俳人たちはどのように俳句を「書いて」きたか?
〝ぐちゃぐちゃモード〟の系譜とデジタル化の波
小野裕三
『豆の木』第19号(2015年5月5日)より転載
◆書き捨てることば
虚子には、句帖を保管するという習慣がなかったそうだ。俳句を書きつけた手帖の類は基本的に捨てており、ようやく最後の句帖のみが芦屋にある虚子記念文学館に保存・展示されているらしい。
此頃は小さき手帖に、俳句を作るに従って書きとめ置き、其手帖の皆になったるを境に、ホトトギス誌上に発表し、手帖は其まま反故籠に投ずることと定めぬ。ここでは、俳句を「とめ置く」ことばとして虚子は位置づける。その言い表し方には流動的なものを暫定的に繋ぎ止めたような趣きがある。小さい手帖なのだろうから、保存したところでそれほど過度に場所を塞ぐことはなさそうなものだが、虚子はそのように暫定的に「とめ置いた」ことばを片端から「反故」にしていく。別のところで、虚子は句帖のことについてこうも語っている。
(坊城俊樹「高浜虚子100句を読む」サイトより引用)
また誰が見ても判りっこはない汚ないもので、鉛筆で乱暴に書いてあってなかなか読めはしません。「とめ置く」ことばは、まさに自分だけのためのことばでもあり、乱暴で汚くて、「其まま反故籠に投じる」ようなものだというわけだ。そしてこのことと対照して、もう一人の俳人を挙げよう。
(高浜虚子『俳談』所収の「句帳」)
私は何かが浮かんだら、ありあわせの紙の裏に書いておきます。(中略)こちらの発言の主は、金子兜太氏。伝統と前衛という枠組みで言えば対極的な位置にいるはずの二人が、句の物理的な「書き方」という観点では奇妙に一致しているのが興味深い。ちなみにこれは金子氏自身が語っていたのを直接聞いたのだが、俳句を作る際に氏が愛用しているのは、黒のサインペンだそうだ。どこにでもあるような、さらさらと書けるあのペン。決して高価なものでも特殊なものでもない。実に日常的な黒のサインペン。書きやすい、ということがその使用の理由だったように記憶する。このこともまた、「ありあわせの紙の裏」と符合する事実と思える。さらさらと書いてさらさらと捨てるものとしての俳句のことば。
だから、手帖は持たないんです。手帖に書いてしまうと、自分の句を直したり、どんどん平気で書いていくということができなくなるんです。紙切れだといくら直してもいい。いい句だけ書き写して、あとは捨てればいいんだから、実に気軽だ。
(『俳句二〇一〇年二月号 特集・手帖拝見!うまい人は句帖がちがう』)
ちなみに、この時の『俳句』誌の特集では、さらに数人の俳人の句帖のことが解説されているが、もちろん、全員が虚子や兜太と同様なわけでもない。「湘子帖」と呼ばれる特製の句帖に句を残した藤田湘子。ふだん使いの句帖と清書用の句帖を使い分けているという西村和子氏。「書き散らし」た句帖からパソコンに清書するという小島健氏。実はかなり千差万別であることがわかる。相子智恵氏も、句帖は「ぐちゃぐちゃと汚い文字で、俳句や俳句らしきものが書き連ねてあるだけだ」と告白していて、これは虚子や兜太を思わせる。
いずれにせよ、俳句の「書き方」(あくまで物理的な意味での)は、そんなわけでけっこう多様だ。そしてこれはあくまで推測ではあるが、他の文芸ジャンルに比べてその多様性は幅広いのだろう。というのも、小説や詩や戯曲やあるいは評論や、そういった長い文章形式については自宅や仕事場の〝パソコンのキーボードを叩く〟というスタイルが現在ではほぼ標準的なものとして定着しているからだ。それに対して俳句(おそらくは短歌も?)は「手書き」という方法を強く残す、今となってはかなり稀有な文芸ジャンルでもある。加えて、長い文章形式と違って、屋外で書く(つまり吟行)というスタイルも一般的だ。結果として俳句の場合には、手書き(紙とペン)とデジタルツール (パソコン等の電子機器)、屋内と屋外、というさまざまな軸での組み合わせの可能性が生じ、その組み合わせ次第で多様性が生まれる。持ち歩く手帖に書いたものを自宅のパソコンで清書するという小島氏のようなスタイルは、その中でも容易に想像しうる典型的な組み合わせのひとつだ。
◆紙切れ・百均手帖・付箋ガジェット
そして近年では、手書きとデジタルツール、屋内と屋外、という組み合わせの要素がさらに多様化している可能性がある。というのも、携帯電話・スマホやタブレット端末の登場によって、デジタルツールの携帯性・機能性がこれまで以上に増したからだ。そして実を言えば、i-modeが登場した時期には早くも既にその萌芽が見られた。
黛まどかさん主宰の女性だけの俳句結社「月刊ヘップバーン」が、iモードを利用した句会「花を競ふ」を4月2日に開催する。どうやら花見をする現場から直接投句することを想定していると思われるこのイベントで、果たして携帯電話がどういう役割を果たしたかは定かではない。手帖で書いたものを携帯電話で清書した、という可能性もあるし、携帯電話に最初から直接に入力された可能性もある。今となっては確認のしようがないことだが、i-modeの出始めの時期だったこともあり、実際にはまずは句帖などに書いたものをi-modeに「清書」するという利用が多かったのではと推察される。
今回は、参加できるのは会員のみ。参加者は、日本全国からiモード端末向けに用意されたサイトにアクセスして投句する。参加者間で気に入った作品に投票し、優秀な作品を選ぶ。11時45分から投句が始まり、16時には選句結果が発表される予定。会員以外でも、その模様を月刊ヘップバーンのホームページで参照することができる。
事務局によると、今秋にも「仲秋の名月」をテーマにした同様の句会を開催する予定。
(2000年のインプレス社ニュースサイトより引用)
そうだとすると、スマホなどが登場して人々のリテラシーも端末の性能も飛躍的に向上した現在ではどうなのだろう。そんな疑問を持つのは決して僕だけでもないようで、例えば「Yahoo!知恵袋」に次のような質問が投稿されている(2013年)。
Q 俳句を作っている方に質問です。皆さんは俳句を作るとき、手書きで作られていますか、PCですか? スマホですか? 作句する際、どれが一番良いのかわからなくなってしまい、人はどうしているんだろうと思って質問してます。もちろん、ひとそれぞれでしょうが、よろしければ自分の作句ツールを教えていただければ幸いです。この質問に対しては、三人の人が回答している。もっともオーソドックスな回答はこれだろう。
(「Yahoo!知恵袋」より引用)
A 完全、手書きですね。私は推敲する時も、紙に書かないと、できません。少なくとも僕が目にする範囲では、ほとんどの俳人はこれに当てはまると思う。手帖や句帖などを持ち歩き、そこにペンや鉛筆でさらさらと(あるいはぐちゃぐちゃと?)書く。これは、どのような句会や吟行の現場でも、たぶん大多数を占める光景だろう。
ところが、あとの二つの回答はちょっと違う。誌面の関係でその回答を要約するが、ひとつは「①百均で買った手帳に思い浮かんだことばをずんずん記録→②一句モノにしたら、携帯電話のメールを用いてPCに送信→③週に一度、PCに届いた俳句を推敲→④推敲の手が一ヶ月加わらなかったら自分の句帳(OpenOffice)に転記」というもの。もうひとつは、「①出先で暇を見つけて…の時は、紙にボールペン。家で、時間をわざわざつくって…の時は、PCのガジェット付箋に、手当たり次第打ち込む。→②両方とも、あとでPCのメモ帳に選抜して入力。プリントアウトして句会に持っていく。」というもの。
ここで興味深い点がある。この二つの回答とも、最初にことばを書き込む場所が、なんとも暫定的で不安定な「とめ置く」に似た場所であることだ。手帖はあえて「百均で買った」と付言され、安物の手帖であることが明示されている。もちろん、その理由を単に、たくさん消費するから安いものを使っている、と考えることもできる。
だがそのようなことが経済的な理由だけとも思えないのは、もう一人の回答者の説明を読むと、PCを使う際に、あえてそこで「ガジェット付箋」を使うとしている。Wordなどのきちんとした文書作成ソフトではなく、あるいはそれの簡易版のメモ帳ソフトですらなく、あえてガジェット付箋。となると当然、「百均」の手帖といった経済的コストの問題では説明できない。もちろん、ガジェットだから開くのが早いといった機能的な理由は考えられなくもない。だが、このガジェット付箋を使うという感覚自体が、「百均」の手帖にも近く、さらには虚子が「反故」にする紙や兜太が「紙切れ」と呼ぶものにも近い点に着目したい。
そしてだとすれば、俳句は、なぜか多くの場合、暫定的で不安定な場所に「とめ置く」形で書かれるということになる。まるでそれが正しい俳句の場所だとでも言うかのように。さらに言えば、ここまで触れてきた俳人たちに、俳句を「清書」するという行為が広く共通していることも見てとれるが、そのような「清書」の行為があること自体が(この行為はおそらく虚子にも兜太にも共通している)、最初に俳句のことばが書かれる場所が「とめ置く」ための「ぐちゃぐちゃ」の場所であることを逆に裏付けている。そして、このような感覚はどうやら、人や時代や、さらには紙やデジタルや、あるいは伝統や前衛や、そういった垣根を越えて広く共有されている俳人たちの「書き方」のスタイルだと言えそうなのだ。
◆〝ぐちゃぐちゃモード〟という底流
そしてこのようにことばを「とめ置く」感覚に並行して、ことばをまるで放出するような感覚が見られることにも着目したい。虚子は「乱暴に」と言い、兜太は「どんどん平気で」と言う。他にも、先述してきた俳人たちのことばを借りれば、「ぐちゃぐちゃ」「ずんずん」「手当たり次第」、というわけだが、そこにあるのは、どこか肉体的とでも言うべきことばの放出感覚で、ことばを紙であれパソコンの画面であれ、どんどん手当たり次第にぶつけているという感じがある。だからこそ、それを受け止めるものは紙切れや付箋ガジェットでなければならなかったのだ、と考えればどこか納得がいく。
このような暫定感や放出感をあえて一言で言えば、「書き散らす」という言い方がもっとも近いだろう。つまり多くの俳人にとって、俳句とは「書き散らす」ことばであるということになる。そして、そのことにはどうやら理由もある。先述の『俳句』誌の特集に興味深い発言がある。
それが手帖に書く方式だと記録が中心になるでしょう。(中略)ところが表現というのはおもしろいもので、一句書いた途端にダメになる。動き出した発想がそこで切れてしまう場合がある。そうではなくて、発想のままにウワーッとなぞっていって、あとから記憶力を追って書き留めるのがいい。(中略)これは、金子兜太氏自身による自解。もちろん、ここに自由闊達な表現の精神性を見い出すことも可能だろう。もともとが前衛俳句の闘士だけに、そのような「自由自在」の精神が俳句の物理的な「書き方」にも直結しているのだ、と。だが、このような「書き方」の方法論を虚子も共有していることは既述した。ならば、このような「自由自在」の〝紙切れ主義〟は、前衛や伝統という枠組みとは関係がないと考えるべきだ。実は、相子智恵氏もこう自解する。
綴じた手帖は必ずしもいい句を保証しない。手帖も自由自在がいい。(中略)
一枚の紙切れだと自分の思いをぶつけやすい。そして、捨てられた紙を使う。これが気軽でいいんです(笑)。気軽ということが表現にとっては非常に大事なことですから。
(『俳句2010年2月号 特集・手帖拝見!うまい人は句帖がちがう』)
ただその〝ぐちゃぐちゃ〟こそが、日常生活や仕事の論理モードから、俳句の世界に自身を切り替えるスイッチでもあり、句帖を開けば意識が変わるのもたしかである。いわば〝ぐちゃぐちゃモード〟を意識的に作り出すための戦略的な方法論として、ぐちゃぐちゃの手帖は位置づけられている。もちろん、このような〝ぐちゃぐちゃモード〟は紙切れや付箋ガジェットの感覚にもつながる。
(『俳句2010年2月号 特集・手帖拝見!うまい人は句帖がちがう』)
そこでこのことについてさらに検証を進めるために、若い世代の俳人のことも調べてみた。まさにデジタルネイティブとも呼ばれうる二十代の俳人たち。学生の頃からケータイやパソコンに親しみ、今ではおそらくスマホを使いこなしているだろう彼らは、スマホやタブレットを駆使して俳句を作っているかも知れない。だとすると、そこではたして〝ぐちゃぐちゃモード〟は引き継がれているのだろうか。とは言えもちろん、本格的なアンケート調査をやることはできないので、とりあえず身近にいる二十代の俳人(ちなみに、俳壇的には注目の若手の一人でもある)に、彼と彼の周囲の俳人の状況を聞いてみた。
返ってきたのは意外な答えだった。曰く、彼の身の周りでも相変わらず手書き派が主流。しかも、彼自身、ケータイやスマホで俳句を作ろうとしたことがあるらしいが、結局のところ、紙がいいという結論に至ったらしい。書いて消して入れ替えて、みたいな推敲が携帯電話やスマホではやりにくかった、というのがその理由。それと、やはり「乱雑」なことも含めて「字を書く楽しさ」もある、ということで、まさに「とめ置く」ことばの〝ぐちゃぐちゃモード〟はここでも実に正統的な形で引き継がれていた。
◆ニーチェの文体と思考を変えたもの
ところでこの若手俳人が、いったんケータイやスマホでの作句を試してみて、それからまた紙に戻ったというのが実に興味深いのだが、このようなデジタルと手書きの間の逡巡は、現代の俳人にはわりと共通する課題なのかも知れない(実際に「Yahoo!知恵袋」でそのような質問があったように)。
実を言うと僕自身、デジタルと手書きの間を何度か行き来している。俳句を始めた九〇年代は当然のように手書きだったが、二〇〇〇年代前半の数年間はPDA(iPhoneなどが登場する以前に主流だった電子手帖のようなもの)で俳句を作っていたことがある(たぶん、その当時はかなり稀有な存在だったのだと思う)。ところがある時、このPDAのシステム自体がクラッシュしてしまい、その余波でバックアップ分以外の俳句がすべて消えてしまうという事件が起きてから手書きの手帖に戻した(ただの笑い話みたいだが、意外にこれはデジタル化が持つ短所を典型的に示してもいる。もし今後本当に俳句のデジタル入力化が進んでいけば、データが消えたとかデータの互換性がないとかの理由で、ある時期だけ俳句がほとんど残っていない俳人といったことが起きかねない)。またそれとは別に、二〇〇〇年代の前半には、自宅でパソコンの画面に向かって俳句を作っていたこともある。
その後、二〇〇〇年代の後半はまた手書きだったのだが、二〇一〇年代に入って今度はスマホ(より正確に言うとiPodTouchなのだが)を使うようになり、今に至る。こんな具合で、デジタルと手書きの間を何度も往復している感じなのだが、それは単に利便性だけを追求しただけの選択でもない。実は以前に文壇を中心に起きた「ワープロ論争」のことが念頭にあって、つまりデジタルツールは本当にことばを変えるのだろうかという興味から、どこか実験的な意図も込めてデジタル化を試みてみる、という思いがあった。
その「ワープロ論争」とは、九〇年代に評論家や小説家などの間で起きたものだ。八〇年代頃から定着し始めた「書く」ことのワープロ化は、その後パソコンへと進化して、文章を書くことのキーボード化(デジタル入力化)を決定づけた。原稿用紙を万年筆で埋めていく古典的な〝文豪〟の姿はあっという間に歴史の遺物のようになった。「ワープロ論争」はまさにそのような端境期に起きたもので、そもそもワープロで書いた文章は質が低いのではないか、もっと極論すればワープロで書かれた文章をそもそも文学作品として扱っていいのか、といったようなことがその趣旨であった。ちなみに当時の論争では俳人はほとんど蚊帳の外だったように思うが、これは理由のないことではなく、実際にワープロで作句をするという俳人がほとんど存在しなかったからと推察される。
ともあれ、ワープロの出現に対して起きたそのような批判を、まさに文学者たちの馬鹿げた現代版〝ラッダイト運動〟(産業革命による機械化に反発し、労働者たちが工場の機械を打ち壊した運動)だとして一笑に付すのは容易い。だが、ワープロがことばを変えるという見方は、あながち過剰反応とも言い切れないある本質的な問題を孕んでいる。
例えば、ニーチェの例を挙げよう。日本ではワープロという形で直面した問題に、実は欧米の文士たちは少し違う形で一世紀も前に直面していた。というのも、欧米ではタイプライターという形ですでに一九世紀において手書きからキーボードへの移行(ただしこの場合はもちろんデジタルではないが)が進んでいた。それまで体調のせいで執筆活動を中断していたニーチェは、一八八二年にデンマーク製のタイプライターを入手して執筆を再開した。だが、その文体がタイプライターという道具を使い始めたことによって変わってしまったという。
インリッヒ・ケーゼリッツは、ニーチェの文体にある変化が現れていることに気づいた。文がタイトになり、電報めいたものに近づいていたのである。(中略)ニーチェ宛ての手紙にケーゼリッツは「この器械によって、あなたはおそらく新しいイディオムさえ身に着けるでしょう」と書き記し、自分の仕事、すなわち「音楽と言語」における「わたしの『思考』は、ペンと紙という性質によってしばしば規定されています」と指摘した。そこに見られるのは、まさに日本で起きたワープロ論争を一世紀前に先取りするような現象だ。そして決してニーチェだけでもない。例えば、T.S.エリオットも一九一六年に書いた書簡の中で、タイプライターが彼の文体を変えたことに言及している(『The Shallows』)。
ニーチェは答えた。「そのとおりです。執筆の道具は、われわれの思考に参加するのです」。
(ニコラス・カー『The Shallows』)
のように考えればつまり、今私たちがデジタル化を前に直面している問題の核心とは、単にデジタル化の波に俳句や文学が乗るか否かという表層的なことではなく、私たちの文体や思考は私たちの思う以上に物理的な「書き方」によって深く規定されてきたのではないか、ということが本質なのだ。その問題が、今のデジタル化の波によって顕在化している、と考えるのが正しい。
◆手書きとデジタルの狭間で
このようなデジタル化がもたらす課題は、実はさまざまなジャンルに押し寄せている。
例えば、建築。デジタル化によるオートメーション化の功罪をテーマとしたニコラス・カーの近著(『The Glass Cage』)では、このような建築をめぐる手書きとデジタルの問題が詳細に論じられている。手書きで図面を引くことが当たり前だった建築業界で、九〇年代を境に一気にCADによるデジタル化が進んだ。もちろん、そこで描かれるものは文字ではなく絵(つまり建築物のスケッチ)であるから、一概にその議論を俳句に当てはめることはできないものの、本質的には類似していると思える点も多い。
ある建築家たちは、手で書くこととはつまり思考することそのものに他ならない、とする。さまざまな建築のイメージを手でスケッチしていくことによって、そこに思考や発想が生まれる、というわけだ。抽象的で潜在的な何かを、触知可能な姿に変える確かな手段として「手書き」のスケッチは存在するのであり、そのようなある種の身体性なくしては人間の思考や創造は働きえない、という視点がそこにはある。あるいは手書きということを、記憶と結びつける見方もある。手書きによってこそ、それは身体のレベルに記憶される。だから手書きを重ねることによって以前の自分の思考が結果的に想起・参照されやすくなり、それを踏まえた新しい発想も生み出しやすくなる、というわけだ。そしてここで述べられているようなことは、文人たちの「ワープロ論争」の議論とも重なる。
そんな建築家と詩人を繋いだ興味深い対談もある。
塚本 CADというコンピュータで描かれた図面が今では当たり前になってしまいましたが、私自身はスケッチなどの手作業しかしていません。スケッチというのはビンの蓋みたいに、一旦はずれると堰を切ったように次から次へと出てきます。(中略)とにかくアイデアを一度紙に定着させて、自分の頭の外に出して、それを眺めては小さな違いを発見して、その上にまた書き込んでという形で、振り返りながらも前に進んでいく。ここで建築家の塚本氏が語っていることを、ここまでいくつも挙げてきた俳人たちの発言と比較すれば、その類似性に驚く他ない。また、一方の小池氏の言う「手を動かす」ことが手書きかキーボードかは表記上明確ではないが、小池氏はワープロ使用にもともと否定的な考えでもあるようで、ここでも「手書き」を意味すると推察される。
小池 そうですね、同じです。私も手を動かさないとダメです。詩も小説も、すべて手の動きが、見えないものにかたちを与えてくれます。(中略)私の場合は、ほとんどが構想なしです。言葉の動くままに、ついていく。
(小池昌代×塚本由晴『建築と言葉~日常を設計するまなざし』)
もちろん、文人たちの間で起きたワープロ論争も、あるいは建築家たちのこのような議論も、結局のところ手書きとデジタル入力のどちらが優れているかについて結論が出たわけではない。ただ、あくまで僕自身の個人的な体験に照らして言うなら、手書きの持つ身体性が何らかの記憶や思考につながっている可能性は確かにあると思う。
ひとつは、以前に別の文章でも書いたことだが(「インターネットという「座」は俳句を変えるか?」、『一粒』2002年6月号)、LANを使った句会での体験である。各自がキーボードで直接入力して作った句をLANで集約して句会を実施したわけだが、そこではある句の実際の作者とは違う人が作者として名乗りでるという珍現象が起きた。そして僕自身も、自分が作ったはずの句にほんとうに自分が作ったかどうか自信が持てないという不思議な感覚を経験した。確かに、キーボード入力は句に対する手応え、つまりは身体的記憶のようなものの何かを確実に変えていたのである。
もうひとつ、これも個人的な体験だが、先述したように、俳句をキーボード入力で作っていたことが二〇〇〇年代前半のある一時期にあった。キーボードに向かって、頭に浮かんだことばをどんどん入力していくわけで、当然自宅の机でこの作業は進められたから吟行というわけでもなく、ただ連想ゲーム的に、あるいはもはや自動書記的にことばを打ち込み続けた。この時期に作った句をある総合誌に発表したところ、ほとんど嫌悪にも似た拒絶的反応を受けたのが印象的だった。もちろん、それは僕自身の実力の問題だという謙虚な受け止め方もありうる。だが、確かに自身の眼で見ても、そのような環境で作った句なので、ことばが上滑りしていて、実景も実感も湧きづらい句だった。しかし、逆に言えばそこが面白いという気もして発表したのだが、俳句の一般的感覚からは拒絶されるようなものだったのかも知れない。そしていささか暴論であることも承知で言うならそれは、手書きの感覚がキーボードの感覚を嫌悪したのだ、というふうに捉えられなくもない。
もちろん、このようなことだけを元にあれこれ言うのは粗雑な議論と謗られかねない。僕自身や僕自身の周辺、あるいは総合誌やネットに見られたごく若干名の俳人のことは、あくまでひとつの傾向でしかありえず、一般性は担保されていない。そのことは認めつつも、それでも仮に少数の感覚を元にした仮説であっても、ここまで見てきたようなことは俳句をめぐるある種の本質をどこかで捉えているように感じる。
漠然とだが言えることは、多くの俳人たちにとっての「手書き」とは、一部の建築家たちが感じていることと近しいと思えることだ。俳人たちの「手書き」は文章というよりどこか絵画のスケッチめいたところがある。先述の『俳句』誌の特集に、さまざまな俳人たちの句帖の写真も掲載されているが、それが文字であるにも関わらず、斜めになったり位置や場所が不揃いだったり、矢印を引かれたり消したり書き加えたりと、俳人たちの文字はいかにも気ままに書きつけられ、まさにメモ書きやスケッチを思わせる。このような俳人たちの書いたものを散文家たちの書いたものと比較してみよう。例えば中上健次の原稿のスタイルは特徴的で有名だ。いろいろと書き込んだり消したりと推敲の跡があるのは当然としても、全体としてその原稿は、まるで数式かプログラムのように、精密に行間を埋めて積み上げられていった印象がある。少なくともそれをスケッチ風と呼ぶ人はいないだろう。
とすれば、あくまで感覚的な捉え方ではあるけれど、俳人たちの文字に対する接し方はどこかスケッチ的で、散文家よりはどちらかというと建築家もしくは画家などに近い、とも言えるのかも知れない。そのことは裏返して言うなら、俳句のことばはひょっとすると散文家のことばよりも強い力でその俳人の身体性につながっている、ということを意味するのかも知れない。もちろん、一概に言うべきことではないし、先述の「ワープロ論争」でもさまざまな肯定・否定の意見があったように(「手書き」を評価し「ワープロ」を忌避する詩人や小説家も相当数存在した)、個人差もある。ただそれでも総体として見る限り、俳句というジャンルに特有のある大きな傾向が存在することは確かな事実のように思える。
◆俳人たちの「書く」ことの歴史
そして実は俳句の歴史をもっと過去へと遡ったとしても、そこにはやはりスケッチ的感覚を見い出すことができる。
行春や鳥啼魚の目は泪「奥の細道」の冒頭近くから引いたが、ここで言う「矢立」とは、江戸の時代の携帯用筆記具のこと。語源は実際に鎌倉時代の頃から武士たちが矢を立てる筒の中に硯と筆を仕舞っていたところから始まったものらしい。それがやがて、独立した文具としてより携帯化された際にも「矢立」と呼ばれるようになり、江戸の頃には広く一般化したとされる。要は、筆を入れる筒と墨壷が一体化した携帯文具だと思えばわかりやすい。そしてそのような矢立と懐紙によって、芭蕉の紀行文や句は旅の合間に綴られていったと推察される(もちろん、事後に推敲がされなかったわけではない)。
是を矢立の初として、行道なをすゝまず。人々は途中に立ならびて、後かげのみゆる迄はと、見送なるべし。
(芭蕉「おくのほそ道」)
その矢立の初めの地とされる、東京の千住(その正確な地点には論争もあるらしいが)には「矢立初の芭蕉像」というものがあって、芭蕉が立ったまま手にした帖面のようなものに筆で何かを記している姿が再現されている。
つまり芭蕉は、携帯用の筆を手にして、立った格好で、俳句を書いた。
その姿はまさにスケッチのようでもある。むろん、その姿が本当に芭蕉の俳句を「書く」姿を忠実に再現したものであるかは、今となっては実証のしようもない。だがそのような像が実在する以上、少なくともこの像に見られる姿を当然のものとして受け止める感覚が、俳句に携わる人の間に長く共有されてきたことは事実だ。それは芭蕉だけのことでもなく、例えば一茶も立ちもしくは腰かけて筆を持つ像が残されている。
そしてこのことは、他の文芸ジャンルと比較してみると際立った特徴でもある。それは、日本文学史上に残る人々の像と比較してみればわかる。銅像ということで言えば、例えば紫式部の像が『源氏物語』の着想のひとつを得たとされる石山寺にあるが、その筆を持つ像は座っている。その他、日本文学史に名を残すさまざまな文人たちを描いた像や図画を確認しても、ほぼ同様のことが読み取れる。多くの文人たちは、当然のように座って文字を綴ってきた(もしくはそのようなものとしてイメージされてきた)のだ。
そして芭蕉の時代からさらに時間を遡ってみる。実は、このようなスケッチ的感覚は文字字体の出自ともどこか関わっているように思えるところがある。
ある語を「仮名のみで書く」ということは、鎌倉期以降を考えた場合、やはりまずは限定された場、限定された「文字社会」でのことといえよう。すぐに考えられるのは「和歌・連歌世界」である。日本語の歴史において、公的な文章と私的な文章はかなり明確に分かれて発達してきた。公的な文書はほとんど漢字(つまり漢文)の形を取って書かれ、カタカナという日本人が発明した文字も、実はこのような漢文を訓読するための補足的な文字という側面が強かった。そして漢字とカタカナが公文書を作るという感覚はつい前世紀まで生きており、明治憲法、あるいは戦前の詔勅などもみな漢字とカタカナで構成され、それは日本語というよりも漢文訓読調という気配が濃厚だった。ひらがなはそれに対する文字で、であるがゆえに「和歌・連歌」と結びついていたり、あるいは女性という性とも結びついていたりした。もちろん、ひらがなが生まれそして広く使われ始めた時、そこに俳句もしくは俳諧と呼ばれるようなものは存在しなかったが、それでも、その文字は「歌」という根源的な表現の精神と密接に結びついていた。
(今野真二『かなづかいの歴史~日本語を書くということ』)
そのひらがなとは、そもそも、漢字の略字、から成立しており、もっと言うなら漢字を「書き崩す」ことによって生まれた。つまりは「書き散らす」ことによって成立した、もともとが〝ぐちゃぐちゃモード〟的な文字がひらがなであり、それは私的なことを書き留めるためのスケッチ的な文字、とも言うことができるかも知れない。そもそも詩歌というものがそうなのか、あるいは日本の詩歌がそうなのか、その点は速断できないが、ともあれ日本の詩歌は「書き散らす」ことばでもあり、であるがゆえにひらがなをその主要な文字として選んだ。あるいは、そのような文字をもって日本の詩歌は育まれてきた。
そのような、日本の詩歌とひらがなとの強いつながりは今でも生きている。端的な例が、旧仮名遣いの扱いだろう。戦後に旧仮名から新仮名へと仮名遣いが原則として切り替わり、多くのものがそれに従った。公的文書や報道文書などだけでなく、小説・脚本・評論そして詩も例外ではない。にも拘わらず、旧仮名が現役のものとして残った唯一のジャンルが俳句や短歌であった。興味深いのは、それが単なる懐古趣味や伝統尊重とも言えないことである。なぜならば、もしそれが理由であれば、当然のように漢字も旧字体を使ってしかるべきである(もちろん、そういう現代俳人もいなくはないが、あくまで例外的だ)。漢字は新しいものへとあっさり移行しつつ、ひらがなだけは古いものを残す。そこには、ひらがなに対する偏愛にも近い感情が宿っているようにも思える。それは、俳句(あるいは短歌も含んで)がひらがなという文字の本質的に持つスケッチ的な〝ぐちゃぐちゃモード〟と、昔も今も深くつながっているという、そのことを裏付けているのかも知れない。
◆俳句を「書く」ことのこれから
先に、九〇年代のワープロ論争において俳句はほぼ蚊帳の外だったことに触れた。それは実際の問題として、ワープロで俳句を作る俳人などほとんど皆無だった、ということが理由なのだが、しかし、これもまたより本質的な問題の裏返しと捉えることもできる。俳句はスケッチ的であり、散文よりもより絵画などに近い身体的なものであるから、ワープロ化の傘の下にはそもそも本質的に馴染まなかったのだ、と。そして現実に、ここまでスマホやタブレットが一般化した今ですら、俳人たちの多くは意外に「手書き」の〝ぐちゃぐちゃモード〟を貫いていることは先述した。それは俳句自体の本質に基づく、ある種の必然的な選択とも思える。
もちろんそのことは、これからも俳人たちの間で「手書き」が主流であり続けることを必ずしも保証はしない。僕が質問をした先述の若手俳人曰く、彼よりもさらに若い二十歳前後の人たちでは、吟行でスマホに入力している姿を見かけるらしい。はたして彼らがこの先もスマホを使い続けるのか、あるいは「手書き」のよさを彼らなりに再発見するのか、またスマホを使い続けるとしてそこにおける俳句のことばは変質していくのか、さらにはひょっとするとその過程において新しい何かの身体性のようなものを作り出していくのか、などなど、とにかく興味は尽きない。
ちなみに僕自身、PDAを使っていた時はいちおう手書き認識ソフトをインストールして使っていた。スタイラスで文字を書くとそれをデジタルの文字として認識してくれるというもので(それほど認識精度は高くなかったが)、つまりデジタルだけど手書き、という微妙なスタンスで俳句を書いていた。それは、さすがに俳句をアルファベット入力(つまりローマ字変換)するのは邪道ではないか、という意識が働いた結果だったのだけれど、現在のiPodTouchでは、完全にフリック入力(これはひらがな変換)でやっている。もはや手書きは完全に消えてしまい、ただ指先が幾何学的に液晶画面の上を滑るだけだ。はたしてそれは、俳人として正しい「書き方」なのかどうか。
最後に少し余談ながら話をしておくと、スマホやタブレット上ではいくつもの俳句入力用の専用アプリが既に提供されている。その中で興味深いのは、角川版の『合本俳句歳時記』がiOS上でも有料で提供されていて、なんとこの歳時記アプリには「作句」機能が正式に用意されている。作句機能が付いた歳時記など、おそらく歳時記史上で初のことだろう。もちろん、現時点では単なる「清書」機能(つまり俳句を入力するときれいな画像に整えて保存してくれる)でしかないのだが、これもいずれ高機能化するかも知れない。というのも、そもそも歳時記とはひとつの巨大なデータベースであるのだから、とすればそれを元に何がしかのマッチング機能を作り出そうと考える人が出てきても不思議ではない。つまり、作句支援機能みたいなものを歳時記アプリが標準装備して、「それは類想がありますよ」と教えてくれたりとか、あるいは「斡旋するにはもっといい季語がありますよ」とリコメンドしてくれたり、とか、そんなおせっかいなアプリの機能が出現することは十分にありうることだ。それはそれでちょっと面白そうだなあと、半分期待していたりもするのだが。
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