2013-04-14

【週刊俳句時評78】  "石田郷子ライン"……?(前編) 上田信治

【週刊俳句時評78】 
"石田郷子ライン"……?

(前編)中原道夫の命名によって可視化された作家群の出現に、うすうす気づいていたとはいえ、驚く

上田信治


結社誌『街』(今井聖主宰)は、平成8年10月創刊。この4月、100号の記念号を刊行しました。

目玉企画というべきなのが、「俳壇は小説より奇なり 「街」100号記念親戚鼎談」と題された鼎談、中原道夫(銀化)、星野高士(玉藻)の両氏と、今井聖主宰の座談です。

中原さんと今井さん、星野さんと今井さんが、それぞれ遠い縁戚関係にあるという話はわりとどうでもいいのですが、それとは別に、ご三方の飛ばしっぷりが、なかなか楽しい。

中原 やりたいとか、良いか悪いか好きか嫌いかは別として、稲畑廣太郎さんに〈Aランチアイスコーヒー付けますか〉というのがあるわけよ。みんな、廣太郎さん何を血迷ってるんだろうなんて(笑)
今井 だめだね、その句は(笑)
中原 だから、ここで好き嫌い白黒は別として。
星野 その話をやると一時間かかる(笑)

それは、ぜひ一時間、うかがいたいところですが(笑)さて。

今回、この欄でぜひ取り上げたいと思ったのは、中原道夫さんが、この鼎談で提出した「石田郷子ライン」という言葉です。

 (以下は、司会(竹内宗一郎)の「これからの俳句はどういう傾向になっていくかその予感をお聞かせください」という質問に対する発言)

中原 (…)作品が全体として本当の意味でのライトバースではなくて、軽い。これはいつから起きたというのは定かではないけれどある時代を画して似たようなタイプが出てきた。

勿論一人ずつを吟味すれば違うのですが、私の中では"石田郷子ライン"と名付けている。李承晩ラインみたいに。

彼女が新人賞を取ってから、藺草慶子高田正子山西雅子などあの辺の一派にディファレンスを感じない。みんな似たようで、さっぱりとしていて軽い、それでいて嫌な感じではないですよ、癒し系と言ったらいいのかも知らないけど、ああいう軽めのイージーリスニング、BGMみたいな集団として一個の塊がずうっと動いている感じがする。(…)

ある年代から下が割りと似たような感じになって来ている。それを危惧している。(…)いろんな句集が送られて来ますがみんなあまり生活臭がない。少なくても五十年代生まれ団塊の世代は、母として泥まみれになって子供を育てているんでしょう。けれど、そういうのはあまり見せない、詠わないよね。木が囁いて日射しの中でどうのこうのみたいな(笑)。

(…)彼女が悪いんじゃなくて、ああいう特徴的な一つのエポックメイキングな一線として"石田郷子ライン"と私は名付けている。

いかがでしょう。「石田郷子ライン」という言葉、流行るかどうか分かりませんが、なにかを言い当てていると思われませんか。

もうすこし見えやすくするために、キーワードを抜き出してみましょう。

「(本当の意味でのライトバースではなくて)軽い」
「石田郷子、藺草慶子、高田正子、山西雅子などあの辺の一派」
「ディファレンスを感じない」
「みんな似たようで、さっぱりとしていて」
「嫌な感じではない」
「癒し系」
「イージーリスニング、BGMみたいな」
「生活臭がない」
「木が囁いて日射しの中でどうのこうの」


中原さんの言いたいのは、「ニューエイジ・ミュージックのような俳句」ということかな、と思いました。

これは価値判断ではなく、あくまで自分が勘を働かせるための補助線です。誤解をさけるためには「ニューエイジ・ミュージックの最良の部分のような」と、言ったほうが適切かもしれません。

ちなみに「ニューエイジ・ミュージック」ということから、自分が連想することは、

「スムーズ・なめらか」
「自然体」
「向日的」
「よくコントロールされた」
「知的で優等生的」
「ユーモアすくなめ」
「自然大好き」


というかんじ。おお、これは、ひょっとして、平成25年現在の俳句のある部分をひじょうに言い得ているのではないでしょうか。



ちょうど手元に『戦後生まれの俳人たち』(毎日新聞社)という、昨年末に出たアンソロジーがありました。

戦後生まれの俳人109名(金子兜太、稲畑汀子、有馬朗人の選出を元に、宇田喜代子が決定)それぞれの自選10句に、宇多さんが論評を加えるという体裁の本で、ちょうど一人目が石田郷子さんです。

以下この本から、筆者(上田)の判断で"石田郷子ライン"のライン上にあるかも、と思われる作家の方を、引いてみます。

さへづりのだんだん吾を容れにけり石田郷子
からつぽの空となりたる野分後 今橋眞理子
見えさうな金木犀の香なりけり 津川絵理子
星の夜のつづきのやうに身ごもりぬ明隅礼子
鳥交る日の炊きたてのご飯かな  辻美奈子
綿虫をあやつつてゐるひかりかな  西宮舞
トランペットの一音#して芽吹く 浦川聡子
日傘さす光と影をしたがへて    大高翔
鎖骨よりのびる首すじ花の雨   中田美子
囀りの一樹ふるへてゐたるかな 上田日差子
ふらここを漕ぐあの頃の空がある 今井肖子
しづけさを春の寒さと言ひにけり 高田正子
水あそびして毎日が主人公    中田尚子
冬銀河かくもしづかに子の宿る  仙田洋子
腹這へば乳房あふれてあたたかし土肥あき子
スケートの花びらほどの衣まとひ 黛まどか
合はす手を塔と思へり渡り鳥   中西夕紀
春の海渡るものみな映しをり   矢野玲奈
大切なもの見えてくる螢かな   名取里美
はるかなるものの映りて水温む 藤本美和子
空蝉やまだ考へてゐるやうに   山田佳乃


壮観です。

前掲書の女性作家55人中22人。50代以下女性に限定すれば、33人中20人! 

識者によって推薦された「その世代」の過半の作家が、なんとなくその範疇に入ると言えなくもない。

もちろん、それぞれいい句ですし、中原さんも言っているように「一人ずつを吟味すれば違う」。グルーピングには自分の見込み違いもあるかもしれません。が、しかし。全体トシテ、ナントナク感ジルモノガ、アル…。

上げさせていただいたのは「自選」10句からの抜粋なのですが、これらの句は、中原さんが「ディファレンスを感じない」と言うほどかどうかはともかく、たしかに、互いに似ているかもしれない。ここには、価値観と方法が極めて近い「作家群」がみとめられるように思います。

さらに去年と今年の「年鑑」年齢別50代以下からお名前を引けば、次に挙げさせていただいた方も、広い意味で「ライン」上におられるように思います。

井越芳子 藺草慶子 甲斐由紀子 甲斐のぞみ 日下野由季 藤本夕衣 杉田菜穂 小川楓子 高勢祥子 藤井あかり 鶴岡加苗……

結社の内外に、おそらくもっとたくさん、この傾向に連なる作家がおられることでしょう。これはやはり、何かが起こっていると言ってもいい。

この一大集団はいったい、何を企んでいるのでしょうか!!!!(違う)。



検討すべき課題が、たくさん浮かんできました。

1.この作家の方たちが自己形成したのは、おおむね、この20年のことと思われます。この20年に何があったのか。

2.ここに男性作家リストを加えるとしたら? いったん、千葉皓史さんや加藤かな文さんの名前を加えてみて、なーんとなく違和感があったのは、なぜか。

あるいは、ここに正木ゆう子さん(水の地球すこしはなれて春の月)や片山由美子さん(カステラに沈むナイフや復活祭)を加えると、作風的にはアリな気がするのに、なーんとなく違和感があるのはなぜか。

3.この作家群による傾向/作風は、特定の指導者のもとや、理念や旗印(「前衛」とか「伝統回帰」とか)のもとに生まれたのではなく、自然かつ同時発生的に、それこそ草木が生えたかのように形成されたものと思われます。どうして、そんなことが、起こりえたのでしょうか。

4.つまるところ、このことは、俳句にとってなんなのか。

次号、つづきを書きます。

≫後編

3 comments:

迷路 さんのコメント...

なるほどなぁ。
もやもやが少し晴れる気がします。
次も楽しみです。

ねこはる さんのコメント...

俳句は自己を詠うものだが、彼女たちはその傾向が強いと思われる。しかもポジティブ。
その昔4Tと呼ばれた女流俳人の作品群のほうがネガティブな感じがある。

水魚 さんのコメント...

私は比較的好意的で好きです。
軽いのではなく、言葉から社会的な意味を
色彩を排除しているからのように見えます。
次回を他の楽しみにしています。