【週俳4月の俳句を読む】
先入観を覆す
小早川忠義
五周年関連や故八田木枯氏への追悼特集、そして松尾清隆氏の問題提起もあり、四月の週刊俳句はついて行くのも大変な程の読み応えであった。 WEBという媒体に上げられることにより、閉塞的になりがちな短詩系文学の世界に風穴を開けた業績、そしてそこへ寄稿することによる影響力の大き さは、結社内外を問わず自身が足を運ぶ所々で話題に出てくることにより証明されている。今後の益々の御発展を祈念すると共に極めて微力ながらも継 続してお 役に立てるよう自らも精進したい所存である。
あたたかき別れ地下鉄地下ホーム 津髙里永子
あたたかき暗さ映写機幻燈機 同
淡々と過ぎる日常から編み出される二句一組の五膳のお箸のような連作。
その中でも「あたたかき」別れや暗さがどの箇所に存在していると作者が定義するその場所に興味を引いた。春とはいえまだ寒い、人が別れるであろ う夕方から夜にかけての時間。その寒さから隔離された地下鉄のホームに「あたたかき別れ」が存在するという。地下鉄で行ける距離は長くても一昼夜 乗り続けなければいけないなどという遠さではない。また明日あたりになれば会えるという安心があるからこその「あたたかさ」と言えよう。
同様に「あたたかき暗さ」は、いずれストーリーが終わればまた明るさが戻る映画館の暗さ。映写機や幻燈機のぼんやりと埃を含んだ光線もその暗さ に加担している。
先頭が八田木枯鶴帰る 西村麒麟
天上へ鶯笛は届くかな 同
軽快な詠み振りから故八田木枯氏への追悼にさりげなく入っていく作者の巧みな世界形成に支えられている三十句。特に引用の一句目が圧巻。連作に いきなり故人の名が出てくるかと思えば「鶴帰る」である。
鶴は引くこころのなかに灯を入れて 木枯
なるほど、作者にとって木枯を知り、読み、愛でる糸口として鶴は大きな存在であるということなのであろう。そこはどうしても外せなかった。「鶴 帰る」と季語で結べる季節に作者と対象者の永遠の別離の刻が来るとは運命的なものを感じる。
悲しいことがあり「泣く」と「鳴く」を響かせ、最後はまた軽快に鶯笛に焦点を当てて天上へ昇華する。そして故人の詠んだ句の精神は今生きる者の 糧となり血となり、未来に受け継がれていく。
日永かな動いてロボットだとわかる 宮崎斗士
昔の恋人いつまでも雨のぶらんこ 同
口語で詠むと俳句はやけに安定感を失ってその存在がぶるぶる震えるように見えてくる。その震えは必ずしも悪い印象を与えるものではなくて、先入 観を覆し凝視を禁じ得ない注目度の高さを表している。
日永を自覚しない時期にはずっと動いていなかったかも知れないものが動き出して、その動きからして生物離れであったという引用一句目。そ のシーンの切り取り方は俳句というよりスパンが長いだけに短歌のそれに近く感じる。
二句目は十句の中で唯一動詞が含まれていない。それだけ春の雨が降り続いている中で誰も乗せていなく止まったままのぶらんこが際立ってくるので ある。
散る花に陰の塊馬二頭 山田真砂年
世をまるく生きて気鬱や八重桜 同
お正月の淑気同様、桜の咲く下にいると桜独特の色彩や香りに日常とは違った感覚に襲われる。十句全体の世界は作者の生の自覚と共に「まる く」纏まっているが、作者はそれが気鬱だという。その気分から鋭角の世界に導き出してくれる駿馬の姿を散る花の陰に見たのだろうか。桜の開花 時期はあっという間。いやでも万緑の季節がすぐさまやってくる。
他に好きだった句を挙げる。
東京をめくれば土や月今宵 西丘伊吹
四万六千日女装の人も祈るなり 衣衣
効用に春寒とあるハーブティー 西丘伊吹
第258号
第259号
■西村麒麟 鶯笛 30句 ≫読む
第260号
■宮崎斗士 空だ 10句 ≫読む
第261号
■hi→作品集(2010.10~2012.3) ≫読む
■新作10句 イエスタデー ≫読む
第262号
■山田真砂年 世をまるく 10句 ≫読む
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