名句に学び無し、
なんだこりゃこそ学びの宝庫 (17)
今井 聖
「街」111号より転載
勤めいやな朝まつこうから燕の白
和知喜八 『和知喜八句集』(1970年)
なんだこりゃ。
ツトメイヤナアサマッコウカラツバメノシロ
この句、今ふうの俗語でいうとヘタレ。働くのは嫌だあ!と叫んでいる。
俳句表現に於ける倫理観はこんな述懐はもってのほか、有り得ないというよりあってはいけないということでやってきた。これは「男」にあらまほしき倫理の逆をいくのだ。
俳句の倫理観が要請する女性観は可愛く健気で賢い少女から良妻賢母に到る道。
おしんのような少女が成長してお茶の水大に入り帝大出の男と結婚して貞淑な妻となり子育てに専念する。良妻賢母に支えられた亭主が国家の上部構造を形成する。
関西財界では、妻は奈良女(奈良女子高等師範)、妾は宝塚というのが「男」の最高の勲章だったとか。
明治からずっとそれで今日まで来た。もちろんバリエーションとして鷹女なんかのモガな「お転婆」と、箸よりも重たいものを持ったことのない乳母日傘の深窓の令嬢あがりがいるにはいた。これは阿部みどり女や橋本多佳子、野澤節子なんかがそれだな。陸軍中将の娘、山林王の嫁、横浜元町の老舗の娘。良家の子女って奴だ。俳句の男社会がそれらを要求した。
男の方はどうかというと、九州男児、東北健児、屯田兵?に象徴される豪放磊落、質実剛健、気は優しくて力持ち。よく食べ、よく働き、ときには身を挺して婦女子を護る鞍馬天狗のような「男ぶり」が基本。それに帝大出の知性と元華族の血筋があればなお結構だ。俳句で描かれるべき倫理観はずっとそれでやってきた。
これこそ他のジャンルでは有り得ないアナクロニズムの倫理規定。結局、富国強兵の駒養成の精神ではないのか。
だからこそ、竹下しづの女の「短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎」がいかに革命的だったか。これについては試行燦々の(12)で書いた。
しづの女作品に匹敵するのが和知さんのこの句だと僕は思う。事務員の鬱屈を描いた兜太さんの「銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく」も凄いけど、銀行員はいわば社会的エリート。「選ばれし者の不安と恍惚」の範疇だ。
和知さんのは違う。工場要員の、営業最前線の、泥まみれの二等兵の「本音」だ。
大正二年生れの和知さんは僕にとっては楸邨門の大先輩。
僕が昭和四十六年に寒雷に投句を始めた頃はすでに「響焔」を主宰しておられたが寒雷の東京句会に一度だけ見えたのを覚えている。
久々に見えた和知さんを前にして楸邨は上機嫌。
「すっぽんというこの人の綽名は僕がつけたんです」
和知さんは見事な禿頭を真赤にして笑っている。
すっぽんはその風貌からもなんとなくうかがえるが、作句の上で目標に喰い付いたら離れない、どこまでも工夫し追い求めていくという姿勢もこの綽名の由来。
綽名に違わず、
霜くるか熔鉱炉一日一日赭し
運河越えてきて蝶がとぶ鉄の上
赤化誰れ彼れ甘藷洗っては水から出す
ただの妻ただの星子の風邪癒えて
煙突の下の梅雨月裸で湯へ
赭い裸二つが乗って煙突壊す
鉄工達月出るまえにもう黄色く
「喜八の大バカ!」田に熱くきき雪国星夜
餃子で一杯火が点いて翔ぶ俳句野郎
どうです。まさに「すっぽん」でしょう。
和知さんの詩形目一杯に詰め込むこういう文体は「腸詰俳句」と悪口を言われた。ならば、季語の本意、本情を詠むといいながら鯛焼の鋳型の中で言葉を流暢に流して作るのが俳句か。
芭蕉の「わび・さび」はほんとうにそんなところに眼目があったのか。最愛の主君が死んで「野晒し」の旅に出た芭蕉の激情を「わび・さび」の背景に読み取るのが「俳諧」ではないのか。
日本鋼管の職場で、熔鉱炉の熱を浴びながら汗し、組合運動で反権力を組織し、裸で煙突を壊し、妻子を愛し、餃子を喰い、ホッピーを呷りながら自分のことを大馬鹿と罵る。そして来る日も来る日も月が出る前に黄色くなるほど働いたんだからもういいでしょ、「勤めがいやだ。働きたくねえ!」と叫んでも。
まっこうからくる燕の白は鮮烈でエネルギッシュ。怠けたい「私」に対して一見叱咤しているように見えるが鳥だって飢えによってうながされている。
やってられないのは人間ばかりではないのだ。
なんだこりゃこそ学びの宝庫。
ツトメイヤナアサマッコウカラツバメノシロ
この句、今ふうの俗語でいうとヘタレ。働くのは嫌だあ!と叫んでいる。
俳句表現に於ける倫理観はこんな述懐はもってのほか、有り得ないというよりあってはいけないということでやってきた。これは「男」にあらまほしき倫理の逆をいくのだ。
俳句の倫理観が要請する女性観は可愛く健気で賢い少女から良妻賢母に到る道。
おしんのような少女が成長してお茶の水大に入り帝大出の男と結婚して貞淑な妻となり子育てに専念する。良妻賢母に支えられた亭主が国家の上部構造を形成する。
関西財界では、妻は奈良女(奈良女子高等師範)、妾は宝塚というのが「男」の最高の勲章だったとか。
明治からずっとそれで今日まで来た。もちろんバリエーションとして鷹女なんかのモガな「お転婆」と、箸よりも重たいものを持ったことのない乳母日傘の深窓の令嬢あがりがいるにはいた。これは阿部みどり女や橋本多佳子、野澤節子なんかがそれだな。陸軍中将の娘、山林王の嫁、横浜元町の老舗の娘。良家の子女って奴だ。俳句の男社会がそれらを要求した。
男の方はどうかというと、九州男児、東北健児、屯田兵?に象徴される豪放磊落、質実剛健、気は優しくて力持ち。よく食べ、よく働き、ときには身を挺して婦女子を護る鞍馬天狗のような「男ぶり」が基本。それに帝大出の知性と元華族の血筋があればなお結構だ。俳句で描かれるべき倫理観はずっとそれでやってきた。
これこそ他のジャンルでは有り得ないアナクロニズムの倫理規定。結局、富国強兵の駒養成の精神ではないのか。
だからこそ、竹下しづの女の「短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎」がいかに革命的だったか。これについては試行燦々の(12)で書いた。
しづの女作品に匹敵するのが和知さんのこの句だと僕は思う。事務員の鬱屈を描いた兜太さんの「銀行員等朝より蛍光す烏賊のごとく」も凄いけど、銀行員はいわば社会的エリート。「選ばれし者の不安と恍惚」の範疇だ。
和知さんのは違う。工場要員の、営業最前線の、泥まみれの二等兵の「本音」だ。
大正二年生れの和知さんは僕にとっては楸邨門の大先輩。
僕が昭和四十六年に寒雷に投句を始めた頃はすでに「響焔」を主宰しておられたが寒雷の東京句会に一度だけ見えたのを覚えている。
久々に見えた和知さんを前にして楸邨は上機嫌。
「すっぽんというこの人の綽名は僕がつけたんです」
和知さんは見事な禿頭を真赤にして笑っている。
すっぽんはその風貌からもなんとなくうかがえるが、作句の上で目標に喰い付いたら離れない、どこまでも工夫し追い求めていくという姿勢もこの綽名の由来。
綽名に違わず、
霜くるか熔鉱炉一日一日赭し
運河越えてきて蝶がとぶ鉄の上
赤化誰れ彼れ甘藷洗っては水から出す
ただの妻ただの星子の風邪癒えて
煙突の下の梅雨月裸で湯へ
赭い裸二つが乗って煙突壊す
鉄工達月出るまえにもう黄色く
「喜八の大バカ!」田に熱くきき雪国星夜
餃子で一杯火が点いて翔ぶ俳句野郎
どうです。まさに「すっぽん」でしょう。
和知さんの詩形目一杯に詰め込むこういう文体は「腸詰俳句」と悪口を言われた。ならば、季語の本意、本情を詠むといいながら鯛焼の鋳型の中で言葉を流暢に流して作るのが俳句か。
芭蕉の「わび・さび」はほんとうにそんなところに眼目があったのか。最愛の主君が死んで「野晒し」の旅に出た芭蕉の激情を「わび・さび」の背景に読み取るのが「俳諧」ではないのか。
日本鋼管の職場で、熔鉱炉の熱を浴びながら汗し、組合運動で反権力を組織し、裸で煙突を壊し、妻子を愛し、餃子を喰い、ホッピーを呷りながら自分のことを大馬鹿と罵る。そして来る日も来る日も月が出る前に黄色くなるほど働いたんだからもういいでしょ、「勤めがいやだ。働きたくねえ!」と叫んでも。
まっこうからくる燕の白は鮮烈でエネルギッシュ。怠けたい「私」に対して一見叱咤しているように見えるが鳥だって飢えによってうながされている。
やってられないのは人間ばかりではないのだ。
なんだこりゃこそ学びの宝庫。
●
0 comments:
コメントを投稿