特集・三年目の3.11
関悦史「震災関連」文集(0) 関悦史
東日本大震災に関する四本の拙稿の解題
東日本大震災についての拙稿は十本前後あり、うち四本が今回週刊俳句に再録されることになった。
以下、時系列順で簡単な解題を付す。
1. 被災の記(『豈』52号・2011年11月 2011.6,13送稿)≫読む
東日本大震災に関して書いた最初のもの。
発生からしばらく東北三県に注目が集まり、私の住む茨城は報道もあまりされず、「被災地」と思われていなかった。沿岸部には津波も来たのだが。個人レベルで連絡が取りあえた自分の所属誌だからこそ、こちらの状況が知られ、依頼もされた原稿である。
栃木、群馬など北関東三県の知人にもそれぞれ家屋が損壊した人がいたが、逆に隣のつくば市で私のツイートを見て、土浦はこんなにひどかったのかと驚いている人もあり、居住地だけではどこがどの程度の被害を受けたのかいまだによくわからない。
「豈」は年二回発行なので、書いてから雑誌が出るまでに半年近くかかっている。ネットをやらない人がこれで初めてこちらの状況を知り、驚いて連絡をくれたケースもあった。
震災の記憶が生々しいどころではなく、猛烈な余震が続く最中に書かれたものなので、今となっては忘れていることの方が多いかとも思ったが、読み返してみると意外と大体覚えていた。
震災発生当時の私のツイートはトゥギャッターにまとめておいたが、こちらは当然「それまで東日本大震災がなかった世界」に降ってわいた大事件をリアルタイムで打ち込んでいるので、感情の揺れ動き方やその後の社会情勢の変化に今昔の感がなくもない。
http://togetter.com/li/112912
2. わたしの一句《Eカップとわれも名乗らん春の地震》(『合歓』第55号2012年1月 2011.11,12送稿) ≫読む
震災後に高橋睦郎さんからの紹介で、詩人中心の朗読イベント「言葉を信じる 夏」(2011年7月16日、於・日本近代文学館)というのに誘われ、暑い盛りに高野ムツオさんと一緒に出演した。
それを会場で聴いていたらしい歌人・久々湊盈子さんからの依頼で『合歓』に「わたしの一句」を書くことになった。この時期もまだ、こちらも「被災地」だという説明に多くを費やしている。
ちなみにこの句の素材となったツイッターでの動きについては、のちに「はてなキーワード」に「Eカップ運動」として立項された。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/E%A5%AB%A5%C3%A5%D7%B1%BF%C6%B0
3. 震災発生一年目(『現代詩手帖』2012年4月号 2012.3,5送稿)≫読む
去年まで丸二年続けていた『現代詩手帖』連載時評の一回として書かれたもの。この当時は長谷川櫂、角川春樹の震災句集がまだ前景化していた。
4. 数学に問うプルトニウムを詠むべきかと(『現代詩手帖』2013年5月号 2013.4,5送稿)≫読む
これも『現代詩手帖』の連載時評だが、大震災発生から丸二年が経過しての特集「大震災のあと、私たちは何を表現するのか」に組み込まれ、通常回の数倍の枚数がある。
何とも書きようのない、結論めいたものも出なければ、無理に書いても陳腐化するしかないような話でもあって、仕方なく、紹介したい記事、ヒントになりそうな論考をあちこちから引用し、その間を伝っていく迷走のさまをそのまま記事にした(『アナホリッシュ國文學』第5号掲載の拙稿「俳句の懐かしさ」はこの延長線上にある気がする)。
角川『俳句』2014年3月号《特別企画──東日本大震災から3年/13人の提言「ここからはじまる俳句」》への寄稿が、震災について書いたいちばん新しいもので、字数の問題からジャン・ボードリヤール『湾岸戦争は起こらなかった』の解説などはしていないものの、「東日本大震災は起こらなかった」という言葉がちらっと書き込まれている。
同じ連想をした人も少なくはないのではないか
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1) 被災の記 ≫読む
2) わたしの一句《Eカップとわれも名乗らん春の地震》 ≫読む
3) 震災発生一年目 ≫読む
4) 数学に問うプルトニウムを詠むべきかと ≫読む
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2014-03-09
特集・三年目の3.11 関悦史「震災関連」文集 0)東日本大震災に関する四本の拙稿の解題
Posted by wh at 0:25
Labels: 関悦史, 震災, 特集・三年目の3・11
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5 comments:
僕自身、俳句はやりませんが、
この人(関悦史)が西洋思想を持ち出したがるのが
気持ち悪いのでコメントします。
震災をアウシュビッツと重ねる感性の鈍さにとどまらず、
湾岸戦争とも置き換えてしまうあたり、
この人は積極的に震災をシミュラークル化していると感じました。
また、中沢と國分の対談本を読んだだけで季語がコホモロジーって、
ミーハー君の思いつき程度に感じます。
こういう権威付けの好きな人の官僚批判はまったく信用できません。
佐野波布一さんへ
気持ちが悪かったり、思いつき程度に感じたりは、お宅様の実感でしょうから是非もないことです(実際、思いつきは思いつきだろうと私も思いますし)。しかし、関氏は自分の思索の手がかりにあれこれ引っ張り出しているばかりで、それを権威付けと見る者は彼の為人を知る人の中にはいないでしょう。お宅様が西洋思想、現代思想に大変お詳しいらしいのは、アマゾンに書かれているレビューでよくわかりますが、俳句をなさらない以上、俳句の文脈には不案内なことと思います。その点にはもう少し謙虚であってもよいのではないですか。今度のご感想がやや揚げ足取りめいて読める所以かと存じます。ところでお宅様のお名前ですが、どこまでがファミリーネームで、どこからがファーストネームなのでしょうか。失礼ながら気持ち悪いのでご教示賜われば幸いです。
れおなさん、僕にファミリーネームはありませんよ(笑)
俳句をやっていないのに謙虚でないコメントをして申し訳ありませんでした。
関さんとも不幸にしてお会いしたことがないので、どんな方かも存じずに気持ち悪くなって申し訳ありませんでした。
部外者は立ち去りますので、仲間内でよろしくやってください。
お騒がせして申し訳ありませんでした。
シミュラークル化。
ボードリヤール『湾岸戦争は起こらなかった』を思い出しました。
ってだけの話ですが。
でも、アウシュビッツはなあ・・・
あと、
高山れおなの
俳句しない人を萎縮させるような
言い方には失望した(disappointed)。
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