「「俳苑叢刊」を読む」のスタートに際して
福田若之
このたび、小誌「週刊俳句」では、新たな連載企画として「「俳苑叢刊」を読む」をスタートする。
「俳苑叢刊」というのは、1940年(昭和15年)に三省堂から刊行された句集のシリーズである。全28冊の句集が、2期にわたって、この年のうちに刊行された。当企画は、それら28冊を対象として、総勢28人の執筆者による句集評を、週ごとに1本ずつ、およそ半年にわたって順に掲載していくというものである。
対象となる句集のラインナップを以下に示す。「俳苑叢刊」の第1期は3月25日に刊行された次の11冊である。
松本たかし『弓』そして、第2期は10月15日に刊行された次の17冊である。
加藤楸邨『颱風眼』
長谷川素逝『三十三才』
日野草城『靑玄』
石橋辰之助『家』
皆吉爽雨『寒林』
中村汀女『春雪』
池内友次郎『結婚まで』
星野立子『鎌倉』
大野林火『冬靑集』
東京三『街』
西東三鬼『旗』
石田波郷『行人裡』
岩田潔『東風の枝』第1期には、汀女・立子のいわゆる「姉妹句集」(虛子)が含まれている。このうち汀女の『春雪』は第1句集である。この「俳苑叢刊」には、ほかにも、友次郎、京三(秋元不死男)、三鬼、潔、友二、桃史、夜半、しづの女、鷹女、麥南、柳芽といった名だたる俳人たちの第1句集が収められており、そうした点から見ても、歴史的に意義深いラインナップといえる。第1期の人選は阿部筲人と渡邊白泉、第2期の人選はこの2名に藤田初巳が加わって行われたものであるという。
石塚友二『百萬』
細谷源二『塵中』
栗林一石路『行路』
片山桃史『北方兵団』
阿波野青畝『花下微笑』
後藤夜半『翠黛』
中村草田男『永き午前』
五十嵐播水『月魄』
竹下しづの女『䬃』
東鷹女『向日葵』
森川曉水『淀』
内藤吐天『雨滴聲』
西島麥南『金剛纂』
木津柳芽『白鷺抄』
この「俳苑叢刊」は、その後、1987年(昭和62年)に沖積舎によって新装覆刻されている。この覆刻版のセットには、句集28冊に加え、三橋敏雄の『解説――俳苑叢刊の時代』が収められている。そこには次の記述がある。
付記すれば、本「解説」に取りかかるに当たり、はじめは、各流各派にわたる前記二十八人の箇々の略歴など書き添え、その中でそれぞれの全句業における「俳苑叢刊」句集の位置づけを試み、昭和十五年現在の著者像に言及していこうと考えたのであったが、その実行はたいへんな作業というよりも、私の恣意に従えば、いよいよ偏頗にわたらざるを得ず、ひいては読者にまちがった考えを押しつけることになりかねない。新連載「「俳苑叢刊」を読む」の各執筆者は、必ずしも著者の全句業における「俳苑叢刊」句集の位置づけを試みるわけではないだろうし、そこに紡がれる言葉は、必ずしも著者像というものを捉えることに費やされるわけではないだろう。この連載は、複数の声の折り重なるテクストとして、「俳苑叢刊」それ自体における複数の声の折り重なりあいに応えながら、個人の恣意を超えたかたちで展開されることになるだろう。それにより、当時の俳句にとって「俳苑叢刊」とは何物でありえたのか、また、現在の俳句にとって「俳苑叢刊」とは何物でありうるのかといったことが、個々の作家のありようとともに浮き彫りになるのか、はたまた、「俳苑叢刊」という枠組み自体が徐々に何らかの仕方で解体されていくことになるのか。この企画が、三橋敏雄が望みつつもなしえなかった仕事に適うものになるのか、それとも、全く予想だにしない別のものになるのかは、まだわからない。
(三橋敏雄『解説――俳苑叢刊の時代』、沖積舎、1987年、41頁)
ともかくもここには、28冊の句集がある。そして、28篇の文章が、これから生まれようとしている。 あとは、それらのテクストの赴くままとなるだろう。読者諸氏に、その結果を見届けていただければ幸いである。
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