【週俳9月の俳句を読む】
結社誌競詠「澤」VS「街」を読んで
菊田一平
これまでにも、総合誌で「俳人どうしの競詠」や「師弟競詠」「夫婦競詠」「親子競詠」などの特集は組まれてきたけれど、寡聞にして、「結社誌競詠」は知らない。一週目の「羊」のテーマから、四週目の「住宅地」に至るまで、次週のをこころ待ちにして読ませていただいた。選抜メンバーの力のこもった競詠は、先鋒・次鋒・中堅を経て大将戦へと至る、柔道や剣道などの団体戦のようにも思えてこころが弾んだ。
●「羊」
池田瑠那(「澤」)
羊刈る羊の首を股挟み
はるか昔のことだけれど近所で羊を飼っていた。季節になると大人たちが、羊の首を股で挟んで横倒しにし、電動バリカンをすべらせては一日掛かりで毛を刈ってゆく。初めこそ抵抗しようとするがそのうち羊たちは観念したように動かなくなる。あるとき大人たちのように羊の首に跨ろうとした。羊は頭で股間を突き上げて必死に逃げようとする。何度やっても上手くいかない。大人たちはいとも簡単に羊を転がしていた。
羊刈る仕上げの鋏しやりと鳴る
この特集の「いきさつ」を読むと、この時期、瑠那さんは豪州旅行をして、ナマの羊さんたちをじっくり観察して来たらしい。「仕上げの鋏しやりと鳴る」がなかなか。鋏の切れ味と、刈るひとの得意満面の顔がまざまざと浮んでくる。
冬魚(「澤」)
破水して羊水腿にぬくし秋
まさか「羊」のテーマで「羊水」が出てくるとは思いもしなかった。まさにボデイブローの一句。というのもこの春、田舎の姪がそうだった。破水して八か月足らずで早産したとは聞いたものの、気の毒でその後の経過をこちらからは聞けない。心配しながらのそんな日がしばらく続いた。この句、「羊水腿にぬくし」の「ぬくし」がとても冷静だ。「ぬくし」と同時に作者の脳裏を去来したはずのもろもろを推測しながらいたたたまれなくなった。
秋風や羊楕円のひとみ持ち
「羊楕円の」といわれて、そうか、楕円だったのかと思ったけれど、漠然と見ていただけだったから形を思い出せなかった。つくづく俳句は断定だなと再認識した。
金丸和代(「街」)
天の川大人の塗り絵の羊たち
「天の川」と「塗り絵の羊たち」との間には大きな隔たりがあるのだけれど、あたかも「羊たちが群れをなして天の川を渡っている一枚の塗り絵」のようにも見えてくる。この7,8年、年を追うごとに「塗り絵」がブームになっている。一見楽しい句だけれど、中七の「大人の」形容の裏に見え隠れする「呆け防止」や「認知症」のことを思うと切なくもある。
白く濃き羊の睫毛葛嵐
たびたび厩舎に行くことがあって馬の睫毛の長さに驚いたことがあるけれど、羊の睫毛をまじまじと見たことはなかった。上五の「白く濃き」と、たたみ込むように続く「羊の睫毛」にいい具合のリズムが生れた。
茸地 寒(「街」)
花野ゆくひつじをとこの被りもの
「ひつじをとこ」といえば村上春樹の『羊をめぐる冒険』。30年前に読んだのでストーリーは忘れてしまった。けれどもこの本のカバーを担当した佐々木マキのイラストは忘れがたい。どこか静謐でモダンな感じがした。佐々木マキは、村上春樹の『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』のカバーも担当したが、これら初期の三部作をモチーフとして、自身、『羊男のクリスマス』という絵本を描いている。茸地さんの句は、まさに被りものを被った羊男がスキップを踏みながら花野をゆく姿そのものだ。羊男の歌声までもが聴こえてくるようだ。
酔いざめの睫毛に白毛ある秋夜
最近とみに眉毛に白いものを見る。そのたびに毛抜きで抜くようにしているのだが睫毛までそうなるとは知らなかった。いやはや・・・。
●「秋服」
井上さち(「街」)
ななかまど母は魔女にも王女にも
小学生のころは無愛想で笑わない子どもだった。恥ずかしい話だけれど、「笑え!」と母に頬をつねられたことが何度もあった。妹も同じ経験があるらしく、「痛くて涙が出るのに笑うなんてできないよ。ほんと悪魔だと思った」と笑う。その母も東日本大震災を経験してから認知症がにわかにすすみ、今では妹の世話なしでは生活が出来ない。起きてから寝るまで、妹の指示に「はい!はい!」と従っている。従うとはいっても裏を返せば母の世話に妹はかしずいているといってもいい過ぎではない。「母は魔女にも王女にも」は言い得て妙だと思った。
秋の海膝に六本指の猫
八咫烏や岡本綺堂の三本足の青蛙(せいあ)をもち出すまでもなく、異形のものたちには神にまつわる不思議さがある。この猫もそう。句の奥から神秘と高貴さがただよってくる。
玉田憲子(「街」)
花薄喪服の尻をてからせて
東日本大震災の津波で多くのひとたちが亡くなった。実家は流失したものの、かろうじて生き残った父と母は着のみ着のままで島を離れた。行方不明者の捜索と同時に、被災地は来る日も来る日も葬儀に追われた。父から喪服が欲しいとメールがあったのはそんな混乱のなかでだった。衣料品や食糧品には意識がいったが喪服にまでは気が及ばなかった。お盆前のあるとき、土葬のまま仮埋葬していたひとを掘り起こして本葬するという父を玄関に見送った。喪服の肘も尻もてかてかに光っていた。
無花果に向き柔道着滴りぬ
高校時代の体育実技は週一回の柔道だった。柔道そのものは好きだったけれど、洗い忘れた道着の汗臭さには閉口した。道着は水道の水を流しながら盥で踏洗いした。この句、無花果の木の傍に干した道着を滴る雫の音が爽快だ。
岡本春水(「澤」)
夜学子やポケット多き作業服
ほんと作業服にはポケットが多い。胸のポケットに折り畳み定規や何本ものボールペンのキャップの先が突き出ているのを工事関係のひとの作業服を見てなるほどとは思うけれど、ズボンの脛のあたりにまでポケットが必要なのかと思ったりもする。どこに何を入れたか分からなくなりはしないのかと思ったりもする。それはそれとしてこの夜学子、作業服のままで机に向かっているというのがじんとくる。
おしろいの実の粉を鼻に通りやんせ
おしろいの実の粉を鼻につけて遊んだ記憶はないけれど、立葵の花弁を鼻につけて鶏の真似をしては遊んだ。「通りやんせ」が効いている。
川又憲次郎(「澤」)
幽霊のをんなの母に似たりけり
谷中の全生庵で見た応挙の幽霊画を思い出した。亡くなった奥さんが夢に現れたのを描いたものらしい。右手をそっと白の重ねの中に入れ、うつむいた切れ長の目が涼しい。「怪談牡丹燈籠」や「真景累ヶ淵」などを書いた三遊亭円朝が寺に寄贈したものだという。川又さんのお母さん似の幽霊はどんな姿・容をしていたのだろう。秘めた母恋の一句だ。
秋風や肩幅に脚ひらき立つ
句またがりの「肩幅に脚ひらき立つ」のリズムがなかなかだ。虚子の「春風や闘志いだきて丘に立つ」の句と対をなすような魅力的な句だ。
●「秋の海」
嶋田恵一(「澤」)
コンティキ号にとびうお落下刺身とす
コンティキ号は、ノルウエーの人類学者・ヘイエルダールが「ポリネシア人の祖先=南米から渡ったアメリカ・インディアン説」を実証するためにペルーからイースター島への数千キロを漂流実験した筏の名前だ。食料はアメリカ軍から提供された軍用食料(缶詰)と1トンの真水が用意されたらしいが、来る日も来る日も缶詰だけでは飽きる。きっと嶋田さんのいうようにバイキングの裔たちはトビウオやカツオなども食べたに違いない。この句、とびうおが「飛び込む」としないで「落下」としたことがコミカルで面白い。
自転車漕ぐわれの頭上を海霧擦過
海霧は山背風(やませ)に乗って海面を這うように迫って来る。そのたび、昼となく夜となく霧笛が鳴り通しに鳴る。この句、「擦過」が上手い。自転車を漕いで海霧から逃げようとする作者がたちまちにのみ込まれてしまいそうだ。
望月とし江(「澤」)
海水に洗ふ俎板雁渡し
小坪港で船をチャーターして手釣(カッタクリ)吟行をしたことがあった。獲物は3、40センチのメジマグロとアジ、サバ。メジマグロは青唐辛子と合わせて叩きにし、サバは刺身に塩を振っただけで食べた。舟敷場の海水で俎板を洗いながら、誰からともなく「こんな美味いサバやマグロの食べ方は初めて!」と声があがった。雁渡しが吹いて水温が下がり始めた今ごろは、鱗が黄金色に光る根付きの大鯖が釣れているはずだ。
スナックに秋鯖提げて来るをとこ
あるある。わたしの島のスナックもそう。サバだけじゃなくイカやカキやホタテだったりもする。夜なのにサングラスで店に入って来たり、カラオケのマイクの小指をぴんと立てていたり。いやはや、誰彼の顔を思い出してしまった。
秦 鈴絵(「街」)
漁夫の田にこつそり秋の海が入る
「漁夫の田」というからには半農半漁の暮らしの田んぼ。畦も田んぼも地なりに曲線を描いて入り組み、面積もそんなに広くなくて多少棚田気味。そこに「こっそり秋の海が入る」というのだ。「こっそり」ならばきっと夜。市原悦子や常田富士男の「日本昔ばなし」の一節のようでもあるし、リズムがなめらかで静かな景であるはずなのにどこか不気味。「こっそり」であったはずの海が読み手のなかで次第に水位を増してくる。添えもののように置いた「秋」の季語が海水の冷たさを感じさせていい具合に効いている。
今日からは秋日の竹でゐてもらふ
なんだか読み手のわたしが「竹」になったようで可笑しくなった。てっぺんにトンボを止まらせた「秋日の竹」もいいじゃないかと思ったりもする。
竹内宗一郎(「街」)
敬老日波をイメージしたダンス
敬老日の波をイメージしたこのダンスはフラダンスのことだと思う。何年か前、忘年句会の余興にフラダンスをやった。フラダンスのハンド・モーション(手の動き)には、ひとつひとつ意味がある。例えば、波(ナル)は、へその高さに上げた両手を前に出し、ひじを曲げながら手のひらでゆっくり波を描いてゆく。そんなことを即席で教わりながら句会のたびに練習した。竹内さんの句に、なかなか流れを覚えられなくてまごまごしていた当日を思い出してしまった。
横須賀の秋乱闘のやうな波
横須賀のイメージはいつも色調がグレイだ。停泊する米軍の艦船や海上自衛隊のイージス艦、潜水艦の色合いが頭にあるからだろう。同様に内海で穏やかなはずなのにいつも港に小さな三角波が立っているような気がする。それも軍港のイメージが頭のなかにあるからだろう。「乱闘のやうな波」は、まさに横須賀の波の本質を突いている。
●「住宅地」
今井 聖(「街」)
かなかなを詰めてオレンジ色の雲
かなかな蟬は日の出とともに鳴きだし、日没とともに鳴き止む。上五の「かなかなを」には「声」が省略されている。かなかなの声の終りは潮が引くように日没の空に同化してゆく。雲のオレンジ色の輝きは集約されたかなかな蟬の声の余韻なのかもしれない。
笑はない家族九月の砂の上
鳥取砂丘を舞台にして写真を撮り続けた植田正治の「砂丘シリーズ」を思い出した。植田正治は生身の人物をオブジェのように砂丘に配置しながら、巧みに抽象的な異空間を作り出している。この抽象性は偶然のものではなく完璧な計算の上で出来上がっている。そう考えながらこの句を読み直すと、「家族」に掛る「笑はない」は、読み手に「負」のイメージを印象付ける作者の計算、「九月」は「夏」の明るさを抑える、逆の意味でのレフ板の役目をしているともいえる。そういえば今井さんも確か鳥取のご出身。写真家・植田正治への俳人・今井聖のオマージュの一句なのかもしれない。
小澤 實(「澤」)
住宅地かつては森ぞ虫のこゑ
ここ三十数年の家の周りの変遷を思い出しながら読ませていただいた。越してきたころは、武蔵野の面影を残す雑木林に囲まれ、都心から戻ると木々の葉の呼吸で空気が冷んやりとした。林の中の大きな辛夷はゆたかに花を咲かせ、山栗の木は地面いっぱいに実をこぼした。時とともに伐採がすすみ、宅地や駐車場へと変わってしまった。それでもこの夏、わずかに残ったクヌギ林でタマムシの死骸を見つけた。あまりのきれいさに手のひらに乗せてしばらく見入った。
爺ひとり住まひ新酒をコップに酌む
破調のことばの隅々から男の孤独と自嘲が伝わってくる。白毛を一本残した喉仏の動きが見え、とんと卓に置いたコップの音がかすかに聞える。
2016-10-16
【週俳9月の俳句を読む】結社誌競詠「澤」VS「街」を読んで 菊田一平
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 comments:
コメントを投稿