【週俳4月の俳句を読む】
白という色が
近 恵
人の声うばひとり花ふぶきけり 兼城 雄
風が吹いて花がいっせいに吹雪くその瞬間、人の声を奪ってゆく。本当は声だけではなく、動きも奪われてしまうんじゃないか。
声を奪うなんてなるほど上手く言ったなあと思うけれども、「人の声」としたことで花吹雪への感慨が一般化されてしまい、花吹雪の中にいる作者の感慨ではなく、どこかから花吹雪を見ていての他人事なのかなと感じてしまう。腑に落ちるし納得できるけれど、個人的には読者としては欲しいのはそこじゃないんだよなあと思ったりもして。
現代鳥葬 到達できぬ惑星を滅ぼし 髙田獄舎
どの句もなんか難しい。どうしても言葉の意味を考えてしまうけれど、その行為自体が無駄なんじゃないかなとも思う。そして言葉に騙されているんじゃないかとも思う。例えば朗読だったらきっとかっこいいんじゃないかな。耳から入って一瞬で消えていく言葉たち。余韻もあるだろうなと思う。けれど文字で読むとどうしたって自分なりの解釈や意味を求めようと試みて何度も読み返してしまう。そうしてなんとか解ったような気になったところで、結局解ったような気になってるだけじゃん、と馬鹿馬鹿しくなるのだ。
パンの耳買つて花散る夕べかな 引間智亮
サンドイッチを作る時に切り落としたパンの耳は、揚げて砂糖をまぶすと美味しいんだよね。子供の頃母が時々作ってくれた事を思い出す。それはそうと、パンの耳を買うとはなんとも倹しい生活である。しかも花散る夕べだ。追い打ちをかけるようである。「卒業」というタイトルでの連作になっているので、卒業してこれから社会人になろうとする間際にパンの耳とは、なんと苦労人であることよ。せめて入社した会社が儲かっていて、初任給から景気よくばんばんと貰えたらいいねと願うばかりである。
からたちの花白壁は蒼を帯び 満田春日
白い花の対比としての蒼はきっと共通のものなのだろう。白いからたちの花に対して、ぼんやりとそれを浮き上がらせるかのように蒼を帯びた白壁は、白という色が平板ではないことを教えてくれる。そしてからたちの花の強い香りが蒼の中から立ち上がってくる。その香りを思い出そうとして、読みながら思わず鼻から大きく息を吸い込んでしまう。
春風みたいにしますねと美容師笑ふ 工藤玲音
春風みたいな髪型ってどんなんだろう。きっと少し茶色がかった細い柔らかそうな髪で、肩に付かない程度のボブで、ゆるくパーマがかかっていて、くしゃくしゃっとした感じの髪型かなあ。きっと肩幅とか狭くて華奢な体型で、色白でピンクっぽいメイクで、さわると柔らかい肌で、ふわふわっとしたお嬢さんなんだろうなと勝手に想像する。けれど、美容師は笑うのだ。だから春風みたいなのは髪だけで、あとはふわふわとかじゃなきゃいいなあとも思う。自分がふわふわじゃないので、ほぼやっかみ半分である。
落椿雨の蚯蚓のかたはらに 淺津大雅
椿は落ちても美しいのだけれど、この句は蚯蚓が圧倒的な存在感を放っている。それは干乾びて道につぶれている蚯蚓じゃなくて雨の蚯蚓だからだ。雨に濡れてつやつやとした蚯蚓は、命をもった生き物の逞しさを持っている。一方椿は落ちても美しいが、すでに植物としての命は終わっていて、あとは朽ちていくだけなのだ。一見落椿を詠んでいるように見えるけれど、これは間違いなく蚯蚓リスペクトの句なのだ!と私は思った。
第467号 2016年4月3日
■髙田獄舎 現代鳥葬 10句 ≫読む
■兼城 雄 大人になる 10句 ≫読む
第468号 2016年4月10日
■満田春日 孵卵器 10句 ≫読む
■引間智亮 卒 業 10句 ≫読む
第469号 2016年4月17日
■工藤玲音 春のワープ 10句 ≫読む
■益永涼子 福島から甲子園出場 10句 ≫読む
第470号 2016年4月24日
■九堂夜想 キリヲ抄 10句 ≫読む
■淺津大雅 休みの日 10句 ≫読む
人の声うばひとり花ふぶきけり 兼城 雄
風が吹いて花がいっせいに吹雪くその瞬間、人の声を奪ってゆく。本当は声だけではなく、動きも奪われてしまうんじゃないか。
声を奪うなんてなるほど上手く言ったなあと思うけれども、「人の声」としたことで花吹雪への感慨が一般化されてしまい、花吹雪の中にいる作者の感慨ではなく、どこかから花吹雪を見ていての他人事なのかなと感じてしまう。腑に落ちるし納得できるけれど、個人的には読者としては欲しいのはそこじゃないんだよなあと思ったりもして。
現代鳥葬 到達できぬ惑星を滅ぼし 髙田獄舎
どの句もなんか難しい。どうしても言葉の意味を考えてしまうけれど、その行為自体が無駄なんじゃないかなとも思う。そして言葉に騙されているんじゃないかとも思う。例えば朗読だったらきっとかっこいいんじゃないかな。耳から入って一瞬で消えていく言葉たち。余韻もあるだろうなと思う。けれど文字で読むとどうしたって自分なりの解釈や意味を求めようと試みて何度も読み返してしまう。そうしてなんとか解ったような気になったところで、結局解ったような気になってるだけじゃん、と馬鹿馬鹿しくなるのだ。
パンの耳買つて花散る夕べかな 引間智亮
サンドイッチを作る時に切り落としたパンの耳は、揚げて砂糖をまぶすと美味しいんだよね。子供の頃母が時々作ってくれた事を思い出す。それはそうと、パンの耳を買うとはなんとも倹しい生活である。しかも花散る夕べだ。追い打ちをかけるようである。「卒業」というタイトルでの連作になっているので、卒業してこれから社会人になろうとする間際にパンの耳とは、なんと苦労人であることよ。せめて入社した会社が儲かっていて、初任給から景気よくばんばんと貰えたらいいねと願うばかりである。
からたちの花白壁は蒼を帯び 満田春日
白い花の対比としての蒼はきっと共通のものなのだろう。白いからたちの花に対して、ぼんやりとそれを浮き上がらせるかのように蒼を帯びた白壁は、白という色が平板ではないことを教えてくれる。そしてからたちの花の強い香りが蒼の中から立ち上がってくる。その香りを思い出そうとして、読みながら思わず鼻から大きく息を吸い込んでしまう。
春風みたいにしますねと美容師笑ふ 工藤玲音
春風みたいな髪型ってどんなんだろう。きっと少し茶色がかった細い柔らかそうな髪で、肩に付かない程度のボブで、ゆるくパーマがかかっていて、くしゃくしゃっとした感じの髪型かなあ。きっと肩幅とか狭くて華奢な体型で、色白でピンクっぽいメイクで、さわると柔らかい肌で、ふわふわっとしたお嬢さんなんだろうなと勝手に想像する。けれど、美容師は笑うのだ。だから春風みたいなのは髪だけで、あとはふわふわとかじゃなきゃいいなあとも思う。自分がふわふわじゃないので、ほぼやっかみ半分である。
落椿雨の蚯蚓のかたはらに 淺津大雅
椿は落ちても美しいのだけれど、この句は蚯蚓が圧倒的な存在感を放っている。それは干乾びて道につぶれている蚯蚓じゃなくて雨の蚯蚓だからだ。雨に濡れてつやつやとした蚯蚓は、命をもった生き物の逞しさを持っている。一方椿は落ちても美しいが、すでに植物としての命は終わっていて、あとは朽ちていくだけなのだ。一見落椿を詠んでいるように見えるけれど、これは間違いなく蚯蚓リスペクトの句なのだ!と私は思った。
第467号 2016年4月3日
■髙田獄舎 現代鳥葬 10句 ≫読む
■兼城 雄 大人になる 10句 ≫読む
第468号 2016年4月10日
■満田春日 孵卵器 10句 ≫読む
■引間智亮 卒 業 10句 ≫読む
第469号 2016年4月17日
■工藤玲音 春のワープ 10句 ≫読む
■益永涼子 福島から甲子園出場 10句 ≫読む
第470号 2016年4月24日
■九堂夜想 キリヲ抄 10句 ≫読む
■淺津大雅 休みの日 10句 ≫読む
0 comments:
コメントを投稿