2018-10-28

ふかの湯ざらし 橋本 直

ふかの湯ざらし

橋本 直

なんでサメって冬の季語やねん? ってなり、歳時記を当たってみる。

古い歳時記から最近のまでサメを詠んだ句をみてみると、漁や市場の風景とか、水族館とか見ていない鮫の想望句とかで、その辺の処理が腕の見せ所になるもよう。当たった範囲で食べ物として詠まれている感じはない。俳人が自然の中でサメに接する機会はほぼない(私は海水浴場でネコザメの幼魚と会ったことはあります)だろうから、句材になったのは市場由来だろうか。

おそらく歳時記に最も早く鮫を立項させているのは、やはり改造社『俳諧歳時記 冬』ではないかと予想するんだが、鮫より隣の海豚の記事の方が面白い(昭和八年。画像参照)。鮫も海豚も例句が「ホトトギス」関連ばかりなのはこの巻の編者が高濱虚子であることによる。



その後、高度成長期の角川『図説大歳時記冬』になると解説が生態以外にも言及がひろがり、「肉はやわらかくて臭気があり、食品としては上等ではない。多くかまぼこの材料として用いられる。」とある。フカヒレについては特にふれていない。例句に、「ふなびとら鮫など雪にかき下ろす」(加藤楸邨)、「かしやくなき市場言葉に鮫長し」(桂樟蹊子)、「明日を恃み鮫獲り船の出でゆかず」(村上しゆら)と、『俳諧歳時記』にもあった青井の句。いずれも漁や糶の風景である。

これが平成の角川『俳句大歳時記』になってくると、フカヒレも解説に加わり、例句には「この湾に人喰ひ鮫の棲むといふ」(滝沢伊代次)、「鱶の棲む海航く夜は抱擁して」(たむらちせい)、「本の山くづれて遠き海に鮫」(小澤實)などなど、鮫見てないじゃん、という句が増えてくる。一方、嘱目系では、「風吹けば泣くてふ鱶の鰭を干す」(平松三平)と「猫鮫と蝶鮫とゐる至近距離」(上野遊馬)。つまり、フカヒレ加工中と水族館の風景だろう。そういえば自分が去年「俳句」でだした鮫の句も魚市場の嘱目だったが、実景に即す句のほうが分が悪いのが近年の鮫俳句の動静ということなのかもしれない。どうせ実景に即す句がすくないというのなら、重信や敏雄の鮫(鱶)などの句も入れていいだろうに、とも思う。兜太のは梅に入れられちゃうでしょうが。

梅咲いて庭中に青鮫が来ている  金子兜太

いまわれは遊ぶ鱶にて逆さ富士  高柳重信

共に泳ぐ幻の鱶僕のやうに  三橋敏雄

ところで、愛媛の実家のほうではサメを湯ざらしにして食べる(「ふかのゆざらし」という)文化があって、スーパーなんかで調理済みのを売ってるんだけど、あれは主に愛媛南部(南予)のものかもしれない。松山(中予)のほうでは食べてない印象。

湯ざらしの鱶食べる音死者の家  坪内稔典

ネンテン先生は筆者の隣町のご出身のほぼ同郷人で、この文化を共有しているのがわかる句も詠んでる。だいぶ過疎化したので昨今はどうなったかわからないが、冠婚葬祭に鱶の湯ざらし食べたりしたんですな。この句、異文化の人にはちょっとわかりにくいかもしれない。なお、既存の歳時記と比べ攻撃的で知られる?現俳協編『現代俳句歳時記』では、鮫を食用の旬として夏に立項。しかし結局、なんでサメって冬の季語かの由来は未詳です。

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