2013-09-08

【週俳8月の俳句を読む】ゾンビの街 中山奈々

【週俳8月の俳句を読む】
ゾンビの街

中山奈々


今年の夏は暑い。暑すぎる。朝から晩まで暑さに付きまとわれる。かと思えば、効き過ぎのクーラー直撃。ひっきりなしに体温調節。それに疲れてぐったり。

そんな平日の疲れが、どっと押し寄せてきた週末。目覚めたら夕方。ああ勿体ない過ごし方をした。今からでもとりもどせないか。とにかく、汗の染み込んだTシャツを着替え、街に出た。

橋涼み水のゆくへに次の橋  村上鞆彦

蝙蝠や橋をわたれば神谷バー  同

橋に来てみれば、遠慮しがちに風が吹く。涼しい。が、流れる水が時折、生暖かい風を吐き出す。水はまだ昼間の熱を宿しているのだろう。しかし橋に吹く夜風にようやく、自分たちの中の冷たさを取り戻そうとしている。流れながら。どこに流れるのか。行方をみると、向こうの方に橋が見える。あの橋に吹く夜風にも当たりたいな。

小さい頃、夜飛ぶのは蝙蝠しかいなかった。今じゃ椋鳥や雀が、夜の街を飛び交うようになった。全く。自然の摂理を守りたまえ。鴉が鳴くから帰るんだ。夜はもっと怖くなくてはいけない。でないと、いつまでも遊んでしまう。ああ、ほらまた橋の上でいちゃつくカップル。成人もまだだろう。早く帰りなさい。夜の威厳はどこに行ったのだ。

しかし今夜は、きちんと蝙蝠が飛ぶ。その他は何もいない空。もしかして、威厳を取り戻し始めたか。嬉しくなる。威厳ある夜には威厳あるバーへ。電気ブランが恋しい。あの薬草が喉を涼しくさせるだろう。

悲しみや檸檬を絞る種もまた  久保純夫

安い酒も高い酒もがぶがぶ飲んでしまう。悪い癖だ。グラスを天井に向け、空にした瞬間、生きていると思う。でもそのグラスを置いた瞬間悲しくなる。悲しみはいつか不安になり、怒りに変わり、爆発する。梶井基次郎は何故檸檬の爆発を見守らなかったのか。馬鹿だ。檸檬が爆発するはずないじゃないか。檸檬は絞るもんだ。分かりきっている。絞る。絞る。おい。神谷バーに来て、レモンサワーを頼むのか、最近の若者は。檸檬の種を飲み込んで、腹で爆発させればよい。

神谷バーの前の地下鉄の入口。そこを降りて行けば、帰れる。なのに、酔ったときの癖であちこち歩き回りたくなった。

仕舞いに忙しい仲見世通りを抜け、浅草寺に一礼。回れ左で、花やしき。真っ暗。くらくら。飲み過ぎた。うう、気持ち悪い。どこか手洗い。と思ったとき、不思議な店が目に飛び込んできた。

蝉鳴きて瓶底ゾンビ的な店  井口吾郎

異様な佇まい。普段なら入らないだろう。でも今は入りたい。胸の気持ち悪さは何処かに消えた。つまり手洗いを借りる必要もない。でも入りたい。訳の分からない衝動だけだ。夜中突如、蝉が思い出したように鳴くような。意味不明な衝動。

ひざ曲げてくつくつ笑ふ鳳仙花  彌榮浩樹

入ったら、爺さんが一人。しかもひざ曲げて床に座っている。クラムボンはカプカプ笑っていたが、爺さんはくつくつ笑う。「いらっしゃい」も言わない。ただ笑う。赤みかがった顔に、皺。鳳仙花に似てると思った。いや鳳仙花に笑いかけているのか。小学生の時の写生会。鳳仙花が開くときみんなで笑った。そんな顔に似ている。

簾がない夜だ漂い流れ出す  井口吾郎

ここは浅草のはずだが、この店の中では、東南アジアの気分になる。東南アジアは行ったことがない。しかし頭を過るのは東南アジアの狭い路地の壁だけ店。開けっぴろげで、店の中の臭いが漂い流れ出す。臭い。匂いではない。臭い。死臭。まさか。いや。まさか。

そういえば、唐十郎の小説『佐川君からの手紙』で彼の婆さんが、死体を見ながら飲む酒場に勤めていた、と書いてあった。ここは乱歩が闊歩した浅草。そして東南アジア。違う。いや違わない。何でもありだ。死体が置いてあったっていいじゃないか。この臭い、死臭でもいいじゃないか。爺さんも賛同するように笑っているじゃないか。このくつくつも流れ出すのだ。

墓を持つ死者のみならず蝉時雨  村上鞆彦

墓のない死者もいるはずだ。そうこの店内に。

鈴蟲の匣の渦巻模様かな  彌榮浩樹

かりがねや切手にひげの男たち  同

そうとなれば、死体を探そう。分かっている。死体なんてないことぐらい。でもこの店のどこかにある気がしてならない。だって見渡せば、何でもかんでも置いてる店だ。鈴蟲の匣。虫籠というよりは棺に似てる。しかも渦巻模様。開けるのは止そう。鈴蟲ではなくパンドラの箱の最後の希望とやらが逃げ出しては困るから。

他に、各国の切手が大事そうに額に入れられている。消印付きのもの。未使用のもの。鳥や植物もあるが、目が行くのは人物画。そのむかし、頬こけのリンカーンが髭を生やしてから人気者になったという逸話があるが、強ち嘘ではなさそうだ。髭の男たちは絵になる。こんな小さな切手の中でも生き生きしている。幸薄いゴッホでさえも立派な紳士だ。

秋蝉やP氏このごろきてくれず   彌榮浩樹

「わしは…」

うめき声かと思った。でもしきり「わしは…」と言う。いやうめく。爺さんだった。爺さんがこちらに向かって、何か言っているのだ。

「わしは…エアメールはまあまあだと思う…しかし…」

「ああ。この切手ですか」

切手を見ていたし、爺さんもエアメールって言ってから、その謂れを語るのかと思った。だが、違ったようだ。

「違う…エア、フェア、フェルメール…」

「あ、フェルメールですか。最近よく展覧会がありますね。綺麗な青ですね」

「あんな小綺麗な青よりもいい青があるだろ」

「青は、青は、青の時代のやつのが一番だがね」

さっきまでくつくつ笑っていた爺さんの薄ら目が一瞬光った。畏敬。そうか。今夜は威厳のある夜だ。爺さんの中の畏敬が目を覚ましたのだ。そしてこの爺さんの惚れている青を生み出したP氏。彼は最近、フェルメールブームに押され、来日していないな。

あなたのあたまあたまのむかごこぼれてる  久保純夫

P氏の話をして満足したのか、爺さんはすぐまたくつくつ笑い出した。その顔が、「ゲルニカ」の中の顔に似ていた。くつくつくつくつくつ。ころころころころころ。それは爺さんの笑い声ではなく、爺さんのあたまからこぼれいるむかごの音。あたまからむかごがこぼれてる。爺さんはそのむかごの頭を押さえていた。

覚めたるは緑の蓋が嵌めてある  鴇田智哉

押さえても止まらない。爺さんが可哀想になる。とりあえず、近くにあった緑色の蓋を嵌めてやる。上手いこと、頭のサイズに合う。何でもある店だ。緑の蓋を嵌められた爺さんの目は開かれたまま。何が見えているのか。しかしむかごが出ないだけマシか。

冷蔵庫板に死にたい楮入れ  井口吾郎

爺さんに手間を取られたが、死体探さなければ。もうこれを見ないと、帰れないような気がしてきた。「スタンド・バイ・ミー」のように死体を見れば何か変われるかもしれない、とも思う。いやもういい大人だろ。こんなに飲んだんだから、とも思う。とにかく死体を、探す。

死体が入ってそうな箱。ああ。冷蔵庫だ。開けてみる。薄暗い店のさらに暗い冷蔵庫の中。一枚の紙。板垣退助。百円札。「イタガキ、死ストモ、自由ハ死スゼ」。死にたくなかったのか。死にたかったのか。板垣退助。

7はどうひらくか波の糸つらなる  鴇田智哉

何処をどう探せば見つかるのか。ヒントを、ヒントを。サイコロを振りたい。出た目の数だけ、進む。探す。あれ、7の目はどうやって出るんだろうか。展開図のように開いて7が表れるのか。7が出たら、出口。しゃらしゃらしゃら。昔台所の入口が掛けてあった玉すだれをくぐり抜けて、出口。


抜けたらそこは、いつもの街。忙しない街。一軒潰れれば、新しい一軒が入る。ゾンビの街。どこかに死体があるだろうか。


第328号 2013年8月4日
彌榮浩樹 P氏 10句 ≫読む


第329号 2013年8月11日
鴇田智哉 目とゆく 10句 ≫読む
村上鞆彦 届かず 10句 ≫読む
 

第330号 2013年8月18日
井口吾郎 ゾンビ 10句 ≫読む


第331号 2013年8月25日
久保純夫 夕ぐれ 10句 ≫読む

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