【週俳600号に寄せて】
またときどき
小澤實
週俳600号おめでとうございます。熱心な読者でなく申し訳ないのですが、600というかりそめならぬ数を重ねて来られたことに敬意を表します。
印象に残っているのは、「結社・同人誌競詠」第1回目の「「澤」vs.「街」」。今井聖さんと対戦するというので、一生懸命作った記憶があります(≫こちら)。2016-09-04の上田信治さんの「ごあいさつ(と、いきさつ)」を読み直してみたら、なんとぼくが発案したことになっているじゃありませんか。単に結社の作品を並べても、結社誌と同じでつまらない。ネットでなければできないことをしたい、と思ったからです。その後、「結社・同人誌競詠」はあったんでしょうか。また、強力などちらかと、今度は審査員を立てて、対戦してみたいです。
また、いつかご提案の「澤」の林雅樹さんとの対談、立ち消えになって、残念でした。なかなか話ができないので、いつか機会があったら、お願いします。ふたりとも照れてしまって、対談にならないかもしれませんが。
角川賞「落選展」、もやもやするものがありましたが、2009-04-12での上田信治さんのご弁明をあらためて拝見して、すこしすっきりしました。さまざまな考え方があることが大事に思えてきました。
未来の俳句を考える際に、ネットにおける俳句について考えていかないといけないはずです。当然のことながら、大きな可能性があると思います。あるいは、平成の俳句を振り返ってみる際にも、すでにネットという場は忘れてはいけない存在になっていましょう。その芯のひとつに週刊俳句があるのだと思います。また、ときどき覗いてみます。
2018-10-21
【週俳600号に寄せて】またときどき 小澤實
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2016-09-25
10句作品 住宅地 小澤實
住宅地 小澤 實
住宅地かつては森ぞ虫のこゑ
爺ひとり住まひ新酒をコップに酌む
ミニカーを戻し放つや廊冷ややか
雑貨屋開店小菊の鉢を出し並べ
禁立ち読みのゴム掛かる書や秋の昼
寿司出前専門店やスクータ据ゑ
庖丁研ぎますと貼紙床屋冷え
ズボンのベルト抜き猿打ちぬいのこづち
犬嗅ぎ過ぎて桔梗の蕾なり
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2014-09-21
対談 新人輩出の時代 小澤實 × 上田信治
対談 新人輩出の時代
小澤實 × 上田信治
小澤 『五十歳以下の俳人二百二十人』、ご労作をありがとうございました。たいへんなお時間と労力とをいただいてしまったことになります。
上田 こちらこそ、自分のような者にご依頼を下さったこと、御礼申し上げます。小澤さんは、なぜ今年、年代別の特集を考えられたのですか。
小澤 俳句という詩型にとって、今新人は誰なのか、どうなっているのか、ということは、いつも関心をもっているつもりです。
それから「澤」という会をやっているからには、「澤」の新人の世に出てもらいたいという思いも、もちろんあります。それから俳人協会で、会員の高年齢化について考えるという機会があって、それもこの特集に関係しています。
能村登四郎の「沖」は毎年毎年、何月号かで、かならず若手特集をやっていました。その中で、正木ゆう子、鎌倉佐弓、中原道夫、筑紫磐井、能村研三といった作家が育って来たということも意識しています。
上田 三月末に、お電話でリスト作成のご依頼をいただいたときは、実現困難に思えました。
小澤 そうですか。若手特集といっても、澤の若手だけを見ていてもつまらない。若手全体を見わたしてみたい、その時、上田さんの顔が浮んでしまったんです。上田さんが、平成俳句から百句選ぶという仕事をなさっていて、刺激的を受けました。
上田 ありがとうございます。「週刊俳句」でやった「私家版『ゼロ年代の俳句百句』」ですね(平成二十二年六月二十七日号)小澤さんに、髙柳克弘さんと高山れおなさんの百句選と合わせて「今年の重要な仕事」と書いていただきました。
小澤 まさに重要な仕事です。まず現在の作品を選ぶことから今の俳句を考えるということをなさっている。それで、若手の作品を選んでもらおうと思ったわけですね。
どう作業を進めたか
上田 「半年分の近詠から選ぶ」というアイデアが浮かんで、ようやく「あ、できるかも」と思いました。期間を区切れば、すでに名前の出ている人も未知の人も、作品を全部読める。全部読んで判断しましたと胸を張って言える作り方をすれば、自ずと俳句の現在の「鏡」と言えるリストになるんじゃないかと。
小澤 半年というのが、あざやかな切口でしたね。全部読んで判断するというのが上田さんです。
上田 権威がないので労働価値説に頼りました(笑)。
角川「年鑑」の「年代別収穫」に一度でも名前の挙がった「五十歳以下」の作家が過去七年で約百人。加えて、各総合誌への掲載、新人賞の予選通過者、結社内部からも推薦をもらって、三百人強くらい。その皆さんの半年分の発表作から、この形にまとめました。それでも、見落としてしまった大事な方がきっと何人もいる。そういう方たちには、本当にあやまりたい。
小澤 こういう仕事はどうしてもそういう面が出てきましょう。半年といっても膨大な作品ですからね。
上田 そう言っていただけると救われます。加えて「澤」会員の方の作品も半年分拝見して、失礼ながら、この方は外に出したらこれくらいかな(笑)と考えながら、多少のひいきも加えつつ、入っていただきました。
小澤 だいぶ掬いあげていただきました。
年代別の印象
上田 思いつくままに、リストから感じたことを言いますと、まず「書き手には旬がある」ということ。
山本夏彦が「作家は十年」ということを書いています。「のぼって三年、維持して三〜四年、下降して三年」だと。
小澤 俳句もそうですか。もっとじっくり変化していくという印象ですが、そうでもないですか。
上田 俳人は、登場時点ともう一山、五十代から六十代前半に大きな仕事をされる方が多いですね。
ただこのリストは現時点のものなので、既に名前の知れた方で残念ながらという人もいるし、逆に、いつの間にこんなに面白くなっていたかという人もいる。結果的に、今まさに充実している人「有名じゃなくても、まとまった句数を依頼したらいい作品で応えてくれそう」な人優先の、発注側の目で見たリストになっているように思います。
小澤 週刊俳句の編集者としての目があるんですね。編集者の方にこの企画の話をすると、切実にこのリストをほしがられます。
上田 この人たちは年代的に、小川軽舟さんのいわゆる「昭和三十年世代」の「下」なんですね。
小澤 そうですね。僕の世代の下ということになります。
上田 はい。たとえば、青山茂根さんや佐藤郁良さんは櫂未知子さんの影響が強い。小川軽舟さんの「鷹」で育った人たちもいる。長谷川櫂さんの「古志」も、石田郷子さんの「椋」も人を育てています。もちろん「澤」もそうです。
そして、多くの人が、その「昭和三十年世代」の、楽天性を受け継いでいますね。
小澤 楽天性というのは俳句の本質にかかわる性格だと思います。それを受け継いでいるということは重要ですよ。
上田 一方でいわゆる「大正十年前後生まれ」の大俳人たちの、直接の薫陶を得ている人は、金子兜太さんが現役の「海程」の他は少数派です。
小澤 強烈な大俳人に弾かれて止めてしまった人も多かったことでしょう。もはや希少種になるわけですね。
上田 隔世遺伝という意味では、高柳重信から澤好摩を経て山田耕司。三橋敏雄から池田澄子を経て佐藤文香という人たちも面白いんですが。
小澤 山田さんの句に高柳の匂い、それから佐藤さんの句に三橋の匂いをあまり感じられないのですが。本家があまりにも強烈ですから。それが平成風なんでしょうか。
上田 高山れおなさんは山田さんを「俳句評論」的倫理主義と評しました。僕はそれを、俳句が所与のものとしてあることを認めない重信譲りの身構えと解釈しています。池田さんを通じて三橋敏雄が佐藤さんに伝えたのは、作家がどこまでも独行者であることなんじゃないかと。
話を戻しますと、このリストにはその大俳人たちの少し下の世代の人についてやって来た人が多いんです。「大正十年前後」世代が家父長的存在だとしたら、ちょっと若いインテリの叔父さん叔母さんのような(笑)。
「南風」「藍生」「未来図」「百鳥」「狩」「炎環」、先生も弟子も、ある種の自己抑制が効いたといいますか、コントロールのいい大人の作家が多い。
小澤 よくわかります。たしかな安定感がある。
上田 四十代は「前衛」の系譜から作家が出ているという印象があります。山田耕司さん、高山れおなさん、関悦史さん、鴇田智哉さん、田中亜美さん、田島健一さん、宮本佳世乃さん。小野裕三さん。九堂夜想さん。
小澤 かなり強烈な面々。澤の押野裕、榮猿丸はこういう人たちと生きていかないといけない。もちろん、大丈夫だと思いますが。
上田 ぜひお互い存在理由を賭けてライバル視してほしい(笑)。絶対どちらにも、そうある世代的必然性があるんですから。
三十代は、逆に「伝統」系の結社の中に人がいる。
小澤 そうですか。だいぶおとなしくなるわけですね。
上田 粘り強くやっている人たちです。二十代は俳句甲子園「組」ですね。
小澤 甲子園出身者が存在感をもっている。
人はひとりでは面白くならない
上田 「人は一人で面白くなるわけではない」という名言があって、コラムニストのえのきどいちろうが言ったことですけど、あの人は学生の頃ミニコミ誌をやっていて、そのまま雑誌の世界に入っていった。その学生上がりの書き手の中に、ナンシー関などがいて、みんな有名になりました。
小澤さんも俳句を始められたとき、すぐ近くに、小林恭二さん、寺澤一雄さん、岸本尚毅さん、四ツ谷龍さん、田中裕明さん等々といらしたわけじゃないですか。
小澤 はい。小林さんは仲間というのではなく、年下なんですが、師匠的存在でしたが。
上田 つまり「作家はかたまって出る」。自己形成は、同年輩で寄ってたかって行われるとき白熱するものです。
小澤 同感です。「ホトトギス」でも「馬酔木」でも、作家はかたまって出てきました。
上田 新人登場の歴史を言いますと、飯田龍太の「雲母」終刊からこっち、平成無風と言われたのが平成十年代の初めまででしょうか。
「ルート17」という若手俳人グループがありましたが、作家集団として存在感を示すところまで行かず活動を停止します。
小澤 そのグルーブ、名前も知りませんでした。
上田 鴇田智哉の俳句研究賞が平成13年。平成14年には第一回芝不器男俳句新人賞で冨田拓也が正賞、関悦史と神野紗希が奨励賞を取ります。
髙柳克弘の俳句研究賞が平成16年。津川絵理子、明隅礼子の俳人協会新人賞、杉山久子、佐藤文香の第二回芝不器男賞が平成18年。佐藤郁良の俳人協会新人賞が平成19年。
小澤 優秀な若手がつぎつぎに登場してくる。
上田 佐藤文香の『海藻標本』は平成20年です。彼女の世代の作者で、いち早く俳壇に評価される句集を出した。
小澤 みずみずしい句集でした。「少女みな紺の水着を絞りけり」。
上田 相子智恵の角川俳句賞が平成21年。山口優夢の角川俳句賞と、御中虫の芝不器男賞が22年。
アンソロジー『新撰21』『超新撰21』『俳コレ』はそれぞれ平成21年、22年、23年。これらのアンソロジーには、越智友亮、村上鞆彦、小川楓子、野口る理、小野あらた、福田若之という名前がある。
小澤 相子さんの受賞、うれしかったなあ。『新撰21』『超新撰21』の巻末の座談会に編者でもないのに参加していますが、作品の多様性に目のくらむ思いでした。
上田 まさにこの十年は、新人輩出の時代でした。
小澤 そうだったんですね。もはや無風ではない。
上田 鴇田、冨田、関、という強力なオリジナリティで出てきた人がいて、俳句甲子園組がここに加わる。
「ルート17」の人たちは結社所属の若手だったんですが、関、佐藤のような単独で世に出た人たちにやや遅れてスタートラインに並ぶというか、順当に、俳壇の後継者、次世代として押し上げられていきます。
大谷弘至が「古志」の主宰になったのが平成23年。津川、村上が「南風」の副代表になったのが、平成24年。昨年「河」の副主宰になった鎌田俊、堀本裕
樹、阪西敦子、日下野由季、矢野玲奈、篠崎央子等、この人たちがみんな「ルート17」だった。
小澤 優秀な人が集まっていたんですね。
上田 彼ら新人の多くは、お互いごく近い友人同士です。彼らは、俳句の「師」あるいは俳句史への縦のつながりの意識と別に、同世代の俳人あるいは同時代の文化状況への横のつながりの意識の中で書いているように見える。
小澤 縦よりも横が強い。ぼくら昭和三十年世代でもそういう傾向はあったが、もっとずっと横意識が強くなっている。それが現代なんですね。
上田 お互いやっと会えた者どうし、絶滅危惧種として(笑)というのは冗談ですが、その横の関係が俳句を育む場になっている。逆に結社やグループの中だけでやっている人は、孤独を感じないのかと思います。
小澤 もし孤独を感じている人がいたとしたら、その結社は座として機能していないのではないかな。
上田 結社に人間関係があったとしても、その人のいる集団が、今の俳句とつながってない場所になっていることは多いでしょう。価値観に現代に通じるものがないとか、新しい作品が生まれていないとか。
個々には尊い試行もあるのかもしれないし「世に出る」という言い方に反発を感じる人も多いと思います。でもやっぱり、どうにかして世に出て欲しい。読者としてはそう希望します。
小澤 新しい才能が世に出ることで、俳句という詩型は今まで生き長らえてきました。俳句にたずさわる全員がしなくてもいいですが、特に若い世代は挑戦するこころを忘れてはいけないと思います。
上田 はい。その人の試行を、俳句の現在の富の一部にしてほしい。要するにいっしょにやりたいんです。たとえば新人賞に応募して欲しい。そうしたら、みんながその人の存在に気づける。
小澤 新人賞に挑戦。まずそこからでしょう。
上田 これは小澤さんはお考えが違うかも知れませんが、自分のグループの生産性が低いとか燃えていないと感じたら、遠慮なくよその句会に出るとか、複数の結社に入るとかすべきだと思います。
小澤 一般論としては、賛成です。ただ、複数の結社に入っている方はそこそこにうまくなるとは思いますが、それ以上には育ちません。
上田 きびしいお言葉ですね。僕は同人誌で始めて独学ですから、育てられるという感覚がよく分かりません。
小澤 そうですか。澤の仲間が去るというならあきらめますが、同時に別の結社に加わるというのは、寂しいです。
せっかく選で育てて来たものがうすまってしまうと思うのです。別の結社と二股、三股をかける作者には、僕は責任をもたなくていいと思っています。
最近は超結社の句会も多いようですが、せっかく育てられて来たものを薄め合う結果に終ることが多いのではないかと思っています。もちろん、うまく使い分けている人もいましょうが。
心象優位の時代
上田 まとめながら途中で気がついたんですが、作品全体の傾向として、現実あるいは外界との結びつきが薄いんですね。内部感覚中心。心象的と言ってもいい。
小澤 そうですね。内面に入り込んでいる人が多い。
上田 自分の好みでそういう句や人を選んでしまったかと思って、資料を読み返しましたが、やはり、リアリズム、写実主義の方法で書いている人は少数派です。
小澤 澤俳句の独自性を確認することになります。
上田 小澤さんは、俳句の言葉の具体性・描写性を非常に大事にされていますよね。
小澤 そうです。描ききりたい。描くというよりも、俳句では、ことばをそのまま「もの」にしたいのです。
上田 俳句の言葉が、何かを指して名前を呼ぶように使われるときに一番強いことは、間違いないと思います。近代俳句は子規以来、虚子から、敏雄、兜太に至るまで、「もの・こと」を言葉に定着することを基本的な方法として、そこに心象的・抽象的な「こころ」優位の(具体的な事物以外のものを全部「こころ」と呼ぶとして)表現があらわれてせめぎ合う、という展開をしてきた。
小澤 写実と叙情との間に揺れてきた、と言ってもいい。
上田 そして現状はいわゆる伝統回帰の延長にあって、岸本尚毅さん、小澤さんがリアリズムの方法に立たれている。当然、写実優位なのかと思っていたんですが、ぜんぜんそんなことはなくて、むしろ心象優位の時代だった。
小澤 そうですね。こうしてみると驚きます。
上田 たとえば依光陽子は、もともと非常に抽象的なテーマを詠む作家です。〈僧ひとり寺を離るる春の霜〉。「離るる」の物語性と「春の霜」で、ひとつの透明な精神の喪失を描いている。
甲斐由紀子の〈みな濡れて月待つ蟹となりにけり〉も、蟹が「みな濡れて」月を「待つ」という擬人法と「うっとり感」は、非常に心象的です。
小澤 依光さんの句はリアリズムで読んでしまいそう。甲斐さんの心象的うっとり感はよくわかります。
上田 全体に詩性や精神性への傾きが強く、現実世界の描写よりも、空気感のようなものが大事にされている。
小澤 景を描き出すことよりも、ことばのバランスに心が砕かれているような気がします。
上田 「言葉に無理をさせない」ということが、標語のように言われますね。大正十年前後生まれの世代の森澄雄や能村登四郎、飯田龍太にあった心象性が、平成俳句の中心的モチーフになっているのかもしれません。昭和三十年世代
でいえば、田中裕明、正木ゆう子でしょうか。
小澤 「ことばに無理をさせない」ということがたいせつなことはもちろんわかっています。でも、時には無理をさせたくなる時もあります。昭和から平成へと貫くものは心象性なんですね。
上田 そう思います。たとえば津川絵理子の近作ですが、〈受話器置く向かうもひとり鳥渡る〉〈鴉呼ぶ鴉のことばクリスマス〉(「南風」)、あるいは村上鞆彦の〈手の冷えて色なき海を見てゐたり〉。鴇田智哉の存在も大きい。
小澤 津川さんの両句とも好きですね。心象性は強いのですが、「受話器」「鴉」といったものの手応えがある。
上田 全体の傾向がこうなので、金子光利や高橋進のようなリアリズムは目立ちます。もちろん関悦史も。
小澤 〈結氷に湖の桟橋捩れたり 光利〉いいですね。「梟」を開く時、注目してみます。関さんの句のたしかさには、ずっと魅かれてきました。
上田 意外なことに「ホトトギス」系の作家も写実的じゃない。相沢文子〈帰りには頰の渇いてゐる遅日〉阪西敦子〈鹿の眼のみな開かれて秋を待つ〉のように心象的に詠うか、もっと若い人だと、季語の描写や説明が中心。
小澤 もう虚子が説いた「客観写生」というような標語は忘れられてしまったのでしょうか。
上田 むしろ言われているのは「季題重視」ですね。
ホトトギス系に限らず「写生」それ自体に価値を置く俳句観は珍しいものになっていて、選択可能な方法の一つでしかなくなっている。
小澤 それでは、「写生」を再発見したいです。
上田 神野紗希、佐藤文香、野口る理のような人たちは、歳時記的世界の外にある現実を取り込むことで、現代短歌のような私性をふくむ表現を試みています。心象性をさらに進めて現実と内面の両方向に俳句を拡大している。
小澤 〈牡蠣グラタンほぼマカロニや三十歳 紗希〉、たしかにこのほとんどマカロニの牡蠣グラタンは、歳時記的世界の外にあります。牡蠣は名ばかりで、実態は入っていなさそうだからです。この即物性ととほほな感じが好き。
上田 季語ではなく「三十歳の私」がマカロニの詩的価値を構成しているところに注目です。
「群青」に拠る若い人たちは「澤」と並ぶごりごりの(笑)リアリズムで、みんなで素十や誓子をやっている。なにか新しいものが生まれつつあるのかもしれません。
小澤 「群青」注目しています。今回の特集でも佐藤郁良さんに若手作家紹介の文章をいただきました。ただ、福田若之さんは描写を拒否しているんでしょうか。
上田 一声喉を出る声調が、リアルであることに賭けている書き手です。
小澤 たしかに強い気合いを感じます。一句からなにか圧力をかけられるような印象さえあります。三村凌霄さんにしても、あまり「もの」に執してはいかない。〈橋の下から手花火の煙と声〉「空気」のようなものをつかもうとして
いる。
上田 そう言われると選句に責任を感じますが、要は「澤」と「群青」はライバルだということですね(笑)。
小澤 清新な「群青」とならべられるのは、うれしい。
上田 小澤さんは、リストの作品から感じられたことはありますか。
小澤 くっきりとしたイメージが少ないということですか。ぼくはその点をつきつめていきたくなっています。
上田 話はずれつつ進むのですが、去年、中原道夫さんが「石田郷子ライン」ということを言って、すこし話題になりました。
小澤 ちょっと聞いたことがあります。
上田 何人かの女性作家を挙げて「ディファレンスを感じない」「みんな似たようで、さっぱりとしていて軽い」「癒し系と言ったらいいのかも知らないけど」「軽めのイージーリスニング、BGMみたいな」(「街百号記念号」座談会 平成25年)と評した。
品のいい言い方ではなかったですが、何かを言い当てている感じはする。
小澤 そうですね。ただ、石田郷子さんは石田郷子ラインには入らないような気がする。
上田 先行する作家として星野立子、細見綾子を想定すると、石田さんを含んで継承されるものがあると考えることもできます。
僕はキーワードは「等身大」ということかな、と。
小澤 「等身大」が書けたら、すばらしいことなんだが。
上田 書く行為は「理想我」が主体になるものです。それが近代的自我であれ、虚子や素十のようなより大きな価値体系のなかに溶融してしまっているような主体であれ、書く行為は主観的になんらかのイケてる自分、ステキな私によってなされるものです。
小澤 書く前からわかってしまっている、イケてる自分、ステキな私を書いても、しょうがない。
上田 それは確かにそうで、しばしばまだ見ぬ「理想我」を見出すことイコール書くことなわけですが、その理想我が「等身大」の本人と見分けのつきにくい、日常と地続きの「私」に設定される。
自分は特別の人間じゃないと感じつつ、その普通さこそが、「理想」として共有されている。
小澤 俳句が生きていくことの飾りになっている。
上田 書くこと以前のナルシズムから一歩も踏み出せなければそうでしょうけれど、僕はそこまでネガティブには捉えません。
明隅礼子〈三歳はみな羊なり聖夜劇〉、藤本夕衣〈黄落やまんなかにある本の部屋〉、藤井あかり〈灯して部屋やはらげる葡萄かな〉杉田菜穂〈食卓のきみと話してゐる炬燵〉のような書き手がいる。心象的で「等身大」、でも詩的純度の高い作品が生まれています。
一般論ですが、結婚されると新婚俳句、お子さんができると吾子俳句が増えがちということは、あるかもしれない。
小澤 新婚俳句、吾子俳句、おおいにけっこうだけど。お上品なそれは読みたくない。明隅さんの〈三歳はみな羊なり聖夜劇〉はちょっと気味が悪くて、この「ライン」から外れていませんか。
上田 明隅さんのモチーフに不気味なものはないと断言できますが(笑)、そこまで読ませるのは句の力ですね。
悪口として「ライン」と呼ばれてしまうのは、ちょっと優等生っぽい感受性のあり方のことかもしれない。同調性が高くて、優秀で、へんな人と思われたくない感じ。そのためにお互い似てしまったり、超越性に向かう契機が弱くなるとしたら問題がある。
小澤 へんな人おおいにけっこう。俳人はへんな人です。
上田 はい。「澤」会員で言うと、椎野順子さん、森下秋露さんが近いんですが、ちょっとへんです(笑)。「澤」はやっぱり独特の生態系で、傾向を共にする同年代の書き手が独自進化を遂げているのかもしれない。
小澤 そうそう。秋露さんは吾子俳句も作るけど、上品ではない。ほめているんです。〈吸はるれば伸ぶる乳首や冷房裡〉ですからね。ものに即しているんです。順子さんも、まず「もの」に向き合っています。〈食券のマジック書きや草の花〉、野外食堂の食券に見入っています。
ひとつの希望になりうる
上田 リスト作りを通じて「このへんはもういいんじゃないですか」というような方向性も感じました。
小澤 どういう方向性ですか。
上田 じつは取り合わせについてなんですが、非常に洗練されて、極め極めの取り合わせの句が日々作られている。
たびたび例に出しますが、津川絵理子〈つばくらや小さき髷の力士たち〉〈ひつそり減るタイヤの空気鳥雲に〉(『はじまりの樹』)。どちらの句も、取り合わされたものの要素が、どこをとっても響きあっている。読むたびに感覚的な歓びがあってすばらしい。
小澤 両方ともにくい句ですね。
上田 一方で、取り合わせという方法が、誰でも七十点は取れる手法として使われているという印象は否めない。「モチーフ+季語」の「1+1」が「2・5」や「3」じゃ、もうぜんぜん物足りない。さっき挙げた津川さんの句「1+1=7」くらい行ってるでしょう。
小澤 そこまでいきますか。ぼくは「1+1=5」くらいかな。うまさでうならせられているのがわかるので。
上田 じゃあ「5」で(笑)。
一方、新婚俳句や吾子俳句に典型的に見られるのですが、取り合わせの手法が、ものすごく常識的で通俗的な感慨をそのまま俳句にすることを可能にしている面がある。これは俳句を「コピーライティング」に近づけます。
小澤さんは、俳句がそんなレベルの共感で成立するものであってはいけないと思われませんか。
小澤 そうですか。誰にでも通用する一行になってしまっては、つまらないですね。
上田 はい。そういうことから、取り合わせは近年集中的に試され「過ぎ」ではないかという気がしています。
小澤 そうですか。俳句はどうしても一物仕立て中心で、まだまだ取り合わせは少ないと思っていました。あまい取り合わせの句が多いことは認識していますが。
上田 「新撰」シリーズなど見ると、取り合わせ多いですよ。このことは今年の「未来図」の記念号の座談会でも話題になっていました(平成二十六年五月号)。
あと、これは良し悪しではないのですが、作家の試行には、同時性、共通性というものがある。たとえば鴇田智哉と村上鞆彦が似ているとか。髙柳克弘、神野紗希、髙勢祥子、西村麒麟の方法には共通点があるとか。
小澤 そうですか、ぼくにはわからない。それぞれの作者に共通点を見出しがたいのですが。
上田 話せば切りがないんですが、村上鞆彦の句が写実的なようで、いつも「虚」の部分に的まとがあって、それが感情で言うとさびしさであるあたり、鴇田智哉そっくりだと思います。生駒大祐は二人の影響を受けているのかな。
あと短評で何度か「キャラクター」という言葉を使いましたが、あとに挙げた四人に共通するのは、作品の的(まと)が本人の作キヤラクター家像を中心に形づくられていることです。
それが過去のたとえば茅舎や草田男とどう違うかと言うと、その「キャラ」が「チョイスされた」ものだという感触があること。どちらも非常に現代的だと思います。
いっぽうで、佐藤文香、福田若之、あるいは御中虫のような書き手がいると、自分を省みて思うところがある。彼らの韻律や言葉のテンションと同等のものが、自分の作るものにあるだろうか、と。あるいは読者として、他の書き手の普通の俳句的構文で書かれた句にも、ああいったテンションを探すようになる。
小澤 理解はしにくいですが、テンションの高さ自体が、すばらしいということはわかります。佐藤さんがこの三人の筆頭にくるんですか。
上田 僕はそう思います。彼らは「自前」で自分の俳句を発見して、一つ間違えば俳句を破って出て行ってしまいそうな安心できない作者ですが、御中虫には彗星のように外から来て俳句をよぎっていく運動を、佐藤文香には、俳句の中心にめり込んでいくような運動を感じます。
小澤 佐藤さんのことだいじにされていますね。
上田 今年、第二句集が出るらしい。『海藻標本』とはがらっと変わったものになるでしょう。楽しみです。
方向は正反対ですが「群青」の若い作家達も気になりますね。彼らはとても優秀なんで、年代が上の人も遠慮せず彼らをライバル視するといいと思う(笑)。
あるいはここ数年、俳壇的に最高の評価を与えられている津川絵理子をライバル視するのもいいし、逆にお手本にする人がいてもいい。
そういう「いくつかの俳句の現在」「いくつかの俳句の可能性」が可視化して、書き手がそこに参入していくような状況が生まれれば、それこそ今、俳句をやっている人が「みんなで面白くなる」ことができる。
小澤 俳句は、年上のものが年下のものに学ぶこともできます。ライバルにも手本にもできるというのはうれしい。そういう存在を探すように『五十歳以下の俳人二百二十人』を読んでみたいです。
上田 同世代にとっては尚更なはずです。そういう意味で、この「五十歳以下の俳人」の特集は、ひとつの希望になりうるのではないでしょうか。
五十歳以下の澤作家
上田 まず感じたのは、「澤」誌の投句の打率の高さ。無難で常識的な、誰が詠んでもこうなりますよねとか、書いても書かなくても同じというような句がない。他のグループで日常的に生まれている句を大量に読んだあとだったので、
特にそう感じました。成功失敗はあるにせよ、一句一句に、書かれる必然性があると感じました。
小澤 うれしいです。書かれる必然性を感じ取っていただいて、ありがたい。
上田 描写の精度が高い。結果、体験がその人以外のものではないところまで追いつめられている。
穂村弘さんが短歌の原理を「生の一回性」という言葉で言いますけど、俳句に「生の一回性」が書かれうるとしたら、これはその一つの形なんじゃないでしょうか。
小澤 描写を踏み込みたいと言っているんです。また、「生の一回性」が書かれているというのも、俳句としては最高の賛辞であると思います。
上田 榮猿丸さん、相子智恵さんに典型的なように、どの人も、その人以外ではない人として個性化を果たしている、あるいはそちらへ進もうとしている。
小澤 そのような存在になっていたら最高ですが、過褒でしょう。
上田 いえ、でも、それは描写を踏み込むことの副産物かも知れません。
僕は、書き手はその人ならではのものが現れないと、作者と呼べないように思うんです。「澤」の方法には、人の個性化をうながすものがあるように思います。
小澤 それぞれが力を発揮しているところに目をとめていただいたことが、うれしいです。
上田 小澤さんは、俳句に現れる個性というものを、どうお考えですか。
小澤 個性をまず求めるということはしたくないです。結果的に個性が滲みだしてくるというならいいですが。人間の個性よりも、ことばひとつひとつの個性や万物それぞれの個性を生かしたいんです。
上田 押野裕さんはいちばん普通の人、常識人という印象ですが、今回引かせてもらった〈新蕎麦の大盛とんと置かれけり〉いいですね。立ち食い蕎麦かなあ、きっと、かけの大盛りを頼んじゃったんですよね。「これがあなたの今日の風雅だよ」というふうに目の前に「とん」と置かれる。このポーカーフェイスの愛嬌はいいなあ。
小澤 押野さんの句が、常識人というように見えるとしたら、それは彼の巧みな表現上の工夫でしょう。あえて殺気を消しているのを感じます。
上田 短評で「艶」と書かせてもらったのは、たぶんそのことです。
小澤 ぼくは立ち食いではなくて、ちょっといい蕎麦屋じゃないかと読みました。笊に盛られた蕎麦の大盛を思いました。「とんと」という擬音語にも笊らしさを感じるのです。たくみな擬音語の使用というものも、「澤」の表現の特徴
のひとつにあげてみたいと考えています。
上田 いわゆる「澤」調は、切れ・構成と、描写の精度と、二つを強く意識することから生まれたものだと思います。
そのベクトルは俳句の伝統の中にあるものですが、方法を押し進めることで他にない凝縮感・緊張感のある文体が生まれている。それはとても新しい、未来を志向するものですよね。
小澤 切れ・構成と、描写の精度か。よく整理していただきました。伝統をふまえつつ、未来へ進みたいです。
俳句の、この先十年について
上田 小澤さんは「新しさ」についてどうお考えですか。
小澤 俳句にとって、もっとも重要なもののひとつです。新しい俳句でないと、驚けませんからね。
上田 言われる通りだと思います。
そしてさっきの話ですが、小手先でない新しさは「個」から発せられるものにしかあり得ません。
書き手は、まだ書かれていないものを書くこと以外は考えなくていいと思うんです。そう考えると、既知の領域で深まることと、未知の領域へ広げることを、等
価に見なすことができる。
小澤 俳句において、まだ書かれていないものを知るためには、俳句をたくさん読み込む必要がありますね。
上田 必ずしもと思いますが、関悦史さんは、まさにそのタイプですね。
ほんとうに、いろんな人がやって来ているなあ。十年前にこのリストを作っていたら、メンバーの顔ぶれや重要度、トレンドや風景がずいぶん違っていたでしょ
う。
小澤 そうでしょうね。「澤」の仲間自体もすこしずつ入れ替わっています。
上田 この十年の変化というものを感じられますか。
小澤 龍太はじめ大正十年前後生まれがぞくぞくと没していったことに寂寥感を覚えていました。それが、いつか新人登場の時代になっていたわけですね。それを、上田さんに教わりました。「澤」も新人登場の一翼を担えているのが、ありがたいです。
上田 今回「五十歳以下」ということで、その上の小澤さんたちがいるフロアを区切って見えなくした。結果、持続するものより、変化にスポットを当てることができたと思います。
小澤 そんな意味もありましたか。
上田 むこう十年、また俳句の風景はがらっと変わっているかもしれませんが、その変化のはじまりは、ここにもう見えているはずなんですよね。
小澤 十年後の俳句の風景はわかりません。心象句全盛がどう変化するのでしょうか。変化しないのでしょうか。それ以前にぼくは生きているでしょうか。「澤」はあるでしょうか。命を惜しみつつ前に進むしかありません。
上田 僕は、あからさまに新しいものを書いていこうとしている何人かの書き手にすごく期待しています。一方で今回、これまで意識していなかった人知らなかった人に、何人も出会うことができた。その人たちの作品がすごく楽しみに
なりました。
小澤 楽しみですね。「五十歳以下の俳人二百二十人」を作っていただいた上に、この対談まで先導していただきましたことに、深く感謝します。
メールにて 2014年6月1日〜19日
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2014-01-19
【週刊俳句時評86】まれびとの価値論と、句集2冊……上田信治
【週刊俳句時評86】
まれびとの価値論と、句集2冊
角川「俳句」1月号 小澤實・中沢新一対談、下坂速穂句集『眼光』、「アナホリッシュ国文学no.5」関悦史「俳句の懐かしさ」、澤好摩句集『光源』
上田信治
1.
角川「俳句」新年号の20ページにわたる目玉特集は、小澤實と中沢新一による対談でした(2014年1月号 「特別対談 なぜ今、俳句か 人類学者・中沢新一が語る"俳句第一級芸術論"」)。
12月号に予告が出たときから、自分にはかなりの期待と不安がありました。
期待というのは、以前、ベルクソンを援用した前田英樹による俳句論に感銘を受けた記憶があり(参照)、それに近いものが得られたら、という期待。不安というのは、中沢新一という人が天才「肌」すぎるというか、ほとんど勘でものを言う人というイメージがあったからです。
じっさい対談中には、それは実在する芭蕉のことでしょうか、と思うような箇所もあり、不安はかなり当たっていたわけですが、ここは、中沢さんがアドリブ的にぽんぽん提出するアイディアから刺激を受けよう、という心づもりで読んでみます。
・「蚕豆」には人類学的にエロチックな意味がある。歳時記を全部書き換えたい。
シンボル事典の類を見ると、エジプトやローマにおいて、ソラマメには「(男児の)誕生」「生殖」「死者からの恵み」と言った意味があったらしい。
そこで〈そら豆はまことに青き味したり 細見綾子〉などは、じつにエロいという話で、盛り上がります。そういえば、「週俳」の先号で、そんな話をしている人がいました(参照)。
これは「本意とはなんでしょう」(参照)(参照)という話で、たとえば蚕豆にエロチックなニュアンスがあるように、いくつかの季語には隠された「本意」があって、私たちはそれを無意識に参照しつつ、季語と戯れている。
中沢さんは、従来の歳時記は「日本人の感性」が一枚岩であることを前提に成立している、もっとそこにある「断層線」に踏み込んでいくといい、「アースダイバー歳時記」のようなものが、あったら面白いと言っています(大意)。「断層線」は、現在からは見えにくくなっていても、そこには歴史的な不連続があって、大きな力を秘めている、というようなイメージでしょうか。
まあしかし、参照記事のコメント欄で、てんきさんに「秘儀は、明かすとパワーが減退する」と言われてしまっているように、事物やことばの持つ潜在的なニュアンスは、歴史的な実在として定式化するより、細見綾子や三橋敏雄のような作家の無意識によって、そのつど掘り当てられるほうが幸福であるに違いない。
一方、そういう裏「本意」を見つけてしまったら、またそれをずらして作る楽しみもあるわけです。
・季語を立てるということは「人間の目で見るな」ということだ。
小澤さんは、学生時代、中沢新一の『チベットのモーツァルト』を愛読していて、そこから「俳句という詩が世界を認識する最前線のものだという」思いを新たにしていたのだそうです。
そしてカスタネダの「ペヨーテを使って鳥になる修行」と、〈鷹が眼を見張る山河の透き徹る 林翔〉の句が書かれるプロセスは、近しいものなのではないかと、言う。
中沢さんはそれを受け、俳句の「動植物と気象を立てて、それを季語にして詠むという芸術の、一種のルール」は「動植物の目になって世界を認識するということをルールにしている」のであり、それは「人間の目で見るな」ということだと言う。
中沢さんは、それを「人間の目で世界を見るのではなく、人間と動植物の関係性で見ていく」と、言い直してもいて、ご自分でも飛ばしているなという自覚があったと思うのですが、小澤さんはさらに「世界は人間のためだけにあるのではないということを歳時記は示している」と、煽るようにかぶせていく。
今回の対談のなかでも、きわどく面白いところです。
しかし、俳句にルールがありその一つが季語であることが、俳句の、人の発話であることからの遠さ、言説性の欠如、現実世界との紐帯を切らないといった性質を、発生から基礎づけている。それは、本当のことです。
そして、それは「人間の目」で「見ない」ということだといえば、確かにそう言えなくはない。
むろん、意識的に鷹や藤の花を主体として、そのように書くことは、ただのレトリックとしての擬人法でしょうが、小澤さんの挙げた林翔の句は、そうはなっていない。
「鷹が眼を見張る」こと、そのとき鷹にとって「山河が透き徹る」こと。その二つが(視点の移動ではなく)同時に認識できるような主体が、そこにあらわれている。
人間の目ではない何かが世界を見ていたのだ、ということが、書き終えられた地点から振りかえってみると、分かるのです。
2.
たとえば他に、そんなありようを実現している作品は、と思って、ずっと紹介したいと思っていた句集を思い出しました。昨年の俳人協会新人賞を受賞した、下坂速穂さんの句集『眼光』(ふらんす堂 2012)です。
下坂さんは、たまたま仏教の研究者でもあるそうなので、中沢新一さんの話題と平仄が合う(下坂さんが気を悪くされたらあやまりますが)。
しずかな声で書かれた句集です。
めだつ措辞や、凝ったリズムはほとんどない。具体的な生活をうかがわせる内容や、感情の起伏もごくすくなく(ときどき猫に対する親愛の視線があるくらいです)、口語と距離のすくない洗練された文語で。
ああ、そうだ、こんな句がありました。
鳥の一語が雪となる夕かな 下坂速穂
聴覚について書かれた句が多いことと、句集全体の静かさの印象はきっと関係があって、気配に近いようなひそかな音をすくい取るための無声に近い小声なのだろうと思われます。
そのとき鳥の一語を聴きとったのは(いまにも雪になりそうな)夕方の「静かさ」だったと思うのですが、どうでしょう。
小鳥来るいまも硝子の鳴る家に
ほんとうは、いまは、硝子が鳴ってないと思うんですよ。「小鳥来る」の「本意」は「幸福の希求」ですから、そう読める。思い出の中で鳴っていた音に、今も鳴っていてほしいという「願い」があって、その「願い」がその音を聴いている。
「静かさ」とか「願い」とか、そんなものに、なろうとしてなれるわけはない。
けれど、ささやかな具体的事物についての言葉がこうして構成され、一句が成った地点から振り返ると、なかったはずのものが、一句それ自体としてあらわれている。
そこにあらわれるものは、それこそ生まれたての、名づけ以前のもので、句をもって示すことはできても、別の名で呼ぶことができない。
尺蠓のはるかを来たるはずもなく
草の絮雲より白くなれば飛ぶ
秋深む柱時計のありてなほ
くさはらを歩めば濡れて魂祭
三日ほど失せたる月に網戸かな
四方に蔵ありしごとくに白地かな
色抜けて蟹のうしろに秋の蟹
ふたいろに暮れゆく空の蜻蛉かな
すずなりの雀となつて秋風に
身に入みてうすずみ色の鯉に髭
白い鳥白くたたずみ日短か
ここには、一句の中心となる「もの」や「空間」にむかって「移入してゆく」透明な「私」——精神とか魂とかいったような何かが、あらわれているように思われます。動物のいる句の「なつて」「たたずみ」「身に入みて」という言葉において、とりわけそうなのですが、これを「ノーバディな私」(参照)の一典型、といったら、牽強付会がすぎるでしょうか。
この句集には、つよく抽象的なものを志向する精神性があります。ことさらにそういった用語や概念を持ち込むのではなく、俳句のもっとも慎ましい用語の埒内で書いて、振りかえると「そう」なっている。
茅舎やたかしの、あるいはロバート・ブラウニングのような抒情が、いまの俳句の書き方で実現されているのです。
●
小澤・中沢対談が途中になってしまいましたが
「言葉に作り替えられていない世界」
「記号にしてしまうのではなく言葉がそのまま触れるものになる」
「記号をはみ出して物質性に近づいていく」
「結社の古代性」
「俳句は時代錯誤の詩」
「五七五は舟を漕ぐリズム」
「『澤』という結社名には湿り気のあるエロティシズムを感じる」
等々、二人から奔放に提出される言葉はすべて、読者各自、自由に解釈して、生かして使うことが奨励される、アイディア群なのだと思います。
3.
俳句のような「閉じた」領域特有のことかもしれませんが、今回、中沢新一がそうふるまったように、ときどき、外から、まれびとのような人があらわれて、俳句の価値を教えてくれようとするということがあります。
古くは、吉田一穂、西脇順三郎、澁澤龍彦。先ほどあげた前田英樹。あと、宗左近、外山滋比古。千野帽子なんていう人もいましたね。
卓見だなあ、愛があるなあ、と思うことも、トンチンカンだなあ、なめられてるなあ、と思うこともあり、様々ですが。
関悦史さんは、俳句外部の人とは言えないでしょうが、依然としてどこかまれびとっぽい。とつぜん登場した異能の人という印象があるからでしょうか。
昨年末に私たちにとどけられた「俳句の懐かしさ」(「アナホリッシュ國文学 no.5」2013年12月刊)という関さんの短い論考は、「なんでもいいから俳句について20枚書いてくれ」という求めに応じて、書かれたものだそうです。
俳句「外」の教養によって自己形成した関さんが、外からの「あなたは何をやっているのですか」というお問い合せに、おそらく「私も完全に内部の人間というわけではないのですが」と、とまどいつつ、書かれている。
この「内」と「外」に同時に立って書かれたような論考が、自分にとっては、前田英樹以来の深く得心させられる、俳句の原理論と言うべきものでした。
関さんは、俳句の「技術」と「日常」をキーワードに、「震災詠」を通過しつつ、「記憶の開示」「俳句において表出される自己」の「二重性」を示し、「季語」「写生」が、自己を「他者性の明るみ」へと開くこと、それらにともなう自己からの飛躍と再統合が俳句の持つ「聖性」への回路であること等を、おそるべきスピードで展開します。ともかく論旨が前へ前へと進んで、いっしゅんも停滞しない。
俳句の与件である言説性の抑圧によって、自己からの飛躍(二重化・相対化)が、構造化されていること、非言説性によって断片的・触覚的に組織された記憶は、おのずと驚異的な飛躍と凝縮のかたちをとること。ゆえに、俳句が俳句である限り、はじめから他界的なものをふくみ、そこに懐かしみを表出するのだということ。
関さんの論考自体ひじょうに圧縮されているため、まったく要約できていないので、ぜひ原文に当たっていただきたい。
さて。閉じられた領域で、価値がそれ自体の内部に準拠するならば、その価値論は信仰に近い。
たとえば季語が素晴らしいものであることは、それをあらかじめ認めている内部の人以外にとっては、俳句の価値の根拠たりえません。また、逆に、それが表現一般、文芸一般とまったく共通のものであれば、俳句であることの理由は薄い。
足掛かりが必要であれば、それは外部に求めなければなりません。事務椅子の上に立ち上がって、ツイストのようにくいくい動いてしてしまった経験は、誰にもあるでしょう。
そこに、俳句において、たまさかのまれびとが待望される理由があります。
関さんは、すべての表現行為に共通するような美学的価値(「驚異」「聖性」)が、俳句の特殊条件によって発生していることを指摘し、それを「懐かしさ」と名づけているわけで、これは非常に説得的な、俳句の価値論です。
俳句における懐かしさとは、未生以前への懐かしさであり、潜在的「溺死者」たる個人個人固有の記憶の懐かしさであり、死後から見たこの世の懐かしさであり、聖から見た俗の懐かしさであり、虚から見た実の懐かしさである。(前掲「俳句の懐かしさ」末文)
4.
たとえば、そんな「懐かしさ」の価値を体現しているような句集といえば、と思い当たった、澤好摩句集『光源』(書肆麒麟2013)について。
正木ゆう子さんが、角川「2014俳句年鑑」のアンケートで今年のベスト句集にあげ、さらに感銘句3句を、3句ともこの句集から引いていました。
うららかや崖をこぼるる崖自身 澤好摩
百韻に似し百峰や百日紅
うたたねの畳の縁を来る夜汽車
(以上、正木さん抽出3句)
正木さんが『光源』について「ひとつも泣くようなことは書いてないのに、泣けてくる。いくらも作れるような句ではないと思うし、そのひみつを解明しようとしたら評論一冊かかる。それくらいの句集だと思う」と言われていたのを聞きました(発言、引用許可済み)。
炎昼の暗き町屋の蕎麦を食ふ
金屏風ときに冬濤立ち上がり
日に幾度色変へ滝は常乙女
隧道の出口紅葉づる崖高し
峰といふ峰巌なり藤の花
薔薇散つて作務衣の色のきりぎりす
海深く響動(とよも)す朝の薔薇のジャム
水葬や花より淡く日が落ちて
友人の細君とゐて残り雪
天井が高くて酔へぬふたりかな
厠から九月の滝は淋しけれ
渡り鳥わたしひとりの晩ご飯
寂しけれひかりの中の日のかたち
凭るるは柱がよけれ妹よ
『光源』の句群については、山田耕司さんと関悦史さんが口を揃えて「名状しがたい感情」「セツナサ」(山田)「悲哀とは違う名状しがたい情動」「非在の大きな涙」(関)と書いています(「円錐 2013Winter号」)。
そういう感情であれば、それを「ナツカシサ」と呼ぶことも、できるでしょう。関さんが前掲論考で書かれた「懐かしさ」とは、名指せない絶対的な感情に迫られる体験のことでしょうから。
一般的な定義を言えば、懐かしさとは「あったのになくなったもの」や、「忘れていたのに思いだしたもの」に際して(つまり存在と非在に同時に直面する時に)ウウッとなること、です。
そして、澤さんのこれらの句のように、見たことも聞いたこともないものが、たしかに懐かしいということがある。関さんの言う「俳句の懐かしさ」は、そういう、デジャヴ的な懐かしさなのでしょう。
それは、一つには、書き終えられた地点から一気に遡って心像が生まれるという、俳句の語りがもつ性質に由来するように思います。
とりわけ、澤さんの句の語りは、ひとかたまりに凝結して、語った、歌ったという時間的痕跡を残さない、ひじょうに圧縮されたものです。
その圧縮された措辞が読み取られ受容されると、たとえば、炎昼の光線と町屋の外観とその内部の暗さと蕎麦を食う私が、ひとかたまりの心像として受容される。
ことばの圧縮度が高いことは、句の読みはじめと読み終わりの0.3秒ほどの間に、強い位置エネルギーを生みます。たとえば「常乙女」という言葉に圧縮されたものが、解凍しようもなく、そのまま「くる」。その心像の全質量がどーんと一気に受容されるのです。
そして当然、受けとめきれずあふれる思いは、ウウッとこみあげるように喉をふさぐのですが、それはすでに(位置エネルギー的にはるかに遠い)0.3秒前の思い出であり、だからこそ強力に懐かしいのではないか。
句の中で「蕎麦を食ふ」と書き「常乙女」と発話したその主体も、一句のはじめに遡るようにしてあらわれます。書き終えられてみれば、たしかにそこには誰かがいて「言いかえれば山や滝は語り手当人であり、語り手当人は山や滝なのだ」「景色とも語り手ともつかないものへの変容」(関・前掲誌)がある、となれば、話は、はじめの「対談」にも遡ります。
そして、句群にあらわれるその当人のこともまた、0.3秒前からの旧知の人のように思ってしまうので、この句集のところどころにあらわれる人恋しさは、ひときわ胸に迫るのではないでしょうか。
●
関さんは「俳句の懐かしさ」の中で、一例として村越化石の句を挙げて、
それを(…)「方法」として抽出することは不可能だ(し無意味だ)が、(…)言葉が極めて注意深く、しかも緩やかに組織されていることは一句一句から感じ取れることと思う。と書いています。
除夜の湯に肌触れあへり生くるべし 村越化石
湯上りの手に団扇あり至福あり
常闇に住む身に寒の水飲ます
そのことは(「緩やか」をのぞけば)澤さんの句にも当てはまることで、今ここで書いたようなことは、きっと作品論としてはあまり意味がないのですが、関さんの言われる「懐かしさ」になんとか具体的に触れたくて、澤さんの句集をお借りしました。
『眼光』と『光源』、どちらも非常によい句集だと思います。
『光源』の出版所は、澤さんのご自宅になっているようなので、直接お手紙を差し上げないと、手に入らないかもしれません。
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2010-01-03
2008-02-24
第一句集を読む 「小澤實『砧』」熟読玩味 山口珠央
第一句集を読む
蒼穹の戴冠〜「小澤實『砧』」熟読玩味
山口珠央
小澤實氏は昭和31年、8月29日生まれ。ちなみに同氏によれば、この誕生日は某人気韓国俳優【注1】と同じらしい。確認してはいないが、某人気韓国ドラマシリーズにも詳しい氏の言であるからには恐らく間違いのないところであろう。
いまこの頁へと意識的に、あるいは習慣的にアクセスした諸兄においては周知のこととは思うが、小澤氏は平成18年度の讀賣文学賞を受賞、その主宰誌「澤」は俳壇でも最も注目度の高い(というのは、主宰詠欄と毎年6月の常軌を逸した特集号の賜物であるが)結社誌である。というわけで結社会員もこのところなんとなく元気である。
勿論、元気ではない人もいる。俺とか僕とか私とか、って自分ですか。頑張れ自分、負けるな自分。いやその、決して悪い意味ではなく会員として主宰から求められるハードルが年々吊り上げられていくのが「澤」の第一の特長なのだ。一旦覚悟を決めてしまえば、楽しいことこのうえない。
今回は近年、俳境の変化著しく、しかもそれがひたなる前進であるという畏るべき俳人、「小澤實」の処女句集ってそもそもどうだったの、という素朴な問題意識に基づく『砧』熟読玩味の過程である。本文は、あくまで同句集に「関する」ものであって「論じる」ものではないことを、あらかじめ、お理わりしておきたい。小澤氏はまだ若いが、それは単に年齢的な意味だけではない。心が、若々しくいつも動いている。そうした俳人の「処女句集」を句集論としてでっちあげるのは誠実な作業とはなり得ないだろう。
『砧』は牧羊社より昭和61年刊行。実のところ、本稿筆者にとってはその存在を知ってより数年、『砧』は「幻の句集」であり続けた。知人に誘われるまま、平成13年「澤」への入会を果たしたはいいものの、周囲は皆読んでいる(しかも所持している)ようであり、発足後一年余、会員の熱気もまた現在とは違う荒々しいまでのノリであって、とても「読んだことない」と言い出せる雰囲気ではなかった。
有名な中高一貫校【注2】に6月くらいに編入された高校一年生が、隣の席の生え抜き(制服の着崩し方がお洒落なキラキラ)に辞書を貸してくれとは言い出しにくい、そんな感じである。しかし。このままでは済まされない。毒を喰わば皿まで。先程からの喩えでいえば、敢えて、付属小学校出身でしかも生徒会役員ともいうべきキラキラに借りてみた。
そしたら、凄かった。まずは本の状態が、である。私の15年来愛用のラテン語辞書(なんでやねん)よりも膨らんでいるのは当然としても、ヨレヨレというかボロボロというか、学級文庫の江戸川乱歩本でもこんなの見たことない、という読みこまれようである。キラキラ【注3】が、キラキラな笑顔で差し出す本を受け取る手が、震えた。というのは嘘だが、しかし本当に「この本でコピーは取れん」と思った。ただでさえ、大事な本のコピーを取られるのは嫌なものである、というか、そもそも私だったら貸さない。本もCDもDVDも、もうす・べ・て貸さない。その前に貴様の覚悟を見せてみろ、ってな話である。
とはいえ丸暗記も困難なので、表紙カバーをおそるおそる複写機に乗せ、その勢いで序文【注4】とあとがきもできるだけ丁寧にコピーさせて貰った。残るは肝心の俳句作品である。やはりこの状態では、全頁を複写機のガラス版に押し付けるのは背表紙への負担が大きすぎる。そこで考えた。俳句ってひとつが短いし、書き写せるのではないか。その成果が、いま手元にあるドラえもんの絵柄のミニノートである。以下、引用する俳句はすべて、この水色のドラえもんノートからの手書き文字に依っている。正直なところ読みづらい。もっとも、現在では『砧』の全作品が邑書林刊セレクション俳人05『小澤實集』に所収されているのでご安心頂きたい。本稿の俳句作品校正は同書に依った。
かの魚を氷下魚とよびし夕かな(昭和52〜54年)
十一月魚の腹の中の魚 (同)
『砧』冒頭の二句である。20代になったばかりでこうした句を詠み得ること自体が、俳句作者として立つ以前から日本文学に親しみ、特に連句への造詣を深めてきた小澤氏の背景を窺わせるものである。主宰はインテリが嫌いだが、本人がきわめてインテリであることを、ここで意地悪く指摘しておこう。
本句集に共通する印象であるが、特に昭和52年〜54年としてまとめられた33句は一句一句が幸福の光をまとっているかのようだ。作者が自らの才を楽しみ、言葉たちがそれに歓喜しつつ呼応する。なんというのか、「幸福な結婚」という言葉に例えたくなるような華やぎが宿っている。この三年間に小澤實によってどれほど多くの俳句が作られたかは知らない。しかし、この33句の背後には膨大な数の輝かしい作があった筈である。巻頭二句、大切に読みたい。
本の山くづれて遠き海に鮫 (同)
言うまでもなく、取合わせの斬新さが眼目の一句である。『砧』を手にする前からこの俳句については聞き及んでいた。文字として読むと、また新たな発見があるものだ。「山」と「海」、俳句という短詩のなかで共存するのは難しい。だがこの句のなかでは、海幸彦山幸彦と呼びかけるかのような大らかさによって、ふたつの文字がそこに当然のように収まる。最初に取合わせ、と書いたが、それは二物衝撃のそれとは違う。この一句は、文字による現代絵画のようだ。
金色の仏壇のある海の家 (同)
初夢や林の中の桜の木 (同)
夢と思えば現実、現実と思えば夢。不思議な作である。一句目、海の家から帰ってみれば本当に見たのかどうか、なんとなく自信がなくなってくる。もしかすると滞在先として通された部屋にこの仏壇はあったのかも知れない。ふと目の端に捉えたというよりも、数日をしかと共に過ごした(記憶のある)「金色の仏壇」であって欲しい。
二句目、季語が限定的なのでそのまま素直に読むべきなのだろうが、ここにも奇妙な余韻がある。実際に見た景色を再び夢として見ているように儚げでありながらも、この「桜の木」の存在感は圧倒的だ。意志をもって桜が作者に呼びかけてきている。「ワタシハアナタヲマッテイル」、そんなメッセージまで読み取れてしまう気味の悪さが感じられる。柳の精は男性と決まっているが、桜は男性、女性どちらも解釈のしようがありそうだ。ダブルで待たれているとすれば、どうも逃げ切れそうにない。
「王」たることは如何なる事柄、もしくは状況を指すのだろうか。王権神授説以前の昔から、無数の有名無名の「王」たちは何よりも自分自身と戦ってきたに違いない。人間が既成の言語体系のなかにありながらも、それに従い、それに抗いつつ言葉を生み出そうとする作業は、「王であること」あるいは「王たらんとすること」に似ている。『砧』を改めて読み進めるうちに、そうした感懐をもった。季語に寄り添い、言葉を宥めるだけでは、これまで見てきたような「俳句」が生まれよう筈もないからだ。
次に、初期作品のあとに置かれた句群と向き合ってみよう。
立春の佛蘭西麵麭の虚かな (昭和56年)
普通といえば普通の句なのだけれど、文字の美しさで印象に残る。麵麭という言葉を憶えたのは稲垣足穂の「彌勒」を読んだときだったなあ、と漢和辞典と首っ引きで昔の人が書いた文章を読む面倒くささが楽しくてたまらなかった中学生の時分を思い出した。その割にはいまでも読めない漢字が相当多いのが謎だ。「立春」が素敵である。フランスパンの気泡を「虚」とまで言い切る危うさと立春の気配が美しく響き合う。フランスパンと言えば、どうしても森茉莉による執拗なまでの講釈を思い出してしまうのだけれど、あの気泡は本当に良い。バターを塗ればそこに溜まるのが少し嬉しく、ガーリックトーストにすれば、あの気泡のお蔭で味が凍みる。読む度に、美しい俳句だとは思いつつもフランスパンが食べたくなる。
胴ながきわれあり桜ふりつづく (同)
小澤氏は「胴が長い」とか「足が短い」ということが好きだ。句会でも、そうした内容の出句があるとなんだか喜んだ勢いで丸を付けるふしがある。私はこれを、ひそかに「困ったときの胴長短足の法則」と呼んでいるが、その例証というか原型をこの俳句に見た。主宰に対して胴長短足の印象は特にないのだけれど、こういう自己認識があったのか、と得心がいった。とはいえ、降り続く花の下で、自分の胴を感じているのはただならぬ感覚であると思う。
テープ攻め紐攻め春の箱一個 (昭和59年)
こちらもただならぬ感覚であるが、実に好きな一句だ。「春の箱」が多少乱暴な表現であることは否定できないけれども、それがまた好ましい。
氷店爺と婆ゐて婆出で来 (同)
汗女房饂飩地獄といひつべし (同)
小澤氏には珍しく、小説の一場面のごとき作。一句目、これだけの複雑な(冗談ではなく、俳句においてこれがどれだけ複雑な状況かは一度でも句作の経験があれば容易に理解して頂けると思う)景を詠い留めた手腕に感服する。もうこの段階になると、小澤氏が自らの天賦の才を楽しむことに飽きてきたのだろう、という感じである。
二句目は一読してなんとなく忘れていたのだが、今回再発見して困ってしまった。パンクロッカー、町田町蔵(町田康)のファンとして「うどんはすがきや〜」と「饂飩妻」は気が付くと口ずさんでいる基本タームなのであるが、なんとそのはるか以前にこうした俳句が詠まれていたとは…。饂飩。うどん。ウドン。たしかに昼食など暑い時期は買い物に出るのも面倒、「今日うどんでいいかしら」、日本人であれば誰でも口にしたことのあるフレーズを初めて人目に触れる「作品」にまで昇華したのが小澤氏だったのだ。この点はかなり重要だ。もし小澤氏が漫画家にでもなっていたとしたら、その笑いの感覚の先鋭性において、吉田戦車や古谷実と拮抗していたのではないだろうか。それなのに普段はオヤジギャグしか出ないのは何故か。
べつたりと羽子板卓に置かれある (昭和60年)
磨崖仏冬の落暉を得たりけり (同)
地につかぬ板のありける雪囲 (同)
ここに並べた三句は、現在の「澤」においても会員たちに浸透している作句の方向性を伝えるものである。数年前の同結社であれば大きな句会でも特選級の作品と捉えられたことと思う。しかしながら、今ではこの辺りが並選の標準レベルとなっている。ひとえに、小澤氏の俳句指導者としての力量である。これはこれまでの本文の誤読曲解、暴言失言とのバランスを取るためにお愛想を書いているのでは、決してない。昨年来「讀賣新聞」俳壇選者をも努める小澤氏の、自身が俳句作者というだけでは自然に備わるものではない、選句への情熱は本物である。
句会のなかで、一句の読解にかけられる時間は本当に短い。そのなかで一句を読み切る。小澤實は、その能力が極めて高い俳人である。だから信用できる。主宰の選がいかようなものであるか、きちんと見ること。そこに容喙することは誰にもできないけれど、会員ひとりひとりが意識して取り組むべきことではないかと思う。そうした意識がなければ、それまでせっかく従ってきた主宰が何らかの理由により「駄目俳人」に堕したとき、気付くことさえできずに終わってしまう。
さて、このあたりで息抜きに本句集のヘボい作品をまとめてみよう、と考えたのは日頃の恩返しのつもりだったが、ヘボン辞書もびっくり、見当たらないではないか…。第二句集「立像」からは幾つか挙げられるのだが(いまは内緒)、やはり処女句集には隙がない。やられた、と引き下がるのも本稿を読んでくださっているアナタに失礼なので、現在句会で寸分違わぬ句が出ても主宰は採らないだろう、と推測し得る作をほじくり出そう。結社会員としては、非常に危険かつ無謀な試みである。しかしアナタのために私はいま、蛮勇を奮い起そう。
蛇口の構造に関する論考蛭泳ぐ(昭和52〜54年)
「蛇口の構造に関する論考」というものがよく分からない。特殊すぎるのではないか。作者の気概は伝わってくるものの、「蛭泳ぐ」が狙いすぎ。空振りです。
銭湯に狂人五月をはりけり (昭和55年)
「狂人」が可哀想。銭湯くらい、入るでしょう。五月も動くのではないか。
佛相の野火とほりけり欠け茶碗 (同)
「欠け茶碗」がわびさび趣味。そんなもの詠まなくていい。野火が「佛相」だというのもこじつけでしょう。「とほりけり」も擬人化なのでなるべく避けたい。
とんぼの絵さみしといへば嗤はるる (同)
「とんぼの絵」は季語とはならない。中五上七も理屈っぽくて面白くない。笑われたことなど、俳句に詠まなくてもいい。そういう人もいて当然だろう。
虚子もなし風生もなし涼しさよ (昭和58年)
言うまでもなく三段切れである。景が見えない。作者は虚子と風生が嫌いなのだろうか。虚子と風生が可哀想。俳人の名前はもっと大事に扱いたい。
狐火の話公衆電話から (昭和52〜54年)
これも季語として弱い。自分が話しているのか、聞いているのかはっきりさせたい。「狐火」そのものを詠んでもらいたかった。
最後に、個人的に愛誦している作品を幾つか並べることをお赦し願いたい。
蛇口の構造に関する論考蛭泳ぐ (前掲)
だって好きなものはやはり好きです。この作品を知ったときの衝撃は忘れられない。この俳句がある限り、小澤氏の特異なまでの「才」は否定しようがない。
銭湯に狂人五月をはりけり (前掲)
これもまったくオッケーです。狂人と五月の終わりの取合わせが揺るがない。「銭湯に狂人」で読者を驚かせているだけだ、という意見も無論あり得ようが、銭湯の狂人は紛れもなく詩になっている。
涅槃図の貝いかにして来たりけむ (昭和60年)
日頃から涅槃図に親しんでいるのだろう、と背後に豊かな世界の広がりを感じさせる。軽い句ではあるが、こう詠んでのける作者の力量は並のものではない。
さらしくぢら人類すでに黄昏れて(昭和52〜54年)
小澤氏の初期作品のなかでもよく知られた句であるが、前掲の「本の山」とともに広い意味での「取合わせ」の妙が素晴らしい。先に詠んだもの勝ち、の内容ではあるけれども本句の「さらしくぢら」を越えるのは至難の業だろう。
本句集はすぐれて、「闘争の書」である。自らの「王たること」への資質と欲求を自覚して間もない青年による、きわめて詩的で挑発的な比類なき闘争の記録だ。すでに多くの受賞経験を有する小澤氏であるが、その道程はこの句集が上梓されたときにすでに決定していたといってもいい。「小澤實」という人は、若くして自覚的に言葉との厳しい対峙を選び採った。『砧』は「闘争の書」であると同時に「戴冠の書」である。敗北の記録ではなく、たしかな勝利の軌跡がここには刻まれている。こうした句集に巡り会えることは時代の幸福である。
本稿筆者は幼い頃失読症だったせいか(文字を覚えたり読んだりすることが病的に苦手だった。いつの間にか治ったが、今も結社誌の封を切るのすら億劫である)、俳句や短歌はすっきりしすぎて「言葉」として捉えられなかった。だから好きで俳句を始めたわけでない。初めての場所でいきなり恥をかくのも業腹なので、子規と虚子の区別を付けただけで、初の句会に臨んだクチである。
いま改めて、俳句、そして「澤」と出会えた偶然に感謝している。無論、俳句は自分のために作るものだ。しかし私にはまだ、その境地が分からない。「澤」の人々と小澤實に惹かれて作ったり読んだりしている段階なのだと思う。本稿を閉じるにあたって、もっと俳句のことを知りたい、自分のための作品を作ってみたい、と心から念じている。本稿執筆の機会を与えてくださった「週刊俳句」上田信治氏に深く感謝する。
【注1】 微笑の貴公子、ぺ・ヨンジュンでした。音速の貴公子はアイルトン・セナ。どちらかというと二輪が好きですが、加藤大治郎氏の事故以来、生のレース映像を見るのが辛くなりました。「加藤大治郎忌鈴鹿雲迅し」。阿部典之については、まだ生々しすぎて詠むことかなわず。
【注2】 最も成績の良いコたちが進学しない場合はあるが、大学もある。余談であるが、東京大学教育学部付属中・高等学校は大学までのエスカレータ式でないことは意外と知られていないので、高校受験生は注意が必要(笑)。双生児の成長過程の把握というヤバイ目的のために設立された同中・高等学校であるが、出身者によれば皆双子、という以外は普通の学校だそうです。ちっとも普通じゃねえ…。同校については2000年だか2001年、京橋の国立フィルムセンターの特集で上演された短編ドキュメンタリー映画が面白かったのだが、加齢により監督と題名を失念。小川紳介監督「圧殺の森」と併映されたのは憶えていますが、グーグルでの検索に失敗しました。多分、いまもフィルセンで視聴可能だと思います。
【注3】 長谷川照子氏。「澤」の第一回同人賞受賞者。句集の刊行が待たれます。いつもありがとうございます。俳句作品もお人柄も大好きです。
【注4】 現在では入手困難であるので、後世の俳句論者による小澤實研究の一助となさんがため、この機会にネット上に保存しておきたい。
序
かげろふやバターの匂ひして唇
蛇口の構造に関する論考蛭泳ぐ
さらしくぢら人類すでに黄昏れて
卓れた新人は、選者の意表をついた素材、発想、表現をかざしながら登場してくるものだが、『砧』の著者小澤實君もまた、そういった文字通りの新人として「鷹」に現れた。
上記の三句を私が眼にしたのは、もう八、九年も前のことだけれど、たくさんの投句の中からこの句にめぐり合ったよろこびは、まだ昨日のことのように憶えている。俳句のつくりようは稚いけれど、その稚さの中の初々しさが砂金のかがやきにも似て私を捉えた。そして、二十代そこそこの年齢とうのに、旧かなづかいを間違いなく使いこなしていることも、私をよろこばした。
新人とひとくちにいうが、俳壇の新人は大きく二つに分類できると思う。一つは、俳句という形式にあまりこだわらず、むしろ現代詩の一行を見るような表現で華々しく出現する。もう一つは、俳句の基本をゆっくり噛みしめながら、まぎれなく既成の句とは違うものを取り込み、消化してゆく。前者の登場ぶりは賑やかだが、中途で挫折しやすいという共通する欠陥を持つ。だが後者に属する新人は、着実に間違いなく俳壇のホープとしての地歩を築いてゆくようである。
小澤實君はまぎれもなく後者に属する。そして、既成句の重圧に挫けることもなく、若手の多い「鷹」にあって、いつも一歩先をあるくような作品を示しつづけてきた。その間、鷹新人賞、鷹俳句賞をたてつづけに受賞したことは、彼の優れた資質にもよるだろうが、なみなみならぬ研究、努力も当然あったにちがいないのである。 私は、小澤君は言葉への好奇心の非常に強い作者であると思っている。それを一つ一つ例証する紙幅の余裕がないのが残念だけれど、読者はこの『砧』を読みすすむうち、二十代の作者とは思えぬ言葉の選択を見て、一再ならず驚くにちがいない。それだから、一一見瑣末と思われるような素材でも、小澤流の独特な言葉の斡旋によって、まことに玄妙な世界を現出するということになる。
むつききさらぎ蒟蒻たべてただよへり 白地着て婆と娘と島の中
ゆたんぽのぶりきのなみのあはれかな
春の子のくつついてゐる眉と眉
ふはふはのふくろふの子のふかれをり
こんな俳句を二十代でつくるということが、同じ年齢の頃の自分の句と比べて、私は不思議でならない。それもこれも言葉への好奇心、あるいは鋭敏な感受性に発していると言ってよかろう。ことに「ふくろふ」の句は、小澤君の二十代の代表句として、そしてまた、三十代へと向かうためのバネになる一句として記憶されるにちがいない。 小澤君は今、「鷹」の編集長として多忙な毎日を過ごしている。恰度今の小澤君と同じ年齢で私も第一句集を上梓したのだが、その時、石田波郷は、「句会の指導とか、雑誌の編輯とかは兎に角マイナスの負担になりがちである、俳壇といふ場では、それから免れることができないが、それだけに、自ら激しい作句力を保持しつゞける内的外的の努力を怠つてはならないであらう」と書いてくれた。私はこの言葉を折あるごとに誦して今日まで来た。小澤君はすでにこうした覚悟を固めていると信じているが、『砧』上梓を機に、私は、この波郷の言葉をそっくり小澤君に贈ろうと思う。
昭和六十年初冬 多摩朴下庵にて 藤田湘子
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