2013-09-08

【週俳8月の俳句を読む】選ばれた言葉たち 鈴木牛後

【週俳8月の俳句を読む】
選ばれた言葉たち

鈴木牛後


回文はひたすらコツコツとした試行錯誤によって作られる(少なくとも私の場合はそうだ)。日本語では逆さから読んでも意味の通ることばは絶対的に少数だから、それを見つけるためにどれだけのことばをひっくり返してみることか。そしてあるときふいにカタリと音をたてて最後のピースが埋まる。そうやって、半ば世界によって選ばれたことばたちが織りなす世界。それこそ、井口吾郎氏の回文俳句のすばらしさだ。


花粉愛隠すマスクか慰安婦か 井口吾郎

「花粉愛」。花粉症の原因となる花粉を愛する人などはいないだろう。でももしかしたらいるのかもしれない。とても人には言えず、マスクの中に隠して。そして取り合わされているのは「慰安婦」。慰安婦も多くは人には言えぬ過去として隠されていることだろう。

ここで感じるのは、「花粉愛」と「慰安婦」の回文的恩寵とでも言える親和性だ。回文を作る過程でどちらからどちらが導き出されたのかはわからないが、回文の中であるからこそ「花粉愛」ということばが受容可能なものとして感じられ、見慣れぬなことばたちに現実世界への切符が与えられるのだ。


多摩川市西区土筆に皺がまた  同

多摩川市というまちはないらしい。調べてみてはじめてわかった。この「市」は対になっている「皺」から必然的にもたらされたものだが、この、ありそうで実はない地名という、現実が横に引っ張られるような力で、つるつるの土筆にも皺が増えていくのかもしれない。こういったナンセンスな句を普通の句会に出したら人によっては一顧だにしないと思うが、そこは回文の力。たぶん誰もが微笑を湛えつつ拍手するに違いない。


蒲田らしるるぷるぷるる白玉か  同

強引である。オノマトペを無理やり回文にしている。でもそれに目くじらを立てる人はいないだろう。「るるぷるぷるる」という言葉を何度も転がしてみて楽しめばいい。白玉がふるえるさまもこの次からはそう見えるはずだ。


蟬鳴きて瓶底ゾンビ的な店  同

こういう句を見るとうれしくなる。「瓶底ゾンビ的な店」だ。よくぞ探し当てたと思う。俳句はたった十七文字の羅列から一瞬で世界へと大きく開かれてゆく、そういうものだと思うが、回文にも実は同じような効果があるのではないか。もはや「瓶底ゾンビ的な店」がどのようなものか考える必要はない。俳句と回文が交差したところから発せられる眩い光があれば十分だ。


第328号 2013年8月4日
彌榮浩樹 P氏 10句 ≫読む


第329号 2013年8月11日
鴇田智哉 目とゆく 10句 ≫読む
村上鞆彦 届かず 10句 ≫読む
 

第330号 2013年8月18日
井口吾郎 ゾンビ 10句 ≫読む


第331号 2013年8月25日
久保純夫 夕ぐれ 10句 ≫読む

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