【週俳8月の俳句を読む】
少年は何処に移植されたいか?
嵯峨根鈴子
食パンの中に空洞朝ぐもり 谷口摩耶
食パンに穴があるのではではなくて、食パンの中に空洞があると言っているのだ。朝曇りに始まる炎暑の一日も、食卓も、この街も、私も、作者もろとも空洞に呑み込まれてゆくかのような感覚に襲われた。世界は食パンの中の空洞に、空洞は食パンの中に、まるで入籠のように存在しているのかもしれない。
蜥蜴するりと自販機は故障中 谷口摩耶
自動販売機が蜥蜴一家の住処のようにも思えて楽しい。果たして「故障中」は必要だろうか?因果に落ちて仕舞わないだろうか?
終電へみんなは走る晩夏かな 村越 敦
いつでも誰でも、終電車に向かって走ると思うのだが、「みんなは走る」と言うことは作者は傍観しているのだろうか? もう走るのを止めてしまった作者の眼には、みんなを乗せた終電車の赤いライトが遠ざかってゆくのが見えているかのようだ。
向日葵を蟻降りてくる怒つてゐる 石原明
何故蟻は怒っているのかなんて、知る必要もないのであるが、こう確信を以て書かれると、えっ!なんで?とこの句の前に深く考え込んでしまうのだ。
初桃のまだ強情な果肉なり 石原明
初生りの桃は、剝くにも切り分けるのにも細心の注意が要る。ナイフを持つ手には力のいれどころと抜きどころがあるのである。種から果肉を剥ぎ取る時の感覚を「強情な」とは、全く以って言い得て妙である。
少年を石榴の中へ移植する 石原明
トプカピ宮殿の奥床に、金の鳥籠にいれて秘かに飼われている美少年(ここは絶対美少年でなければならない)をどこへ隠そうかと悩んだ末に、スルタンはふと目に止まった大きな石榴の実(トルコの石榴は赤ん坊の頭ほどもある)に隠しておこうと考えた。幸いにも石榴は裂けてルビイの粒が零れんばかりである。この句の眼目は、「少年の移植」である。移植すれば、やがては増殖するのである。その場所として石榴以上のものは浮かばない。私がスルタンなら是非とも試してみるのだが。何としてもこの結末を知りたいものだ。
もう一つ、石榴といえばセルゲイ・パラジャーノフの『ざくろの色』を外す訳にはいかない。石榴の色とはアルメニア人の流した血の色なのである。こちらの世界に踏み込んでみても興味は尽きない。出口は初めから無い美醜のラビリンスなのだから。
■谷口摩耶 蜥蜴 10句 ≫読む
■福田若之 さよなら、二十世紀。さよなら。 30句
≫読む ≫テキスト版(+2句)
■前北かおる 深悼 津垣武男 10句 ≫読む
■村越 敦 いきなりに 10句 ≫読む
■押野 裕 爽やかに 10句 ≫読む
■松本てふこ 帰社セズ 25句 ≫読む
■石原 明 人類忌 10句 ≫読む
●
2012-09-09
【週俳8月の俳句を読む】少年は何処に移植されたいか? 嵯峨根鈴子
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 comments:
コメントを投稿