【週俳10月・11月の俳句・川柳を読む】
主権在民いつのことだか
岡村知昭
交番の神木として紅葉せり 千倉由穂
「交番」があり、「神木」があり、「紅葉」の真っ盛りである。交番の前に立っている木が、市民の安全を守るために日々勤めを怠らない交番を守っているかのようだ、との見立ては、同時に紅葉真っ盛りの木を交番がちゃんと守っている、との見立てへとひっくり返すことができる楽しみを秘めている。じゃあどちらが正しいのか、との問われてしまったら、「どちらも正しい」がいちばん正しい答えになるだろう。ただ気を付けておかなくてはならないのか、交番がもし「うちのおかげでこの木は神木になってるんだ」などと身の程知らずなことを言いだしてしまったら、せっかくの風景は台無しになるということだ。交番が持っている力は、確かに権力を背負っていて、人の一生をその気になれば台無しにできる代物ではあるのだが、天然自然の紅葉の前にあっては、しょせんかりそめのものでしかないのだ。もちろん紅葉の側からは「うちのおかげであの交番は今日も平穏無事なのだ」などと言いだしたりなどはしない。天然自然の力もまたかりそめのものでしかない、というのを紅葉はよく知っているのだから。
なんでやねんうち新宿のわかめやし 榊陽子
うそやうそや、新宿のわかめがなんで「なんでやねん」で答えるんや、あんたもろ大阪なのまるわかりやで、ほんま、昔の唄のタイトルそのままの「大阪で生まれた女」やなあ、とすぐにツッコミが途切れもなくあふれてしもて、困りますわな。ええボケやさかい気持ちがええんや。ああ、大阪ことばの出来の悪い真似するの疲れたから書き言葉に戻したいけど、やっぱり続けるわ。この10句にはいろんなわかめがおるけど、特にええなあと思ったのは「テンガロンハットも似合うわかめかな」とこの句やったわ。テンガロンハットの句は、わかめのくせに帽子かぶるんかいっ、とツッコミを待ってるような気配があって、読み手がどうしてもツッコミたくなるのがええ。わかめの帽子かぶってる姿がまたええんやな。そして「新宿のわかめ」や。このわかめは強がってて、意地張ってて、だけど心の中では泣いてんねん。なんで泣いてるんかは、わからんけど、泣いてんねん。それが東京で生きる、新宿で生きる、わかめとして生きる、っちゅうことやねろな。後ろ姿見てみい、肩が、背中が震えてるがな。「なんでやねん、なんでやねん」と震えてるんやがな。
主権即ち人魚にあれば吹雪く国会 竹岡一郎
「主権在人魚」。この事実をいったいこの国のどれだけの「国民」とやらを名乗っているヒトが知っているのであろうかを考えるとき、私は慄然とする思いに駆られるのであります。「吹雪く」のは国会だけではなく、私の心の内もまた同じく吹雪の真っただ中なのであります。「主権在人魚」である以上、人魚が国会を占め、人魚が選挙権を行使し、人魚が税を払う、「人魚の人魚による人魚のための政治」はすでに実現されていてしかるべきなのでありましょうが、寡聞にしていまだそのような一報は私の耳には入ってきていないのであります。「いやあなたが知らないだけで、すでに行われているかもしれないではないか」という声もありましょうが、そうなりますと人魚はヒトの姿を借りて世を闊歩しているということになりましょう。ヒトの世とは偽りで、すでに人魚の世であったということになりましょう。これだけでも恐るべきことですが、真に恐るべき点は、ヒトの姿を借りて現世の支配を行う人魚たちは、はたして「人魚の人魚による人魚のための政治」を実現しているのか、人魚の姿のままの人魚たちを、かつて世を闊歩していたヒトの真似をして封じ込めようとしていないか、との疑いを禁じ得ないところにあるのです。「主権在人魚」の世のありようについて、人魚かもしれない皆々様に対し、誠実なる答弁を求めます。
後篇:
番外篇:正義は詩じゃないなら自らの悪を詠い造兵廠の株価鰻上り
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