【週俳1月の俳句を読む】
言われてみると腑に落ちる感触
柏柳明子
「…そうか。新年の俳句って凝らない方がいいんだ。シンプルにあっさり詠んだ方が多分いいんだ」担当している初心者向け俳句講座での句会時、受講生がふと呟いた。あ、確かにそうかも。「新年詠」ってそのつもりがなくても、どこかで力が入ってしまうというか、私など意識のどこかで「新年らしいことを詠もう」「佳いものを詠まなきゃ」という変なバイアスを勝手に自分へかけてしまう。実際に「読者」の立場に立つと、自然体かつ日常の延長にある新年らしい句を選ぶというのに。
草めける犬の睫毛や年迎ふ 篠崎央子
「草めける」という形容にまず、ぐっと掴まれる。おそらく長い睫毛の、量もたっぷりとした犬なのだろう。睫毛に焦点を当てたところで、作者と犬との物理的・心理的距離の近さも自ずと窺い知ることができる。ヒトとイヌ。違う種族同士が紡いできた一年が終わり、また新しい一年が始まろうとしている。同じような一日、生活の繰返しに見えて、少しずつお互いに年を重ね、色合いや趣を変えていく記憶が作者の心を温めてくれるのだろう。しみじみと心に沁みるのは、「年迎ふ」という季語が素直に句の中に息づいているからだと思う。
二日聞く鼻くそ丸めたほどの恋 野口 裕
最初、思わず笑ってしまった。面白いなあ。でも、切なさもある。それにしてもこの「二日」の独特な把握はあっぱれだ。正月っぽさはそのままながら、少しずつ事物が動き出す二日。誰かの恋バナでも聞かされているのだろうか。あるいは小耳に挟んだのか。ここでは「聞かされている」と仮定する。正月は大抵やることがない。ま、ヒマなんだろうな。おまけに他人様の恋の話はそう面白いもんでもない。「鼻くそ丸めたほど」っていうからには聞かされている側のポテンシャルはもちろん、その内容もおそらく大したものではないのだろう。ぬけぬけとした客観性。でも、結局耳を貸している律義さ。そのアンバランスな要素が句のなかで絶妙なバランスを保ってイキイキ呼吸している。多分そこが私は好きなんだ。嗚呼、やっぱり恋は聞くもんじゃない、自分でするもんだ。『海街Diary』でもそういう台詞があるしね。
縄跳やもの編むごとく光吐き 依光陽子
今でもたまに一人で縄跳をしている子はいるけれども、グループで「大波小波」などと歌いながら跳んでは輪を抜ける姿をとんと見かけなくなった。もちろんこの句は一人での縄跳の景でも魅力的なのだが、どうしても私には昔自分も体験した大縄跳の光景として目に浮かぶ。おそらく「もの編むごとく光吐き」という中七下五からそう思うのだろう。大きな縄の輪が冬の短い日を回すかのごとく跳び続ける子どもたちを巻き込み、その小さな体を次々と縄の外に放出しながらやがてはすべてを光に変えていく。郷愁を誘いつつも幻想的な世界へ子どもたちを、そして読者をも一時連れていく句。
恵方へと向かうトラックAコープ 小林かんな
Aコープに限らず、コープ関係のトラックを日常的に見かける機会が多くなった。高齢化や共働きなど、都市部でも宅配を頼む家が増えているからだろう。時間の節約と利便性が魅力的な一方、普段の生活を支えるための日常品や食料品を買いに行くのもままならない事情から「買い物弱者」という言葉も生まれるほどだ。掲句ではそのトラックが恵方へ向かっているという。配達先がたまたま恵方と一致しているという、ただそれだけのことなのだろうが、こう詠まれてみるとAコープのトラックが何か吉なる存在として見えてくるから不思議だ。何気ない、でも言われてみると腑に落ちる感触。こういう瞬間に句を通じて出会えると、俳句ってやめられないなと思う。
あをぞらの一点見つめ初電話 太田うさぎ
新年の挨拶かもしれない。近しい人と久しぶりに近況を告げ合っている最中かもしれない。通話中に、一瞬見上げた空の青さが読者の想像力を豊かに広げる。顔の見えない相手との距離、関係、時間。そして、あをぞらの「一点」と言い切ったところに、相手に対する言葉に尽くせぬ思いを感じる。通話を終えたその後はそれぞれの時間が再開する。でも、お互いにどこにいても、新しい年がよいものでありますように。
元日の終夜電車の人親し 山崎志夏生
普段は見ず知らずの人と時間や場所を共有することに特に感慨はないのに、新年を迎えた真夜中の電車内だとなぜだか親近感を覚える。それこそイベントというもののもたらす効果なのかもしれない。大みそかから元日は、オールで初詣に繰り出したり初日の出を見に行ったり。夜の厳しい寒さを紛らわそうとほどよく酒も入ったりして、わけもなくはしゃぎハイになる人も。もちろん車内で居眠りをしている人もいたりして、それぞれごった煮の新年の景がどれも今は近しい存在に見えてくる。もう少し前だったらこの感慨はなかったかもしれない。「普通に一日を過ごして終わる」ことが揺らぎつつあるように思われる昨今、掲句が的確に描いた景と「親し」という終止形による吐露は殊に胸に響く。
■2018年 新年詠
2018-02-11
【週俳1月の俳句を読む】言われてみると腑に落ちる感触 柏柳明子
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