【週俳4月の俳句を読む】
距離だけではない
岡田由季
古き茶は古き茶の色春の風邪 津髙里永子
古き木に古き支へ木四月馬鹿 同
「支へ木」10句。似ている2句がペアになって並んでいる。
似ていると言ってもあまり似ていない双子のようでもある。
昔からなぜか双子には注目してしまう。そして無意識のうちに類似点や相違点を探してしまう。双子でもこっちの子の方がおっとりしている、とか、やっぱり双子だから同じ反応をする、などと思って彼らのことを少し理解したつもりになる。けれど偶然双子のうちのひとりと親しくなったりすると、双子として見ていたときとは全く違う面が見えてくることもある。
この2句はほとんど構成が同じだが、一番の違いは助詞「は」「に」だろう。先の句では、実在するのは古き茶というものひとつだけ。古き茶は、他のものに例えようもなく古き茶の色だということだろうか。あまり意味性はなく、古き茶というものの存在が漠然と肯定されているようにも感じる。後の句の方は「に」の使用により、古き木と古き支え木の関係性をすこしだけ思わせる。しかし、どちらも静かな印象の句であり、2句並んでいなければその相違には着目しなかったかもしれない。
鶯笛ホケキヨのところ難しき 西村麒麟
ポケットの鶯笛にまた触れし 同
家にゐて鶯笛が安心す 同
「鶯笛」30句。
読んでいるうちに鶯笛が愛おしく思えてくる。
初々しく、ほのぼのした気分で読んでいると、最後に追悼の句が並び、切ない気持ちになる。印象に残る作品。
猫の子に石かな切り株かな空だ 宮崎斗士
猫の子の視点でカメラアングルが次々と切り替わる。石のアップ、角度を変えて切り株のアップ、そして青空が広がって終わる。映像として鮮やかで、「かな~かな~だ」というリズムも楽しい。
■hi→まるごとプロデュース号
女子的なもの若草物語的なもの、自分からは遠くなってしまったもの、でもそうだよね句会って面白いよねとか、いろいろ感じさせられたが結果的に感想にしにくかった。俳句作品の文字色が小さく色が淡いので花眼の方には少々厳しいかもしれない。いえいえ私はまだなんとか大丈夫です。
何もなきところにかかる冬の虹 西丘伊吹
何もないというすがすがしさ。
秋時雨手と足の爪赤く塗る 衣衣
手も足も?柔らかな言葉の裏にすこし怖いものが。
その響き「イプシロン」なり春の風邪 楢
イプシロン。可笑しい。可愛い。
糸くずをつまんで聞ける除夜の鐘 日比藍子
行動+季語というパターンの句が多いように。この句は静止した感じに味わい。
咀嚼する舌のひらひら春の雪 山田真砂年
句のつくりとしては「ひらひら」で切れるのだろうが、私自身の感覚として舌がひらひらというイメージはなかったので、春の雪にもひらひらはかかるように感じた。咀嚼するときに舌が自由であるという発見と、春の雪との双方から導き出されたオノマトペか。句評などで季語との距離が近い遠いということをよく言われるが、言葉の関係性は距離だけではないという当たり前のことを改めて感じる。
第258号
第259号
■西村麒麟 鶯笛 30句 ≫読む
第260号
■宮崎斗士 空だ 10句 ≫読む
第261号
■hi→作品集(2010.10~2012.3) ≫読む
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第262号
■山田真砂年 世をまるく 10句 ≫読む
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