2018-12-09

【週俳11月の俳句を読む】『新歳時記』ばかり見ていると 橋本小たか

【週俳11月の俳句を読む】
『新歳時記』ばかり見ていると

橋本小たか


頭が固いせいだろう。
私には大塚凱さんの句も中田美子さんの句もよくわからなかった。

あるいは最近、俳句と言えば虚子編の『新歳時記』しか読んでいないという事情もあるかもしれない。それしか読まないのは、特に守旧派みたいなものでもなく、単におもしろいからである。

多彩な句を集めた『新歳時記』だが、その魅力をあえて一言で言えば、「何も込めてない」ところ。岸本尚毅さんが『新歳時記』や『雑詠選集』の句を取り上げていう「無意味」と同じような話かと思う。

例えば大塚さんの句に「枯萩の透けてくるまで考へる」がある。

『新歳時記』の解説によれば「枯萩」は「枝こまごまとがらんどうになつた姿は、うら淋しくも趣のあるものである。或時は凍蝶を宿し、或時は時雨がかかる」。

かなり突っ込んだ解説。その例句のひとつを紹介すれば、

「枯萩のこんがらがりてよき天気 みづほ」

え、この解説で例句これ? とも思うが、私には大塚さんの句より、この「何も込めてない」みづほさんの句の方がおもしろい。

いや、もちろん「枯萩のこんがらがりて」というとても当り前なフレーズのあとに「よき天気」というこれまた当り前ながら、しかし唐突なフレーズを持ってくる「取り合わせ」の妙はある。

実際、『新歳時記』の句は、当り前のフレーズの組み合わせでできている。

「枯萩」が載っている見開きでゆけば、
「枯柳雀の腹の見えにけり 旦藁」
「冬枯の道二筋に別れけり 虚子」
などがその例になるかもしれない。いい句だと思う。

それに対して大塚さんの「枯萩の透けてくるまで考へる」は、何かが込められている。それが私には余計に思う。

『新歳時記』は「枯萩」という季語を「枝こまごまとがらんどうになつた姿」と言った。
これを仮に句にすると「枯萩の枝こまごまとがらんどう」となる。

「枝こまごまとがらんどう」と「透けてくるまで考へる」だと、がらんどうのほうがさっぱりとして良い。別に「考へ」なくていいじゃないかと思う。先ほどの「枯萩のこんがらがりてよき天気 みづほ」が良い理由も同じ。さっぱりとして良い。

大塚さんの「ひおもてをくしやみの粒のながれゆく」は、気持ち悪いような、きれいなような変な句。「粒」にちょっと力瘤が入った具合だ。

あまり比較にならないが、「くさめ」の例句
「つづけさまにくさめして威儀くづれけり 虚子」の
気の抜けた馬鹿馬鹿しい感じの方が格は高いかもしれない。

中田さんと大塚さんの句のなかで中田さんの「タクシーに乗つて大きな紅葉山」がいいと思った。

『新歳時記』の中では「裏山の日なき紅葉に下りけり 素十」が絶品。


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大塚 凱 真空地帯 10句 ≫読む

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