【週俳3月の俳句を読む】
ぼくは白梅を見た記憶がない
鈴木牛後
白梅の中抜けてきし鳥のかほ 名取里美
いつときの恋いつときの梅ま白
一句目、ふいに現れた鳥の顔への驚きと喜び。おそらくは色あざやかな鳥だったのだろう。春の喜びが鳥の顔に投影されている。二句目、白梅に託された純潔。若い頃の回想なのだろうが、「いつとき」のリフレインに思いが込められているようだ。
どちらもとてもすてきな句。白梅という季語が生きている。とここまで書いて正直に言うが、ぼくは白梅を見た記憶がない。実際には札幌に住んでいたときに、子どもの保育所の遠足か何かで梅見に行ったというおぼろげな記憶はあるのだが、そのころは俳句を作っていたわけでもなくただ花が咲いているという印象しか抱かなかったと思う。
ネットで検索してみると、日本最北の梅の木は旭川市の旭川第一小学校の校庭にあるらしい。旭川市から北へ百キロメートルほども離れている我が家の近くではさすがに梅の木はない。加えて、北海道で梅が開花する5月上旬はとても仕事が忙しく、なかなか遠くへ梅見にも行けないのだ。
もちろん見たことがない季語を使って俳句を作ってはいけないわけではないし、鑑賞することもできるだろう。でも、どこか自分のなかで納得できるものではなく、もやもやしたものが残ってしまう。兼題が出ればどんな季語でも俳句に仕立てるのだが、おそらくは句集には入れないだろう。
なんだかすっかり話が逸れてしまったが、ようやく春が実感として感じられるようになった北海道で、春の俳句を存分に楽しませてもらった。
梅の花たのしきことをかんがふる 名取里美
2018-04-15
【週俳3月の俳句を読む】ぼくは白梅を見た記憶がない 鈴木牛後
■近江文代 脈拍 10句 ≫読む
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 comments:
コメントを投稿