【週俳1月の俳句を読む】
のびやかな
対中いずみ
初風やこの川はすぐ海のもの 今泉礼奈
数ある新年詠からこの句ののびやかさに惹かれた。新年詠は、定型感も確かで新年の淑気を歌い上げたものと、やや川柳的な、事柄のおもしろさを掬い上げた受けねらい風のものと、大きく二つに分かれると思うが、掲句は、そのどちらとも少し違う。
季語は「初風」。元日に吹いてくる風だ。「この川はすぐ海のもの」、いいなぁ。
海に流れ込む河口に立っているという距離感なのだろうけれど、「海のもの」の「もの」は言えそうで言えない。清新な新年の日と風と潮の香と大海原。けっこう大きな世界がさらりと詠まれている。この嫌みのなさ、のびやかさはひとつの才能ではないかしら。
冬芒ちがふ高さに流れけり 今泉礼奈
冬の芒はもうすっかり白とも言えるほどに脱色している。そこに日があたり、風が吹いてくると、穂が流れ出すようにきらりきらりとなんども光る。よく伸びて背の高い芒とそれよりは低い芒がある。あっさりとした措辞の向こうに、群生する穂芒のボリュームのある動きが示されている。
臘梅が顔の高さにあれば寄る 今泉礼奈
臘梅はもう充分香ってきているのですけれど、顔の高さに花がついているのを見つけたら、
それは寄りますね。もっと思いっきりその香を吸い込むために。香という言葉が一つも使われていないのに、その香に満たされる一句。
ケーキ詰めて箱やはらかし冬夕焼 今泉礼奈
こんな甘い句も。高級店のケーキじゃなくて、ちょっと安物のケーキ。その白い箱の質感も、ケーキがくっつかないように入れる指の動きも、町を包む冬の夕焼けも、すこし切なくすこし愛しい。
講義なき日の木蓮の冬芽かな 今泉礼奈
ぽかっと時間が空くことがある。ふっと空を見上げることがある。たいした意味はない。日常生活のある瞬間、ある心の動きのなかで、ふと見つけた木蓮の冬芽。春遠からじ。
2016-02-07
【週俳1月の俳句を読む】 のびやかな 対中いずみ
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 comments:
コメントを投稿