〔今週号の表紙〕
第461号 水温む
西原天気
季語をこの記事(写真についての短文)のタイトルにすると、何も書くことがなくなります。「水温む」といったら、「水温む」なわけでして。
俳人にとっての季語には、そういうところがあって、「水温む、ですねぇ」「ああ、水、温んできましたねぇ」。
そうした季語の扱いは、俳句の外から見ると、業者同士の符牒のようでもあって、胡散臭い。
季節が目の前に、あるいははるか遠くにあって、季節に向かって自分を開ける鍵が、たくさんの鍵が、季語というかたちで用意されている。鍵についていろいろ語る必要はなく、あけて何があるか、何が見えたか。
(多くの)俳人にとって季語は、便利、と言ってしまうと軽すぎる、もっと重要な、失くすと困るだいじなもののようです。
ちなみに、私自身は、俳句に季語は必須、とは考えていません。なくてもいい。
ついでに言えば、五七五でなくても結構。
じゃあ、俳句に必須ものは何か?って?
愛嬌とグルーヴです。
話が大いに逸れました。今週の写真は撮影日時2015年3月17日14時53分28秒、場所は東京・上野、不忍池。のんびりとその午後を過ごしました。
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