【週俳12月の俳句を読む】
五十嵐秀彦境界を詠う
12月号もなかなか凝ったタイトルが並んでいる。こういう意匠も重要なことだろう。
田島健一の「白鳥定食」。この題名にもひかれるものがあった。
鏡中のこがらし妻のなかを雲 田島健一
鏡の中に妻のもうひとつの世界があり、その中に更にすばやく流れてゆく雲が見える。
入れ子の風景の冷え冷えとした沈黙。
鏡面世界に妻をさがしているうちに、己の実体を見失ってゆく作者であろうか。
たましいの静かな試食十二月 田島健一
こころみに、食する。それは自分のたましいだ。
人魂をパクリと食べるように、自分自身の奥底に息をひそめて隠れているモノを、つい、こころみに食してしまった。窓の外には十二月の風音。白い食器の上にナイフとフォークがカチャカチャと鳴っている。さて、たましいのお味のほうは?
笠井亞子の「page」は10句全てが読書をモチーフとした句で構成されている。
枯庭や栞の分けるきのふけふ 笠井亞子
私たちはいつも無意識に「境界」を探っている。この「栞」も、そんな境界のひとつだろう。
どこに境界があるのか、必ずしも明瞭であるとは限らない。結界を作る注連縄という境界もあれば、一枚の頼りない栞にも境界がある。それをウツシヨとトコヨとの境界と感じれば、いたるところに黄泉の口が開いている。だから人は境界を手さぐりしながら探しているのだろう。
昨日と今日とを分ける栞は、次に知ることのできない明日との境に置かれることになる。
枯庭のあとは、相子智恵「幻魚」の枯野の句に遊ぼう。
枯野なり鈴結はへたる乳母車 相子智恵
「枯野なり」と、強い断定の余韻の中を、鈴の音を鳴らして乳母車がいく。
それを押す母親も、その中の乳児の顔も見えない。ただ鈴の音だけが聞こえてくる。
まるで巡礼の孤影のようだ。それが乳母車であるところに、怖れと不安が渦巻いている。
矢羽野智津子の「四〇二号室」というぶっきらぼうなタイトルにも、その部屋の正体を知りたい思いにさせられる。
この10句には旅の印象がつづられているようだ。
「落葉」舞う中を旅立ち、「山彦物産店」をのぞき、「観世音」を拝み、「床の間」のある「冬座敷」にたどり着く。
紅葉山展く四〇二号室 矢羽野智津子
ということは旅館の部屋番号ということか。
窓にまぶしい紅葉山を観照している。その窓に区切られた明るい山の前に室内は暗く静まっている。初冬に残る紅葉とともに旅の解放感を味わう連作であった。
■ 浜いぶき 「冬の匂ひ」10句 →読む
■ 小池康生 「起伏」10句 →読む
■ 田島健一 「白鳥定食」10句 →読む
■ 太田うさぎ 「胸のかたち」 10句 →読む
■ 冨田拓也 「冬の日」 10句 → 読む
■ 相子智恵 「幻魚」 10句 →読む
■ 笠井亞子 「page」 10句 →読む■ 中原徳子 「朱欒ざぼん」 10句 →読む
■ 矢羽野智津子 「四〇二号室」 10句 →読む
■ 仲 寒蝉 「間抜け顔」 10句 →読む
■■■
2008-01-06
12月の俳句を読む 五十嵐秀彦 境界を詠う
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 comments:
コメントを投稿