【週俳9月の俳句を読む】
愚かなる
岡野泰輔
愚かなるテレビの光梅雨の家 高柳克弘
愚かなるテレビという措辞がいかなる心理的機制からうみだされたものか?作者の世代を考えるとそこが一番興味深い。テレビによる一億総白痴化を唱えたのは大宅壮一だが、昭和三十年代前半のそのころテレビとは一家で没入して観るものだった。住宅の性能、特に機密性においてはるかに劣っていた当時、テレビの光、音はいつも路地に洩れていた。だからこの句、筆者などには望遠鏡を逆さに覗くような郷愁の景にみえてしまう。
『敗北を抱きしめて』ジョン・ダワーのように愚かさを抱きしめるのだ。
ピーチ姫を助けに行くわたしは実はあみどだった 内田遼乃
洗眼薬の海におぼれ視界ぴんくなめだかさん
内田の十句をおもしろいと思いつつも、これら句群は意図的な未熟さ、逸脱と当初は読めてしまう。小学生でも指導よろしきを得ればそれなりに結構の整った俳句らしきものができてしまうのがこの詩型であり、また陥穽でもあるからだ。しかし待てよ、と。改めて十句を読み直してみれば、内田のオブセッシブな強度が立ち上がってくる。げに俳句はおもしろい、かつ危い。
地響きのして秋麗の鼓笛隊 村田 篠
普通に読めば警察とか自衛隊のマーチングバンド。地響きと秋麗の二つの言葉のちょっとした齟齬を味わえばよい。でも鼓笛隊と書かれたとたん私は脊髄反射のように、ヒョロヒョロとなさけない音を出すかわいい小学生達を見てしまう。(私だけか?)老女と若い女の像が見る度に入れ替わるゲシュタルト心理学で例示される図のように、ここでは小学生と軍楽隊が読む度に入れ替わる。おかげで地響きも秋麗も詩語として格段の奥行をもったように思う。誤読か?
おお男娼コート絡まる野菜市 仁平 勝
オオオカマコトとマルヤサイイチか。一人はともかく二人をぴったり入れるのは難易度が飛躍的に高くなるのではないだろうか。その上に二人の人選にちゃんとテーマしばりがある。回文俳句は回文の要請で生まれる奇天烈なイメージを楽しめばよいのだが、姓名読込となるとどうしても具体的な誰某のキャラクターがそのイメージに被さるスリルがある。後半に際どいのもあるが、ここでは大岡信の男娼姿を楽しんでおく。しかし丸谷才一の野菜の薀蓄は煩そう。
第332号 2013年9月1日
■髙柳克弘 ミント 10句 ≫読む
第333号 2013年9月8日
■佐々木貴子 モザイク mosaic 10句 ≫読む
■内田遼乃 前髪パッツン症候群 10句 ≫読む
第334号2013年9月15日
■村田 篠 草の絮 10句 ≫読む
第335号2013年9月22日
■小早川忠義 客のゐぬ間に 10句 ≫読む
■今泉礼奈 くるぶし 10句 ≫読む
■仁平 勝 二人姓名詠込之句 8句 ≫読む
第336号2013年9月29日
■北川美美 さびしい幽霊 10句 ≫読む
2013-10-06
【週俳9月の俳句を読む】愚かなる 岡野泰輔
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