〔ハイクふぃくしょん〕
父の曲
中嶋憲武
父の曲
中嶋憲武
『炎環』2014年12月号より転載
あたまの中でときどきあの曲が鳴った。それはたぶん曲にはなっていなかったのかもしれないけれど、みよこちゃんがひいていた曲だ。ゆめをみているときに、あたまの中のどこかのへやで小さく聞こえているようなオルガンの曲。
みよこちゃんのおうちは、ようちえんのすぐ目のまえにあるので、わたしはときどきあそびにいく。みよこちゃんのおうちはとても大きい。ひろいしばふのおにわがあって、フェンスからはとおくの町におひさまがしずんでゆくのがみえた。おにわは坂の上にあって、バス停からその長い坂をのぼってのぼってようちえんへいく。わたしのおうちはバス停のまえだ。
ようちえんでは、おひるねのじかんというのがあって、すわったままつくえの上にかぶさってねる。わたしは眠れないので、かおをよこにしたまま、まどからおそとをながめてる。中にわに大きなキリの木があって、ムラサキの花がいっぱい。その上をひつじ雲がゆっくりとうごいてゆく。雲のうごきをみていると、雲がうごいているんだか、わたしがうごいているんだかわからなくなる。白くて雲があんまりまぶしいので、ろう下がわの方へかおを向けると、ゆたかさんがおきていてはなくそをほじっている。ひとさしゆびにおっきなはなくそ。ゆたかさんはそれをじっとみていたかと思うと、ぱくりと口に入れた。きたないの。わたしはせかいの先に立っているようなかおをして、またまどをみた。
みよこちゃんのおへやには、ご本がいっぱいある。いやいやえん。モモちゃんとプー。ドリトルせんせい。ながくつしたのピッピ。せいの高い本だなのとなりに大きなまど。わたしはご本をよみながら、そのまどをときどき見上げる。おにわの何の木かわからないけれど、大きな木の枝にやってくる鳥をみていると、きまってねむくなる。鳥のうごきはねむりをさそうまじゅつだ。
ことりはとーってもうたがすきぃ。かあさんよぉぶのもううたでよぶぅ。ぴぴぴぴぴぃ。ちちちちちぃ。ぴちくりぴいぃ。
おさんじのドーナツをたべちゃって、おへやにもどり、みよこちゃんにオルガンをひいてもらう。それでみよこちゃんといっしょにうたう。おさんじのまえに、あらった手がいいにおい。みよこちゃんちの石けんは、クリームいろのバラの花のかおりがする。
大きなまどから西日がさし込んで、へやのすみの小ばこが金いろにひかっている。その小ばこをわたしは知っている。だいじなしゃしんの入っているはこだ。おとうさんのしゃしんだ。みよこちゃんは、しゃしんでしかおとうさんを知らない。
ことりのうたをやめて、みよこちゃんはまたあの曲をひき出した。たぶんみよこちゃんとわたししか知らない。何の曲とわたしはきいた。おとうさんの曲とみよこちゃんはこたえた。むかしおとうさんがうたっていたうた。ねむっていると、とおい原っぱでおとうさんがうたっているの。オルガンは鳴ってる。
おるがんのぱふんと風や桐の花 武知眞美
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