2018-10-14

【週俳9月の俳句を読む】 光と落下 小林かんな

【週俳9月の俳句を読む】
光と落下

小林かんな


自分の中に未知がある。長く連れ添った自分なので、心も頭もあらましはわかっているつもりだが、光が当たることによって、それまで意識したことがなかった箇所の存在に気づく。まるで穴が空いて、風が通り抜けたようで、新鮮だ。俳句は時にそんな光を放つ。


大阪の夕暮色の秋薔薇   津田このみ
 
秋薔薇を手元の電子辞書で調べてみると、収録しているのは角川俳句大歳時記だけのようだ。「…こころもち小振りで色も悪いという含みがある」との残念な記載あり。薔薇は薔薇でも秋の薔薇はひかえめで地味。

いわゆる「大阪」の夕暮には人情味、気安さ、かしましさ、忙しなさなどがくったり溶け合っていると思う。この薔薇はそんな大阪の暮色を湛えているという。薔薇が似合う都道府県ランキング(2017年度版)上位10県にランクインしなかった大阪なので、華やか過ぎない秋の薔薇とは実は馴染むのかもしれない。


かと思うと、桃缶と暮らし始めた人がいるみたい。一見、浮かれたC調を漂わせる俳句の中のたとえば次の句に注目した。

秋うららお釣りがてのひらに落ちる   佐藤廉

「秋うらら」というごく平穏な出だしなのに、何か突き放して、外から俯瞰している感じ。落ちたのはあくまで「お釣り」と書いているが、この句の向こうに沈む夕陽、散る黄葉、落ちる木の実など、下降する秋の万物が見えやしないか。「てのひらに落ちる」とは立ち止まってみれば違和を含んだ表現だ。落ちた物が何であれ、スロー再生でもしなければそんな把握はしにくいし、視点がどこにあるのかちょっとわからない。狭い面積のてのひらに落ちたお釣りは無事に基地したのか、永遠に落下するのか、どうも気になってしかたない。消せない一句である。


593号 201892
及川真梨子 隠門 10 読む
596号 2018923
対中いずみ 嫌がつて 10 読む
佐藤  かわいい缶 10 読む
597号 2018930  
津田このみ 大阪 10 読む

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