。この場を借りて申し上げておくと、句集に関しては優夢の角川賞受賞のお祝いの会の時に、まだ早いんじゃないの、もう3年くらいかけて数を揃えて、『未踏』を超える程の句集にしたらとかなんとか水を差してしまいましたが、余計なことでした。

上田:それ横で聞いてましたけど、ほんと親身な、いいアドバイスだったと思いますけどね(笑)。

『新撰』は、顔ぶれが発表された時から、すでにネームバリューがあり、かつ新鮮な作家が、つまり美味しいところが入っているなあ、という印象でした。神野さんはテレビに出てたし、他のみなさんも噂の新人だったし。「出る前から勝ったも同然」だったように思いますね。刊行後は、越智さん、関さんというスターも出ましたしね。

筑紫:北大路の件、思い出しました。実は人選に際して、二、三の外部者に相談しましたのですが、その時、意外なほどの拒絶反応に会いましてね。

逆に谷は外部者からの評価も高かったので、余り他意なく推しました。その時の相談とは別に、小澤實氏と早くから『新撰21』の話をし、二回にわたって座談会に参加してもらうことにもなりました。

上田:相談の相手にはAさんも入るのですか。

筑紫:それはなかった。高山さんとAさんとの関係はあまり関心がなく(実は私はAさんと会ったことがないのです)、もともと芝不器男賞を代表する作家として、冨田と関の入集は考えていたわけです。「豈」の発行人として新鋭作家紹介で毎回のように二人を登場させていたことから見ても、私の原則は少しも変わっていないのです。

ただし困ったのは、関が我々に義理を感じてか、2009年春の段階で、「豈」に入会してしまったことです。「豈」の人間は中村安伸一人にするはずが、二人になってしまった。もっとも「海程」が最大勢力なので許されるでしょうが。ただあとから変な男が、『新撰21』は「豈」ばかり入れていると中傷したのは困りました。私、気が弱いものですから(笑)。

対馬:私も長年、結社誌の編集長をしている性なのか、すでに高い評価をされている人だけでなく、新しい人を育てたい、私にとってこれから期待する人も入れたい、という欲張った思いもあって、人選は最後まで迷いました。難しかった。

その意味で推したのが五十嵐義知さん、『超新撰』の久野雅樹さんです。刊行後、特に『新撰』は「ベストアンダー40」という扱いで期待した以上に反響があり、編者の重さを感じました。一定の人数で切る以上、ジレンマが残るのはしかたがないですが…私も気が弱いもので(笑)。逆に私が知らなかった北大路さん、外山一機さんなど個性的で大いに刺激を受けましたね。

高山:今の会話だけ聞いていると、なんでメールで悪口雑言が飛び交ったかわかりませんね(笑)。なんであんなにヘビーだったのか。

筑紫:この企画はたった二人の密談から始まり、それぞれに展開していったから色々な解釈が出てきます。歴史は事実の集積ではなくて、それに参画した人の意識の総意だと思いますよ。正直、『新撰21』の人選のイメージは、高山、筑紫の間では合意がされていなかったというべきでしょう。

高山:それは確かにそうかもしれません。要するに私は、若手の先頭集団を総浚えにしてインパクトのある本を作ることに主眼を置いていた。評価の高い句集のある鴇田や、すでに俳壇的な地位が固まっている高柳に入集してもらうことを、だからこそ重視していました。

筑紫さんはそうではなかったように思います。つまり、筑紫さんの主眼は、新人のデビューのプロデュースにあったということでしょう。

『新撰』竟宴のトークショウの時、池田澄子氏がこの本が権威になるのはいやねみたいなことを言ったのに対して、筑紫さんがあまりはかばかしく答えられなかった場面がありましたが、当然ですね。あの本を権威にしようとしていたのは基本的には高山で、筑紫さんはたぶんそんなつもりはあまりなかったのですから。

筑紫:高山さんのそのインパクト至上主義に、相槌ぐらいはうったかも知れないが、私自身は、芝不器男賞と俳句甲子園の新人中心の人選だったと思っています。

あと、多様性ね。新撰って題名をどういう意味で選んだのか分かりませんが、まずは、新鮮の洒落であるわけですから。

その後、個別個別つぶしていってあの『新撰』のメンバーができあがったのでしょうが、あの21人の名前をどう解釈するかは、高山さんは高山さんの理解、私は私の理解、読者は読者の理解となるでしょう。今もって異なった理解をしていると思いますよ。

言っておきますが、芝不器男賞と俳句甲子園以外にいい作家がいなかったというわけじゃない。芝不器男賞と俳句甲子園の視点で見てゆくと結社の中にうずもれていた作家が見えてくるということです。

北大路翼なんて結社の軸から見ていたら変な奴としてしか見えなかったかもしれないが、芝不器男賞と俳句甲子園から『新撰』の軸が見えてくるとがぜん光り出した。公募を除けば、北大路と清水かおりが異色のセレクションとしてやってやった!という実感のある作家でしたね。

『俳コレ』なら松本てふこで、よくぞ頼んでくれたものです(笑)。北大路の小論依頼に松本がガッツといい、北大路の作品に触発されて種田スガルがはじめて俳句を書きだしたと言うことからすると、突然変異の宇宙人が降臨したと言ってもいいかもしれない。

高山:筑紫さんと私の潜在的なスタンスの差が、『超新撰21』の場合にはかなり露骨な態度の差として現われましたね。

『超新撰』は、企画としては編者ではなく牙城さんの発案なんですよ。しかし、筑紫さんは終始積極的で、公募枠とか川柳枠のアイディアもみな筑紫さんから出たものです。これに対して、私はじつは全く消極的で、「えっ、ほんとにやるんですか?」みたいな感じだった。

というのも、先頭集団網羅インパクト主義者としては先頭集団のアンソロジーとはいえない『超新撰』に入れ込む(ぎらぎらする)理由はほとんどなく、新人デビュープロデューサーの筑紫さんには大いにあった、ということです。

『超新撰』竟宴で高山が中座し、パーティーにすら出ないほど冷淡だったのもこのためでしょう。公募枠で種田スガルに飛びついたのは、インパクト主義の最後のきらめきです(笑)。

上田:話それますけど、『超新撰』のとき、ぼくが入集したのはほぼ21人目というか、滑り込みだったという話を、牙城さんから聞いたんですけど(笑)。メンバーみんな、作品的には首を捻ってたんだけど「まあ、インターネット入れとけ」っていう判断で、入れてもらったと。

筑紫:いやあご立派な方で(笑)。でも座談会の時100 句を読んだら本当に面白かったですよ。まるで虚子みたい。

高山:21人目は種田スガルです(笑)。その発言は牙城さんの上田さんへの屈折した愛情表現なのでは。上田さんの名前は結構早くから上がってましたよ。作品には首を捻っていたというより、輪郭がはっきりしていなかったという方が正確でしょう。

『俳コレ』もそうだと思うのですが、作者によって事前に得ている情報の量と質が全然違うわけです。『超新撰』で言えば、杉山久子や柴田千晶みたいに句集のある人は完全に世界を把握できる。上田さんの場合、ネット上や「里」である程度の数は見られたとしても、整理すると印象はがらりと変わるものです。この人、整理して見せてもらった時どんなことになるんだろう、そんな好奇心で選ばせていただいている人が、何人もいるわけですよ。

それはしかし、『俳コレ』でも同じでしょう? 谷口智行、津川絵里子と、雪我狂流、福田若之の事前情報の水準がおなじなんてありえない(笑)。

上田:すいません、よけいな話でした。えーと、『俳コレ』の人選の話ですよね。1月、天気さんと打ち合わせして、まあ、やってみましょうか、という話になって。

西原:信治さんの仕事ぶりは精力的かつ丹念でした。アタリを付けた人については結社誌への投句まで目を通すという態度を貫くなど、正直、感心しながら見ていました。対して私は、自分の遠近法の範囲で、何人かの作家を頭に浮かべつつ、という、どうにぼんやりしたことで。

上田:週俳の生駒さん、村田さんに手伝ってもらいながら、作品資料を集めて、候補作家の20句選を作って、それを元に、主に、天気さん牙城さんとメールで討議しました。多少の踏み込んだやりとりはありつつ、です。

西原:この手のもので人選は大事です。入集作家の人選で出来映えが決まるといってもいいでしょう。一方で、「なりゆき」という部分も否定できない。つまり、これがベストという判断は誰にもできない。「別のメンバーなら、どうだったか」という仮定は今でも成り立ちます。

それでも、なんらかの時点で「このメンツで行く」という最後の決断がいる。それは信治さんに全面的に任せました。『俳コレ』は実質的には信治さんの編集です。それは最初から決まっていた感じで、私もそれが最適だと思いました。

2011年は、週俳で編集する紙の本がこれとは別に『虚子に学ぶ俳句365日』『子規に学ぶ俳句365日』がありましたから、そちらを私が担当するということで、「分担」は自然に決まった部分がありますが、それよりもモチベーションという意味で、また人選をはじめとする編集の大枠を決めていくセンスという意味でも、信治さんしか適任はいなかった。『俳コレ』がなぜ「上田信治編」ではなく「週刊俳句編」なのかという問題については、「スピカ」でしゃべりましたから(*)、省略します。

上田:天気さんには良いように言ってもらいましたが、大枠と言っても、何のあらかじめの狙いもなく、読みたい順に入っていってもらった、というのが本当のところでです。

『新撰』シリーズのレギュレーションで入れられなかった人、という意味で、谷口智行さん、依光陽子さんなどに入ってもらえたのはラッキーでした。一番若い小野あらたさん、福田若之さんは、一年前だったら、ぜんぜん作品が揃わなかったかもしれない。だから、こういうアンソロジーは、続けて刊行することに意味があるのかもしれません。

先日、小野あらたさんにお会いしたところ「ぼく、まだ18歳なんですけど〜〜」と言われてしまいました。何カ所かで「19歳」と書いてしまった気がするのですが、間違いでした。お詫びして訂正いたします。 上田

週俳からの関係だと、岡野泰輔さんは、週俳の落選展への応募と、それをれおなさんが「豈weekly」で評されていたのが、きっかけでした。岡村知昭さんは現代俳句協会新人賞落選展にご応募いただいた30句と、そのあと週俳に書いてもらった作品が、えらいこと面白かった。山田露結さんは、角川俳句賞に5作(50句×5)出してしまう馬力にポテンシャルを感じました。

どの方も、何年か分の結社誌の作品を確認して、上り調子かどうかみたいなところを確認してます。望月周さん、阪西敦子さんは、直前の新人賞の作品より、結社誌に書いているものが実は良くて。こういう方は、撰者が大事かな、と(笑)。林雅樹さんや矢口晃さんは、ずっと注目してた人。こういう人こそ、アンソロジー向きで、ストリートファイターっていうか、100句出せば、腕が分かるみたいなところあるじゃないですか。

候補作家をしぼっていくうちに、全体として、顔ぶれがなんらかのメッセージを発してたほうが面白いな、ということを考え始めました。つまり、作家の方の個々の作品を楽しんでいただきたいことは、もちろん、そうなんですが、本としての面白さ、というメタレベルをこしらえたくなってきた。それで、最後のぎりぎりの段階で、本として面白くなりそうなチョイスをした、ということはあります。そのへんで、週俳らしさは、出てしまっているかもしれませんね。

筑紫:なるほど。芝不器男賞と俳句甲子園が『新撰』の基調を作りだしとしたら、『新撰』が教師と反面教師の役割で『俳コレ』に影響をあたえたと言えるでしょうか。ただ、『超超新撰』だったら無条件で入れた人と、こういう発想はないなという人と、両方いましたよね。松本てふこの選と小論を引き受けたのは、ぴったり合っていたからです。おかげで「めずらしく情がある」なんて言われてしまいました(笑)。

上田:まさかの『超超新撰』(笑)。でも、機会があったらぜひ、お願いします。結社が近すぎたり、作風がかぶったりで、泣く泣く入れられなかった作家も何人もいらして。ここで、その人たちのいい句を発表したいくらいなんですから。

西原:人選について意見は出しました。「意見は言うが、最終的には信治さんが決めてください」と伝えながら、推薦もしました。私が入れたくて入らなかった人もいます。結社・同人のバランスから洩れた人はいると思っています。今だから少し言ってしまえば、「豆の木」という私が所属していた同人から、もうひとりくらい、という感じ。私がやめれば推薦しやすいという思惑もあって「豆の木」をやめましたが、まったく効果がなかった(笑)。

上田:「銀化」が3人になっちゃったのは、ほんと偶然で、矢口さんと小野さんが「銀化」に入るなんて知らなかったですよ(笑)。

話戻しますと、昨年、ウラハイで天気さんと、週刊俳句200号を振り返る対談企画をやった時、こちらとこちらの俳句に水路を引いて、ひとつの視点でくらべてみたい、的なことを話したんですが、まさにそういう形になったような気もします。

自分の価値基準で読みうる俳句の作り手の最右翼から最左翼まで入ってもらえた、というかんじ。誰が右で誰が左とは言いませんが、みなさんほんとに素晴らしい。そのへんが、ラストの座談会で、選者による温度差のはげしい『新撰』シリーズと違うところです(笑)。

あと、直近で第一句集を出されていたり、出ると分かっていた方の場合、その句集のダイジェストを掲載してもしかたがないと思って、入れられなかったりとか。御中虫さんがまさに、そうだったんですが、あの方の去年一年の活動を見ると、入っててもらうんだった!と、思います。

西原:句集の有無、とりわけ近い時期の句集刊行の有無は、むしろ、もっと重視してよかったと思っています。句集を出していない人を優先するという傾向をもっと強く出してよかったんじゃないかと。例えば「依光陽子さんは句集がまだないので、『俳コレ』で読めるのはありがたい」という声を実際に聞いたとき、やはり、そうかと。

上田:それで、やっと人選が固まって、さあ依頼状をと邑書林に依頼して、まだ送らないうちに地震が来てしまってですね。

どうしましょう〜〜って天気さんにメールしたら、「まあ一と月、様子を見ましょう」と。ほんとね、天気さんは、つねに正しい(笑)。

西原:あの時点なら、誰だって、ああ言いますよ(笑)。余震と原発と世間の空気を眺めつつ、という判断。

上田:地震前に、依頼状出してたらずいぶん断られた気もするんで、結果オーライでした。予定のスケジュールより一月遅れでスタートして、ラスト、かなりギリギリになったんですけど、年末のパーティーと、紀伊國屋書店新宿本店のフェアが決まってたもんですから、無理矢理間に合わせてもらいました。

(つづく) ≫第3回

2012-02-19

『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』総括座談会 (1)

新撰21』『超新撰21』『俳コレ』
総括座談会
(1)

参加:筑紫磐井、高山れおな、対馬康子、上田信治、西原天気
(乱入・西村我泥吾)

日時:平成24年1月18日
場所:帝国ホテル鷽替の間


3冊誕生の経緯
「誰が言いだして、資金はどう支払われたのか」


上田:2009年から、年一冊のペースで『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』(邑書林)の、3冊のアンソロジーが刊行されました。本日は、裏話などをぶちまけていただこうと、3冊の編纂にあたったメンバーにお集まりいただきました。

まずは、3冊の誕生の経緯から、お話いただけますでしょうか。

筑紫:宮崎斗士さんのブログ「俳句樹」で「回想の『新撰21』――いかにしてアンソロジーは生まれるか」としてもう書いてしまっているので、かいつまんでお話しましょう。実はこれは、上田さんたちが『俳コレ』を出すと言うので、どういう準備をしたらよいかをお見せしようと書いたものなのです。

上田:公開指南書と言われてましたね(笑)。

筑紫:きっかけは、「週刊俳句」に対抗して高山れおな・中村安伸氏の「―俳句空間―豈weekly」というブログが立ち上がったことです。

「週俳」は俳句をたくさん掲載していましたが、これに対して「豈weekly」は「俳句など誰も読んではいない」という刺激的な巻頭言を掲げて、評論ブログとして立ち上げたのです。案の定、「豈weekly」は「週俳」の十分の一しかアクセスがありませんでした(笑)。

ただ、このブログに、ある熱心なファンが現れ、とうとう「豈weekly」が企画する出版のパトロンになってもいいと言い出されたのです。

高山氏から、資金と企画があるのだからいい出版社を探してほしいという要請を受け、旧知の邑書林の島田牙城氏に、年も押し詰まった12月31日メールを出しました。だいぶごたごたしましたが、翌年2月に諸条件が決まったと言うのが出発の経緯です。

上田:ごたごたについては、「俳句樹」の記事で、少し(笑)。

高山:筑紫さんのコメントをうかがうと、まだ数年しかたっていないにもかかわらず、早くも物語化の兆候が現われており危険です(笑)。「豈weekly」は「週刊俳句」に対抗する目的で生まれたわけではありません。

また、私も職業編集者の端くれなのでございまして、そういう人間が、〈いい出版社を探してほしい〉などという物の言い方をすることはありえないですよ。筑紫さんは、ある種の語りの定型に陥っております(笑)。

筑紫:感想はありますが、まあ、続けて下さい(笑)。

高山:『新撰21』出版の経緯ですが、以下、やや長くなりますが、“物語化”に抗して、メールの通信記録と小生のメモ帳に基づいて厳正に申し述べます。川名大先生のストレステストにも耐え得るようにしたいと思います。

まず、出版のスポンサーのAさんとは、2008年11月1日にメールによる交流が始まりました。じつはその数年前、私も一時、ミクシィをやっていたことがあり、すぐ辞めてしまったのですが、そこでAさんと知り合ってはいたのです。

俳句にご興味があるというので私の第2句集を送ったら、お礼に江戸の町の古絵図の複製をいただきました。東海地方にお住まいの当方より数歳下の女性で、そういう教養がある人なのですね。その時はそのままやりとりは絶えたのですが、「豈weekly」が始まると当方のことを思い出されて、11月になって連絡を下さったのです。だから交流の開始ではなく、再開というべきですね。

Aさんとの話は、純粋読者として俳句を見ているものの、ネット上ではなかなか面白い句が読めない、冨田拓也の作品に興味があるが、どうしたら作品が読めるだろうか、というような雑談から始まりました。冨田さんは「豈weekly」の常連筆者だったので、小生に聞いてきたのでしょう。

また、彼女は関悦史とは古くからミクシィ友だちで、費用を持つから句集を出せ、評論を「豈weekly」に寄稿したらどうなんだとけしかけているのだが、遅筆なのかやる気がないのか埒があかないというような話も出ています。今昔の感ですね。すっかり忘れていましたが、そもそも関さんが「豈weekly」の常連筆者になるに当たっても、当方からの誘いに加えてAさんの後押しがあったわけです。ちなみにこの時点では、彼は「豈」の同人ではありません。

11月上旬にはしきりにメールが行き交っておりまして、11月6日には自費出版の費用や版元についての問い合わせも受けました。

そして翌11月7日、興味のある俳人の句集のスポンサーになりたい。何冊も本を出す程の財力はないが、合同句集ならどうだろうか、本作りをしてくれるかと、いきなり具体的な申し出がありました。スポンサーとしての条件は、合同句集のメンバーに冨田と関を入れることだけ、それ以外は全て一任するとのことでした。

そして11月10日に仕事で上京するので会えるなら会いましょう、ということになった。それで当日の夕方、銀座三越のライオン像の前で待ち合わせまして、食事がてらお話しをしました。場所は向かいの竹葉亭の2階です。細かいようですが、川名大基準では1階か2階かは重要です(笑)。

メールの感触で信用はしていましたが、とはいえ向こうはお金を出すのだし、こちらも作業を進めてから梯子を外されては困りますから、これはお互いに面接試験だったということでしょうね。筑紫磐井に相談して本を作ってゆくことになるであろう、というような段取りの話もしたはずです。

その時の正直な気分としては、面白いことになってきたというのが半分、面倒な仕事を引き受けてしまったぞというのが半分。実際、そろそろ第3句集を纏めるつもりでいたのですが、「豈weekly」の文章書きと『新撰』『超新撰』の編集に時間を取られて、いまだ刊行に至っておりません。

さて、経過の続き。筑紫さんとはまずメールで最初の相談をいたしました。しかし、年末で双方忙しかったのでしょう、話が一挙に煮詰まったのは12月20日に原宿で直接会ってからです。この年4月に亡くなった「豈」同人の長岡裕一郎との2人展を、藝大時代からの画友の方が開催なさった、そのオープニングの日でした。

当然、「豈」「円錐」関係者の飲み会となる流れでしたが、その前に筑紫さんと私とで竹下通りのマクドナルドの地下でコーヒーを飲みつつ密談をして、まず邑書林に声を掛けようということになったのです。

筑紫:そう、悪魔のつぶやきというやつでね(大笑)。竹下通りでは腹案のメモはあったのでしたっけ? 何かもっとふわふわであったような気がする。

高山:わいわいがやがや、思いつくままに若手俳人の名前をノートに書き出していったような記憶があります。ただ、その日の会合は、基本的には2人のうるわしい団結を確認するのが主目的だったようです(笑)。というのは、その翌日と翌々日、メールが2往復しておりまして、そこで本の輪郭みたいなものが双方から提案されているんですよ。

まず高山案では、合同句集の規模は21人。叩き台のリストには、その後、実際に入集する人としては、高柳克弘、鴇田智哉、村上鞆彦、田中亜美、神野紗希、相子智恵、佐藤文香、冨田拓也、関悦史、中村安伸、山口優夢、九堂夜想、谷雄介の名前がすでに入っています。ちなみに仮タイトルは、『21世紀21 現代俳句の最新鋭(ホヤホヤ)たち』

上田:もう、かなり見えていたかんじですね。タイトル以外は(笑)。

高山:私も参加させていただいた「澤」の20代、30代作家特集があったお蔭で、ある程度輪郭のようなものは摑めていたんでしょうね。原宿の会合にも持参したはずです。とはいえ、今、名前を挙げた人たちにしても、そのまますんなり最終候補になったわけでもないのですが。一方で、筑紫さんは8人程度の規模を想定していて、冨田、関、中村、谷、山口、相子、村上に加えて、『超新撰21』の方に入ることになる青山茂根の名を挙げています。

つまりこの段階では受賞歴と句集刊行年次による足切りはすでに意識されていますが、年齢制限までは考えてなかったんですね。私の挙げた21人の方にも『超新撰』の青山と榮猿丸がいて、さらにずっと年長でこんど『俳コレ』に入った谷口智行の名まで含まれています。

本の規模としては、高山案の形になったわけですが、筑紫さんはこの時、造本のフォーマットとして「セレクション俳人」の番外篇にしたらいいのではないかと言っていて、これは実際その通りになった。

編者として対馬さんに加わっていただくことや、40歳未満の年齢制限をして若手の作品集であることを明確にすること、年内刊行を目指すことなど、諸条件が固まったのは2月28日に、筑紫さん、牙城さんと私とで早稲田のリーガロイヤルホテルに集まった時でしたね。牙城さんと私は初対面で、筑紫さんにお引き合わせいただいたのではなかったかと思います。

筑紫:対馬さんに参加して頂いたのは、すでに実績のある芝不器男俳句新人賞の入選者を重要なソースとして考えたからです。一人100句ということが決まった段階で、これだけの俳句を集める実績のある新人は当時にあっては芝不器男賞に応募している人ぐらいだろうと考え、そのフィージビリティの確認や具体的な人選資料も使わせていただきました。

対馬:芝不器男俳句新人賞は松野町生まれの芝不器男を顕彰し、「今世紀の俳句をリードする新たな感性が登場することを強く願って」愛媛県文化振興財団によって設立されました。

第1回公開選考会は平成14年12月。ご存じのように冨田拓也さんがまさに「彗星の如く」出現して、世俗離れした感性も含めて私たちを驚かせました。関さん、神野さんも第1回ですね。

その後、第2回が杉山久子さん、第3回が御中虫さんと受賞し、また各選者の奨励賞5名が選ばれるのでこれまでに計18名が受賞しています。予選通過者の中にも注目すべき人材はたくさんいます。毎回話題を呼び、それぞれに活躍しているのはとても嬉しいです。

10年前、俳壇が停滞していると言われていた中で、蓋を開いてみたら150編近く応募があった。若い俳人のエネルギーのかたまりが、初めて目に見えるかたちで現われたということです。

なにしろ4年ごとという長いタームがあるので、年齢制限で再チャレンジができない場合もあり、それに、毎回100編を超える応募者の俳句に対する熱意に応えたいという思いがあったので、磐井さんから若い人だけを集めたセレクションを作りたいというお話をいただいたときは、何かまた新しい風が吹くようでわくわくしました。

筑紫:俳句甲子園以上に芝不器男賞は『新撰21』を生む必然性が強かったと言えるでしょう。こうした関係性があったからこそ俳句の愛好者に『新撰21』が受け入れられたのではないでしょうか。

ちょっと『新撰』話が長くなりすぎました。上田さんが痺れを切らしているようなので、それじゃあ、『俳コレ』の方をうかがいましょう。

我尼吾:ちょっと待ってください。突然乱入させていただきます。このパターンはかつての国際プロレスや、新日などでよくみられたパターンで申し訳ないですが・・。

芝不器男俳句新人賞の一番の特徴は、受賞者のアフターケアに相当力を入れているということです。俳壇の心ある人からは、ときどき贔屓の引き倒しとか、過保護賞とかいわれて眉をひそめられています。かつて異常なまでに新人に厳しかった俳壇を経験している世代としては、新人は甘やかさないと出て来れないと思っています。

その観点から『新撰』が不器男賞の作家達に貴重な機会を提供してくれたことはほんとに涙が出るほど有難いと思っています。甘やかすと言いながら、不器男賞はそのインターバルの長さ、100句という非常識なハードルのため涙をのんだ心ある作家達が多くいることをブログなどで知っています。参与の立場からは、予選を通過した人々はすべて明日の俳壇を支える力があると確信しています。予選通過者はその意味で宝の山だと思っています。

上田:第2回の芝不器男賞の時、佐藤文香と谷雄介にいっしょに応募しようと誘われて、思いっきり年齢制限を超えていたので、苦笑したことを思い出しました。

筑紫:では、あらためて『俳コレ』の話を。

上田:えーと経緯は、さいきんspica(俳コレ制作秘話,)でもしてしまったので、これもかいつまんで。

むこうでも話しましたけど、2010年は「私家版ゼロ年代100句撰」「新撰超新撰世代・150人150句」というミニアンソロジーを二つ作りました。

ほんとうに人の句ばっかり読んでた一年だったんですが、そのおかげで、なんとなく、今の俳句の布置のようなものが頭に出来て、してみると新人アンソロジーは、まだ何冊か出せそうだ、という気がしてきてたんですよ。

そう思っていたもので、とうぜん牙城さんから、その年の暮れの『超新撰』の出版記念会「竟宴」の席上で、第三弾の発表があるだろうと、大変期待していたわけです。ところが、来年もパーティーやります、という予告だけ出て、本を出すという話が無い(笑)。

それどころか、牙城さん、翌24日に、Twitter上で『新撰』アンソロジーは打ち止めです、と書いちゃった。えー、それは、どういうことだろうと思って、そのクリスマスイブの晩に牙城さんに電話したんですね「あれ、もう一冊やらないんですか?」「本無しでパーティーだけやるんですか?」と。

そしたら、牙城さん「撰者が、2年にわたる討議の末、最高の人選として42人を出したんだから、あれ以上はない。あれは、もうあれでいいんだ」と言われるんですね。じゃあ(磐井さんたちには失礼ですけど)「撰者を替えて、また続けるというのは、だめですか?」と聞くと、「撰者もベストの3人をお願いしているのだから、それは撰者に失礼で、考えられない」と言って、うんと言って下さらない。

ぼくも、こういう時だらだら粘るほうなんで、いろいろ言いながら、一時間以上しゃべったと思います(二人とも、だいぶお酒は入ってました)。ぽろっと、牙城さんが「週刊俳句編でやる?」と言われたんで、即座に「ありがとうございます。天気さんと相談します」と言って、電話を切りまして(笑)。

西原:付言しますと、「竟宴」の二次会で、「三冊目は出ないのか」「邑書林がやらないなら、週刊俳句でやったらどうか」という声がありました。酒席の個人的な話題として、ですが。

筑紫:私は『超新撰』に上田さんが入った時、第3弾が出ることをうすうす想像していた(笑)。

上田:じゃ、誰もが予感していた道筋だったわけですか。ぼくは運命にあやつられてたのかもしれませんね。

筑紫:『俳コレ』の入集作家に、熱心な人がいれば第4弾があるわけです(笑)。

上田:で、25日、天気さんに「密談」というタイトルのメールで、「週俳」編集、新アンソロジーやれるかも、ということを電話の経緯とあわせて書いて送りました。すぐ会って話しましょうか、と言ったら、天気さん、まあ年末年始ゆっくり考えましょう、と。どうどう、みたいに制されまして。

西原:そうでしたっけ? 怠け者ですね。すみませんでした。私にはアンソロジー関連の発想も具体的なアイデアもありませんでした。

それと、この席上でこんなことを言うのは場違いに水を差すようですが、個人的には、この手のアンソロジーについて、意義を認めつつ、またおもしろがりつつも、一方で、「制度的」なものを感じ、一定の距離をとってしまうところがあります。その意味で信治さんとは温度差があったのでしょう。

このあたり話がややこしくなるので、「制度的」の3文字で忖度していただくとして、ともかく、信治さんは「年末年始ゆっくりと」などせず、力強く企画を進めたわけです。

上田:たまたま年末31日、牙城さんが、これから上京とtwitterで書かれたのを見て、すぐ電話して(twitter、便利ですね、人が何してるかすぐ分かる)、用事が終わられたら新宿で会うことになりました。新宿中村屋の3階でしたっけ、ファミレスみたいなところです。飲茶セットとビールか何かを頼み、牙城さんに、出版の意志を確認しました。

邑書林の条件は、最低の買い取り数の保証と、『新撰』シリーズとの連続性を作らないこと、でした。具体的には、装丁は間村さん以外で、タイトルは『○撰』以外でやる、ということ。約束した買い取り数は、俳壇配布分ということで、たぶん編集費を除く制作費用の1/2に満たない数字だったと思います。『新撰』の、出資者むけの経費内訳も見せてもらいました。

筑紫:やはり、資金確保が問題ですよね。『新撰』はほとんど資金問題から出発しましたし。

上田:『超新撰』の時、ぼくはそこそこ冊数買って、「里」や、「週刊俳句」でお世話になった方に、どーっと配ったんですけど、そしたら、たくさんお手紙をいただくじゃないですか。こんな嬉しいことはないな、と。お手紙で書き抜いてくださった句を記録しておくと、すごく面白い資料になりますし。

自分で買って配ることのメリットを知っていたので、入集作家の方にちゃんとお勧めすれば、それなりの数を購入していただけるだろう、リスクを取ってくれた邑書林に損はさせない、という勝算はありました。

(つづく) ≫第2回

2012-01-29

〔超新撰21を読む〕上田信治の一句 野口 裕

〔超新撰21を読む〕
一瞬のうちに人体を
上田信治の一句……野口 裕


ところてん池は雨降る前の色  上田信治

すべての事柄は、何かが起こる前兆としてあり、起こりえる何かはいつ起こるかわからない。どろんとした池の色は、何もかも溶かし込んでいるようであり、すべてをやんわりと拒絶しているようでもある。

ペアノ曲線というものがある。画像検索をかければ、いろいろな例がたちどころに出てくる。要するに、空間上のすべての点を舐め尽くす曲線と思えばいいわけで、形状は一見ところてんに似ていなくもない。

線状の物が空間を埋め尽くす不思議さ。それはあくまで近似されたものであるが、有限者が、無限を頭の中で考え得ることの、いわく言いがたい奇妙さを当事者に感じさせる。ちょっと前なら、それを神の存在証明と見なせたろうが、そんなことはどうでもいいわの時代ともなると、奇妙なことは奇妙なままで頭の中に放り込まれたままになっている。たまにそれを引っ張り出すと、

  押入を開けて布団の明るしよ

どこか、あっけらかんとした風情を漂わせる。

おりにふれて、人はそれを考えずにはいられない。いや、考えるというのは大げさすぎるだろう。それは一瞬のうちに、人体を、馬耳東風のように、通り過ぎるものだからだ。


『超新撰21』・邑書林オンラインショップ

2012-01-15

〔超新撰21を読む〕小沢麻結の一句 野口 裕

〔超新撰21を読む〕
夢想と現実
小沢麻結の一句……野口 裕


春の雲ぬうつとネアンデルタール人  小沢麻結

なんとなく、はるか昔に国語の教科書で読んだ『更級日記』の作者を連想した。『更級日記』の作者は、源氏物語にあこがれる夢想家であり、配偶者に対する愚痴を延々と連ねる現実家でもある。

句が、源氏物語を引用したり、愚痴を延々と連ねているわけではないが、作者の位置は常に温存されていて、視線を遠くに伸ばせば夢想の世界が広がるか、現実の世界がこちらにやってこようとする。前者の例は、

  月涼しピーターパンの影よぎり
  呼吸する光となりて螢飛ぶ

などに代表されるだろうし、後者は

  吊革も手摺も苦手冴返る
  北風を入れ病室の掃除時間

を数えることができるだろう。

この両者の混合が、小沢麻結の世界を作り上げているように見える。夢想家が現実をいかに生き抜くか。多かれ少なかれ夢想家にならざるを得ず、夢想を抱かなければ生き抜けない現実を抱える現代人にとって切実な問題ではある。ネアンデルタール人は、ちょっと恐ろしげだが、どこかそうした現実に対する処方箋を与えてくれる存在として、上空に浮かんでいる。


『超新撰21』・邑書林オンラインショップ

2011-12-11

〔超新撰21を読む〕久野雅樹の一句 野口 裕

〔超新撰21を読む〕
たはむれにクイズ形式
久野雅樹の一句……野口 裕


問題.以下の文章を読み、「   」の中に入る適当な一句を、『超新撰21』久野雅樹の百句の中から選んで記入せよ。


鞦韆や和魂洋才ともになく  久野雅樹

謙遜ではなく本当にそう思っているのだろう。百句を一読すれば作者の教養のほどは大変豊かだと分かる。昔風の一般教養だけではなく、最新の科学知識にも精通していそうである。



「      (1)        」

だが、知識を持っていればいるほど自分には何かが足りない、という思いにかられるのではないだろうか。



「      (2)       」

明治の知識人よりも大正の知識人、大正の知識人よりも昭和の知識人と時代が下るにつれて人物が小粒になってゆくと、よく言われる。柳田国男は孝行というものを大事にしなくなったせいだと言ったらしいが、それもよく分からない。



「      (3)        」

いずれにしても、平成の時代に生きる人間の持っている教養のほどは知れたものだろう。作者は、俳句は余技だと言い切る。教養を深める方向ではなく、教養を広げる方向を指向しつつ、己の句にときおり現れるまじめな顔



「      (4)        」

を素早く隠し、「他者と共有可能な筋目」(作者の言葉)を通そうとする。余技という言葉にあった、悲しき玩具とでも呼びたくなるような否定的な意味合いを払拭し、句とともに微笑し合えるような世界が作者の理想だろう。それは半ば実現している。

一人一句といいながら、いつも複数句の引用になる。それが、少々気になっている。作者が大学の先生ということもあるので、こんな形式も良いかと遊んでみた。

たはぶれをせむとて生れサングラス  同



【答】 ※白文字になっています。見るときはマウスでドラッグしてください。

(1)
 P190-1 P194-2 P196-6 など多数
遺伝子の乗物にして花見かな
恐竜の裔の眼に百千鳥
さいころを時にふりつつ神の旅
…など多数(いずれも正解とする)
(2)
無知の知のはるかにありて卒業す
(3)
でんでら野一族の蟾皆ゐるか
(4)
当事者でなくなつてゆく蝉時雨
めぐるものあり大試験見守れり
(いずれも正解とする)


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2011-12-04

〔超新撰21を読む〕田島健一の一句 松尾清隆

〔超新撰21を読む〕
予言?
田島健一の一句……松尾清隆


白菜が祖母抱きしめて透きとおる  田島健一

この句を読んで先ず感じたのは、「白菜」と「祖母」の関係がふつうと逆転していることへの違和感。当初はただそれだけであった。

ここで作者自身のブログにある声のコンテンツ「はいくのじかん(2)7月18日 現代俳句協会青年部勉強会 二次会にて」からその発言を引いてみよう。

「俳句って、みんな写生っていう頭があるから、もう既に起こったこととかを詠もうとするじゃない。でも、起こりうることを詠むんだよ」

「大震災のあとに色んな句が出来るけど、あれはぜんぶ起こったことなんだよ。だから何か違和感があるわけよ。起こる前もそういう事ってあったはずだと思うの」

「起こる前と後で作る句が変わるっていうのは、そもそもそこにアプローチ出来てないということ」

(※居酒屋での会話を録音したものなのでこういう口調になっています)

改めて掲句を読んでみると、震災を境にわれわれが意識せざるとえなくなった、人間と自然とのパワーバランスの変化を事前に察知していたかのようである。作者自身のことばを借りれば、そこにアプローチ出来ていたということになろう。

短歌界では、穂村弘氏がちかい内容の発言をしている。「歌壇」11月号の鼎談「震災後の表現の行方」から引く。

「うーん。今は事後という意識なわけじゃないですか。だけど、何かの事前でも つねにあるわけで」

「塚本邦雄には戦争という絶対的な体験があって、第一歌集が戦後に出る。その時間というのは事後だよね。でも、そのときの大きな出来事を抱え込んでいて、 それを事前の文体に変えるというか。その後、生涯、今はこれから厄災が起きる戦前なんだということを言い続ける」

これを読むと、田島氏の発言もそれほど突飛なものではないと思える。最初に感じた違和は、日常や常識というものに対して作者が差し挟もうとしている違和感なのかも知れない。



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2011-11-27

〔超新撰21を読む〕佐藤成之の一句 野口 裕

〔超新撰21を読む〕
土と空の両方が
佐藤成之の一句……野口 裕


十月の青空転ぶなら前へ   佐藤成之

前半の小題が「二十世紀」、後半の小題が「二十一世紀」。作者の所属結社は、東北に位置している。『超新撰21』が発行されてからほぼ一年が経とうとして、新作句群のため、すでに新しい小題が用意されていることだろう。上掲句は、「二十一世紀」から選んだ。

作者は自身の立脚点を、「みちのくは光棲む国桃青忌」と詠んでいる。『奥の細道』にある、「象潟や雨に西施がねぶの花」は、1804年に起こった地震によって景色が失われた。記録された言葉が、その景を伝える。風景は時空に支配された事物の限定された配置でありながら、言葉によって記録され記憶の伝承とともに窯変を引き起こす。

その力の源泉は、「転ぶなら前へ」の姿勢だろう。時にこうした言葉には、鼻白むこともままあり得る。どちらかと言えば、私はそうした感想を二六時中持つ方である。だが、そう言わずにはおれない時がしばしばあることも、理解はする。「雨ニモマケズ」との言葉も、同じ風土の中から出てきた。

転んだ地点から、土と空の両方が見えている。


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2011-10-30

〔超新撰21を読む〕杉山久子の一句 野口裕

〔超新撰21を読む〕
風を蹴るおばあさん
杉山久子の一句……野口 裕


春風を蹴る三人のおばあさん   杉山久子

一読、西東三鬼の「緑陰に三人の老婆わらへりき」を思い起こすが、もちろん句の肌触りはまるで違う。一体に、この作者は根の深いところまで向日性を秘めている。どの句も、明るい印象を残す。

 跳箱の内のくらがり桃の花
  蛍火や体内の水あふれさう
 なきがらをかこむ老人天の川
 滝となりまつさかさまをよろこべり

闇を詠んでも、死を詠んでも、どこかに安らぎを感じる句柄は、人柄の反映であるかのようにも見える。句を作るというよりも、句が出来てしまうようなところがある。勢い余って、対象物に心情を託した句が四句目だろう。寄物陳思は短詩の伝統的な方法論だが、素直に喜びを表現する物体の存在は珍しい。

作者は未だ老年には遠いが、理想とする老境が風を蹴ってしまうおばあさんではなかろうか。そんな老境に達したときの句も読みたくなる。が、よく考えると私の方が作者よりも年上だからそれは難しい。せいぜい風を蹴るおばあさんを見習い、少しでも見届けることにしよう。



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2011-09-11

〔超新撰21を読む〕青山茂根の一句 野口裕

〔超新撰21を読む〕
窯変のきらめき
青山茂根の一句……野口 裕


うろくづといふ雑炊の小さき色  青山茂根

感覚の冴えが句に定着するときに、定型の生理そのままに定着するときと、作者の意識あるいは無意識によってわずかな窯変を起こす場合とがある。青山茂根の百句は、窯変のきらめきの中に、定型の生理そのままに定着する句がシンコペーションのように出現し、面白い対比をなす。感覚の冴えをそのまま投げ出したように見える句は、時代の危機感から遠いように見えながら、時代の変化に敏感に反応する。

  ドル紙幣とて短夜の傷を負ふ

  GIPPO拾ふはんざきの重みとも

「個と全体」は、使い古されたテーマのように見えながら、時代とともに変奏を繰り返し、そのたびに甦る。個の立場からそれを見事に演奏し得るのは、感覚鋭い人の特権であるだろう。時代はいま急激な流れの中にある。

  夭折を果たせぬ我ら燗熱し

夭折を許されぬ人は、次代を歌わねばならぬ。



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2011-08-14

〔超新撰21を読む〕山田耕司の一句 野口裕

〔超新撰21を読む〕
視覚と嗅覚をさまよう
男波弘志の一句……野口 裕


揚羽蝶帯の匂ひのしてならぬ  男波弘志

昔懐かしい言葉で言うと工業地帯に生まれ、両親は生活に汲々としていたもので、伝統的な宗教とは縁遠かった。長じてから、たまに阪神地帯を南下し、弘法大師の勢力圏であった和歌山あるいは四国方面に出かけると、ちょくちょく曼荼羅に出会った。

しげしげと眺めたことはないが、ちょっと見にどうも奇妙なものに思えた。平面を分割して、分割した一区画ごとに意匠が描いてある。一区画は全体の縮図のようであるが、ひとつひとつは異なっているようにも見えた。

さらに長じてから、美術館や博物館で鑑賞するなら、見る方の意識も気取ったところが出てきているので仏教の哲理みたいなところに向いていくだろう。だが、値段の安さにつられて泊まったお寺のやっている民宿で見かけたときは、あの味噌汁はまずかったなとか、えらく蚊にやられたなとか考えているところで出くわしたことになり、そんな状況での曼荼羅は下卑ているようにも見え高尚なようにも見えた。

揚羽蝶は綺麗なものながら、生物として当然の営みのため、雌ともなればフェロモンを放っているだろう。とすれば、この句の「帯の匂ひ」はフェロモンに近いものだろうか。蝶の紋様は帯のそれと重なりつつ、しかもずれる。作者の操るところにしたがい、読者の想念は視覚と嗅覚をさまよう。



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2011-08-07

はいく×まんが09

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2011-07-31

〔超新撰21を読む〕山田耕司の一句 野口裕

〔超新撰21を読む〕
一隅を照らす
山田耕司の一句……野口 裕


ちりめんのよぢりすぢりを花見かな  山田耕司

巻末座談会での筑紫磐井によると、句作中断の時期があったらしい。しかし、それに対応する句風の変貌はあまり感じなかった。百句の後半に、句作中断前からの友人に対する追悼13句があげられていることも影響してか、句風は連続している印象を受けた。その句風は以下のようにまとめることができるだろうか。

この世を祖述する正統な言葉(世界観)は失われている。対するに、世を呪詛する言葉さえも奪われている。

  黒揚羽耳の奥より逃げ出しぬ

世は悲しみに満ち、悲哀は我が身を貫く。

  茄子に臍彫りて不幸をわびにけり

だが、言葉は取り返されねばならない。

  炎天を吸ひ炎天にラッパ吹く

以上のような観点から書かれたかに見えるが、一句がすべてを言い尽くすことはない。ひとつひとつの句は一隅を照らす役目を果たしつつ、すべてが一句の中に透けて見えるような句に仕上がっている。一句で全体を表そうという性急さとは無縁の余裕があり、それがユーモアと結びついている。

最初に揚げた句は、そうした美点をたっぷりと湛えている。



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2011-06-26

〔超新撰21を読む〕上田信治の一句 村田 篠

〔超新撰21を読む〕
同じ高さに
上田信治の一句……村田 篠


夢のやうなバナナの当り年と聞く  上田信治

一読して、「あれ?」と思う。

楽しい事柄が詠まれているのだけれど、うまく共感することができない。その理由はかんたんで、バナナは好きだけれども、「バナナの当り年」というものを大喜びするほどにはバナナを愛していないし、バナナに思い入れもないからである。はたと膝を打って「そうそう、うれしいよね、夢のようなんだよね」と言えないからである。なんというか、バナナというのは、そんな思い入れとあまり親しいとはいえない食べ物だという気もする……もちろんこれは、勝手な決めつけだけれど。

けれども、再読三読するうち、じわじわとおかしさがやってくる。バナナの当り年だなんて、しかも、夢のようだなんて。そんな会話がかわされた、そのことの、そこはかとないおかしさ。

と、ここで、ふと、この「夢のやうな」が作者の心情ではないことに、あらためて気づく。今年は「バナナの当り年」だと誰かが言った、その人物が「夢のやうな」と形容したのだ。

俳句の中で使いづらい、使いたくない言葉というものがある。「夢のやうな」なんて、その最たるものかもしれない。けれども掲句のなかで、この言葉は陳腐ではない。誰かの発した言葉としてそのまま書かれることで、むしろ、その人物をたっぷりと想像させてくれる。「バナナの当り年」のことを夢のようだと思うような人物。そんな人物がどこかにいると考えるのは、とても楽しく、幸せなことだ。

「上と下」と題された作者の100句を通して読むと、人やものごと、外界にそそぐ作者の視線は、いつも対象と同じ高さにある。そして、言葉が無理なくていねいに置かれている。そこにはもしかしたら、作者の細心の工夫があるのかもしれない。けれど、おいそれとはそう感じさせない軽みがある。

ふところが深いのだ、と思う。

 椎茸や人に心のひとつゞつ  信治



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〔超新撰21を読む〕小野裕三の一句 野口 裕

〔超新撰21を読む〕
過去と今ある現実との対比
小野裕三の一句……野口 裕


シーサイドホテルざらつく夜の蟻  小野裕三

時の流れをやすやすと書き留める才能を持っている人のようだ。柔らかな感性が、時代の風俗にひたと寄り添う。

  春の夢何万トンの夢だろう
  冬夕暮アジアのうたをうたうべし
  アルゼンチンタンゴの背中沈むかな

第一句集『メキシコ料理店』からは抄出ながら、そんな作者の特徴が明瞭に示されているようだ。どんな夢にせよ、何万トンと豪勢な量だったり、広汎なアジアに届けとうたう歌声だったり、ねっとりと沈む背中を官能的なリズムがたゆたえば、想像をかき立てる遠い異国だったりと、時代の中で人々が追いかける夢の世界を言い当てて、夢の世界を現実化させるのではなく、人々の想像力を現実化させる。

では、句集以後の世界はどうなるか?

  大西日解答用紙のような村

若干、夢の世界は現実化しない、という「白けた」気分を漂わせる。それが、あきらめや皮肉にならず、「白けた」という語にふさわしい句として示される。そして、「白けた」気分を目茶苦茶正確にトレースする句が、最初に掲げた一句になる。

今回の句群では読み取りにくくなっているが、巻末の「合評座談会」によると筑紫磐井は、

  人体みなさびしい教室である

のような、少しノスタルジックな句を良としている。それを考慮すると、作者の本領は、人々が否応なく行ってしまう、過去と今ある現実との対比から抱く思念を明らかにするところにあることになる。

これだけはっきりと時代の節目が来てしまうと、作者が今後どんな句を作ってゆくのか、どうしても気になる。はっきり言って、凡庸な読者には想像できないことではある。刮目して待つ。



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〔超新撰21を読む〕田島健一の一句 生駒大祐

〔超新撰21を読む〕
たじま酔い
田島健一の一句……生駒大祐

空がこころの妻の口ぶえ花の昼  田島健一

〇.

「しずる酔い」という言葉がある。

佐々木あらら氏の作成した短歌を自動生成するスクリプト、「星野しずる」の作品を読んでいると起こる現象で、「星野しずるの歌を長時間、大量に読んでいると脳の調子が悪くなってくることがあり、この現象を『しずる酔い』と呼んでいます。」とのことである。

超新撰21の巻末の座談会にも、筑紫氏の「自動筆記的な作り方になっている気がする」という言葉があるように、田島氏の作品を読んでいると、「しずる酔い」と似たような「たじま酔い」とでも言いたくなるような「酔い」が回ってくることがある。

しかし、「しずる酔い」が「脳の調子が悪くなってくる」というどちらかというと「悪酔い」を指す言葉であるのに対して、「たじま酔い」は僕にとっては「気持ちいい酔い」である。この二つの差異はなんなのか。ちょっとだけ考えてみる。

一.

まず、「しずる酔い」に関して。「しずる酔い」とは作成者の佐々木氏によれば「短歌を読み慣れている歌人たちは、どんなに飛躍のある短歌でも無意識に、強引にでも理解しようと頭をフル回転させます。その結果、精神にちょっぴり悪い影響を与えてしまうようでした。」とのことである。

僕が実際にしずる短歌を読んでみたところ確かに「酔った」。それを僕なりに分析してみると、

・助詞と名詞の非対応性による文意自体の取りづらさ
・抽象的な語彙が多いことによる多義的な解釈の可能性
・文に意味がある保証が無いことによる無意識の不安感

に集約されるように思われる。

さて、それらはたじま俳句にも当てはまるのかと考えてみると、実は全く当てはまらない。たじま俳句の助詞と名詞の扱い方はごく常識的であるし、座談会で高山氏が指摘するように形容語は多いもののたじま俳句の中心は意表を突いた特有の述語の扱いにある。

では、全く自動筆記的ではないかというとそうともいえなくて、取り合わせの飛躍が大きい点は確かで、そこが単語の連なりの無意味性を感じさせ、そこは一見自動筆記的ではある。

例を出すなら「机にリンゴが置いてある」という常識的な文章に対して「リンゴに机が置いてある」と書く(「リンゴに~が置いてある」という構文はあまり見かけないが、「~に~がある」という構文が決めうちであり、そこにリンゴがランダムに嵌るため意味が取りづらい)のがしずる的、「机に偶然が置いてある」(「机に~が置いてある」という構文は守りつつ、そこに飛躍がある単語を持ってくるのがたじま的)といったところか。

では、単なる自動筆記の偶然性とたじま俳句の違いはどこにあるかというと、先ほどのしずる酔いの原因の第3項にあるようだ。すなわち、たじま俳句は「信頼できる」のである。

それは人間が書いているという暗黙の信頼感以上に、たじま俳句の飛躍に一定のリズムがあることによるようだ。それは抽象的な語彙と具象的な語彙が一定の感性で組み合わさっていること。同じ語彙が違う文脈で参照され、しかし、文脈が違うことによる意味の微妙なずらしがあること。それでいて韻律の多彩が読者を飽きさせないこと。などに拠る。


そのために、一見意味が分からないはずなのに、なんとなく「風景」が見えてしまうことへの戸惑いすら覚えてしまう。いつか見た光景/いつか見えるはずの光景がそこには、ある。

そのリズムに乗ってどこまでも「風景」を見続けたくなってしまう状態。それが「たじま酔い」なのかもしれない、と思った。

二.

掲句。
「空がこころの妻の口ぶえ」のフレーズのなんと心地良いことか。それを祝福するかのような「花の昼」は、とても明るい。

言葉が言葉のまますうっと心に入ってきて、心の中に風景を作る。この作者はたぶん言葉を、そして言葉の宛先を信じている。そういう人の俳句だからこそ安心して酔ってしまうことができる。



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2011-05-29

〔超新撰21を読む〕上田信治の一句 松尾清隆

〔超新撰21を読む〕
大人って…
上田信治の一句……松尾清隆


測量の一人は梅の下に立ち  上田信治


『超新撰21』の帯には「降臨!俳句の大人たち」というコピーが大きめの級数で配されている。前年に刊行された『新撰21』にくらべると収録作家の年齢が高く設定されているということなのだろうが、失礼を承知で言うと、かなりの違和感をおぼえた。むしろ、やんちゃ(失礼!)な作風と言えそうな作者の割合が増しているように思うからだ。もちろん、何をもって「大人」と感じるかは人それぞれであり、感じかたは自由である。その自由を行使して、私なりに「大人」を感じた句を挙げさせていただく。

鶏頭に西瓜の種のやうな虫
うつくしさ上から下へ秋の雨
押入を開けて布団の明るしよ
天井の暖房器具の口開く
昼の月水栽培のヒヤシンス
室内のひかりのなかを春の蝿
ゆつくりと金魚の口を出る小石

上田信治氏の作品群である。氏の作風については「ただごと」「ナンセンス」という見かたもあるようだが、私には「大人」と思えた。中でも、とりわけ強い印象をのこしたのが、冒頭に掲げた一句なのだった。

 賢者とはすべてに驚く人である。(アンドレ・ジード)



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