【週俳5月の俳句を読む】
よすてびとのうたⅡ
瀬戸正洋
私は山田という集落に住んでいる。山の窪地の田圃のあるところということなのだろう。水源も幾筋かある。夕食後、散歩をすると蛍をよく見かける。だが、その蛍も田圃に苗を植え終わる頃にはいなくなってしまう。おそらく肥料とか農薬といったものが原因なのだと思う。それは、毎年のことなのでそのように思っている。
寝室に一匹の蛍が紛れ込んできた。どこから入ってきたのだろうと思いながら蛍を眺めているうちに疲れていたのか眠ってしまった。朝になって畳の上に落ちているのかと思ったがいなかった。こんなところがあばら家のいいところなのかも知れない。
ほたるのやどは 川ばたやなぎ
やなぎおぼろに 夕やみよせて
川のめだかが 夢見るころは
ホ ホ ほたるが灯をともす(「ほたる」井上赳作詞)
この童謡は私にとって蛍のイメージそのものなのである。だが、これと全く同じ風景を見たわけではない。幼いころの畦道の柳や、めだかの泳ぐ姿は昼間見たものだ。それが、いつの間にか、夜と昼とが交じり合いひとつの風景になってしまった。ただ、現在、めだかの泳ぐ姿を見ることはできない。幅、五十センチぐらいの小川は流れも緩く透明な水で溢れるほどであったが、今では、側溝となり蓋が被せてある。
ウイルスに侵されてゐる請求書 森島裕雄
侵すとは他者の権利を損なう行為である。ウイルスが侵すという表現なのだから、念を押していることなのだろう。ウイルスはヒトに感染する。ヒトはヒト以外のものを侵し続けて生きてきた。巡りめぐってウイルスはヒトの細胞を利用して自己を複製させているのだ。ウイルスに侵されていても生きていくために私たちは費用を請求しなければならない。その請求書もウイルスに侵されているのだ。
蝸牛二段梯子の先頭に 森島裕雄
二段梯子を使い何かをしようと思ったら、その梯子の先頭に蝸牛がついていた。蝸牛にしてみれば倍近い高さになってしまったのだ。その時、蝸牛は何を思ったのだろう。意志に関係なく環境を変えられてしまうということは蝸牛にとっても人にとっても辛いことなのである。その行為に悪意のない場合は、辛さも、倍に感じてしまう。
片陰で留守の「ル」の字を走り書き 森島裕雄
訪問先が留守であった。名刺の裏にメモを残そうと思い郵便受けに入れようと思ったら「留守」という文字を失念した。それでカタカナの「ル」の字を走り書きしたのである。片陰があるほどの玄関なのだから、それなりの家なのだろう。
計測終へ繋ぎの肩に蝸牛 森島裕雄
「繋ぎ」とは自動車の整備士などが着るユニフォームのことなのだろう。作者は「繋ぎ」を着て計測をした。ふと気付くと肩になにかが付いている。計測した時に茂みの中にでも潜ったのだろう。よく見ると、それは蝸牛であった。
ソーダ水イージス艦を挟み撃つ 森島裕雄
横須賀あたりの軍港の見えるレストランにふたりで入ったのだろう。イージス艦が停泊している。作者はソーダ水を注文した。ウエイトレスがソーダ水をテーブルに置く。たまたま、ソーダ水はイージス艦を挟むかたちになった。そうなればイージス艦を撃つしかないだろう。ソーダ水の炭酸が、あたかも撃ったあとのけむりのように見える。
著莪の花名刺の角の疲れたる 森島裕雄
名刺入れの名刺の角が汚れていたということなのである。要するに、作者は名刺をあまり使うことが無いということだ。著莪の花とあるが、あとの作品にも花水木とか鉄線花が出てくる。はじめに、このようなことを書くは気が引けるが、作者の花の好みが何となく解るような気がする。
緑陰のほら吹き輩座談会 森島裕雄
緑陰で面白そうに何かを言い合っている。内容は、どうでもいい話なのである。それが、あたかも座談会のようであると遠目には見えた。声を出すことは身体にいいことなのである。暑さを逃れて緑陰に集まった人たち。もしかしたら、彼らは偶然そこに集まった人たちなのかも知れない。
花水木昨日初訪の「ねた」揺らぐ 森島裕雄
作者は初めて訪れるために理由が欲しかったのである。理由がなければ「好きだ」ということが解ってしまう。だから、言い訳が欲しかったのである。昨日、訪れた時、理由を説明したのであるが一晩寝て考えてみると、その理由が何かおかしく不自然のような気がする。確かに花水木は風に揺れていた。だが、何も心配することなどないのだ。相手には何もかも解ってしまっているのだから。
合戦は見積三社鉄線花 森島裕雄
見積書が三社から出され、それを検討するということなのか。合戦とあるので、作者は見積書を出す当事者なのかも知れない。鉄線花が唐突といえば唐突のような気もするが、そんな時には、花でも褒めて心を癒すことも必要なのである。
ファインダーに屋根点検の雨蛙 森島裕雄
作者は二階から何かを撮ろうとしてファインダーを覗いた。自宅の屋根に雨蛙のいることに気付いた。その雨蛙の仕種があたかも屋根を点検しているようであると思った。この作品を読むと作者のゆったりとした、そして、ユーモアのある日常を垣間見ることができる。ところで、私はファインダーを覗くと眼科医で検査を受けているような錯覚に陥る。雨に濡れた緑色の蛙は目にとてもやさしい。
雪間草青年ヘーゲル派が眠る 五十嵐秀彦
青年ヘーゲル派の眠る墓地の前。その詩人、あるいは、哲学者に対して作者は親近感を持っているのか。春の訪れの喜びの象徴である「雪間草」と置いたことにより何か不均衡なイメージを与える。故に、表現とは全く逆の意味を伝えたいと思っているのかも知れない。
禅学の四方八方ふきのたう 五十嵐秀彦
禅によって正しい生き方を求めようとする人もいる。その志はあらゆる方向に波及していく。雪間草とふきのたうの違いは食べることができるか否かということだ。ふきのたうを天麩羅で食おうか、お浸しにして食おうかなどと考えることは禅学にとっても不要なことではないだろう。
雪解けて馬頭観音歩き出す 五十嵐秀彦
煩悩は断つべきものだ。私は怠け者だから、禅よりもこちらの方がいいかな、などと考えてしまう。馬頭観音であっても何かの切つ掛けがないと歩き出さないものなのである。馬頭観音を考え出したひとに、非常に興味を覚える。無病息災は誰もが願っている。
滑空のためのわが鰓涅槃西風 五十嵐秀彦
涅槃西風に乗り私はそこに行かなければならない。そのために私には鰓が必要なのである。鰓は水の中でこそ必要なのであり空中では必要ない。不必要なものほど人生を豊かにするものはない。涅槃西風は水の中でも吹き渡ってゆく。作者は悩むことに飽きてしまったのかも知れない。
百千鳥幻國に棲む母を訪ふ 五十嵐秀彦
作者は幻國へ行きたいと願っているのだ。それには、滑空のための鰓は必要なのである。百千鳥が何故か煩わしさを象徴しているような気がしないでもない。私は両親の死で涙を流した経験はない。薄情な人間だと自分でも思う。
朧月内耳蝸牛のゆるむとき 五十嵐秀彦
確かに朧月を眺めていると聴覚は必要の無くなってくるのかも知れない。内耳蝸牛のゆるむとは、その微妙なニアンスを言っているのかも知れない。私は「朧」という言葉が好きだ。たまらなく好きなのである。作者の表現方法には個性があると思う。
白魚を買ふ豹紋のワンピース 五十嵐秀彦
豹紋のワンピースの女性が白魚を買っている。誰が白魚を買おうとどうでもいいことなのだが、作者は豹紋のワンピースの女性が気になったのである。似合っていたのか、いなかったのか。その女性が白魚を買っているのを見たとき、作者は、その意外性に驚いてしまったのである。だが、この白魚、とても不味そうな気がする。
糸遊や聴こえぬ耳を持ち歩く 五十嵐秀彦
真実を聞くことは出来ないのである。人にはふたつの耳が確かにある。だが、肝心なことは何も聞こえない。糸遊を見た日は、特に、そのことを強く感じた。見ることができない。聞くことができない。何も知らない。なんという幸福な人生なのだろう。
声帯のゆつくり延びる苗木市 五十嵐秀彦
苗木市では誰もが穏やかに話をしている。それは声そのものがゆっくり延びるのではなく声帯がゆっくり延びるのが原因であると言っているのだ。苗木市で買った苗を育てる。声帯とは発声するための器官。作者にとって声帯とは植木市のことなのかも知れない。
花の下あくび指南の俳諧師 五十嵐秀彦
満開の花の下では俳諧師は俳諧の指南などしない。そこには、俳諧よりも、もっと、人生にとって大切なものがあるからだ。それが、あくびなのだという。阿川弘之の随筆集に「あくび指南書」があるが「あくび指南」とは古典落語の演目のひとつでもある。俳諧の稽古もあくびの稽古も同じものだが、何時いかなる時でも、俳諧師にとっては俳諧の稽古以外の方がいいに決まっている。花の下では当然のことなのである。
武藤雅治の「アジアへ」は
しかすがに満洲じこみ親不知
ぽるぽとの死後つちふまずつちふまず
さめてまたぞろ目でるまでスリランカ
サイパンのおかげさまです陛下さま
なんだつけフアルージヤ・カブール・カモメール
吊り橋のやうなソーニヤとソビエツト
尖閣や中華三昧ちらし寿司
らふそくの火ともしごろのタイの夜
ありなしのおしろいばなのソウルかな
あめりかんガンフアミリーとなりにけり
の十作品からなる。
題名の「アジアへ」は「日本人へ」あるいは、「私自身へ」と解してもいいのかも知れない。その中で、私は、最後の作品、
あめりかんガンフアミリーとなりにけり 武藤雅治
に引っ掛かった。故意に軽く流しているのがいい。読者をはぐらかそうとする意志が見え隠れしているのがいい。それができるのは作者の技量なのである。
日本人のみなさん表面的なことだけでもいいから、とにかく「忘れなさんなよ」と言っているのだ。作者は「あめりかんガンフアミリー」となりにけり、に「アジアへ」の全てを込めている。「満州」「サイパン」「ソーニヤ」「尖閣」「ソウル」等々、七十年の歴史が、日本人を「あめりかんガンフアミリー」にしたのである。正しく歴史とは現代史のことなのである。私たちの未来のことなのである。
声高に正論(らしきこと)を吐く人間には気をつけなくてはならない。世の中のひとびとが同じことを言い出した時、俳人は踏み止まらなくてはならない。以上の理由から、私は、明星中華三昧よりも、永谷園のちらし寿司の素の方が好きなのである。
実桜や風過ぎてよりまた歩む 村上鞆彦
さくらんぼ狩りに来ているのかも知れない。作者はその集団から少し離れたところを歩いている。人は誰でもひとりになりたい時もあるのだ。歓声が聞こえる。風が通り過ぎていった。もう少し歩いてみようと思う。集団の中では風を感じることはできないのだ。
葉桜の蔭を男の顔が来る 村上鞆彦
誰かが歩いてくる気配がする。ここは花見の名所なのである。今は葉桜の季節。男が来るのではなく男の「顔」が来るのである。もしかしたら、作者は、こちらへ歩いて来るのは自分自身であると思っているのかも知れない。
雲は雲の意志もて白し夏燕 村上鞆彦
白い雲はその雲の意志により白いのである。決して他人の意見に従ったからではない。ましてや命令されたからでもないのだ。啄木風に言えば、雲は天才なのである。作者の目の前を夏燕がスーッと通り過ぎる。
方丈のぐるりの縁の緑雨かな 村上鞆彦
山寺に雨が降っている。山寺といっても名所旧跡の類ではなく作者の菩提寺なのかも知れない。作者にとってはご先祖様が眠る寺、どこよりも大切な寺なのである。縁側に腰を下ろし法事の打ち合わせでもしているのかも知れない。新緑が目の奥まで沁みてくる。「ぐるりの縁」という表現から、人のえにしのようなものが感じられる。緑雨が作者をやさしく包んでいる。
修司より若き享年青嵐 村上鞆彦
寺山修司の亡くなったのは、昭和五十八年五月四日、四十七歳であった。作者の知人は俳人であったのだろうか。寺山修司も若くして亡くなった。まして、その知人は修司よりも若くして亡くなったのである。若葉を揺らす強い風が吹いている。修司の亡くなった日も、このような風が吹いていたのかも知れない。「青嵐」という表現から、青春の激しさのようなものを感じたりもする。
夏蝶の踏みたる花のしづみけり 村上鞆彦
夏蝶が花びらを踏むと、その花びらが沈んだように感じたという。とまったのではなく踏んだのであるから、踏んだように見えたということなのだ。花びらが沈んだのは、本当に沈んだのではなく作者のイメージの世界のことなのである。
あんみつの匙なまぬるくくはへけり 村上鞆彦
どこかの甘味処へふたりで入ったのだと思う。どこでも良かったのだが、たまたま、甘味処が近くにあったから、そこに入ったのである。とにかく座って話したかったのである。すっかり話し込んでしまい、あんみつを食べようとしたら、あんみつは既になまぬるくなってしまっていた。冷えているあんみつならば匙も冷えているだろう。あんみつがなまぬるくなっているとは言わず匙がなまぬるくなってしまっていると言ったことが面白い。
筒鳥やまた一塊の霧に遭ふ 村上鞆彦
山を登りはじめたら天候が怪しくなってきた。霧の塊が幾度となく流れてくる。どこまで歩いても筒鳥が鳴いている。子どもが小学生の頃、バードウオッチングで富士山五合目あたりを散策した日のことを思い出した。
電車来るまでのひとりの青嶺かな 村上鞆彦
時刻表を見たら、たった今、電車は出たばかり。次の電車までは一時間以上も待たなければならない。時間を潰す場所などとこにも無い。ホームのベンチに腰掛けて電車を待つことにする。ホームには誰一人いない。前も後ろも、木々が青々と繁っている。はじめ、電車を待つことに苛立ちもあったが、こうして眺めていると、何か得をしたような気分になって来た。しばらくの間、電車が来ないことを作者は願っている。
走り出て子どもを叱る裸足かな 村上鞆彦
思わず走り出てしまったのである。子どもが危ないことでもしたのだろう。サンダルを履く余裕も無く裸足のまま子どもを叱ったのである。波打ち際で遊んでいた子どもが、目を離しているうちに転んでしまったのかも知れない。若い父親と子ども、叱ったり叱られたり。幸せな親と子の人生。
雨粒の白や緑や更衣 下坂速穂
雨粒が白く見えたり緑に見えたりするのは、雨粒そのものの色ではなく、その場の風景の中での雨粒の色なのである。更衣の季節は雨の季節。これから生命力盛んな夏が来る。ジーパンやTシャツも雨粒の色となっていくのである。
帯の上に腹を垂らして町涼み 下坂速穂
作者は浴衣を着て涼みがてら町中を歩いている。実際は、作者は帯の上に腹など垂らしていないのである。少し太ったかな程度の感情があるのだ。だが、その少し太ってしまった後悔と、これからどんどん太るのではないかという不安から、このような表現になったのだと思う。
白日傘古地図の海のあたりまで 下坂速穂
昼下がり、白日傘を差した女が坂道を下りて来る。古ぼけた掲示板の古地図に気が付いた。そこは、海辺の町の歴史館。近付いて古地図を眺める。女は思わず見入ってしまったのだ。白日傘のちょうど開いた骨の先あたりまで描かれている海。女は少女だった頃を懐かしんでいる。もう少し下れば漁港があり子どもたちの遊ぶ声がする。
眺めては遥かに夏の心かな 下坂速穂
夏の心とは、いったい何であるのかを、私たちは考えることになる。眺めては遥かなのである。だが、私には、情景が何も浮かんでこない。もしかしたら、「夏の心」とは、とてつもなく小さなものなのかも知れない。
一羽一羽鷺と覚えし南風 下坂速穂
群れている水鳥は鷺と記憶している。南風が吹いている。海も空も荒れて来そうな雲行きである。はじめて鷺を知ったのは何時の事だったのか。その時も、嫌なことがあった。そんなことを思い出したりしている。
水といふ水にさざなみ梅雨晴間 下坂速穂
風が吹いてきたから雨が止んだのである。池の水面にもプールの水面にも水たまりにもさざなみが立っている。雲は風に飛ばされ太陽が顔を出す。貴重な梅雨の晴間。さざなみとは嬉しさの象徴なのかも知れない。
子規の風吹く六月の木よ草よ 下坂速穂
子規の風とは、何なんだろう。六月の木よ草よとは、いったい何なんだろう。何とも不思議な作品であると思った。年譜を調べてみると「大学予備門受験のため松山中学校を卒業して東京に出たのが六月だ」とあった。
籐椅子に十七歳となりて猫 下坂速穂
籐椅子に寝ているのは人ではなく猫なのである。それも十七歳の猫なのである。人で言えば八十歳くらい。後期高齢者を越えてしまっている。それを眺めている作者はやさしいのである。私は、やさしいひとが一番好きなのである。
蜻蛉の生れて水に還るまで 下坂速穂
「水に還る」としたから俳句になった。「土に還る」のなら実も蓋もない。私が子供の頃、夏休みの終わる時分、小学校の校庭に赤とんぼが群がっていた。生半可な数ではなかった。それを眺めると、夏休みも終ってしまうのかと寂しくなった思い出がある。赤とんぼの屍骸の記憶はないので、赤とんぼは、本当に水になって流れてしまったのかも知れない。
月満ちてゆき欠けてゆく安居かな 下坂速穂
禅僧が修行をするイメージを「月みちてゆき欠けてゆく」と表現した。安居とは三ヶ月間の修行だという。怠け者の私は努力とか勤勉とか修行などという行為が大の苦手なのである。月が満ちたり欠けたりするのを眺めながら、のんびりと暮すことこそ、私にとっての人生なのである。それでなくても、人は生まれた時から、ただひたすら死に向って歩いているのだから。
世を捨てたのか世に捨てられたのか、自分では「よすてびと」などと言っているものの、本心は、世の中に、未練、たらたらなのである。自分のことを「よすてびと」などと言っている人間に限って、決して、世を捨てたいのだなどと思っていないのである。
畦道を儚げに飛ぶ蛍を、「ほたるのやどは 川ばたやなぎ」などと口ずさみながら、私はどこまでも追いかけていきたいと思う。
第420号 2015年5月10日
■森島裕雄 色見本帖 10句 ≫読む
■五十嵐秀彦 眠 る 10句 ≫読む
第421号 2015年5月17日
■武藤雅治 アジアへ 10句 ≫読む
第423号 2015年5月31日
■村上鞆彦 ぐるり 10句 ≫読む
■下坂速穂 水 脈 10句 ≫読む
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2015-06-14
【週俳4月の俳句を読む】よすてびとのうたⅡ 瀬戸正洋
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