2016-03-27

【週俳2月の俳句・川柳を読む】ここではない場所、ふたつ。 江口ちかる

【週俳2月の俳句・川柳を読む】
ここではない場所、ふたつ。

江口ちかる



こどものころ、天井板の木目や、すこしだけあいた引き出しが怖かった。あるいは光った葉がみっしり連なっている椿の垣根とか。日常と地続きのところに、ここではない場所がある。怖いのだが、交わりたい心地もあった。

かくれんぼ三つかぞえて冬となる 寺山修司

鏡から花粉まみれの父帰る   石部 明

怖いようでいてどこかなつかしい。前者では閉じられた目が、後者では鏡が、ここではない場所の扉になっているらしい。まっこうから異界が主題になっている。それに比べ、トオイダイスケさんの「ここではない場所」は、さりげなくそこにある。現実と完全に隔たった場所ではなく、じんわりと現実に浸潤しているように思える。

堅香子の故郷に怖き地の残る  トオイダイスケ

「堅香子」の字の秘密めいた雰囲気。「かたかご」という音もすてきだ。山野に自生するかたくりの薄紫の愛らしい花。その花が咲く故郷に残る怖き地。路地の奥や、忘れられた公園、誰も来ない駄菓子屋、すり減った、長い長い石の階、廃寺。いったいどんなところなのか、のぞいてみたい気がする。

花樒土に声ことごとく吸はれ  同

樒の花をみたことがなかった。ネット上の画像でみると、ふしぎなたたずまいの花だ。色は薄い黄。モクレン科らしく、花弁はぽったりと肉厚にみえる。細くて数が多いためか、指めいている。花は普通外界へアピールする位置で咲くものなのに、葉の根元で開いている。奥へ誘っているようにも見え、葉の色の濃さとあわさって不穏である。その季語と、声が土に、しかもことごとく吸われてしまう状況がぴたりはまって、怖い。声がことごとく吸われた後の、無音の世界は、きっとここではない場所だ。

春驟雨窓越しに島古びゆく  同

フランシス・ベーコンの、叫ぶ教皇シリーズを思い出した。「ベラスケスの教皇イノケンティウスX世の肖像による習作」は、時間のカーテンのような、激しい雨脚のような縦の線のむこうで、教皇は輪郭を危うくさせながら口を大きく開けて叫び続けている。窓越しの島は驟雨のために古びてみえるのではなくて、そのときたしかに別のものになっているのかもしれない。

蜃気楼死の前日も人眠る  同

「ここ」と「ここではない場所」の端的な組み合わせは生と死、此岸と彼岸である。トオイさんの世界では死もまた生へ滲みだしている。眠りは死の変形バージョン、いや、死が眠りの変形バージョンなのだろう。と読んでゆくと

野に遊ぶ着の身着の儘来し友と  同

この、野に遊ぶ景も現実であってそうでないような、友は時空を超えてやって来たのではないかと思えてくる。



川合大祐さんの「檻=容器」は 括弧で始まる1句目から、括弧閉じる、で終わる10句目までがひとかたまりで檻に容れられている。タイトルは「檻=容器」と硬質に意味を問う印象だけれど、10句を読むとふわふわっと「でいろいろ遊んでおられる。現実のなかの景色ではないという点で、川合さんの作品もまた、ここではない場所の眺めとなる。

「匣」にするあと幾本の直線で  川合大祐

匣という字を括弧でとじれば、入れ子構造の檻ができあがる。直線で匣をつくろうとする机上の遊戯。唐突だけれど竹本健二の『匣の中の失楽』が浮かんでくる。作中作と作中の現実がそれぞれ次々と閉じられていく。途中でどちらが現実か虚構か判然としなくなり、読後、匣に閉じ込められた感覚になってしまわけだが、遊戯的な物語の運びは川合さんのものとも響きあう。

「こんばんは」「泥濘ですね」「四年ほど」  同

シュールな会話劇。ここでは「」は会話文を括る記号として、普通の使われ方をしている。だが、交わされる言葉の組み合わせがシュール。金城一紀脚本のドラマ『BORDER』の天才ハッカー、黒いニットが似合うサイモン(浜野謙太)とガーファンクル(野間口 徹)に言わせてみたい。あるいはギリシャ悲劇の面をつけた役者に朗々とおおまじめにうたいあげてほしい。

「有賀」「柴」「唐木」崩れる卵塔場  同

卵搭場という言葉の妖しさ。卵搭場が墓場だと知らなかった。墓なのに卵とはふしぎなと思ったが、「卵搭」というのは高僧の墓のことで、卵に似たかたちの石を載せているのだそうだ。卵搭場が崩れるのだという。それとも「有賀」「柴」「唐木」が卵搭場で崩れるのだろうか。この場合の「」は並べる名詞をまぎらわしくないように区切る働きだろうか。ところがこの「有賀」「柴」「唐木」が何かがわからない。墓碑銘なのかはたまた線香の銘柄なのかと乏しい想像力をめぐらしてはみたのだが。わからないまま、惹かれた。

「「「「「「「「「蚊」」」」」」」」」」  同

入れ子というよりは、テキスト版の横書きで見ると、「」のかたちのおもしろさが感じられる。蚊が震えているようにも、足を増殖させたようにも見えてくる。キース・ヘリング風「」とでも名付けたい。

」あるものだ過去の手前に未来とは「  同

「」があっちを向いてしまっている。括るという働きを放棄した「」。括られなかった言葉は過去の手前に未来があると、時間が逆向きになっている。逆ベクトルの詰め合わせとでもいえばよいのか。こんなこともできるんだよ、という作者の試み。

ここにはない場所、ふたつ。堪能いたしました。



第459号 2016年2月7日
中村 遥 光る魚 10句 ≫読む
川合大祐 檻=容器 10句 ≫読む
篠塚雅世 水草生ふ 10句 ≫読む
第461号 2016年2月21日
下楠絵里 待ち人 10句 ≫読む
第462号 2016年2月28日
トオイダイスケ 死なない 10句 ≫読む

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