【週俳7月の俳句川柳その他を読む】
何度も反す八月の砂時計 2
飯島章友
乾きの香忍ぶアブの死彼の際か 井口吾郎
連作「椅子」は回文です。回文は、上から読んでも下から読んでもおなじ音になることが要請される。だから、〈意味する〉ことと〈意味しない〉ことのせめぎ合いのすえ生まれるのが回文、といえます。したがって回文には、意味のせめぎ合いを経た緊張感がある。ことに上掲句は、「乾きの香」「忍ぶアブの死」という措辞の良さもあって、回文特有の緊張感が最もよくあらわれた一句だと思います。
「田中は意味しない」 福田若之
連作「田中は意味しない」は難しく、全体を整合化するのは私の手に余ります。ただ、何度か当連作を読み返していくなかで、心に浮かんだよしなし事をメモするくらいはできました。無理に整合化することはよして、今回はそのメモを記すに留めようと思います。雑なメモでしたので、文章の体裁だけはいちおう整えました。
●タイトルの「田中は意味しない」。面白いのは、「田中は意味しない」と言語化した時点で「田中は意味しない」、という意味が生じていることだ。語り手は、抽象的な〈私〉を立ててこの世界の外側に置き、それを認識主体にして「田中は意味しない」と田中を意味づけているようだ。このとき、語り手と田中には〈主・客〉の関係ができている。
●眼は眼を見ず、という言葉がある。眼は対象物を見る部位だが、眼自身を見ることはできない。眼自身も見られるなら、眼は対象物を見ることができない。だから眼というのは、〈見ない〉という自己否定をとおして〈見る〉作用を全うし、眼として機能することができる。
●「意味しない」は、〈意味しなくない=意味する〉という自己否定をとおして「意味しない」を成就する。この矛盾的な在り方を構文にすると、〈AはAでなくしてA〉となる。当連作にあてはめると、〈田中は田中でなくして田中〉だといえる。
●表裏一体という言葉がある。〈コインの表〉を例にすれば、それは〈コインの裏〉と背中合わせでなければ存在できない。同じことは〈コインの裏〉についてもいえる。そして、この〈表/裏〉という二重構造を〈表=裏〉として一体化させているのは、コインという〈場〉である。
●九句目「呼べば去りしらさぎは田中でなくなる」は、「田中は意味しない」という前提をふまえて言い換えるなら、〈呼べば去りしらさぎは意味してしまう〉となる。〈しらさぎは意味してしまう〉ということは、語り手としらさぎの間に〈主・客〉の関係が成立していることになる。もういちど〈AはAでなくしてA〉という在り方と、その在り方を支える〈場〉に戻って考えると、何か気づけるかもしれない。
虻は宙に停まれり蓮の真上なる 西原天気
季語として五月みどりの遍在をつくづく思ふ蒲田駅前 同上
「かの夏を想へ」は、俳句と短歌がワンセットになった連作。先行する自作歌から発想して俳句が附けられたようです。上掲の句歌のセットでは、「蒲田」→「(蓮田の)蓮」という道筋が想像できます。
最大の見どころは季語としての「五月みどり」。フラワーしげるさんの短歌に、「きみが十一月だったのか、そういうと、十一月は少しわらった」(『ビットとデシベル』)があり、ここでは「十一月」があたかも擬人化されて用いられています。上掲歌の「五月みどり」も、「五月みどり」という固有名詞から固有性が抜き取られ、解体されたうえ、あらためて季語化される面白さがあります。
ひとつ思ったのは、短歌は三十一音もの長さがあって便利だなあ、ということ。かりに「蒲田駅五月みどりが偏在し」という川柳があったばあい、現代川柳に馴染みのない読者からすると、「五月みどりの偏在?ん?ん?」と混乱する可能性もあります。それが短歌のばあい、「季語として五月みどりの偏在」なのだと前置きできる長さがあるのです。
戦争と三愛ビルの水着かな 同上
四角くて丸い世界の中心に馬場正平がゐた熱帯夜 同上
「三愛ビル」は戦後間もない昭和21年、銀座に建設され、当初は食糧品や文房具品が売られていました。それが昭和25年には婦人服専門店に変わり、昭和30年からは水着の販売が開始されます。そして昭和38年には、総ガラス張りの円筒形ビル「三愛ドリームセンター」としてリニューアルオープンしました。以降、銀座の名所のひとつとなっています。
いっぽう「馬場正平」は、プロレスラー・ジャイアント馬場の本名。「四角くて丸い世界」「馬場正平」「熱帯夜」というキーワードから考えるに、上掲歌は、昭和42年8月14日に大阪球場特設リングで行われたジャイアント馬場vsジン・キニスキーのインターナショナル・ヘビー級選手権試合と思われます。二万人の大観衆を集め、60分3本勝負で行われたこの試合は、1─1のイーブンのままフルタイム戦いぬき、延長5分でも決着がつかなかったジャイアント馬場の代表的な死闘。当日、すぐ近くの大阪府立体育会館では、ヒロマツダをエースとする国際プロレスも試合を行っていて、興行戦争の背景もありました。〝プロレス大坂夏の陣〟です。
「戦争」と「(死力を尽くした)試合」と「興行戦争」、「8月15日」と「8月14日」と「世界の中心に馬場正平」、「(戦後復興の現れとしての)水着」と「(高度成長期の娯楽としての)プロレス」、その他もろもろが響き合うことで、ゼロから発展した時代のムードが立ちあがってきます。ただし、この時代を実際に体験した人と、私のように知識としてしか知らない者とでは、表象の質は違ったものになるでしょう。
連作「かの夏を想へ」には、何十年というスパンがあります。戦後すぐの「徳川夢声」「三愛ビル」「笠置シヅ子」から、2015年のドラマ「釣りバカ日誌」にも出てきた「デルのパソコン」。また、連作の始めと終わりには「菅井きん」という、戦後長らく活躍してきた叙情的人名が配されてもいます。このため、作中主体のイメージは自然に立ちあがり、その作中主体をつうじて戦後日本人の喜怒哀楽が感得できます。昭和マニアの私にはたまらない連作でした。徳川夢声やトニー谷、谷啓など逐一語ってみたいのですが、俳句鑑賞の場なのでやめておきましょう。
梅雨晴や歩けば戦ぐ象の耳 村田 篠
梅雨は、「象」も屋内に入っている時間が長いことでしょう。そんな時季だからこそ、「梅雨晴」という季語が、「戦ぐ象の耳」という動態をしっかり支えています。と同時に、「梅雨晴」は、「歩けば戦ぐ」といった当たり前の現象に新鮮な味わいを与えてくれているようです。
列の崩れて湧水に触れてゆく 同上
何となく、窪田空穂の短歌「湧きいづる泉の水の盛りあがりくづるとすれやなほ盛りあがる」(『泉のほとり』)が思われます。「列の崩れて」のあとに意表をついて「湧水」が現れ、列の崩れは湧き水に触れるためだと分かる。場面を動的に描きつつ、しかしけっして大振りな表現にならぬよう言葉が展開していく。そこに、空穂の歌との連絡を感じたのかもしれません。
血のやうな大きな車夏の雨 上田信治
初読のとき、上五の「血のやうな」が「車」につながっていかず、一足飛びに「夏の雨」のほうへつながっていきました。「血のやうな大きな車」よりも「血のやうな夏の雨」のほうが、私個人の感覚には自然だったのです。いわば「血のやうな(大きな車)夏の雨」というイメージ。火矢のように荒々しく降り注ぐ「血のやうな」夕立のなか、雨に打たれるまま停留する「大きな車」。粗く、独善的な、初読らしい読み方に違いありません。それにもかかわらず、なぜか自分としては捨てきれない読み方なのです。
夏団地夕方いつかゴム臭く 同上
連作「夏団地」には、昭和の団地のイメージがあります。かりに今の団地だとしても、築何十年という古い団地に思えます。現在の都市部のマンションは、行き届いた管理のため無味無臭になっています。それに比べて昭和の団地というのは、表面的には平穏で整然としていても、生活の生々しさと怪しさが入り混じった雰囲気がありました。
上掲句、夏の団地が「夕方いつかゴム臭」いと。どことなく不穏で小気味悪い雰囲気。しかし、何かしっくりくるところもある。
――夕方の夏団地とはそういうものでございましょう。
そんな声とともに疑似的な記憶が呼び覚まされてくるのです。
2016-09-04
【週俳7月の俳句川柳その他を読む】何度も反す八月の砂時計 2 飯島章友
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