ラベル 西東三鬼 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 西東三鬼 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2017-04-16

【「俳苑叢刊」を読む】 第12回 西東三鬼『旗』 懐かしい旗 西村麒麟

【「俳苑叢刊」を読む】
第12回 西東三鬼『旗』

懐かしい旗 西村麒麟

俳句を初めてわりとすぐに親しんだ俳人の一人が西東三鬼であったことを思い出した。二十歳前後にたまたま芸林書房の『西東三鬼句集』を手に入れたのがきっかけだった。続いて『わが愛する俳人』の第一集に三橋敏雄が三鬼について書いてある文章も夢中になって読んだ。

水枕ガバリと寒い海がある
絶叫する高度一万の若い戦死
枯蓮のうごく時きてみなうごく
火事赤し哄笑せしが今日黒し
滅びつつピアノ鳴る家蟹赤し

等に衝撃を覚え、三鬼の独特な経歴や人物、エピソードを面白く思い、それが僕の中で大いに膨らみ、憧れた。

西東三鬼に夢中になっていた僕から、十数年の月日が流れ、最近ではほとんど三鬼を読み返すことはなくなり、好きであった気持ちもかなり薄れてしまっていた。正直に書くと、「もう飽きてしまった」という態度の方が大人というか、格好いいと思うようになったのかもしれない。今回は良い機会なので、先人の文章を鵜呑みにするのではなく、もう一度自分の眼で三鬼を読んでみたい。

思い出話が過ぎたけれど、『旗』に話題を移そう。

『旗』の特色として、三鬼の俳歴の短さに驚かされる。三鬼は33歳(昭和八年)で俳句を初め、数年後には〈水枕ガバリと寒い海がある〉を発表している。
東京堂『昭和俳句作品年表 戦前・戦中篇』を開くとわかりやすいので少し引いてみる。

昭和10年
あきかぜの草よりひくく白き塔
咳きて神父女人のごと優し
昭和11年
春夕べあまたのびつこ跳ねゆけり
算術の少年しのび泣けり夏
緑蔭に三人の老婆わらへりき
水枕ガバリと寒い海がある
右の眼に大河左の眼に騎兵
白馬を少女瀆れて下りにけむ
不眠症魚はとほい海にゐる
手品師の指いきいきと地下の街
道化師や大いにわらふ馬より落ち


俳句を初めて二、三年ほどで、よく知られた所謂三鬼の作品を多く残している。
『旗』は、俳句を初めてたったの数年の、ほぼ才能だけで書かれたような句集(昭和10〜14年の句)だ。上手な、巧みな、器用な、という程度の言葉ではまるで足りない。

「西東三鬼とは何だったか」とのタイトルで鈴木六林男が次のように書いている。

西東三鬼の業績は『旗』をもって終わっている、とするのが私の三鬼観である。(1992.4『俳句空間 第十九号』)
それは言い過ぎだが(ちなみに誓子は激浪までである、という氏の言葉もある)、そんな風に熱弁したくなる句集と言うことだろう。そろそろ本当に句集の中身に入ろう。

咳きて神父女人のごと優し
冒頭の「アヴェ・マリア」連作の中ではこの句に惹かれる。住職にも優しい人は居るかもしれないが、「女人のごと優し」の感じは出ない。連作の他の句は少しわざとらしい気がした。

あきかぜの草よりひくく白き塔
意味としては塔が小さく見えた、というだけの句であるけれど、白い塔が小さな光を放っているような、不思議な魅力がある。従来の俳句とは異なるものを作ろうとする、作者の意気込みを感じる。

小脳をひやし小さき魚をみる
水枕ガバリと寒い海がある
不眠症魚は遠い海にゐる

誰もが知っている有名句、ガバリ。名句鑑賞的な本を開くと、三鬼のページにはガバリの鑑賞が掲載されていることが多い。誰もが認める代表句ということだろう。その前後の句の〈小脳をひやし小さき魚をみる〉〈不眠症魚は遠い海にゐる〉も良いと思うのだが、ガバリのおまけのような扱いが多い。高熱にうなされながらの想像上の海であり、幻の魚だろう。この「寒い海」は死のイメージと評されることもあるが、前後の句を読むと、そう悪いイメージばかりでもないのではないかと思えてきた。高熱の中で想像する魚や海は孤独ではあるが、少し涼しくはないか。高熱の重たい我が身を捨てて美しい小さな魚にでもなり気儘に泳ぎまわりたい、というような空想があったのかもしれない。

三鬼は寂しがりやであったかもしれないけれど、孤独好きでもあったのではないだろうか。

長病みの足の方向海さぶき
アダリンが白き軍艦を白うせり
微熱ありきのふの猫と沖をみる
熱さらず遠き花火は遠く咲け
冬海へ体温計を振り又振り

三鬼は病弱な中年であるが、病弱な少年の持つ、諦めに似た倦怠感を感じる。自分の弱さを嘆くでもなく、ただただ遠い海を眺めている。「寒い海」は慰めてくれることはないが、三鬼のいつも近くにある、懐かしい風景なのかもしれない。

画家のルオーはキリストの他、娼婦やサーカス芸人など、当時における社会的弱者を題材にした絵が多い。あの厚く塗りたくった絵を見ていると、不思議と優しい気持ちになる。別にルオーと三鬼が似ていると言うつもりはないが、三鬼の作品からも弱きものに対する優しい視線を感じる。

春ゆふべあまたのびつこ跳ねゆけり
手品師の指いきいきと地下の街
道化師や大いに笑ふ馬より落ち

自解等を読むと実際には異なるのだが、この手品師や道化師も三鬼自身のような感じがする。ほらほら、と戯けてみせているようだ。「面白い」は「哀しい」し、「哀しい」は少し「面白い」。三鬼のサービス精神にもそんなところがある。

詩や絵画、音楽等の芸術の中には幸福が詰まっているが、実際の景色は不安や不幸がごろごろ転がっている。三鬼は不安や不幸を見捨てることなく、いきいきと詩にしてしまう。

汽車と女ゆきて月蝕はじまりぬ
葡萄あまししづかに友の死をいかる
顔つめたしにんにくの香の唾を吐き
哭く女窓の寒潮縞をなし
絶壁に寒き男女の顔ならぶ
誕生日美しき女見ずて暮れぬ

日常は唾を吐きたくなるような、そんな日の方が多い、残念ではあるけれど。テレビや映画、芝居に到るまで、人は幸福と同じぐらい、不幸(を見ること)が好きである。不幸の全くない芝居ばかりを、そう長々と見続けることが出来るものではない。三鬼の俳句は三鬼の人生と同じく、劇的で、退屈を嫌い、スリリングである。実人生も劇的であるのが、三鬼の正直なところかもしれない。三鬼は大変だったかもしれないが、読者にとって三鬼の作品は常にドラマチックである。

人生は不幸であるから、幸福だけを詠む、という態度は正しい。それと同様に、人生は不幸であるけどそれをそのまま詠むことも同等に正しい。

銅像の裏には青き童(こ)がゐたり
夏痩せて少年魚をのみゑがく
算術の少年しのび泣けり夏

有名な算術の句は自分の息子がモデルらしいけれど、僕には上の三句の少年は、全て幼き三鬼のように見える。三鬼の心の中にはいつまでも、病弱で繊細な少年が住んでいる。僕はこれらの句を読む時にいつも懐かしい気持ちになる。それはこれらの句の中の少年を幼き自分に置き換えて読んでしまうからだろう。

今までに挙げてこなかった句では

右の眼に大河左の眼に騎兵
ランチタイム禁苑の鶴天に浮き
空港の青き冬日に人あゆむ
冬草に黒きステッキ挿し憩ふ
荒園のましろき犬に見つめらる
昇降機しづかに雷の夜を昇る
兵隊がゆくまつ黒い汽車に乗り
僧を乗せしづかに黒い艦が出る
巨き百合なり冷房の中心に

などが今回読み返してみて面白く思った。今回はここまでで長くなってしまったので、特に指摘はしないことにする。

では、終わり。

としたかっけど、問題の作品群が残っている。いくつか評論を読んだけれど、なんというか、あまり評判のよろしくない、心意気は買うよ、と言われるような作品、そう「戦争」句についてちょっと触れたい。

機関銃熱キ蛇腹ヲ震ハスル
機関銃眉間ニ赤キ花ガ桜ク
機関銃機関銃ヲ射チ闇黙ル
逆襲ノ女兵士ヲ狙ひ撃テ!
絶叫する高度一萬の若い戦死
「戦争」では機関銃の句が十五句並んでいて、目にもうるさく、まことに騒がしい。連作中最も効果があったのは、愚直にまでぶっ放し続けた機関銃句ではないだろうか。三鬼の機関銃はまるで生き物のように暴れまくっている。

「戦争」の句は三鬼が映画の中で一兵卒として出演しているような感じがある。ドラマはあるが、戦争の生々しさは感じない。現実の戦争を馬鹿馬鹿しい、愚かなことだ、と怒りつつも、生々しさを感じない句にすることが、三鬼流の皮肉だったのかもしれない。
戦争句は全体的には評価出来る句はあまり見つけることは出来なかった。三鬼にしても、巧いだろう?とは思ってなかったのではないだろうか。むしろ読者がギョッとした顔をすることを期待したかもしれない。戦争は恐ろしいものであり、馬鹿馬鹿しいものである、と三鬼は皆を代表して機関銃を放ってみせた。巧いとか下手であるとか、そんなケチな話ではないのだろう。

そう言えば、僕はちょうど三鬼が俳句を始めた三十三歳であったことを思い出した。『旗』は俳句を初めて数年の作品であるから、小慣れてはいない、ぎらぎらとした原石だ。

三鬼を卒業することは、大人になるということであるどころか、詩において大切な熱い血の喪失ではないだろうか。

今後も僕は『旗』を時々無性に読みたくなり、やがてまた飽きて嫌になる、そんなことを繰り返す気がする。

2017-02-19

BLな俳句 第12回 関悦史

BLな俳句 第12回

関 悦史


『ふらんす堂通信』第147号より転載

(かぶと)虫縛され忘れられてあり  西東三鬼『夜の桃』

この甲虫は当然オスなのだろう。メスではこういう形で子供のおもちゃにはなりにくい。然り。これは立派なツノをはやし、王者然としたオスの甲虫なのである。

擬人的に考えたら、それなりの矜持も実力もあるだろう。それがおそらくはたかだか子供にもてあそばれて縛められ、あまつさえ、そのまま放置される。その屈辱たるやどれほどのものか。

あえて擬人化しない写生の枠組でこの句を読めば、そうした内面の葛藤よりは(昆虫に内面などはない)、存在感を保ったまま、自力では動けない奇妙な物件となりはてて放置されてしまった昆虫にあわれをもよおすといったところが句の興趣になるのだろうが、それにしても「忘れられてあり」は、単にたまたまそこにいるということではない、加虐者=子供との関係をあらわしているのであり、この加虐=被虐関係の発生とともに、甲虫が何やら内面や感情をもった生き物になかば見えてしまうのである。

かといって語り手が感情移入しきって、甲虫の身になっているわけではない。あわれをもよおしつつも、所詮は虫のことであって、冷淡であり、わざわざほどいてやったかどうかすらあやしい。

異族の美しい英雄に対する加虐のような興趣が、この句にはわずかながらひそんでいる。


笑う漁夫怒る海蛇ともに裸  西東三鬼『変身』

加虐と被虐という関係は一応あるものの、一読、明るい日の光に満ちた健康的な印象の句ではある。明治の洋画家、青木繁の代表作となった油彩画「海の幸」にも通じるような神話的なスケールのモチーフでもある。

「笑う」「怒る」といいながらも、個人レベルの心情からは離れていて、それが何によってはたされているかといえば、ひとつは、当の「笑う漁夫」「怒る海蛇」という対句表現によってなのだ。この並列によって「漁夫」と「海蛇」は、圧倒的な力の差はありながらも、対等に通じあえる存在にされているのである。「漁夫」は「笑う」によって「海蛇」に近づき、「海蛇」は「怒る」によって「漁夫」に近づく。素朴なリアリズムでいうところの人間でも動物でもない領域を、互いの感情によって作りあっているのだ。

個人の心情を離れた神話的スケール感をもたらすもうひとつの要因は、いうまでもなく「ともに裸」という下五である。しかしこれを、単に文明に毒されていない素朴な生命同士の交歓の姿とばかりとらえてはならない。

基本的には人間社会に属し、この句のなかでも職業的属性で名指されている「漁夫」にとって「裸」は、必ずしもつねの自然の姿ではないし、逆に「海蛇」にとっては服を着ることなどおよそありえない以上、「裸」といわれることでかえって人間に通じる知性や文明性を背負わされてしまっているからである。

両者は百パーセント人間でもなければ、百パーセント動物でもない。句の言葉がつくりだす寓意的な空間のなかでのみ「裸」でふれあうことができるのだ。


悪童のみな貌美くて浜に古り  西東三鬼

句集未収録の句で『西東三鬼全句集』の補遺に収録されている。初出は昭和九年の「京大俳句」。「海浜小景」という題で発表された、「悪童」ばかり五句並べたなかの一句目で、全体の構成は以下のようなものだった。〈悪童のみな貌美くて浜に古り〉〈悪童に羞ぢらふ胸乳波に浸し〉〈悪童の口笛ひしと波の娘に〉〈悪童のコーラス沖に雲の下に〉〈悪童らインクの色の沖へ去る〉

見てのとおり、二句目と三句目で「娘」との関わりが出てきてしまう(二句目の「胸乳」は乳房のことで女性にしか使わないため、悪童自身の乳首を指しているわけではない)。従って、悪童の群像が描かれているとはいっても一応は異性愛者ということになりそうだが、しかし悪童と娘との関わりはといえば、二句目は娘の側が一方的に悪童の視線を意識しているだけであり、それに対する三句目での悪童のリアクションは口笛を吹くという程度のものでしかないのだ。べつだん、俳句だから品良く、あまり性愛には踏み込まずにまとめたということではない。三鬼には後年〈餅の黴いよいよ烈し夫婦和し〉(昭和三十七年)のような、健康で目出度い家庭内の性行為を、悪魔的に冷淡な視線で見据えた句もあるのである。どぎつい題材であっても、どうとでも表現はできるのだ。

この連作に戻っていえば、「娘」との関わりは、「悪童」たちの魅力を引き立てるためのツマのようなものでしかない。一、四、五句目の「悪童」たちの、コーラスしたり、インクの色の沖へ去ったりという行動のまとまりぶりを見れば、そのホモソーシャル性の強さはあきらかであり、「娘」など飾りでしかない。その一句目において、まず「悪童たち」の共通性を保証するのが「みな貌美くて」という美貌の指摘であり、ついで「浜に古り」という、「悪童」という呼び方とも相俟って、およそ社会的にも性愛的・家庭的にも生産性のある位置を占めるにいたっているとは思えない頽落の相なのである。「悪童」たちが去る沖の色が「インク色」という反自然的な呼び方をされるのも、自然のなかのおおらかな性愛などとはほどとおい不毛性をあらわしていよう。

語り手の視線はここではあくまでよそ事というに近い審美的なものであり、「悪童」たちの内面に踏み込むことよりは、絵図としての面白さに関心が向いている。かといって、必ずしも句の言葉が外観にばかり終始しているというわけでもない。ここで描かれているのは美貌を抱えながらいたずらに海辺に年を重ねていく若者たち同士の、個体の枠を超えた、群体的ともいうべき連携ぶりなのである。この「悪童」たちは、人間というよりはどこか機械とか、前掲の「甲虫」のような別種の生命感にひたされている。三鬼を貫いているのは、不毛な美によってこそ世界の意味性がたちあらわれるという、一種の美的倫理学であろう。

蛇足をくわえれば、この連作はすべて無季である。


月夜です閑雅な鳥は留守でした  西東三鬼

これも全句集の補遺に入っている句。昭和十一年の「旗艦」に発表された。

何もことさら同性愛的な匂いをかいでみせるまでもない、ごく無害なメルヘン的な句ではないかといってしまえばそれまでだが、人間と動物等が対等に交感する寓話的世界がBL的なものと相性が悪くないのは、稲垣足穂や、あるいは長野まゆみの初期の小説を見てもわかることで、この句の、三鬼には珍しい口語調で組織される「鳥」との交流は、どこかそれらに通じるものが感じられる。

そもそも「閑雅な鳥」というのがあやしい。単にしずかにしているだけではないのだ。「閑雅」といえばこれはほとんど人ではないか。

また「留守でした」との下五からは、「閑雅な鳥」との出会いを期待していたらしいことがうかがわれる。ところがその期待は果たされなかった。この「鳥」は夜だというのに「留守」にして出歩いているらしいのだ。ここから「鳥」とは、作者としての三鬼の知りあいである人間の誰それのことなのだといった方向に想像をのばしてはならない。「閑雅な鳥」は「閑雅な鳥」であり、世の常の鳥ではない知性的存在が「鳥」であるままふつうに暮らせるテクスト内にのみ存在できる「鳥」である。それと対応する語り手もふつうの人間であるかどうかはあやしい。

はぐらかされた出会いの期待と空白感を「月夜」が埋め、満たす。「月がきれいですね」といえば周知のとおり、夏目漱石による「I love you」の和訳とされている。異種間の友情とも恋ともつかない雰囲気はそうしたことからもかもしだされているのだろう。


同根の白菜食らひ友は使徒  西東三鬼『夜の桃』

「静塔カトリツク使徒となる」という四句のうちの一句である。これも全句の並びをそのまま引くと〈脳天に霰を溜めて耶蘇名ルカ〉〈洗礼経し頭を垂れて炭火吹く〉〈ルカの箸わが箸鍋の肉一片〉〈同根の白菜食らひ友は使徒〉となる。

実態としては友人である俳人平畑静塔と炭火をおこして鍋をつついているというだけのことであり、ルカという洗礼名の荘厳さが、鍋に残った最後の肉一片をめぐる気づまりさを詠んだ三句目などに用いられると、かえってユーモラスなものとなるといった効果を上げていたりもするのだが、友が何やら聖性を帯びてしまったことへの微妙な違和感という、さしあたりは日常の次元にとどまる無害なモチーフでしかない。

ここにとりあげた四句目は、そうしたユーモアの要素も目立たず、この並びのなかでは一見もっとも地味な句ということになるのだが、その分抑えがきいて、複雑微妙な感情的要素を、ものがいえない俳句という形式ならではのやり方で作品化しているといえるのではないか。

食事をともにするというのは、ある共同体に参加し、その一員と認められるようになるために欠かすことのできない儀式のようなものである。共食という行為自体に、もともと共同体の背骨を成しうる一定の聖性がひそんでいるのだ。ましてここで「ルカ」となった友と共食しているのは「同根の」白菜である。友の洗礼を通じて、自分にまで何か滋味ゆたかな光がしずかにさしてくるようではないか。聖性の世界に入ってしまった友を遠く、眩しく、さびしくも感じつつ、その威光は間接的ながら自分にも及ぶのが感じられ、ありがたい気もする。こういうものも愛の場面と呼ばれて然るべきなのだろう。


 *

関悦史 露

葛の花来るなっつったじゃんか見るなよ

露の玉慈童とこもりゐる如し

秋は男の眼も澄み同性婚の話

凍晴やつかめば美童骨著(しる)き

妖精とも夢魔とも色白の子に霾る

男子生徒の弾力知りぬ椅子の春

ワケノシンノスって? ここだよと突きあたたかし

食用イソギンチャク、若者の尻の穴の意

白人ガキが長魔羅見せつけトイレ春夜

少年キャラの抱き枕カバー裸にエプロンの

夏野菜みな青年へ入りたき


2011-07-03

現代俳句協会青年部勉強会 『番外編』 レポート 三鬼、語りぬ 生駒大祐

現代俳句協会青年部勉強会『番外編 』レポート
三鬼、語りぬ

生駒大祐


2011年6月26日(日)13時00分 
於・小石川後楽園涵徳亭


2011年6月26日の正午過ぎ、僕は後楽園駅を降りて小石川後楽園は涵徳亭に向かった。
現代俳句協会青年部による勉強会の番外編として、西東三鬼の肉声を聞きながら宇多喜代子氏のお話を聞くという会に出席するためである。
塀に沿って少し歩いて涵徳亭につくと、すでに宇多氏と現俳協の広報の前田弘氏、および青年部の数人は既に席についていた。青年部の面々の表情からはわずかながら緊張の色が伺えた。

時間になるとメンバーも揃い、会は始まった。
今回の三鬼の肉声とは昭和30年代に短波放送用に吹き込まれたもの。カセットテープに収められたそれをCDに復元したものだということだった。
宇多氏は音声を再生させる前に、「自分の中に作家の肉声を蘇らせながら句を読むと楽しい。それが今はみんな分かってしまっているから味がない。だから想像する力が失せていきますよね。それが詩歌に繋がるところだと思うから」と述べた。これは、今から声を聞く前に、「三鬼の肉声をそれぞれ自分の中に持っていたか」という暗黙の確認のように思えた。それは、「三鬼が生きていた」という当然の事実を本当に「事実」として飲み込んで句を読んでいますか?という質問にも変換できよう。それは続いて述べられた三鬼の句作りの理念、宇多氏の理念に繋がっていくものであったと、あとで気づいた。



三鬼の肉声の内容は以下のようなものであった。

「俳句は575のリズムを持つ17音から成っている。また俳句には季節が含まれる。これらには色々複雑な議論があるが、ここでは省きます。俳句は17音で季節が含まれるものとお考えください。」

「俳句が盛んになったのは、戦後人々が心の拠り所を求め、風土的なものからそれを発見した。心の拠り所を失ったのは青年であるから、俳句はいまや青年のものとなったのであります」

「俳句は短いので、時間に追いまくられている現代の人にも容易に近づける」

「人には表現したい欲望がある。しかし、表現するにあたって、短いから容易だとはじめた俳句を、短いから難しいと思うようになるのであります」

「自分の何を表現したいのかが問題。自分と他人と共通のことで、自分と他人に重大なこと、これが俳句を作る上での態度でなければなりません。自分が生きているという自覚、それが大切」

「自分と自然との関わり合いを捕らえ。17音に表現することによって作者は今このとき生きているということを自覚する。これがなぜ俳句を詠むかの答えである」

「俳句につきまとってきた誤った先入観がある。俳句は風流なもの、俳味のあるものといわれてきたが、それらには現代生活から逃げ出したいという消極的な思いがある。ところが自分が生きているという自覚はより積極的なものでありまして、風流という観念とは縁の遠いものでありましょう。よって現代の俳句は社会生活からもなにものからも逃げなくて、立ち向かってゆくものでありましょう。」

「(無花果を食ふ百姓の短かき指 山口誓子 に対して)いちじくをむしゃむしゃと食う百姓の無骨な短い指だけを掴み取れば作者の感動が読む者に伝わるわけであります。俳句は引き算。作者に強い印象を与えたものだけを残してあとは消してしまうものであります。」

「(一湾の潮しづもるきりぎりす 山口誓子 に対して)作者が対象になった夏の海を厳しく見つめて、今生きている自分を厳しく掴んでいる。作者の生きている自覚はそのまま読む者に同じく伝わるわけであります。」

「(久里浜少年院の院生の句、久里浜の霜焼け一手に引き受けた 寒雀震えて止まる鉄格子 に対して)このように俳句を作るには学問は問題ではないんではありまして、言葉を飾らず真実の感動を直に表現すれば誰にでも作れるのであります」



この後に宇多氏に色々とお話を伺えたのだが、その具体的な内容を記述することは避け、宇多氏の話を踏まえて、三鬼の述べたことについての僕の感想をさらさらと述べることにする。



三鬼の話の中で特に重要なのは、
俳句につきまとってきた誤った先入観がある。俳句は風流なもの、俳味のあるものといわれてきたが、それらには現代生活から逃げ出したいという消極的な思いがある。ところが自分が生きているという自覚はより積極的なものでありまして、風流という観念とは縁の遠いものでありましょう。よって現代の俳句は社会生活からもなにものからも逃げなくて、立ち向かってゆくものでありましょう。
という言葉であると僕は感じた。

僕が驚いたのは、三鬼が「社会生活から逃げない」と言って例に出してきたのが、

無花果を食ふ百姓の短かき指  誓子
一湾の潮しづもるきりぎりす

だったということだった。

僕が俳句を詠む/読むときに、「この景が現実に存在するだろうか」ということはあまり問題にしていない。それは三鬼の句を読むときはもちろん、虚子、芭蕉の句を読むときもそうだ。また、いわゆる写生句を詠むときも、実際に見たことがあるかどうかということは実は気にしない。よって、これらの句を読んだときに、「作者の生きている実感」というようなものを特に感じることはなかった。

つまりは、ごくごく当たり前のことながら、社会生活を詠むことと社会生活を読み込むことは全く異なる。三鬼の言う社会生活に立ち向かうということはあくまで社会生活を詠むことであり、単に社会生活におけるモノを詠み込むことではない。

その意味では、社会生活を詠んでいない俳句というものはありえない。僕が社会生活を営んでいる以上、社会生活から全く逃れた俳句を作ることは不可能であるし、僕の俳句が読まれるときに現実社会におけるコンテクストにある程度巻き込まれることは避けられないだろう。

結局、三鬼の言うことは読者の問題に立ち返るのだ。いくら社会生活を詠んでいても読者がそれを読み取らなければそれは伝わらない。逆に、社会生活から一見離れた句を詠んでいるように見えても、読者がそれを読み解けば社会生活は必ずそこに反映されている。



先日のポスト造型論の勉強会において、テクスト論の話が出た。ロラン・バルト「作者の死」(花輪満訳『物語の構造分析』みすず書房、1979)においては
批評」に対して「実際、多元的なエクリチュールにあっては、すべては解きほぐすべきであって、解読するものは何もないのだ
と述べられる。また、
読者とは、あるエクリチュールを構成するあらゆる引用が、一つも失われることなく記入される空間に他ならない
とも述べられる。

読者の誕生と作者の死。作者という「解答」が失われたとき、読者は答え探しから解放されたと同時に、常に「回答」を示す者としての責任が課せられる。
作者の生きている自覚はそのまま読む者に同じく伝わるわけであります。
という三鬼の言葉を空虚と感じるか希望と感じるかどうかは人によってさまざまであろう。

一つの価値観を元に句を作り、句を読み解く。それで充足することは僕にはもうできない。複数の価値観を理解つつその作品にとって適切な読みを「選択」していくことが必要なのではないか。そうなったときに「好きな作品」「共感できる作品」という言葉がいかなる意味を持つのか。

そのときにこそ、「読みとれないけれど好きで共感できる作品」という、「読み」の価値観を超越した存在が僕を癒してくれる。それをもたらしてくれる一人が三鬼であることを僕は嬉しく思う。

滅びつつピアノ鳴る家蟹赤し 三鬼



参考
虚子の肉声:
http://www.haiku.jp/takahama/index.html
三鬼の肉声:http://tsuyama-city.musicfactor.jp/saitousanki/sano/