【週俳12月の俳句を読む】
中山宙虫燃えたよ
人は火を怖れざりけり枯野原 冨田拓也
年末、毎年のことながら、火事のニュースが急に増える。
空気が乾燥している時期なので、しかたないのだろうが、「年末なのに・・・。」という思いで見ている人たちがたくさんいるのだろう。
確かに火は恐ろしいもの。
僕にも幼いながらの火の記憶がある。
めらめらと燃える炎。
ぱちぱちと音をたてる枯草。
そして、枯草が燃える独特のにおい。
すべて覚えているのだ。
小学校低学年の僕が擦ったマッチの火が。
その火は、冷たい風にふっと消える。
消えればまた擦る。
マッチがうまく擦れなくて。
こっそり家から持ち出した徳用マッチ。
家の近くの道端で擦り続けた。
何本も擦っては消える。
その繰り返しだった。
そのうちだんだんうまくマッチが擦れるようになった。
そうなると。
次はその火で何かを燃やしてみたくなる。
僕は、自分の足元に散っていた枯葉を集めてマッチの火をつけてみた。
ほんの一枚の枯葉に火がついた。
めらめらと燃える。
その火を大きくしたくなる。
枯葉を足す。
だんだん大きくなってゆく炎。
そのとき。
風が。
枯葉を巻き上げた。
いくつかの枯葉が燃えながら舞い上がったのだ。
そのうちのひとつが土手のうえに降りたのだ。
その火は。
消えることなく。
枯草に燃え移った。
さほど背丈はない草だったので、あわてて足で消そうとする僕。
どんどん広がる炎。
円状になって広がってゆく。
消したはずの火がまた燃える。
最初はなんとも思っていなかった僕だが。
ほんのマッチを擦ってみたいという思いだけだったのだが。
一瞬、どこかにこのまま燃え広がるとどうなるのか見てみたくなってもいた。
今思えば・・・・。
少し悪魔の声を聞いたのだ。
しかし、現実は・・・・。
僕は、火が怖かった。
なんとか消そうと必死になった。
足でもみ消しながら。
近くの砂をかけてみたり。
僕の力ではどうすることもできなくなっていた。
父が駆けつけた。
火の記憶はあるが。
父がどうやって消したのか覚えていない。
燃え跡は、5メートル四方はあったと思う。
父にこっぴどく叱られた。
その前を通るたび。
春が来て夏が来て火事のあとはまた草たちが生い茂ったが、火の記憶は消えなかった。
現代を生きる若者たちは、自分で火をつける機会をどんどん失っているのではないかと思う。
どういう風に火がひろがるのか。
マッチの火で、何かに着火して、その火を大きくして。
キャンプの薪に火をつけたり。
実際できない若者も多いのだろう。
いまや、家庭の火も電気が中心になっている家も多いのだろうから。
火は怖いもの。
いや怖れるものでもないこと。
そのことを知ることなく「火」を使う。
そういう若者たちが増えているのではないかと思う。
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2008-01-06
12月の俳句を読む 中山宙虫
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