【八田木枯の一句】
秋の絵や水にふれなば水に散る
太田うさぎ
秋の絵や水にふれなば水に散る 八田木枯
『あらくれし日月の鈔』(1995年)にはこの句のほかにもう一句似た形を持つ「秋の喪や水のひとすぢ水に入る」が収められている。作りは似ているが、内容はかなり異なる。水のイメージを借りて生死を表現することはままあるし分かり易く、その分常套という印象がなくもない。どちらかと言えば私は掲句に惹かれる。
とは言え、解釈を求められても実は困ってしまうのだ。それが木枯句の特徴の一つでもあるのだけれど。
秋の景色を描いた絵とは限らないだろう。抽象画でもいい。水に触れただけでたちまち散ってしまうだろうと思わせるような絵。冷ややかな水面を静かに広がってゆく絵の断片たちの幻想。あるいは、「水にふれなば水に散る」こと自体が秋の絵なのだ、というように捉えることもできる。「触れなば落ちん」というフレーズを連想して、やや官能性を伴った脆さやはかなさを感じ取る向きもあるかもしれない。多様な読み方を誘うけれど、いずれにしても静かで透明でちょっとかなしい読後感がある。
木枯さんがこの句を詠んだのは五十代。一生のうちで言えば秋に相当するだろう。分からないままに惹かれるのはやはり私も同じ年代に差し掛かっている故か。
2015-10-18
【八田木枯の一句】秋の絵や水にふれなば水に散る 太田うさぎ
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