日曜のカンフー
いつかたこぶねになる日
小津夜景
沖を眺めながら、タコについて考えている。
午前の海はがらんとしている。子供とおじいさんのカップルが干潟でちいさな穴を探しては、その穴に塩をふりかけて砂から顔を出す馬刀貝をとっているくらいだ。今朝コーヒーを飲みつつ満干表を見たら、今日は今年最後の潮干狩り日和とあったから、もっとたくさん人がいるかと思ったのに。
ゆうべからタコのことが頭から離れない。タコの映像をまとめて観たせいだ。タコはかわいい。しかも非凡だ。さらにはきわめて孤独を愛するライフスタイルを貫いている。なんでもタコは巣穴で一人暮らしをし、毎日単独で遊びにゆく。道具をつかって巣穴を自分好みに飾りつける。椰子の実をカプセル住居として常にたずさえるタコもいる。そういえば、たこぶねという種類のタコは、地中海の宮殿のような貝殻を住居にしていた。A・M・リンドバーグ『海からの贈物』にも登場するあのタコだ。
浜辺で見られる世界の住人の中に、稀にしか出会わない、珍しいのがいて、たこぶねはその貝と少しも結び付いていない。貝は実際は、子供のための揺籃であって、母のたこぶねはこれを抱えて海の表面に浮び上がり、そこで卵が孵って、子供たちは泳ぎ去り、母のたこぶねは貝を捨てて新しい生活を始める。私はこのたこぶねのそういう仮の住居を専門家の収集でしか見たことがないが、その生き方が提供する影像に非常な魅力を感じる。半透明で、ギリシャの柱のように美しい溝が幾筋が付いているこの白い貝は、昔の人たちが乗った舟も同様に軽くて、未知の海に向かっていつでも出帆することができる。(リンドバーグ「たこぶね」)この本は、リンドバーグがいっとき家庭を離れて島の家を借り、浜辺で拾った貝殻を材料として毎夜思いめぐらしたことをまとめた随筆集で、各章には「浜辺」「ほら貝」「つめた貝」「日の出貝」「牡蠣」「たこぶね」「幾つかの貝」「浜辺を振返って」と題がついている。簡素の美しさを告げる「ほら貝」、孤独の大切さを教える「つめた貝」、結婚当初のつかのまの完璧な自足を思わせる「日の出貝」、そのあとの長い涵養の時間を手ほどきする「牡蠣」、そして涵養の果てにその殻を捨て去って、ふたたび身一つで海へと泳ぎだす「たこぶね」。こうした、貝から与えらえるイメージを連ねることによって、女性が自由に生きるためには何が必要なのか、その暮らし方をリンドバーグは見つめ直すのだ。
人生の後半を、時の年輪がつくりあげた美しい殻を惜しげもなく脱ぎ捨てて、たこぶねのように、さらなる未知の世界へ泳ぎだしたいという願い。一介のタコとして生きたいという願い。ちょっとないくらい深い話である。
ふいに潮の香り。白い大きな船が、ゆっくりと沖を通り過ぎる。鉄製の編み籠に、ナイフみたいな馬刀貝をほうり込んだ子供が、おじいさんに向かって歓喜の声を上げた。
© Veronidae |
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