2016-03-13

【週俳2月の俳句・川柳を読む】郷愁と夢想と 広渡敬雄

【週俳2月の俳句・川柳を読む】
郷愁と夢想と

広渡敬雄


河豚鳴けり釣り上げられし人の世に  中村 遥

釣り上げられた河豚は、威嚇の為、ブーブーと鳴くという話を聞いたこともあるが、釣針から外そうとする猟師の指を噛むので、ペンチで歯を切り落とされる。
船の水槽で河豚同士で傷つけ合うリスクを避けるためでもある。
人の世とのかなり大げさな措辞は、河豚の美味しさが、日本人には比類なきものであるからであろう。下関では、「ふく」と濁らず呼ばれるのも「至福」の味だからである。
下関・南風泊の市場に集められた河豚は、独特の袋競りのあと、即解体されるか全国の料理屋の生簀に生きたまま直送される。
河豚は生命力が強く、解体されても、心臓や鰭が波打っている。
幾万の日本人の舌を蕩けさせた河豚は、4月29日に、下関・南風泊で供養され成魚と稚魚が海に放たれる。が、河豚供養されても浮かばれぬ河豚は断末魔のような雄叫びを上げ、永遠に鳴き続けるのだろうか。

舟を待つ人に焚火の匂ひけり   中村 遥

渡し舟か釣り舟を川べりか湖畔で二三人が待っている。近くに焚火をしているのか、その匂いが風に流されて匂ってくる。いや、さっきまで焚火に当たった人が、舟の出立の準備がほぼ終わったので、岸辺に寄って来ているのかも知れない。
焚火が条例等で禁止になって久しい。
町で焚火を見ることはなくなったが、岸辺での焚火はたまにやられているのかも知れない。
郷愁を誘うモノクロ写真の様な景であり、悠久の時間が流れている感もする。
焚火の榾の爆せる音、談笑の声等がどこからとなく聞こえて来るが、読者には、それにも増してその独特の匂いが強く感じられる。
焚火は冬の季語だが、何となく春近し、又は春焚火のニュアンスを感じるのは何故だろうか。

山に添ひ人の歩める遅日かな   篠塚雅世

遅日と詠われており、暮れなずむ晩春の夕刻であろう。
山と言っても里山でその裾野には青麦が背を伸ばし、田が耕され水が張られめているのかも知れない。
この山裾に集落が形成されており、勤めや学校から帰宅する人がぽつぽつと見られる。里山は山菜取り、茸狩、又かっては竃用の榾集めの入会の山であり、集落の氏神が祀られているのだろう。
ゆったりとした時間が流れ、作者も駘蕩の時間をすごしているのだろうか。

縦長き字を書く人や寒昴   下楠絵里

筆跡は百人百様である。縦長の字を書く人とは、痩せ型で理科系タイプのインテリが想像される(これはあくまでも筆者の感覚だが)。理路整然とした文章に加え、もし鉛筆書きならば現在一番使用されている2Bでなく、HB、2Hかとも推測される。
寒昴の輝く夜空に、天体観測か宇宙理論構築に励んでいる眼光鋭い横顔も想像される。
2Bで描く丸文字の文章の世界とは、又別の雰囲気の句である。

蜃気楼死の前日も人眠る   トオイダイスケ

確かに永眠する前日までは人間は誰しも眠っている。但し、これまで俳句では、このような措辞は、皆無ではなかろうか。蜃気楼と上五に構えたことで、人は生涯の中か、或は死の直前の夢の中で必ずそれを見るような幻想に陥る。
蜃気楼は、文字通り虚の世界であり、これまでの生きて来た現世の映像かも知れないし又彼の世の映像であるのかも知れない。
近づけば姿を消し、海岸から見えていてもいつかは消える蜃気楼。
生きて来た現実の世が常にそうである様に、永劫不変と思われる彼の世もひょっとしたらそういうものかも知れないと考えさせられる句でもある。

第459号 2016年2月7日
中村 遥 光る魚 10句 ≫読む
川合大祐 檻=容器 10句 ≫読む
篠塚雅世 水草生ふ 10句 ≫読む
第461号 2016年2月21日
下楠絵里 待ち人 10句 ≫読む
第462号 2016年2月28日
トオイダイスケ 死なない 10句 ≫読む

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