【週俳1月の俳句を読む】
「2016年新年」というテーマ詠
小久保佳世子
「新年詠」は「週刊俳句」ならではの企画として毎年興味深く拝読しています。
特に今年は「新年詠」の投句期間が 2016年1月1日(金)~1月2日(土) 20:00迄、旧年中の投句は無しということで、アップされたのは3日でしたから殆んどの句が新年になってから詠まれたと思われ、そのライブ感を楽しむことが出来ました。
今年の新年詠の投句者は確か197名。(最年長が2月に105歳になられた金原まさ子さん、最年少は10代後半?)投句者は年々増えているのではないでしょうか?
ロードムービー始まる鷹の目玉より 今井 聖
この句がトップに置かれたことによって、ロードムービーのように展開される2016年の新年詠への期待感を盛りあげてくれました。有名無名横並びで、ひとり1句合わせて197句が掲載されることで「新年」というテーマのひとつの共同作品が生まれたような印象もあります。
週刊俳句の力量をもってすれば、新年詠以外のテーマ詠募集も可能でしょうが新年詠に限っているようです。思えば死語となった季語も多いなかで、新年の風習や行事は一般家庭でもなんらかの形で守られていて、新年の多くの季語には未だ現代性もあり、テーマ詠に最もふさわしいのかもしれません。
空に散り初鴉とは遠きもの 生駒大祐
もし初鴉が寒鴉や、季語ではない鴉だとしたら日常的過ぎて、この句の持つ遥けきものへの憧憬感は出ないと思います。新年を詠むとは、ありふれた様々なモノやコトが新しくなった不思議を詠むことなのかもしれません。
あけましておめでたういふたび歯石 中山奈々
「お正月ですから」とばかり言うてをり 松尾清隆
こちらは、新年と日常が繋がっています。確かに年ばかりが改まっても人々の意識が追い付かない気分も新年にはあります。
元日の愚かに過ぎぬ茜雲 岸本尚毅
みんなさみしい明けましておめでたう 宮本佳世乃
明らかに新年に違和を感じている句だと思います。ぽかんとした空虚感、これもまた新年ならではのひとつの感慨だと思います。
鍋光る福島第一原子力発電所事故以降 曾根 毅
民手づから平和葬る年の明く 関 悦史
特に2016年らしさが出ているとは言えない新年詠のなかで、この2句には、どうしても今年の始まりに詠んでおかなくてはという思いが伝わってきます。
理念のあるなし、党派性、良し悪しを越えた時代の俳句エネルギーの結集が2016年週刊俳句新年詠だったと思っています。そして新年詠は2017年、2018年……と人が入れ替わりつつ続いてゆくことは間違いないでしょう。
2016-02-14
【週俳1月の俳句を読む】 「2016年新年」というテーマ詠 小久保佳世子
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