【週俳12月の俳句・川柳を読む】
週俳12月の五七五を読む
野口 裕
参考のためと、上田信治さんの文章を読みながら、
小唄のような軽い詠みぶりで魅せることの多い作者ですが、掲句のような、感覚的実質があってなおかつ簡単に尻尾をつかませない取り合わせを見ると、なるほど長谷川櫂門下の人だなあと。(西村麒麟の項)
というような書き方は、どうもできそうにない、と気づいた。我が文章は、近頃の読む量の不足のせいか、五七五の外側におかれている作者名に踏み込んだ読みに届かないのだ。
飯田龍太が、「俳句は無名がよい」とか言ったようだが、五七五の外側にある自身の名が消せないことに対する無意識の嘆きのようにも取れて面白い。ではあるが、作者名のある以上、その名を意識しつつ十句に向かい、作者の性向を承知した上で一句に対する鑑賞をするのが常道と思う。現状ではそれができそうにない。
作者名とてテキスト。無視は出来ない。しかしそれを外し、さらに一句の外にある九句を捨てた上でのテキスト鑑賞になるかと思う。ご容赦願いたい。
●月曜日の定食 相子智恵
月曜のB定食の牡蠣フライ
A定食よりもB定食の値段が高いこともあるが、週初めの月曜日には散財を避けるだろうから、この場合は安いB定食を選んだと言うことか。Bを選んだら、たまたま牡蠣フライだった、という風に語順が並んでいるところに昼食に対する期待値の低さが見て取れる。
この牡蠣フライはおいしかったのかどうか?案外実直な定食屋さんで値段の割りにはおいしかったかも知れないし、安かろう悪かろうで胸焼けを抱えつつ午後の仕事に立ち向かう羽目に陥ったのかも知れない。その辺は、読者一人一人が想像して下さい。そんな口ぶりでテキストは突然終了する。牡蠣のまとう衣に、油がきらきら輝く様が読者の脳裏で閃けば句としては成功か。
●水曜日の変容 関悦史
宇宙終はればまた始まりて鳥兜
ツイッター、フェースブックともに性に合わず、使い慣れたmixiにときどき日記を載せている。たまたま、この句に関する感想を書いた。そのまま、転載する。
そりゃわからんぞ、と思わずつぶやいていた。
しかし、ブラックホールという概念を初めて知ったときに、強烈な違和感があったものが、それとは逆発想の上揚句に違和感を感じるようになるとは!
感覚は長い年月の間に振動する。ニュートリノではないだろうが。
●兼題「金曜日」 樋口由紀子
金曜日に立ち寄ってから参ります
書類の届くのが遅いので、先方に問い合わせるとこんな返事。立ち寄り先がどこかは分からないが、こちらが怒り出しても不思議はないほどに誠意がない。参ったあとは勤務先には戻らずに、さっさと帰宅するのではないかと思える軽薄さ。社から配られたはずの電話応対のマニュアルはどこかにしまい込んでいると見える。
しかし、こんな風に言えれば良いなと羨望する人も多いのではないか。金曜日がパラダイスを秘めているからこそだろう。
●壮年の景 角谷昌子
ぬつそりと獣道から冬帽子
獣道から出てきた割りには、登場人物に危険性を感じない。長いテキストなら、おもむろに出てきた登場人物が豹変することも可能だが、句頭の「ぬっそり」というオノマトペが全体を支配して、人物の動きは悠揚迫らぬ態度に終始するようだ。
獣として少々防寒能力の不足しがちなヒトに、冬場の帽子はあった方が良い。しかも、重要部位の脳を保護してくれる。句は、動物園の檻の中の肉食動物を見るかのように、ヒトが動物であることに思い至らせ、なおかつやはりヒトは人間であることを指し示す。
●以後 太田うさぎ
闇鍋の蓋の大きな明石かな
明石で暴力団の大きな抗争でもあったかいな、とも思ったがどうもピンとこない。返って、「源氏物語」に出てくる明石の入道でも思い浮かべた方が、私的にはしっくりとくる。光源氏を遇するに当たり、相当の資産を明石の入道はつぎ込んだはずで、その資産は多少後ろ暗い面も秘めていたのではないか、というような当方の勝手な思い込みに、闇鍋が応えてくれそうに思うからだ。
まあ、穏当なところは、芭蕉の蛸やら永田耕衣の鯛などが雑然とぶち込まれているのだろう。カタツムリも入っているかも知れない。
●狐罠 西村麒麟
水浅きところに魚や夕焚火
暮れかかっている水辺の魚など、普通は気づかない。しかし、焚火は水底を明るく照らし、小魚の影までもくっきりと映し出す。寒々とした水辺と見えたときには濁って見えた水も、今は澄んで見える。焚火が魚だけでなく水の清らかさまでも明らかにしてくれた。焚火がもたらす暖かさとともに、魚や水までもが刹那の幸福感をかき立てる。
とまあ読みはこのようになるが、作った点も感じる。おそらく「ところに」とある措辞のメリットデメリットなのだろう。ゆるやかな句跨がりが幸福感をかき立てるような穏やかなリズムを作り、なおかつ水深いところの闇をも暗示させる点がメリットとすれば、少し押しつけがましくなるのがデメリットだろう。
しかし、書き割りめいたところを差し引いても、句の世界は読者に羨望を与える。何尾かは、焚火にあぶられているのだろうか。
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