2016-04-17

【八田木枯の一句】何ンとなく攝津幸彦花に雲 太田うさぎ

【八田木枯の一句】
何ンとなく攝津幸彦花に雲

太田うさぎ


何ンとなく攝津幸彦花に雲  八田木枯

『鏡騒』(2010年)より。

芭蕉の句を引合に出すまでもなく、桜を眺めつつさまざまのことを思い出すのは我われ日本人のお家芸。

胸中に閉まった出来事や人々との交わりを花の下でいつしか繙いている、というようなことは誰しも経験している筈だ。

そんなときにふっと、摂津幸彦。

二人がどれほど親しい間柄だったのかは知らないけれど、幸彦忌の句が全句集に3句見られることからしても注目する俳人であっただろうし、その早すぎる死を悼んだことだろう。木枯さんが毎年催していた花見の宴「花筵有情(かえんうじょう)」に攝津幸彦が足を運んだこともあったに違いない。

何かの拍子に面影が浮かぶのは意識の底にその人がいつも漂っているからではないだろうか。そして、攝津幸彦の俳句を読んでいると彼にはそうした「何となく」のニュアンスが相応しいとも思われる。快晴の満開の桜ではなく、ちょっと翳りのある何となく性というか。

勿論、「何ンとなく」は攝津幸彦の「何となく生きてゐたいの更衣」を踏まえているのだろう。この句を揚句に重ね合わせたとき、作者の故人への親愛の情がそれとなく伝わってくる。あわてて付け加えるならば、更衣の句は病身の俳人が心情を吐露したものではなく、摂津風な文脈で読まれなくてはならないけれど(そして私はこの句は蕪村の「御手打の夫婦なりしを更衣」を下敷きにしていると思っているけれどそれは別の話)。

キャッチフレーズめいた調子の良さもまた攝津俳句への挨拶なのかもしれない。「幾千代も散るは美し明日は三越」「ダリヤ焼く明日も水野鉄工所」にも通じるような口誦性があり、一度覚えるとついつい何度でも口ずさみたくなる。

花に雲、木枯に幸彦。そんな春です。



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