【句集を読む】
なめらかな夜に
飯田晴句集『ゆめの変り目』の一句
西原天気
夜は、物質ではありません。簡単にいえば、時間です(物質と時間の関係といったややこしい問題はさておき)。
ところが、肌理・質感を持っているような気がします。夜全般ではなく、ある夜。ある特定のその夜は。
菊食うて夜といふなめらかな川 飯田 晴
この「夜」は、なんと「川」であるというのです。それも「なめらかな」。不定形で、流れゆくもの。官能を感じる読者もいることでしょう(例えば私)。
この喩は、いかにもそうと読者が首肯するたぐいの喩ではありません。夜とは(この言い方は夜全般です)そういうものだと腑に落ちるようなものではない。腑に落ちきらない機微が残ります。そこがこの句の大きな魅力です。
ところで、菊を食すること、夜がなめらかな川であること、このふたつには、いくつかの関係が見いだせます。
1 無関係
2 因果(といっても句の傷としての因果ではありません)
3 融合
これだけだと、なんのことだかわからないので、ちょっと説明します。
1 無関係
作者が(ある人が)菊を食することと、川がなめらかな夜であることは、別の事情です。いわゆる二物が衝撃的に同居して、互いになんらかの効果を生んでいるというやつです。
2 因果
無関係なようでいて、かすかな因果は見いだせます。菊は食べものとしてカロリー摂取から遠い(無粋に理屈っぽい言い方ですね)。それゆえ、薬効的に、というより幻術的に、身体と精神に作用を及ぼすような気もしてきます。それは後半の官能的な喩によってもたらされるものでもあるのですが、ともかく、ほかの食べものでは、この句にしっくりきません。ごはんはムードが台無しだし、薯蕷(とろろ)だと「なめらか」に身も蓋もなく即(つ)いてしまいます。果実は、この句の夢魔的な側面にそぐわない。
3 融合
これについて説明が難しいのですが、無関係な二物としてぶつかり、それでも同時に、かすかな、しかし効果的な因果をまといつつ、結果として、ふたつが溶け合う感じがあります。前半の身体が、後半の川と夜の質感へと没入していく。ああ、この句の「夜」に包まれたような気になりませんか。
私がこの句を読んだときの愉悦は、1≫2≫3とことばの効果が連鎖したわけですが、このみっつは、句の中で同時に鳴っています。つまり多声的(ポリフォニック)。多義的ではありません。為念。多声をもって、私(たち)を魅了する句です。
さて、最後に、いくぶん付加的に、川のこと。
川は物質です。抵抗感のある言い方ですが、重さも容積も温度もある。夜が時間であって、物質ではないのと対照的です。ところが、川は時間でもあるようです。流れるものである以上、時間的なのですが、それ以上に、この句においては〈意識の中の時間〉の様相を呈しています。それは、「夜の川」ではなく、〈夜という川〉〈夜=川〉とした、この句の効果のような気がします。
とすると、多声であると同時に、モノと時間が往還するダイナミズムも、この句の魅力のひとつのようです。
飯田晴句集『ゆめの変り目』(2018年9月/ふらんす堂)
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