【週俳2月の俳句・川柳を読む】
情景の幅を愉しむ
しなだしん
舟を待つ人に焚火の匂ひけり 中村 遥
焚火というものを身近に見られなくなって久しい。この句に詠まれている場所は、渡し場のようなところだろうか。それとも漁から帰ってくる舟を待っている漁村などの情景か。作者の立場によっても読みが変わってくる。旅吟か、生活の中の句か。また、この「焚火」は何を燃やしているだろうか。渡し場や波止場ならば落葉焚ではないだろう。例えばドラム缶に材木などを燃やしている、そんな想像ができる。いや、そもそもこの句には「匂ひ」があるだけで、「焚火」自体は無いとも読める。舟を待つ人にした煤けた匂いを「焚火」と断定したのかもしれない。もしくは作者は、舟を待つ人が少し前まで焚火にあたっていた人だと知っていたか。
いずれにしてもこれらの想像は「焚火」と「舟を待つ」とにあるギャップから生れてくるものだろう。果たして、作者は「舟を待つ人」に近づいた。作者も舟を待つのか、焚火の香の人たちに話かけるのだろうか。
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セーターに恋の話をしてをりぬ 篠塚雅世
この句は「セーターや恋の話をしてをりぬ」ではない。「セーターに」である。つまりセーターに話しかけているのだ。このセーターは誰かに着られているものか、それとも人に着られていない状態か。「セーターに」と言い切っているところからすると、後者と読むのが妥当だろうか。例えば部屋に居て、セーター相手に恋の話を一人語りにしている、と。セーターの肩辺りを両手で持っているか、それとも吊るしてあるか。
そもそもこの句は作者自身を詠んだものか、他者を詠んだものか。「をりぬ」を客観的と読む向きもあるだろうし、俳句は一人称であるから作者とする読み手も多いだろう。作者の年回りからすればやはり若い他者と読むべきか。
その辺りは作者も想定済みで、読者は単純に恋に恋する乙女を想像するだけでいいのかもしれない。
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イヤホンの無音を聞きて雪の町 下楠絵里
この句の「イヤホンの無音を聞き」とはどういう状況だろうか。まずイヤホンは作者の耳にあるのか、それともイヤホンをつけている他者を詠んだものか。「聞きて」からはやはり前者と読むべきか。とするとイヤホンの先にはスマートフォンかポータブルプレーヤが繋がっているものと考えるが普通だろう。とすると音楽などを流していない状態か、期せずして「無音」となったのか、敢えて無音にしているのか。字面からすると、敢えて、と読めるが、そこにはどんな意味があるのだろうか。外的な音を遮断して、且つ無音を聞きたいということだろうか。
対して、この句の季語は「雪の町」。作者は雪の町を歩いているのか、どこかから眺めているのか。「雪の町」で、無音のイヤホンを耳につけて、作者は「独り」を楽しんでいるのかもしれない。
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花樒土に声ことごとく吸はれ トオイダイスケ
「樒(しきみ)」は、仏事に使われるため寺や墓所に植えられることが多い。天竺の無熱池にある青蓮花に似ているため、空海がこの花の代りにしたことから仏前の供養用に使われることになったとも云われる。樒の枝葉は年中手に入れやすいため仏前墓前に供えるようになったらしい。また樒は、花や葉、実、根から茎にいたるまで毒があることで知られる。特に種子に有毒の成分が多いため「悪しき実」とも云われる。神教、仏教、宗派に関係なく使用する香木とされる。花期は三月から四月で、芳香のある淡黄の花を付ける。
この句も「土」という言葉から、寺や墓所のような場所が想像される。この句の「声」は作者の声か、それとも得体の知れない何かを「声」と称したものか。「ことごとく吸はれ」からは土の中に眠る死者も想われる。この辺りの想像は、「花樒」という季語のバックグランドが成す共通認識が詠み手と読み手にあるからだろう。
2016-03-13
【週俳2月の俳句・川柳を読む】情景の幅を愉しむ しなだしん
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