【週俳11月の俳句を読む】
四方の四句
西川火尖
三日月を京都タワーに乗せにけり 柴田健
京都タワーって東京タワーやスカイツリーとかと違ってビルの上に塔が立っている中途半端なタワーで、学生の頃は原付で走る横目で、それこそこの句のような景色を何度も見てきた。ひょいって摘んでそこにおいたような簡単な口振りと、中途半端な京都タワーのキャラクターはよく合っていて、月と尖塔というハマりすぎな素材の意表を突いてみたら、こんなに軽やかで明るいものが出てきましたって感じがちょっと可笑しくて、で、その軽やかさを俳句だから「けり」で大真面目に言い切ったんだけど、却ってというか狙い通りというか、何ともおどけたような風合いまで加わったという、そんな感じだ。
そう言えば、こういうギャップを駆使した言い回しが抜群に上手い友達が京都にいて、今そいつは京都にいないんだけど、全然俳句とは関係ないんだけど、ちょっとそいつのことを思い出して、文体もやや感傷的になってしまった。
冬銀河肢体ねぢれて球送る 安岡麻佑
有名な円盤投げの彫像でも分かるように、全身を使って行う投擲は非常に美しい。投げるというただ一つの目的のためだけに体の各パーツの役割を緻密に連動させることを美しいと思うのは、もしかしたら人類誕生以来刻み込まれてきた星々の運行の記憶を呼び起こされるからではないだろうか。全身を捩じり、体重を片足に預け、バランスを取り、体重移動をしながら回転運動を開放しつつ、ボールを送る。この一連の動作が、冬銀河という言葉によって、宇宙開闢以来の回転運動に連なるイメージに重なっていく。そこに果たす冬の一語の役割は意外と重要で、冬とつくことで季節のある地球上から見た出来事として受け取ることができ、より一層ボールを投げる個が浮かび上がるのではないかと思う。
また、これは誤読にあたるかもしれないが、「球送る」の音が「魂送り」にも通じることで、冬銀河の即きすぎともいえる強い効果に対して、釣合いを取ろうとしているのかもしれない。
くつついて力のゆるぶ玉の露 小野あらた
露の玉がくっついて大きくなるという何気ないシーンを掬い上げ、「力のゆるぶ」という適切な表現で露の姿をぴたりと言い留めたところなど、非常に上手いと思う。他の句も例えば「富有柿対角線の走りけり」、「柿切るや種の周りの透けてをり」などの「対角線」「透けてをり」のように、しっかりと眼目を作って、過不足なく効いている。この一貫した技術水位の高さは、レトリック上のテクニックに留まるものではなく、もっと偏執的なものを感じるのだ。彼の俳句のどれもが、俳句に内在する「快」のツボを、機械的にと言っていいほど的確に刺激しつづけているように感じるのだ。とにかくその快のポイントをひたすら言葉を変えリズムを変え、自然や生活の随所に潜んでいるトリビアルな視点から執拗に突き続けているとでも言えばいいだろうか。小野あらたの句に感じる強い一貫性は、おそらくそのような一貫性ではないかと思う。
栗の秋八王子から出て来いよ 西村麒麟
最初の京都タワーの句で述べた通り、私は学生のころは京都に住んでいた。その後、東京に移ってきて町田に住み着き、そして今は神奈川県の相模原市に住んでいる。八王子は比較的近いくせに中々行く機会には恵まれなくて、たまに行ったとしても八王子駅周辺までで、そこからは交通が不便でほとんど知らない。しかし、とにかくこの「八王子から出て来いよ」の呼びかけはとても明るく朗らかだなと思った。八王子の奥から返事がしそうな楽天的な感じがなんとも楽しいと思う。それは、八王子という選択のセンスもさることながら、やはり「栗の秋」の季の重ね塗りの大らかさによるところが大きい。高浜虚子の「敵といふもの今は無し秋の月」に通じる余裕、ある意味人を食ったような余裕を感じるのだが、その言葉のイメージの広がりが、なだらかな丘陵の多い八王子の隅々に行き渡るようである。
■柴田健 土の音 10句 ≫読む
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