【週俳4月の俳句を読む】
二つの物語
福田若之
使い古された道具には魂が宿るという信仰が日本にはある。つくも神などと呼ばれたりする。つくも神の多くは、どこか憎めないところのある、ユーモラスな姿をした妖怪たちだ。道具は使い手に似るなんてことも、よく言われる。
こうした言い伝えがどこまで本当かはさておき、長年使っていると、その道具の思わぬ一面を知るっていうのはよくあることだろう。いつだったっけか、ある先生が授業中に、出席簿は角が硬いから、居眠りしている生徒を起こすのには最適なんだよというような話をしたことがあった。「いまはさすがにそんなことしないけど」とは言っていたけれど、その後しばらく、その先生のクラスでは同級生の居眠りを見かけなくなったのを覚えている。
さて、たとえば、うっかりすると忘れてしまう、けれどポケットに入っているとつい触ってしまう、友達や好きな子と話すのに使える、もちろん口説くのにも使えるし、上手く使うと人気者になれる、デート中にも手入れが欠かせない、遠出すると機嫌がよくなる、けれど家にいると安心する、ひとりでに鳴いたり泣いたりもする、その音が天上へ届きそうな、ほのかに餅の味がするもの。
――どうやら、ある人にとって鶯笛とはそんなものらしい。
西村麒麟「鶯笛」には、二つの物語が織り込まれている。ひとつには、彼とふれあうなかで生を受け、心をやどす鶯笛の物語であり、もうひとつには、彼にとって先生と呼びうる八田木枯の死を受け入れるまでの、彼自身の物語だ。
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はじめ、彼にとって鶯笛は大した存在ではない。
うつかりや鶯笛を忘れたる 西村麒麟(以下同)
ここで、鶯笛はいのちを持たない道具、それも、大事なものではない道具として、まず現れる。そこから、鶯笛とのふれあいがはじまる。
鶯笛ホケキヨのところ難しき
まだ少し心が足りぬ鶯笛
だんだんと、鶯笛が心を持ち始める。彼の中でも、鶯笛がだんだんと、ただのものでなくなっていく。
ポケットの鶯笛にまた触れし
そして、気がつくと鶯笛は心を持っているのだ。
遠出して鶯笛の機嫌良し
平行して、彼の中でも、鶯笛が大切な存在になる。
デート中鶯笛の手入れもす
その後ついに、鶯笛はいきものとしての魂を宿す。
この頃は吹かずとも鳴く鶯笛
そして、ここにきて、
鶯を鶯笛としてみたし
という彼の望みは、倒錯したかたちで果たされることになる。
これと時をほぼ同じくして、八田木枯先生が亡くなる。しかし、彼は最初、これを死として受け入れることが出来ない。
先頭が八田木枯鶴帰る
木枯先生無数の鶴となり帰る
鶴引くや八田木枯なら光る
これらの句は、木枯先生がいなくなってしまったという事実を、幻想によって理由付けて、はぐらかそうとしているようにも思える。
しかし、その死を彼は受け入れなければいけない。現実は彼に否応なくつきつけられる。
鶴引くが八田木枯忌なりけり
けれど、道具に宿った彼の心の一部分とも言える鶯笛は、やはりその死を受け入れることが出来ない。
鶯笛に宿った心が彼の心の一部分の投影であることは、彼のなかに
鶯となりて長屋を守りたし
という望みのあったことからも、明示はされないにしろ推測される。
そしてこの心の一部分、夢を描く豊かな心であると同時に、夢の中にひきこもっていたくなってしまう弱い心を、彼の理性的な部分が、なんとかしてなだめようとする。
鶯笛に先生の死を言ひ聞かす
夕べからぽろぽろ泣くよ鶯笛
最後に、鶯笛もまた、先生が天上の存在になったことを受け入れる。そこで物語はひとつの終焉をみる。鶯笛に一度宿った彼の心の一部分は、ふたたび彼のなかへと帰り、鶯笛は、音を奏でるための道具として、しかしなお特別なものとして、彼の心を奏でるのだ。
天上へ鶯笛は届くかな
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二つの物語の流れはあわさって一つの物語となり、ここへ、そこへ、むこうへ、きっと、届いたはずだ。
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