【週俳8月の俳句を読む】
書き殴る
藤本る衣
帰省子に真つ先に来る海老フライ 岡田耕治
菜箸に挟まれ揚げたての海老フライが、鼻先を掠め皿の上へ。いつに変わらぬ、ははの愛。じゅうじゅう音のしている句だ。
西瓜の種よく飛ぶようになってくる 同
鈴鹿山脈から流れてくる小川に祖母が、西瓜を冷やし待ちかまえていたあの夏休み。きんと冷えた西瓜、 食え食えと笑顔だが、小6と小5の姉弟は、汽車旅疲れもありそんなに食べられるものではない。横では、従弟たちが器用に西瓜の種を飛ばしている。真っ黒でよく滑る小さな種を舌の先端にそっと乗せ、唇を窄め当て思い切り吹く。向こうのカンナに上手く命中するようになるまで。日盛りの種飛ばしが 目に浮かび楽しい句。
蜩に生まれて翅を濡らしけり 同
ひぐらしの♂の腹部は、うすく大きく半透明でそこが共鳴器となるらしい。句調からすると、狐雨とか小雨の感じ。蝉の翅には、小雨がうつくしい。
素麺冷やして母系の家や猫までも 樫本由貴
「冷素麺」としなかったのがいい。「素麺冷やして」で、素麺を笊にとり水にさらしている動作がくっきりする。そして母系という、少し鬱陶しい言葉が澄みはじめてくるのは
流しっぱなしの水のひかりがあるからだ。
原爆ドームに楽止まぬ日や蚊に刺され 同
想像を絶する人類の悪業の歴史。見るのさえ苦しい展示写真。惨禍をくぐりきし遺物の数々に接した後だろうか。二度と再びあってはならないと気を引き締める。讃美歌だろうか流れている曲に気を 取られる作者。そして蚊に刺された不快感に、全身が囚われているのも、生者とっては自然なこと。
どの碑にも蟻ゐるそれも大きな蟻 同
びっくりするほど大きな蟻が 幾つかの碑を伝い歩いている。時代の不穏、不安感の象徴のように思えて、「それも」がとても不気味。
白シャツがふくらんで風その匂ひ 同
灼熱の風がシャツを一瞬ふくらませ 鼻を掠めて抜けたのだろう。自分の汗の匂い。私が、いま生きている匂い。
萩を描かず原爆ドームのスケッチよ 同
もし「原爆ドームを描け」という命令が下ったとして わたしも、萩を描かない。猫も描かない。
爪を切るあいだ背中にある泉 三宅桃子
溢れてくる言葉の泉だろうか。それとも 誰かを想うきらきらの泉なのか。
若いっていいなあ~。
くちびるで風を送りし金魚かな 同
たしかに、風を送るから水が押されて動く。が、言われてみるまでは、その一瞬の詩に気づかない。良~く見ていた桃子さんに脱帽。
宝物殿のような檸檬を手がえらぶ 同
若い手でうつくしい檸檬を品定めする。今夜忍び込めば、正倉院に 光る檸檬が積まれているのかもしれない。
花野の隅にオレンジ色の日付つく 同
夕闇迫る花野。ぽっと明かりが灯りはじめたらオレンジ色の日付にしてしまおう。
夏痩せの妻と喧嘩や殴らねど 山口優夢
「殴らねど」が切ない。喧嘩をしなくてはいけないと思う。結婚生活は。例外はあるとして人間同士、しかも男女の共同生活だ。分かりあうのは、喧嘩しかない。しかし次の喧嘩では、前回より、マシな喧嘩をしなくていけない。
皮肉も自嘲も泣き声に負け冷酒酌む 同
泣かれると負ける。負けたふりをする。男は。泣き叫び羽枕を投げつける奥さんの洋画のワンシーンが浮かびます。次回からは、お互い少しクールにいきませんか。それでなくても 疲れる現代の暮らしです。自嘲も皮肉も相手にぶつける前に、思いっきり走り書きしてみる。書き殴ってみる。まず自分で自分のガス抜きが必要。頬っぺた殴られるより、相手も痛くない。
別れるの死ぬのと母も昔の夏 同
お母さんにも 若く生々しい時代があって、次の世代もまた、こうして健やかに繰り返す暮らし。
言ひ負かしたのではなく見限られたのかも、夜 同
夫婦間の句としてではなく、友人同士の句としても。むしろ、その方が面白いかもしれないなと思う。無季はなぜか 気にならない。
おしろいや終はつても済んでない喧嘩 同
DVは 絶対!NO!だけど、これからも分かりあう為、いっぱい派手に喧嘩して欲しい。喧嘩 仲直りを散々繰り返そう。物心さえ付いていれば、子どもの前でもやっちゃいましょう。子どもなりに、人間同士になにが大切なのか感じていけるから。
妻から指をつないで帰る墓参かな 同
喧嘩の後の木犀の匂い。
黙読のときにほほ笑む夜長かな 矢野公雄
最近「せつない動物図鑑」(ブルック・バーガー/服部京子訳)を読んで、最初から最後までワタシは、ほほ笑んだ。本を読んでて 思わず吹き出すこともある。そんなとき
なぜか、わたしは 生きててよかったと思う。
下の名をはじめて呼ばれ稲光 同
無音の閃光、稲光り。職場なのか野外なのか いづれにしても、うれしいびっくりだったのだろう。
仏にも鬼にもなれず濁り酒 同
にんげんで・す・か・ら、あたり前田のクラッカー。李白も呑んでいたらしい、濁り酒の斡旋が良い。
菜箸に挟まれ揚げたての海老フライが、鼻先を掠め皿の上へ。いつに変わらぬ、ははの愛。じゅうじゅう音のしている句だ。
西瓜の種よく飛ぶようになってくる 同
鈴鹿山脈から流れてくる小川に祖母が、西瓜を冷やし待ちかまえていたあの夏休み。きんと冷えた西瓜、 食え食えと笑顔だが、小6と小5の姉弟は、汽車旅疲れもありそんなに食べられるものではない。横では、従弟たちが器用に西瓜の種を飛ばしている。真っ黒でよく滑る小さな種を舌の先端にそっと乗せ、唇を窄め当て思い切り吹く。向こうのカンナに上手く命中するようになるまで。日盛りの種飛ばしが 目に浮かび楽しい句。
蜩に生まれて翅を濡らしけり 同
ひぐらしの♂の腹部は、うすく大きく半透明でそこが共鳴器となるらしい。句調からすると、狐雨とか小雨の感じ。蝉の翅には、小雨がうつくしい。
素麺冷やして母系の家や猫までも 樫本由貴
「冷素麺」としなかったのがいい。「素麺冷やして」で、素麺を笊にとり水にさらしている動作がくっきりする。そして母系という、少し鬱陶しい言葉が澄みはじめてくるのは
流しっぱなしの水のひかりがあるからだ。
原爆ドームに楽止まぬ日や蚊に刺され 同
想像を絶する人類の悪業の歴史。見るのさえ苦しい展示写真。惨禍をくぐりきし遺物の数々に接した後だろうか。二度と再びあってはならないと気を引き締める。讃美歌だろうか流れている曲に気を 取られる作者。そして蚊に刺された不快感に、全身が囚われているのも、生者とっては自然なこと。
どの碑にも蟻ゐるそれも大きな蟻 同
びっくりするほど大きな蟻が 幾つかの碑を伝い歩いている。時代の不穏、不安感の象徴のように思えて、「それも」がとても不気味。
白シャツがふくらんで風その匂ひ 同
灼熱の風がシャツを一瞬ふくらませ 鼻を掠めて抜けたのだろう。自分の汗の匂い。私が、いま生きている匂い。
萩を描かず原爆ドームのスケッチよ 同
もし「原爆ドームを描け」という命令が下ったとして わたしも、萩を描かない。猫も描かない。
爪を切るあいだ背中にある泉 三宅桃子
溢れてくる言葉の泉だろうか。それとも 誰かを想うきらきらの泉なのか。
若いっていいなあ~。
くちびるで風を送りし金魚かな 同
たしかに、風を送るから水が押されて動く。が、言われてみるまでは、その一瞬の詩に気づかない。良~く見ていた桃子さんに脱帽。
宝物殿のような檸檬を手がえらぶ 同
若い手でうつくしい檸檬を品定めする。今夜忍び込めば、正倉院に 光る檸檬が積まれているのかもしれない。
花野の隅にオレンジ色の日付つく 同
夕闇迫る花野。ぽっと明かりが灯りはじめたらオレンジ色の日付にしてしまおう。
夏痩せの妻と喧嘩や殴らねど 山口優夢
「殴らねど」が切ない。喧嘩をしなくてはいけないと思う。結婚生活は。例外はあるとして人間同士、しかも男女の共同生活だ。分かりあうのは、喧嘩しかない。しかし次の喧嘩では、前回より、マシな喧嘩をしなくていけない。
皮肉も自嘲も泣き声に負け冷酒酌む 同
泣かれると負ける。負けたふりをする。男は。泣き叫び羽枕を投げつける奥さんの洋画のワンシーンが浮かびます。次回からは、お互い少しクールにいきませんか。それでなくても 疲れる現代の暮らしです。自嘲も皮肉も相手にぶつける前に、思いっきり走り書きしてみる。書き殴ってみる。まず自分で自分のガス抜きが必要。頬っぺた殴られるより、相手も痛くない。
別れるの死ぬのと母も昔の夏 同
お母さんにも 若く生々しい時代があって、次の世代もまた、こうして健やかに繰り返す暮らし。
言ひ負かしたのではなく見限られたのかも、夜 同
夫婦間の句としてではなく、友人同士の句としても。むしろ、その方が面白いかもしれないなと思う。無季はなぜか 気にならない。
おしろいや終はつても済んでない喧嘩 同
DVは 絶対!NO!だけど、これからも分かりあう為、いっぱい派手に喧嘩して欲しい。喧嘩 仲直りを散々繰り返そう。物心さえ付いていれば、子どもの前でもやっちゃいましょう。子どもなりに、人間同士になにが大切なのか感じていけるから。
妻から指をつないで帰る墓参かな 同
喧嘩の後の木犀の匂い。
黙読のときにほほ笑む夜長かな 矢野公雄
最近「せつない動物図鑑」(ブルック・バーガー/服部京子訳)を読んで、最初から最後までワタシは、ほほ笑んだ。本を読んでて 思わず吹き出すこともある。そんなとき
なぜか、わたしは 生きててよかったと思う。
下の名をはじめて呼ばれ稲光 同
無音の閃光、稲光り。職場なのか野外なのか いづれにしても、うれしいびっくりだったのだろう。
仏にも鬼にもなれず濁り酒 同
にんげんで・す・か・ら、あたり前田のクラッカー。李白も呑んでいたらしい、濁り酒の斡旋が良い。
■矢野公雄 踊の輪 10句 ≫読む
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