【2018年週俳のオススメ記事 4-6月】
きっかけ
村田 篠
第572号(4月8日)から「俳人インタビュー」のシリーズが始まりました。俳人に10の質問をさせていただく形式で、インタビューの最後に近作を掲載。俳句以外の質問にも真摯に(あるいはユーモラスに)お答えいただいていて、読み物としても楽しいものになっています。
第573号(4月15日)に掲載された「24時間耐久花見大会」レポートは、もう自分では決してしようと思わない(できない)「徹夜」のリアリティを感じながら読みました。レポーターの大塚凱さんが、このイベントの目的を「正しく狂いたかったからだ」と書かれていて、「なんという活気のある目的なんだ」としみじみ感じ入ったりも。
昨年刊行された福田若之さんの句集『自生地』への論評が、今年になっても続いています。第575号(4月29日)では、竹岡一郎さんが「とおい文化祭」という文章を寄せられていますし、第576号(5月6日)では上田信治さんが時評「新人賞ふたつ」のなかで言及しています。この時評では、生駒大祐さんの第5回芝不器男俳句新人賞受賞作についても触れていますが、この文章は俳人・生駒大祐への深い洞察として、とても印象に残りました。
第581号(6月10日)の橋本直さんの論考『「髪洗ふ」攷』は、この季語の由来をさぐるうちに「入浴」の歴史に踏み入り、浴槽やシャンプーについての考察に至っています。当初のミニマムな興味が、どんどん書き手を広い世界へ誘います。女性にとって髪がいかに大切なアイテムかを想像すると、時代は定かではありませんが、庭先で髪を洗う(寒い季節は屋外では髪を洗わないと思われます)女性のしぐさの「艶っぽさ」を表現する夏の季語として立ち上がってきたのではないかと思われます。でも、それも私の想像でしかありません。現代では性別を問わず、毎日髪を洗うことが身だしなみのひとつになってしまい、この季語のニュアンスは失われました。
4月から6月もたくさんの10句作品をお寄せいただきました。プロフィールを改めて拝見すると、俳句を始められるきっかけがひとによってさまざまで、とても幅広いことが感じられます。「俳句を始めるきっかけなんか、どうでもいいことだよね」と心の片隅で思いつつ、でも、その幅広さを心強くも感じます。
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