【週俳11月の俳句を読む】
隠されている感覚
しなだしん
過日、遷宮が済んだ伊勢神宮に詣でた。
黒のスーツを着て、早朝の内宮の特別参拝に臨んだ。小雨の降る中、大きな玉砂利を踏んで御垣内へと踏み入る。まさに特別の雰囲気で身の引き締まる思いがした。が、それだけ、といえばそれだけだし、単なる自己満足といえばその通り。だが思い立った時期に行って、見て、やらなければならないような気がしたのだ。俳句にもそんな側面があるかもしれない。他人にはどうでもいいことだか、本人にとってはそれでなくてはならない「もの」や「こと」、「時期」など。俳句ではそれが独りよがりになることも少なくないが、句に強さが得られることもある。
さて、週刊俳句11月の作品はどうだろうか。
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猪垣の内と外との立ち話 本井 英
村落が連合して広大な地域を獣から守ろうと、協力して猪垣を作るようになったのは、江戸時代の中期頃からだという。
この句は一見、日常のスケッチのようにも思えるが、「猪垣の内と外」という境界を提示することで、詠み手は様々なことを想像させる。
この句の猪垣は、竹や枝つきの木で粗く編んだものと想像してもいいが、山深い地域の、石組の頑丈なものを想像すると、この「立ち話」はとても重要なものであるような気がしてくる。
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寝袋に入り木の実の音つづく 山岸由佳
キャンプなどの夜の場面だろうか。単に「キャンプ」や「外寝」だと夏の季語になるが、この句の季語は「木の実」である。「音つづく」だから季語で言う「木の実落つ」や「木の実降る」の「落つ」「降る」が省略されているのだろう。
寝袋に収まった夜。辺りは漆黒の闇かもしれない。寝袋に入っているという非日常を楽しむ半面、どこか不安感に捕らわれている作者かもしれない。
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苦労抱き横も苦労だ腿こする 仁平 勝
この句には(句と扱うのがいいのかも分からないが)女流俳人で某結社の主宰の名が隠されている。まぁこういう遊びもたまには面白い。他の九句も、女流俳人ならではの、もしくは各女流ならではの素材や措辞(といえるかも分からない)が使われていたように思うが、この句の「腿こする」というのが一番おもしろく、効いたような気がした。
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玄関に風呂敷包み神の留守 大和田アルミ
「風呂敷」というものも、めっきり見なくなったものの一つ。わざわざ「風呂敷」に包まれて玄関に置かれたものの中身は何だろうか。風呂敷は様々なもの包むことができるが、この句のそれはどんな形状のものだろうか。そもそもこの句は傍観者の目線で詠まれたのか、その家の当事者の立場か。そんな風に様々なことが想像されるのは、表面上見たままが詠われていていることと、「神の留守」というどこか不穏な季語によるものだろう。
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梟に胸の広場を空けてをく 岩淵喜代子
一連の作品にはモチーフとして「広場」が使われている。この句で「広場」は形のない、「胸の広場」という詩的表現に使われている。「胸の広場」のような断定は強みにもなるし、作為的だと取られる場合もあるだろう。
「梟」が飛んでくる場所としての「胸の広場」とファンタジックに捉えるのもいいが、「梟」の夜の「声」の届く場所と解釈すると、現実味が増してくる。なお、「をく」は「おく」の間違いかと思うが。
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目薬のゆきつく先のそぞろ寒 相沢文子
筆者は「目薬」というものをほとんど使ったことがないが、パソコン仕事の合間に一日何度も目薬を使う人をよく見かける。市販の目薬にはビタミン等の他に様々な塩酸や硫酸などが含まれているらしく、何だかちょっと恐ろしい感じもする。いずれにして体温よりも低い温度の目薬は冷たく感じるのは当たり前とも云える。だが、この句の季語「そぞろ寒」という曖昧で感覚的な言葉が、「目薬」という液体によって詠み手と読み手の感覚の共有がもたらされたとも言える。
第342号2013年11月10日
■本井 英 柄長まじりに 10句 ≫読む
■山岸由佳 よるの鰯雲 10句 ≫読む
■仁平 勝 女の園 10句 ≫読む
第343号2013年11月17日
■関根誠子 ナッツの瓶 10句 ≫読む
■大和田アルミ 桃剥いて 10句 ≫読む
第344号2013年11月24日
■岩淵喜代子 広場 10句 ≫読む
■相沢文子 小六月 10句 ≫読む
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2013-12-15
【週俳11月の俳句を読む】隠されている感覚 しなだしん
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