2014-04-06

【週俳3月の俳句を読む】私はYAKUZA 瀬戸正洋

【週俳3月の俳句を読む】
私はYAKUZA

瀬戸正洋


平成22年、谷口智行は邑書林より『日の乱舞 物語の闇』を上梓した。繰り返し読むことによって彼の阿田和での暮らしぶりが頭の中に充分過ぎるほど育っていった。市ヶ谷で会った時の「別嬪さん」という発音に何か新鮮な驚きを感じ、その言葉が私の頭の中ではいつのまにか「別嬪さんやのう」となり定着していった。

裏表紙カバーの、斜め後ろから撮った微笑んでいるような写真に違和感を覚えたことも忘れられない。何故、正面でなかったのか、その日の二次会の席で尋ねたが、彼はただ笑っているだけだった。小骨が咽に刺さったような感情が残っている。

作者は診療所のドクターであり野鳥や魚類、動植物等の知識も豊富だ。内容は主として古代から現代までの熊野の歴史と自然。取材のためのフットワークも軽く、気になることがあると、どこにでも出掛けてしまう。熊野は歴史と自然の宝庫であり、遠く離れ、訪れたことのない私たちにとっても魂のふるさとなのである。

そんな彼から『熊野、魂の系譜-歌びとたちに描かれた熊野-』(書肆アルス刊)が届いた。装画は藤岡祐二。前作と同じだ。藤岡祐二の作品が、唯一、私の視覚に記憶された熊野の印象だ。

この本は、「諸言」からはじまりⅠ.「総論」―熊野をめぐる文学 Ⅱ.「列伝」―それぞれの熊野 Ⅲ.「熊野三題」Ⅳ.「作家論」「跋文」と続く。

「総論」は題名の通り、万葉集、古事記、日本書紀からはじまり、現代の俳人、桂信子まで、熊野に所縁ある文学者たちが語られる。「列伝」では「紀伊国」の起源神話に登場するスサノオをはじめとする森敦、他11名の歌びとたちが登場し「熊野三題」(はまゆう考、たちばな考、熊野の舟考)と続く。そして「作家論」は「故郷喪失者論」「立原道造論」「中上健次論」である。中上健次が亡くなった1年後の熊野大学俳句部入学が文学に対する彼の第一歩なのであった。だが、中上健次との出会いは高校生時代まで遡る。「跋文」の中に、

功徳を積まねば往生できないというのは仏教伝来以後の考え方であり、存在したのは「死と再生」の民俗信仰のみであった。古代熊野にいわゆる「差別的往生論」は存在しなかったのである。
『古事記』に登場する神々が身を以って「死と再生」の有りようを示してくれたことを我々は思い出さなければならない。生者と死者の間にある通路は常に遮断されておらず、人が死ぬとその魂は山に行き、山の神となり、春になると山里に降りて来て田の神となった。いわゆる「山中他界観念」である。また人が死ぬと風葬、水葬、土葬、屈葬、鳥葬などによって、時間をかけ、そっと母なる自然に魂を戻した。これは熊野における「循環の思想」といえる。

とある。私はこの「循環の思想」に感銘を覚えた。

中上健次を一度だけ、テレビのインタビュー番組で観た記憶がある。年配の文芸評論家がしきりにおべんちゃらを言うのを、二日酔いで起きたばかりの、そんな感じの中上健次が、ぶっきらぼうに不機嫌そうに答える。ロケーション場所は、とある都会の公園。その風貌が何十年も経った私に印象として残っている。

中上健次なら、西暦2014年の日本に対して何を思うのか。



「週刊俳句」第359号(2014年3月9日)には、「三年目の3.11」山崎祐子、関根かな、風間博明による「俳句」10句と短文「三年目の風景」が掲載されている。  

「海鳥」、「雪兎」、「福島に希望の光を」から、それぞれ二句を抜いてみた。

綾取は梯子から塔空青し   山崎祐子
豆を撒く豊間の海を見下ろして       

真つ黒と真つ赤と三月十一日   関根かな
泥鰌鍋以前と以後のある男女        

原発を憎むわれ生きてあり二月尽   風間博明
夜道行く人にも聞かす鬼やらひ       

モチーフは必要である。作者の経験、あるいは、意志は、作句する行為の中では重要なことだ。だが、それよりも、大きな、もっと、何か不思議な力が作者を突き動かし作品が出来上ることもあると思う。

次に、短文の「リセット」を読み、「光る雪」を読み、「それでいいのか」を読んだ。

私には「3.11」の経験が無い。勤務中に職場で揺れを体験し、退社後、歩いて帰る気力などさらさらなく、最寄り駅で私鉄の運転再開を待つ。さらに私鉄を乗り継いで、なんとか翌朝、帰宅した。そこからはいつもの生活。そんな私には、発言することなどおこがましいと思っている。ただ、風間博明氏の

絶対バチあたるからな、必ずバチあたるからな、仏様が見てるから

の一文が胸に突き刺さった。仏様に見られている以上、このバチは等しく全ての日本人にあたるのはあたりまえのことだ。それを承知で、立ち入り禁止区域の玄関に貼り出された文章を、このように引用せざるを得なかった風間博明氏に対して、言葉を発せれば嘘になるだろうし、何かをすれば自己嫌悪に陥る。私は俯いて黙りこくるしかないと思った。

政治や経済についてよくわからない。人類は、もうどうしようもない所まで来てしまっているのかもしれないが、そこで生活の糧を得て家族を養っている人がいることを承知の上で、私は、海辺に聳え立つあのコンクリートの施設は止めた方がいいと思う。

谷口智行は、句集『藁嬶』にも句集『媚薬』にも『日の乱舞 物語の闇』にも、略歴には「熊野大学俳句部『入会』」と書いている。だが、今回の『熊野、魂の系譜-歌びとたちに描かれた熊野-』の略歴には、「熊野大学俳句部『入学』」と書いた。

私は「そういうことなのだろう」と理解した。縦しんば無意識のうちに、そう記したとしても、彼にとっては同じことなのである。無意識であった方が彼の強い意志が「入学」という文字に込められているのかも知れない。何故ならば熊野の地霊が彼にそう書かせたのだから。



ホチキス留めを百十余回のち日永   白井健介

「ホチキス留め」機能のついたコピー機を使ったことがあったが、A4の用紙が揃わず、ホチキスも不揃いに留めることしかできなかった。現在なら、「きれいに美しく留める」ことのできるコピー機が開発されていると思うが、十数年前の経験もあり、経費削減のおりから「ホチキス留め」機能のついたコピー機は遠慮している。私は、同じ場所に、正確にホチキスの針が打ってない資料は苦手だ。私の勤務する組合の決算は3月末であるので、3月、4月は会議が続く。私にとって、百十余回ホチキス留めをした後の「日永」には実感があり、これからが忙しくなるんだという思いも加わる。

笑はざる子を清潔な春と思ふ   山口優夢

作者は子の笑顔に飽きたのだ。生まれたばかりの子に対しては誰もが笑わせようとする。作者は不機嫌そうな子を、あるいは、表情のない子を新鮮だと思った、清潔だと思った。即ち、清潔な春だと思った。もちろん、「笑はざる子」も、それを良しとした自分自身も清潔だと思ったのである。

何もしない夫と言はれ朝寝かな   山口優夢

若くても疲れることはある。たまには朝寝もいいだろうと思う。妻は、夫に向かって、父や母に向かって、あるいは友達に向かって、とかく言うものなのである。「うちの夫は何もしてくれないのよ」と。妻は幸福を噛み締めているのだ。「何もしない夫」と言っている自分に対して。また、言われている作者も、同じように幸福を噛みしめているのだ。

「吾子誕生」をモチーフとして俳句を作りたくてしかたがないのだと思う。作らなければ現在の自分の存在が、生きていることの意味がなくなってしまうような、そんな気持ちに襲われているかも知れない。幸福とは何かを考えながら「春を呼ぶ」五十句を読むことも必要なのだろうと思った。

さへづりや箱で売らるる天然水   大川ゆかり

天然水のペットボトルがケース売りされている。囀りの中での特売なのだろう。郊外ののんびりとしたスーパーマーケットか、あるいは、住宅街の趣のある酒店か。生命とさへづりと水の関係とは何なのか。確かに、「さへづり」には、水のイメージがあるような気がする。

ものの芽の二人の話聞いてをり   小澤麻結

自分に関係のない他人の話を聞くことほど面白いことはない。たとえば、BARのカウンターで珈琲店の片隅で。聞いてしまっていいのかと思う内容も多々ある。本人たちは誰にも聞こえていないと思っているに違いない。この場合は「ものの芽の」とあるので公園のベンチなのかも知れない。子供の話とか、あるいは、亭主の話とか深刻な話ではないようだ。

ある喫茶店で老人がふたりで話しているところに出会ったことがある。ふたりとも、とても穏やかな、見るからに紳士だ。ひとりは、ゴルフの話を延々と続け、もうひとりは温泉について語り始める。話は何もかみあっていないのだが、相槌をうちながら楽しそうに談笑している。その話の替わる合間というものが見事なのである。そして、それぞれの話は、乱れることもなく話の辻褄も合っている。だが、このふたりの相槌をうつときの微笑がとても無気味なのである。しばらくすると何事もなかったように席を立ち、割り勘で珈琲代を支払い会釈して右と左とに別れて行った。よく考えてみれば私たちも暮らしの中で同じようなことをしている。

日のさしてくれば紅梅卑しとも   藤永貴之

曇天の紅梅は確かに風情がある。だが、雲の切れ目から日差しがあらわれると「卑し」と感じてしまう。はじめから晴れている日の紅梅ではないのである。作者は曇天の紅梅にすっかり魅せられてしまっている。日差しがあらわれた時、その錯覚から醒めた。「卑しとも」という表現が、この作品の全てなのである。

春昼の部屋に鈍器の二つ三つ   齋藤朝比古
兄弟の無くて従兄弟やあたたかし      

鈍器とは、よく切れないが重い刃物、あるいは棒状のもの。身体を鍛えるためのバーベルもその中に入るのかも知れない。それが、春昼に、部屋にあることに気付いた。いつもは気にもしなかったものに気が付いたのである。この鈍器は凶器ではないようであるが、作者の心の片隅には、そのような芽生えがあったのかも知れない。誰かを傷付けたくなるような。

血の繋がりがあることを有難いと思った。兄弟がいなくて、父母、叔父叔母が既に、亡くなっていたりすれば尚更のことである。従兄弟と会ったりするのは冠婚葬祭の時ぐらいなものだ。この作品の場合、作者は街角で従兄弟と偶然に出会い珈琲でも飲んだのかも知れない。

号泣をしたのは羽化をするきざし   藤田めぐみ

おおきな悲しみや怒りに襲われたときひとは号泣する。それは、泣くことであっても、怒ることであっても、笑うことであっても、こころの趣くまま、思いっきり感情を発散にすれば、肉体に関しての自分自身への折り合いは付く。肉体に関しての折り合いがつきさえすれば、精神に対する折り合いもついたようなものなのだ。作者は、それを自分が生まれ変わることができる「きざし」と捉えたのだ。

春泥を握れば人の髪まじる   堀下翔

私は春泥を握ったりしたことはないが雪の積もる土地で暮らす人々は雪が解けて地面が現れたりすると、その土塊を握って春の来たことを確認したりするのかも知れない。地面にしゃがみ込み両手で春泥を掬う。その握った春泥の中に人の髪があったということだ。過去の異物なのである。怨念の宿っている異物なのである。



『熊野、魂の系譜-歌びとたちに描かれた熊野-』の「総論」の中に、野口冨士男の『なぎの葉考』について書かれた箇所がある。

野口は中上健次の案内で南紀州を訪れて書かれた短編小説で作中に登場する間淵宏とは中上健次がモデルとされている。

私は、短篇集『なぎの葉考』(文藝春秋社刊)の初版本を持っている。箱には、長い髪の女性の顔が描かれ装釘は高木義夫。初版本というものは、読まなくても手に触れ眺めていればそれで十分に楽しいものだ。もちろん、鉛筆で線など引く訳がない。読む書籍と眺める書籍は別物なのである。袴に「川端康成文学賞受賞」とあるので、書店で受賞後に最初の袴と換えられてしまったものなのだろうと諦めたが、受賞を機会に創作集を文藝春秋社から出すことになったと「あとがき」にあった。残念さが一瞬の内に吹き飛んだ。

私は三十数年ぶりに『なぎの葉考』を読んでいる。間淵が地元の若い衆とともに先輩作家に対して礼を尽くしている場面や、間淵が若い衆と夜明けまで飲み明かしたなどという場面に出会うと、その中に、谷口智行がいるような錯覚に陥る。この作品は、昭和55年に、「文学界」に発表されたものだ。まだ、彼は阿田和の住人ではない。

『なぎの葉考』は私小説であり近代日本文学における男女間の問題に繋がる作品である。



第358号2014年3月2日
白井健介 乾燥剤 10句 ≫読む
山口優夢 春を呼ぶ 50句 ≫読む
第359号2014年3月9日
山崎祐子 海鳥 10句 ≫読む
関根かな 雪兎 10句 ≫読む
風間博明 福島に希望の光を 10句 ≫読む
第360号2014年3月16日
大川ゆかり はるまつり 10句 ≫読む
小澤麻結 春の音 10句 ≫読む
藤永貴之 梅 10句 ≫読む
第361号2014年3月23日
齋藤朝比古 鈍器 10句 ≫読む
第362号2014年3月30日
藤田めぐみ 春のすごろく 10句 ≫読む
堀下 翔 転居届 10句 ≫読む

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