【八田木枯の一句】
ひよろつくは齢ともくわうじやくふうかとも
太田うさぎ
ひよろつくは齢ともくわうじやくふうかとも
『鏡騒』(2010)より。
俳句を作って最初のうちは十七音では短すぎると思うけれど、そのうち十七音が長すぎると思うようになるよ。
俳句ビギナーだった頃にこんなことを言われたことがあるのは私だけではないだろう。
最小限の言葉で最大限の効果を狙うミニマリズム文芸としての俳句の一面を確かに表しているけれど、ちょっと抵抗感を覚えたものです、こういう先輩風吹かすような物言いは。
どうせ吹かれるなら、というわけで掲句(おっさん的展開ですみません)。
「くわうじやくふう」は漢字に直すと「黄雀風」。『大辞林』によれば、「陰暦五月に吹く東南の風のこと。この風の吹く頃、海魚が黄雀に変ずるという俗説が中国にある」だそう。エッシャーのだまし絵を連想しなくもない。
言っているのはひょろついた、そのことだけ。風によろめくのも寄る年波、という感慨で終わらせずにこんな季語を持ち出すところがいわゆる芸というヤツ。「くわうじやくふう」の平仮名表記は俄かに漢字変換し難いけれども、そうやって読む者を一瞬煙に巻くのも計算のうちだろう。「六月」を「ろくぐわつ」と書くのと同じ木枯好みの表記でもある。
『鏡騒』にはほかにも「半仙戯薄氣味わろき齢なる」「冬の暮とどまれば我不審物」など自らの老いを諧謔をもって詠んだ句があるが、何にも言っていないという点ではこれに尽きるだろう。
この鑑賞文も何も鑑賞していないか……。
2016-05-15
【八田木枯の一句】ひよろつくは齢ともくわうじやくふうかとも 太田うさぎ
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