【週俳10月11月の俳句を読む】
「学生特集」を読む
なかはられいこ
若いひとの作品を読むという、川柳の世界ではなかなかできない体験をさせていただいた。なぜ川柳ではできないのかといえば、若いひとがいないからだ。こう書くと身もふたもないけれど、諦めでもなく、開き直りでもなく、それはそれでいいのかもしれないと思う。「若い」のメリットは書き手としての残り時間の長さにある。二十歳で始めて三十歳でやめるのと、四十歳で始めて八十歳で死ぬまで続けるのとでは、後者のほうに価値があるとわたしは思うのだ。
秋の灯をザッハトルテが照り返す 平井湊
焦点はザッハトルテにあるのに、珈琲と読みかけの本がある場面を自動的に想起してしまった。その際、本はカフカの『城』であればなおよろしい。と思いつつ、そうした景色を読み手に補完させ、現出させるちからがこの句にはあるのだろうとも思う。では、そのちからはどこにあるのだろう。ザッハトルテの重厚感もさることながら、やはり「秋」という季語にあるのではないだろうか。付きすぎなのかどうかはわたしにはわからないけれど、一句全体が全力で秋を表現しているようにみえておもしろかった。
肉入れて波の立つなり芋煮会 斉藤志歩
いちいちおしゃれな「ザッハトルテ」とは対照的に、庶民的な、どちらかといえば野暮ったくなりがちな「芋煮会」という言葉をうまくコントロールしているなあと感心する。しかも「肉」である。こういう場面では、「ここで、いよいよ肉の投入です!」なんて実況するヤツが必ず一人二人いたりする。「波」は鍋の中にも鍋の外にも立つのだ。おそるべし、肉の威力。
朝寒や植物園にそつと鳥 野名紅里
冬の朝、植物園にそっと鳥が来ていた、というだけの句なのに惹かれる。「そつと鳥」にぐっとくる。朝のキーンとはりつめた冷たい空気と静けさが、読んだ瞬間、胸にひろがった。鳥、としか書かれていない鳥への愛のようなものがふつふつと沸き起こるのを、ひとごとのように観察している自分がいて、ちょっとふしぎな気分になった。俳句には十七音という制約がある。制約のなかでせいいっぱいあらがうとき、ひとを惹きつける作品がうまれるのだろう。「そつと鳥」と止めたときの作者の、やさしく注意深い手つきが見えるような一句だと思う。
2016-12-25
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