〔週俳2月の俳句を読む〕
さいばら天気
動作と気持ちに備わる微妙なブレーキ
白魚のうしろのけしきはるかなる 川口真理
この句の「景色」とは、海のこと、といえば、「当たり前すぎる」との声が聞こえそうだし、「いや、違う」と訂正されもしそうだが、海と解した。海と2音発すれば済むことを、17音をゆったり使って謳われること。そのこと自体が心地よい。
「雛祭」10句は、空気のように軽く透明な質感に覆われた10句。「凍鶴のふはりと鳴らす乳房かな」の「ふはり」、「白障子風に吹かるる顔ばかり」の障子と風、「飛ぶものを見てゐる冬の佛かな」の空気、「白魚やひとのつまづく匂ひして」の「匂ひ」、「草むらの透きゆくばかり蜆汁」の「透けゆく」。そのなかで、表題句のひとつ「雛祭麒麟咥へて来たるなり」の「麒麟」が私にはよくわからず(雛壇の飾りに麒麟をあしらわれることがあるらしい。そうだしても「咥える」とは?)、この句は不思議な感触だけを残して、そこにとどまる。
自分の理解不足・誤読を怖れながらも、押すと非現実的な別の場所へと開けていくような扉をいくつも持った10句。
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フランス文学まはりくどきを読初 如月真菜
一年の最初に読む本。これは気分として貴重に扱いたい選択だが、振り返ってみて、それほど頓着していなかったことに気づく。商売をする側(出版社等)は啓発本や入門書を、12月や1月の刊行ラインナップに並べるとも聞くが、そうだとしたら、凡人の一念発起と三日坊主につけ込んだ姑息で無粋な戦術。
そこから遠く、「フランス文学」の迂遠(付随して韜晦、婉曲、冗長、等々)と、年初に付き合う…。爽やかな機知に始まる一年は作者のものだが、読者も、ちょっと胸のすく思いがする。
「七日はやホームシックと言ふことも」の口調の潔さ、「一月の月ぽつかりとハイウェイに」における景の放り出し方、「書初の仮名文字女々しむつかしく」の「女々しさ」の取り扱い方、「賀状来る恋終らせし人よりの」の感傷の処理法、「これもまた寒九の水と排水す」の(使いたくない言葉だが)ニヒリズム等々、作者と作者自身との、作者と俳句との距離感・配置のおもしろさに満ちた10句。〈女性性〉をこのように操作できるこの作者の句を、もっとたくさん読んでみたくなる。
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口笛をはじめるやうに風花よ 岡田佳奈
口笛を躊躇なくあっけらかんと吹くようには育ってこなかった。気恥ずかしさもあるし、大袈裟にいえば悪いことのような気もする(なんでだろ?)。口笛のはじめの動作と気持ちに備わった微妙なブレーキ。そのような風花。そこにある空気が伝わる。
「きたよ」10句を読んで、冬から春へ、季節というのはかくもゆっくりと変わっていくのだなあ、と、口に出して言うのはやめとけ、というくらいにバカみたいな、当たり前のことを思った。すると、「雪解けて隅のはうにまできたよ」の「きた」のは、作者のような気もしたり、「春」のような気もしたり。これまたバカな子どもみたいなことを思ったのでした。
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2009-03-01
〔週俳2月の俳句を読む〕さいばら天気 動作と気持ちに備わる微妙なブレーキ
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